創造主の試練
転移の直後、ユキを襲ったのは強烈な浮遊感ではなく、じっとりとした湿気と、濃密な「死」の匂いだった。
「……ここは、本当にダンジョンの中か?」
ユキは荒い息を整えながら、周囲を警戒した。
先ほどのガラクタ市とは比較にならないほど、空気が冷たく重い。
岩肌を伝う水滴の音だけが、不気味に反響している。
(あの男は……追ってきていないな)
ひとまず最大の脅威からは逃れられた。
だが、状況は最悪だ。
戦闘スキルを持たない彼が、モンスターの巣窟であるダンジョンに、丸腰で放り出されたのだ。
(落ち着け。まずは状況の確認だ)
ユキは自らを叱咤し、視界の隅に浮かぶウィンドウに意識を集中させた。
世界の寿命――365日。
あの絶望的な情報が、嫌でも思考を現実に戻す。
生き延びなければならない。
あの組織から逃げるためだけじゃない。
あの情報が真実なら、なおさらだ。
(食料と、安全な場所。それが最優先だ)
幸い、今の彼には【概念鑑定】がある。
ユキは目の前の、不気味に発光する苔に意識を向けた。
【 ヒカリゴケ(亜種)】
・内包概念:【微弱な魔力光】
・情報:食用には適さない。魔力を帯びているため、一部の小型モンスターを引き寄せる性質を持つ。
「……危なかった」
知らずに触れていれば、モンスターの餌食になっていたかもしれない。
ユキは慎重にヒカリゴケを避け、壁際を進んだ。
ダンジョンは、一見すると無価値なもので満ちている。
だが、その一つ一つが「概念」を持っている。
次に彼が見つけたのは、湿った岩陰に生えていたキノコだった。
【 シメリタケ 】
・内包概念:【水分の貯蔵】
・情報:可食。味は無いが、豊富な水分と最低限の栄養を含む。毒性なし。
(食料、確保)
ユキは即座にそれを採取し、懐にしまった。
これがもし以前の【鑑定】スキルなら、「キノコ。食べられる」程度の情報しか得られなかっただろう。
だが【概念鑑定】は、それが持つ「本質」――この場合は【水分の貯蔵】という概念まで暴き出す。
(この力があれば、戦えなくても生き残れるかもしれない)
希望の光が、ほんの少しだけ見えた気がした。
彼は鑑定能力をフル活用し、危険な罠(【圧力感知式の床】という概念を持つ岩)を避け、モンスターの気配(【縄張り意識】の概念を持つ空気の淀み)を察知しながら、ダンジョンの深部へと進んでいく。
どれほど歩いただろうか。
疲労が限界に達し始めた頃、彼は小さな洞窟を発見した。
(ここは……)
【 風抜けの洞】
・内包概念:【安定した構造】【魔力の遮断】
・情報:ダンジョン内の魔力の流れから隔離された稀有な空間。モンスターは感知できず、侵入しない。
「……安全地帯だ」
ユキは、崩れ落ちるようにして洞窟の中へ滑り込んだ。
ようやく一息つける。
背中を冷たい岩壁に預け、張り詰めていた緊張の糸をゆっくりと解きほぐす。
(助かった……。しかし、これからどうすれば)
地上に戻る方法は? あの組織の正体は? そして、世界の寿命とは?
考えるべきことは山積みだ。
ふと、彼がもたれていた壁に、何か硬い感触があることに気づいた。
ただの岩壁ではない。何か、人工的な……。
ユキは疲れ切った体に鞭打ち、その壁に【概念鑑定】を発動させた。
視界に、情報ウィンドウが展開される。
【 試練の碑文 】
・状態:封印中(起動条件:鑑定)
・内包概念:【創造主の意思】
・情報:解読を開始します――
『我、このダンジョンの創造主。』
『愚かなる世界の真実を探求し、この最深部へ辿り着いた侵入者よ』
『汝に、最初の試練を与えん』
「な……!?」
ユキが文字の意味を理解した、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
凄まじい地響きと共に、彼が入ってきた洞窟の入り口が、巨大な岩によって音を立てて塞がれてしまった。




