価値のないもの
世界が白く染まり、どれほどの時間が経過しただろうか。
ユキが最初に感じたのは、埃っぽさではなく、ひんやりとした、澄んだ空気だった。
目を開けると、そこは「始原のダンジョン」ではなかった。
天井には青空が広がり、足元には柔らかい草が生えている。
「世界の心臓」も、おぞましい玉座も消え、ただ穏やかな風が吹き抜ける、美しい高原が広がっていた。
「……終わった、のか?」
傍らには、アリアとカイが、同じように呆然と空を見上げている。
「ああ……」
ユキは、自らの金色の瞳が、元の黒い瞳に戻っていることを感じた。
そして、あのボス――世界に絶望した男の気配も、ラングレイの魔力も、どこにも感じられなかった。
ユキが【概念創造】で叩きつけた【断絶】の概念は、ボスと世界の接続を完全に切り離した。
神の力を失い、ただの人間に戻ったボスは、自らが溜め込んだ「穢れ」に耐えきれず、ラングレイと共に光の中へ消滅していった。
戦いは、終わったのだ。
だが、世界はまだ救われていない。
ユキの視界の隅には、あの絶望的なカウントダウンが、まだ残っていた。
『世界の寿命は、残り300日』
(※戦闘で日数が経過している)
「ユキ……」
アリアが、不安そうにユキを見つめる。
世界を汚染する「穢れ」の根本原因――人間の負の感情――は、解決していない。
ボスを倒しても、延命措置であるダンジョンの限界が迫っている事実に、変わりはなかった。
「……いや」
ユキは、静かに首を振った。
「カイ。あんたの【概念魔術】の力が必要だ。俺の力を増幅してほしい」
「ユキ?」
「アリア。あんたの【聖剣】の力も。俺の概念が暴走しないよう、制御してほしい」
二人は、ユキの意図を察し、無言で頷いた。
アリアが聖剣を地に突き立て、結界を展開する。
カイが、ユキの背後に立ち、魔力回路を同調させた。
ユキは、再び瞳を金色に輝かせ、【概念創造】の力を起動した。
だが、その力は、何かを「破壊」するためでも「創造」するためでもなかった。
彼は、この世界そのもの――その根幹システム(アラヤ)に、優しく触れた。
彼は、天に向かって、静かに語りかける。
「世界の寿命という概念は、もういらない」
ユキは、システムに深く根付いた『穢れを蓄積し、限界を迎え、死ぬ』という概念を、力ずくで掴み出した。
「お前が『穢れ』と定義する、人間の憎悪や絶望。それも、人間が生きている証だ。それすらも『価値』の一つだ」
彼は、掴み出した古い概念を、新しい概念へと書き換えていく。
カイの魔力がユキの力を増幅し、アリアの聖剣がその膨大な力が世界を壊さないよう、制御していく。
「だから、こう定義する」
「『穢れは、新たなエネルギーとして世界に還元される』と」
ユキがそう宣言した瞬間。
世界中が、柔らかな光に包まれた。
街を覆っていた不気味な赤い空が、澄み切った青色へと変わっていく。
ユキの視界の隅で明滅していた『世界の寿命』のカウントダウンが、チカチカと点滅した後、静かに消え去った。
それと同時に、世界中に存在していた「ダンジョン」が、その役目を終えたかのように、光の粒子となって空へと溶けていく。
世界を延命させる必要がなくなったのだ。
「……終わった……」
ユキは、力を使い果たし、その場に座り込んだ。
カイとアリアが、その両脇を支える。
空を見上げると、そこには、どこまでも続く青空が広がっていた。
もう、世界が何かに怯える必要はない。
「なあ」
ユキが、二人に笑いかける。
「ガラクタ市、覚えてるか? 俺、あそこで銅貨稼ぎしてたんだぜ」
「ふっ。私は、呪われた装備のせいで、ダンジョンで死にかけていたがな」
「俺は、工房で膝を抱えて、才能が枯れたと絶望していた」
三人が、顔を見合わせて、声を上げて笑った。
かつて、「ゴミスキル」持ちと呼ばれた青年。
「呪われた」と疎まれた女騎士。
「才能が枯れた」と見放された魔術師。
世界から「無価値」の烙印を押された者たちが、世界を救ったのだ。
「さて、と」
ユキは、草むらから立ち上がった。
「帰ろうか。俺たちの街へ」
世界は救われた。
だが、ラングレイたちが引き起こした混乱は、まだ残っている。
やるべきことは、山積みだ。
「どんなものにも、必ず価値はある」
ユキは、太陽に向かって大きく伸びをした。
「俺たちが、その証明だ」




