“遠慮しない”って決めた日
日比谷の市民団体事務所。
壁には「原子力に頼らない未来を」と書かれたポスターが並び、若者たちが熱心に議論を交わしていた。
窓際の机に腰かけた陽向美結は、俺――蒼核誠一をじっと見つめていた。
白いブラウスの袖を指でいじる仕草が、どこか落ち着かないようにも見える。
「誠一……あなたが選ぶ未来を、私は信じる」
その言葉はまっすぐで、でもどこか切なかった。
「俺は……まだ迷ってる。報道の使命と、誰かを守ること。その両方を選べるのか分からない」
「選べるよ。誠一は、いつだって真っ直ぐだった。だから私は、あなたの選んだ道を信じられる」
彼女の瞳には、同志としての信頼が宿っていた――
そう見せかけていた。でも、俺は気づいていた。
その言葉の端々に、まだ消えきらない感情が滲んでいることに。
「ありがとう。君の言葉が、俺の背中を押してくれる」
「それだけじゃない」
美結は、少しだけ視線を逸らした。
そして、静かに言った。
「私は、もう誠一の隣にはいられない。でも、あなたが誰かと未来を歩むなら……その人を、ちゃんと支えてあげて」
一見、潔い別れの言葉。
でも、その声には、どこか挑発的な響きがあった。
「……美結」
「ううん、いいの。私、分かってたから。あなたが誰を見てるか、ずっと」
彼女は、少しだけ笑った。
その笑顔は、優しさと悔しさが入り混じった、複雑なものだった。
「でもね、誠一。私は諦めたわけじゃない。報道の現場で、あなたが誰かを守ろうとしてる姿を見て、もう一度好きになりそうだった。だから――」
彼女は、机から立ち上がり、俺の目をまっすぐに見据えた。
「もし、あの子があなたの隣にいるなら、私はその隣に立つ。報道の同志としてじゃなく、恋のライバルとして」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
美結の瞳は、かつて見たことのないほど強く、揺るぎなかった。
「……宣戦布告、ってことか?」
「そうよ。私、もう遠慮しない。あなたの未来に、私も立候補する」
その夜、炉門澄玲が美結のもとを訪ねた。
ふたりは、初めて真正面から向き合った。
「あなたが、蒼核さんの……昔からの、大切な人ですよね?」
「ええ。長く一緒に活動してきたから、いろんな時間を共有してきた。でも、今は違う。彼の隣にいるのは、あなた。……でも、私はまだ、彼の隣を諦めてない」
澄玲は、少しだけ目を伏せた。
そして、勇気を振り絞るように言った。
「私、まだ自信がなくて……祖父のこと、報道のこと、全部が怖くて。でも、蒼核さんと一緒にいると、少しだけ勇気が出るんです」
美結は、静かに頷いた。
「それなら、私と競いましょう。誠一の隣を、あなたが守りたいなら、私も本気で奪いに行く」
澄玲の目に、涙が浮かんだ。
けれど、その涙は、決意の証でもあった。
「……負けません。私も、蒼核さんと未来を選びたい」
ふたりは、そっと視線を交わした。
敵でも、ライバルでもない。
ひとりの人を通して、ぶつかり合う心。
その様子を遠くから見ていた白電悠翔が、ぼそりと呟いた。
「女の宣戦布告は、核より怖いな……いや、恋ってやつは、もっと爆発力あるかもな」
俺は、ふたりの姿を見つめながら、静かに笑った。
「俺は、彼女たちの想いに応える。報道の力で、未来を変える」
1955年の東京。
恋と信念が交差し、俺たち若者はそれぞれの想いを胸に、真実へと歩き出す。