誰かの隣にいるということ
夜の報道部。
編集室の蛍光灯が、静まり返った空間に白く光を落としていた。
俺――蒼核誠一は、資料の山に囲まれながら、原稿の下書きを進めていた。
「……まだ残ってたの?」
振り返ると、そこに立っていたのは報野華奈先輩だった。
ポニーテールをほどいた彼女は、いつもより少し柔らかい雰囲気をまとっていた。
なんだろう、ちょっと……綺麗すぎる。
「はい。もう少しでまとまりそうなので」
「ふうん……真面目ね、相変わらず」
彼女は俺の隣に腰を下ろし、机の上の資料に目を通した。
その横顔が、いつもより近くて、俺は少しだけ意識してしまった。
「……あの子、最近よくあなたの話をしてるわよ」
「え?」
「“蒼核さんは、いつも真剣で、でも優しくて”って。……あの子、完全に落ちてるわね」
「……誰の話ですか?」
「澄玲ちゃんに決まってるでしょ。ほんと、鈍いんだから」
華奈先輩は、ため息をついた。
けれど、その目はどこか寂しげだった。
「……私だって、あなたのこと、ずっと見てたのに」
その言葉に、俺は言葉を失った。
でも、彼女はすぐに笑って立ち上がった。
「冗談よ。気にしないで」
そう言って、背を向ける。
けれど、その背中が、どこか小さく見えたのは、気のせいだろうか。
翌日。
俺は、炉門澄玲と一緒に取材に出かけていた。
彼女は、いつもより少しだけ緊張しているように見えた。
「蒼核さん……昨日、華奈さんと一緒に残ってたんですよね?」
「え? ああ、原稿の確認をしてて」
「……そうですか」
彼女は、少しだけ視線を落とした。
けれど、すぐに顔を上げて、俺をまっすぐに見つめた。
「私、蒼核さんの隣にいたいって、思ってるんです」
「え?」
「報道のことも、原子力のことも、まだ分からないことばかりで……でも、蒼核さんと一緒にいると、前に進める気がするんです」
彼女の声は、震えていた。
けれど、その瞳は揺らいでいなかった。
「私、もっと知りたい。蒼核さんのことも、報道のことも。だから……これからも、隣にいてもいいですか?」
俺は、何も言えなかった。
ただ、彼女のまっすぐな想いに、胸が熱くなるのを感じていた。
「……ありがとう。君がいてくれると、俺も救われる」
「……よかった」
彼女は、ほっとしたように微笑んだ。
その笑顔が、あまりにも眩しくて――俺は、目を逸らした。
夜。
編集室に戻ると、机の上に一枚のメモが置かれていた。
《“誰かを選ぶ”って、簡単じゃないわよね。――華奈》
俺は、その文字を見つめながら、深く息を吐いた。
報道の使命。
誰かの想い。
そして、自分の気持ち。
俺は、まだ何も選べていない。
けれど、誰かを傷つける前に、ちゃんと向き合わなければならない
――そう思った。
1955年の東京。
恋と報道の板挟みの中で、俺の心は静かに揺れていた。