「ひかりの先、始まる未来」
文化祭という非日常が、クラスにも廊下にも、ざわめきを連れてきた。
笑い合いながら準備する時間。
誰かのために動く想い。
そして、思いがけず立つことになる、あの場所。
それは、ただの「行事」じゃなかった。
ふとした視線や、交わした言葉のひとつひとつが、
今までと少し違って感じられた。
——気づいたときには、もう戻れない。
心が走り出してしまったから。
これは、幼馴染という枠を静かに超えていく、
ひとつの「想い」が、かたちになる物語。
そして、未来を決める音が鳴り始める——。
【第1章 ep.8】
──10月も後半。
澄んだ風に少しずつ秋の香りが混じり始めた、そんなある日。
「文化祭実行委員、クラスから2人ね。公平にクジで決めまーす!」
担任の軽やかな声とともに、小さな紙の束が教卓に置かれる。
ざわつく教室の中で、1人ずつくじを引いていく生徒たち。
そして──
「……えっ、あたった……!?」
「あ、マジ!? 俺もなんだけど!」
驚きと笑いが混じる中、当たりくじを引いたのは──夏弥と真斗。
くじ運がいいのか、悪いのか。そんなふたりが、2年3組の文化祭実行委員に決定した。
「なんか面白くなってきたな!」と笑う真斗。
一方で、夏弥はちょっぴり緊張した面持ち。でも、煌が「がんばれよ」と笑ってくれたことで、ふっと気が抜けて、小さく頷いた。
そして迎えた、クラスでの出し物会議。
「脱出ゲームがよくない?」「お化け屋敷!」「いや、屋台系でしょ!」
飛び交う意見の嵐のなか、実行委員として、夏弥と真斗はうまくみんなの声をまとめていく。
最終的に、多数決の結果──
2年3組の出し物は “メイド喫茶” に決定!
「男子もやるんだよな?」「俺、スカート似合うかも」「いややめろ」
教室には早速、笑いと軽い悲鳴があふれていた。
こうして、文化祭という名の“大きな舞台”の準備が始まった。
煌と夏弥にとって、そして2年3組にとって、この文化祭は特別なものになる──その予感が、もうすでに漂っていた。
ー
放課後の教室には、少しずつ賑わいが戻ってきていた。
「真斗くん、ここの壁に飾りつける感じでいいよね?」
「おっけー。煌、脚立抑えといてくれー!」
装飾担当となった煌と真斗は、折り紙で作ったガーランドや、ラミネート加工されたメニューの飾りを壁に貼りながら、冗談を言い合って笑っていた。煌の手元は器用で、何気ない飾りでもセンスが光る。
一方、衣装担当の夏弥は女子たちとミシンを囲み、メイド服の調整をしていた。真剣な表情で袖の長さを測りながらも、時折ふと教室の隅にいる煌の方へと視線を送る。
「……夏弥、これ、裾もうちょっと短くしていい?」
「うん、そうだね。丈、ちょっと長すぎるかも。……あ、ごめん、ぼーっとしてた」
そう言って笑う夏弥の表情はどこか穏やかで、でも心のどこかに煌がいることを隠しきれないような、そんな顔をしていた。
調理室では羽玖が、食事担当としてクッキーや軽食の試作に取り組んでいた。彼女らしい優しい味に、何人かの女子が「おいしい!」と喜ぶ声が上がる。羽玖はそんな声に微笑みながらも、時折、教室の方に思いを馳せているようだった。
そんなふうにして、2年3組の「メイド喫茶」は少しずつ形になっていった。
同じ頃、軽音部では体育館ライブのリハーサルが始まっていた。煌は、部員たちと音合わせをしながらも、自分の中で響くある旋律を何度も確かめていた。
──あの日、夏弥が言ってくれた「今度、煌の曲、聴きたい」という言葉。
その言葉を、煌はずっと心の中で繰り返していた。言葉じゃない気持ちを、音に乗せて伝えられたらいい──その想いが、彼の新曲をかたちにしていった。
ー
そして文化祭前日の夕暮れ。
煌と夏弥は、いつものように帰り道を並んで歩いていた。
「文化祭、楽しみだね」と笑った夏弥に、煌は少し立ち止まって、ぽつりと呟いた。
「……明日のミニライブ、新曲、披露するから」
夏弥は驚いたように目を瞬かせて、そしてゆっくり笑った。
「ほんと? 聴けるの、楽しみにしてる」
その笑顔を見て、煌は少しだけ視線を逸らした。けれど心は、まっすぐだった。
──この歌に、全部込める。
言えなかった想いも、伝えきれなかった気持ちも。
全部、音にして。
そう決めた煌の瞳は、秋の空よりも澄んでいた。
ー
朝から学校には活気が溢れていた。
廊下を埋め尽くす笑い声、出店の香り、華やかな飾り付け。校舎全体が、まるでひとつのテーマパークのよう。
2年3組の「メイド喫茶」も、開始直後から大盛況。
クラスメイトたちが交代でホールに立ち、男子たちも照れながらメイド服を着て接客するその光景は、SNSで「#メイド喫茶男子回」などのハッシュタグとともに広まり始めていた。
「いらっしゃいませ〜! 本日おすすめのクッキーですっ!」
「この紅茶、マジで羽玖ちゃんが作ってんの? うまっ!」
店内は笑顔と歓声でいっぱいで、準備の甲斐があったと誰もが感じていた。
午後、混雑の合間を縫って、夏弥と羽玖は制服姿に着替えて校内を歩く。
「わ〜、ここのチュロス美味しそう!」
「じゃあそれ買って、次の休憩は…あ、あそこ行ってみようよ。なんか、お化け屋敷やってるって」
「うん!」
ふたりは笑いながら屋台を巡る。夏の終わりを越えても、まだほんのりと汗ばむ秋の日差し。どこか懐かしくて甘い空気が流れている。
チュロスをかじりながら、ふと羽玖が言った。
「ねぇ……軽音のミニライブ、楽しみだね」
「……うん」
夏弥はそう答えて、視線をチュロスの先に向けた。
胸の奥が、トクトクと音を立てる。煌の新曲。どんな想いが込められているんだろう。自分に届く、その音が、少し怖くて、でも楽しみで——そんな気持ちが入り混じっていた。
ー
ところが、その頃。
体育館の裏手、軽音部の部室では緊迫した空気が流れていた。
「マジかよ…!」
バンドのボーカルを務める男子が、昨晩からの風邪の症状が重くなり今朝にはさらに高熱が上がり、文化祭に来られなくなってしまったのだ。
「今代わりのボーカルって言われても……」
「他校に頼むにも時間がないし……」
部員たちが動揺する中、煌はひとり、黙って窓の外を見ていた。
遠く、陽の光が差し込むグラウンドの向こうに、青空が広がっていた。
──こんな日だからこそ、歌わなくちゃ。
その想いが、心の奥からじんわりと広がっていく。
「俺が、歌うよ」
「……え?」
驚いた部員たちの視線が、一斉に煌に集まった。
煌は静かに言った。
「もともとボーカルやってたし、新曲もある。今歌いたい曲が、あるから」
その瞳は、揺れていなかった。
むしろ、はっきりと何かを捉えていた。
部長がうなずく。
「……わかった。じゃあ、俺らは最高の演奏で支える。任せたぞ、成瀬」
「うん」
煌は、そっと胸ポケットをなぞった。
その中には、夏弥からもらったプレゼント——深い黒と金の装飾がある万年筆が入っていた。
そして──体育館の開場時間が近づいていく。
ー
照明が少しずつ落とされ、会場にざわめきが広がっていく。
ステージ前に設けられた観客スペースには、すでに多くの生徒や来場者が集まっていた。
真斗、夏弥、羽玖の3人もその人波の中、中央付近で肩を寄せ合うようにして並んでいた。
「煌のベース、久々に聴くな〜」
真斗が両手を頭の後ろで組んで、どこかリラックスした顔で笑う。
「なんか俺まで緊張してきたわ〜! あ、やば、手汗出てきたかも」
「盛り上がりすぎて、怪我しないようにね?」
羽玖はくすっと笑って、小さく真斗の腕をつつく。
その隣で、夏弥は言葉少なにじっとステージを見つめていた。
煌の姿が出てくるのを、誰よりも待っていた。
胸の奥が、じんわりと熱くなっている。ワクワクと、ほんの少しの不安。
そして——なによりも、「楽しみ」だという気持ちが、一番強かった。
「ブーッ」
会場に響く、始まりのブザー音。
その合図とともに、舞台前にかかっていた黒い幕が、ゆっくりと左右に開いた。
ステージに照明が灯る。
その中央に——煌が、立っていた。
静かに、でもはっきりとした足取りで、マイクの前に立っている。ベースを肩から下げ、ただ真正面を見据えて。
「……えっ」
一瞬、会場の空気が止まったように思えた。
「成瀬……?」「あれ、ボーカル?」
「なにかトラブルかな?」「成瀬くんの歌声……って、聴けるの?」
ざわざわと、会場がざわめく。驚きと戸惑いが交錯する。
真斗が「マジか……」と息を呑み、羽玖も目を丸くしていた。
そして夏弥は一歩も動けずに、その姿を見つめていた。
(……なんで? どうして、煌が……)
でも、その疑問が言葉になる前に。
煌の背後で、ドラムが静かにカウントを始める。
「……ワン、ツー、スリー……」
次の瞬間。
ギター、ベース、ドラムが一斉に音を鳴らした。
煌の口が、ゆっくりと開かれる。
その声が、体育館の空気を震わせた。
——柔らかくて、まっすぐで、
だけど確かに、胸に突き刺さるような歌声だった。
その瞬間、夏弥の目の奥が、じんわりと熱くなる。
煌が「自分の想い」を歌にして届ける——その姿を、夏弥はしっかりと目に焼き付ける。
煌自身の意思で、煌自身の言葉で。
いや、それ以上に。
ずっと、ずっとまっすぐに——「いまの煌」を届けている。
その声が、音が、胸に染みわたっていく。
周囲のざわめきは、もうどこか遠くへ消えていた。
観客全員が、息を呑んでステージを見つめていた。
煌の歌が、会場を包み込んでいた。
「特別な日」は、いつだってふいにやってくる。
クラスで過ごす、どこか騒がしくてあたたかい時間。
それらすべてが、煌と夏弥の世界を、少しずつ変えていった。
ずっとそばにいたからこそ、見えなかった気持ち。
だけど、少しだけ踏み出せたから見えた景色。
誰かのために何かを選ぶこと。
誰かに気持ちを届けること。
そのひとつひとつが、まるで光のように、彼らを未来へ導いていく。
この文化祭は、幼馴染のふたりが
“ただの幼馴染”じゃいられなくなるきっかけだった。
まだ言葉にはしないけれど、
伝えたい想いは、ちゃんとそこにある。
そして物語は次の季節へ。
ふたりが見つめる“これから”が、ゆっくりと動き出す。
——向灯葵