「君が笑ってくれたら、それだけで」
2つのテストを乗り越え、
少しだけ自由な空気が流れる夏の始まり。
放課後の廊下、帰り道の坂道、すこし眩しい夕陽。
そのどれもが、少し特別に感じられるのは、きっと“誰か”がいるから。
何気ない時間の中で、
少しずつ、でも確かに近づいていく心がある。
不器用で、まだ言葉にできないけれど、
「君の笑顔が見たい」と願う気持ちは、どこまでも真っ直ぐで、あたたかい。
この物語は、そんな一瞬のきらめきを集めた、
ある夏の始まりの記憶。
【第1章 ep.5】
中間テスト、そして嵐のような期末テストを乗り越えて、やってきた待望の夏休み。
その数日前、7月15日。
夕方の部活帰り、蝉の声が響く公園のベンチで、煌と真斗は並んで腰を下ろしていた。
「なぁ、そういえばさ」
真斗がペットボトルの水を飲みながらぽつり。
「来週、夏弥ちゃんの誕生日じゃん。なにかするの?」
その言葉に、煌の手がぴたりと止まる。
ほんの数秒の沈黙——それは、煌の中で“決意”が生まれるまでの時間だった。
「……祝う」
ぽつりと落ちたその言葉に、真斗が目を丸くした。
「おおっ。ついに動くわけだ、煌様」
「そういうんじゃない」
「いやいや、動機はどうあれ、そういうのって行動がすべてだぜ? ……で、どうすんの? 俺、手伝う?」
少し悩んだあと、煌は短く頷いた。
「……頼む。真斗がいてくれたら、心強い」
それは、照れや逡巡を超えた素直な言葉だった。
ー
数日後、3人が集まったのは真斗の部屋。
羽玖も声をかけられ、最初は「私も?」と驚いたが、事情を聞けばすぐに理解した。
「夏弥のこと、成瀬くんが“祝いたい”って思ったこと。……それだけで、もう充分だと思う」
「瀬南……」
「私でよければ、全力で手伝うよ。ね、真斗?」
「もちろん。任せとけ!」
こうして、「成瀬煌発案」のサプライズパーティーの準備が、本格的にスタートした。
ー
作戦会議。
まずは場所から。
「うちでやる」
煌の言葉に、真斗が吹き出す。
「え、成瀬邸!? いいの? 大丈夫?」
「……少し、部屋を片付ける」
「片付けるだけじゃなくて、飾りも任せてね」
羽玖が優しく笑う。
次に、プレゼント。
「最近、ペン壊れてた。夏弥」
「え、そんなの見てたの?」
「……見てた」
その“さりげない優しさ”に、真斗も羽玖も笑みをこぼす。
「じゃあ、私がカードとラッピング担当する!」
「ケーキはどうする?」
「私が作る。桃のショートケーキが好きなんだよね、夏弥って」
羽玖の頼もしい言葉に、2人は感謝の視線を向ける。
そして、当日どうやって夏弥を呼び出すか。
「俺が連れ出す。自然に、ってのは苦手だけど……」
「そこは真斗がカバーするっしょ」
「任せとけ!」
——そうして計画は、一歩ずつ形になっていく。
煌の部屋に、笑顔が集まる夏弥を思い浮かべながら。
煌の心には、ただ一つの想いがあった。
“夏弥が笑ってくれたらそれでいい”
不器用だけれどまっすぐで、
そんな煌の“はじめてのサプライズ”が、今動き出した。
ー
7月23日。
真っ青な空と、じりじりとした夏の陽射し。
夏弥は、煌と真斗に連れられて、久しぶりに成瀬家を訪れていた。
理由は、なんとなく「夏休みの集まり」だと聞かされていたけど、どこか心の中がくすぐったい。
(あれ……もしかして、今日、私の……?)
でも確信はない。
煌のことだから、特別なことをしてくれるなんて期待しちゃいけない——
そう自分に言い聞かせながら、成瀬家のリビングの先、煌の部屋のドアの前に立つ。
「入っていいよ」
煌が静かに言い、ドアをゆっくり開けた。
その瞬間——
「お誕生日おめでとう!!夏弥!!」
部屋の中で、色とりどりのクラッカーが弾けた。
紙吹雪がふわりと舞い、優しい色に飾られた部屋の真ん中には、羽玖が笑顔で立っていた。
「びっくり、した……?」
「え……これって、まさか……」
「サプライズ、成功ってことでいい?」
羽玖がふわりと笑って、真斗がガッツポーズ。
夏弥は、一歩も動けなかった。
言葉が出なかった。
目の前には、手作りの飾り、ふわっと甘く香る桃のショートケーキ。
ラッピングされた小さなプレゼント。
そして何より、3人の“私のために”が、いっぱいに詰まっていた。
「……こんなの、ずるいよ」
ぽろり、涙がこぼれた。
堪えきれなかった。
「な、泣かせるつもりじゃなかったけど……」
真斗が慌てるそばで、羽玖がハンカチを差し出し、煌は黙って夏弥を見ていた。
その瞳に、迷いはなかった。
「……来てくれて、ありがとう」
煌がそう言ったとき、夏弥の心のなかで何かがそっと灯る。
(私のこと、ちゃんと見てくれてる)
飾られたガーランドの下で、4人の笑顔が弾けた。
誕生日は、ただ歳を重ねるだけの日じゃない。
“誰かの想いが、まっすぐに届く日”でもある。
ー
紙吹雪が舞ったあとの部屋には、ほんのり甘い香りが広がっていた。
テーブルの中央に置かれたのは、羽玖がつくってくれた——夏弥の大好きな、桃のショートケーキ。
「おまたせっ。切り分け完了〜!」
羽玖がフォークと取り皿を配ると、4人は自然と輪になった。
「うわ、なにこれ……見た目も可愛いのに、香りまで……」
「……食べる前から幸せってある?」
夏弥が笑いながらケーキをひと口。
ふわふわのスポンジと、甘さ控えめの生クリーム。
そこに乗ったみずみずしい桃の果実が、夏の光を集めてとろけていく。
「お、おいし……っ」
目を丸くした夏弥に、真斗がすかさず乗っかる。
「ほら、感動のあまりもうひとつどうぞ?」
「いや、それはさすがに……」と口では言いながら、
気づけば夏弥の皿には“2ピース目”が乗っていた。
「美味しいって言ってもらえてよかった」
羽玖は満足そうに笑い、煌はその様子を黙って見守っている。
やがて、プレゼントタイム。
小さな包みを手渡され、夏弥がそっと開くと——
そこには、鮮やかな黄色のボールペン。
夏弥がノートに使っている色と、そっくりのトーンだった。
「……え、これ」
「それ、煌が選んだんだぜ」
真斗の何気ないひとことに、夏弥の表情がふわっとほどける。
「ありがとう、煌」
真っ直ぐに目を見て、笑って言われたその瞬間。
「……っ」
煌はすぐに目を逸らし、耳の先まで赤くなった。
「うわ〜〜照れてる照れてる!!」
真斗がからかうと、羽玖もくすっと笑う。
「しかも煌がこのパーティーの発案者。『祝いたい』って言ったんだよ、こいつ」
「……お、おい、言うなって……」
「えっ……」
夏弥が思わず煌を見つめる。
「……い、言うなよ……」
煌はそう呟いて目を逸らしながら、また少し顔を赤らめた。
「……ほんとに、ありがとう」
夏弥は改めて言った。煌に、真斗に、羽玖に。
「今日は、ずっと忘れられない日になったよ」
部屋の中に、夕陽の色が差し込んでいた。
笑顔と、ちょっとした照れと、甘いケーキの余韻が重なって——
この夏の一日が、ゆっくりと心に刻まれていく。
ー
真斗と羽玖が帰ったあと、成瀬家の玄関に残ったのは、煌と夏弥のふたりだけだった。
「……少し、外、行かない?」
夏弥が言い出した言葉に、煌は無言でうなずく。
向かったのは、家から歩いてすぐの小さな公園。
誰もいないベンチに腰を下ろすと、背中にそっと夕焼けの光が差し込んだ。
「……ほんとに、びっくりしたよ」
「ん?」
「サプライズ。まさか煌が計画してくれてたなんて思ってなくて……」
そう言って夏弥は、そっと横顔を向ける。
その目は、驚きでも感謝でもなく、ただ静かに優しく——煌を見ていた。
「わたし、今日ずっと幸せだった。ケーキも、プレゼントも、みんなの気持ちも……」
「……そっか」
煌の返事は、少し照れたような声。
風が髪を揺らす。
セミの声が、遠くで鳴いている。
さっきまで賑やかだった時間が、うそのように静かだ。
「……でもね、一番うれしかったのは」
夏弥が続けた。
「煌が、わたしのこと、ちゃんと見ててくれたって感じられたこと」
その言葉に、煌はふと、うつむいた。
そして、少し間をおいて口をひらく。
「……夏弥が、笑ってくれたら、それだけでいいって思った」
「……」
「変かな、こういうの」
「……変じゃないよ」
夏弥はそう言って、ふわっと笑った。
それは、今日一日でもっとも自然で、素直で、あたたかな笑顔だった。
夕陽が、ベンチの影を長く伸ばしていく。
沈みかけたオレンジの光の中で、ふたりは並んで座ったまま、しばらく黙って空を見上げていた。
言葉にすれば壊れてしまいそうなほど、繊細で、優しい空気。
それでも、確かにそこにあった。
“好き”と“ありがとう”の境界線を揺れる想いが。
誰かのことを想って、
こっそり準備をしたり、ドキドキしながらプレゼントを選んだり。
その時間そのものが、きっと一番の“贈り物”なのかもしれません。
「言わなくても、伝わっていたらいい」
そんな想いもあるけれど、
一言の「ありがとう」や「うれしい」が、
ちゃんと届いた瞬間って、やっぱり特別で。
このお話は、まだ言葉にできない恋心と、
仲間たちの優しさが重なり合う、
小さな奇跡のような夏の日の記録でした。
読んでくださったあなたの心にも、
あたたかな光がひとつ、灯っていますように。
——向灯葵