「支える、という強さ」
何気ない朝の通学路、ちょっと気まずくも温かい幼馴染との距離。
名前を呼び合い、笑い合い、時にぶつかっても──
クラスがひとつになっていく時間が、確かにあった。
これは、2年3組の青春の一幕。
鼓動が高鳴る体育祭、真剣なまなざし、心を通わせる瞬間。
読んでくれるあなたにも、あの頃の”まっすぐ”が届きますように。
さあ、一緒に捲っていこう。
眩しくて少し切ない、春色のページを──。
【第1章 ep.3】
4組 対 3組──
女子バレーボールの試合が始まる体育館は、応援の声とスニーカーの音が混ざり合い、どこか熱を帯びていた。
羽玖はいつものように、冷静で頼れる空気をまとっていた。
ボールを受け止め、セットし、時にはスパイクも決める。
そのプレーのすべてが正確で、美しかった。
「ナイスプレー羽玖ーっ!」
「やば、エースすぎでしょ…!」
クラスの仲間たちも声援を惜しまず送っている。
ベンチの夏弥も、手をたたいて嬉しそうに声を上げた。
(羽玖、すごいなあ…)
その姿は、昔から変わらない。
どんな時も周りを見て、支えて、誰よりも落ち着いている。
だけど今日は──その誰よりも冷静な彼女が、思わぬアクシデントに襲われる。
試合終盤、羽玖が前に出た瞬間。
急な踏み込みで、バランスを崩した。
「──っ…!」
ぎくり、と音がしそうな動き。
そのまま、彼女は片膝を床についた。
「羽玖…!?」
「大丈夫!?」
ざわめく会場。審判の笛が響いたその瞬間、
夏弥は無意識に走り出していた。
「羽玖っ、しっかりして!」
駆け寄った彼女の声に、羽玖は唇をかすかに噛んでいた。
「…ちょっと、足、ひねったかも…」
その顔は、痛みというより悔しさに濡れていた。
「大丈夫、すぐ保健室行こ。支えるね。」
夏弥は、ためらわずに羽玖の腕を取り、肩を貸した。
その背中には、見慣れたはずの穏やかさと、
いつもよりほんの少しだけ強い、支える人の覚悟があった。
「大丈夫、大丈夫だからね。」
その一言に、羽玖はふっと力を抜いて微笑んだ。
コートから出て行く2人の後ろ姿に、
煌も真斗も、そしてクラスメイトたちも
静かにエールを送っていた。
──どんな時も、寄り添える人になりたい。
そう思って走り出した夏弥の姿は、誰よりもまぶしかった。
ー
午後の日差しが斜めに差し込む、保健室の一角。
試合の喧騒から切り離されたその空間で、羽玖は静かにベッドに腰を下ろしていた。
足首には冷却用のアイスパック。
冷たさがじんわりと肌に沁みるのに、心の熱は収まらなかった。
「……ごめんね、夏弥。わたし、最後までやりたかったのに。」
ぽつりとこぼれた言葉に、夏弥はそっとベッドの隣に腰を下ろす。
「謝ることなんて、なにもないよ。」
優しい声。でも、甘やかすだけの声じゃなかった。
その一言には、“羽玖がどれだけ頑張ってきたか”を知っている、親友としての確かな気持ちが込められていた。
「勝ちたかったの。クラスの皆もすごく応援してくれてたし…、最後まで支えたかったのに。」
羽玖の声が少し震えた。
涙は見せない。でも、悔しさがあふれているのは夏弥にはすぐにわかった。
「……羽玖は十分支えてたよ。誰よりも動いて、声出して、笑って。試合、すごくかっこよかったよ。」
「……ほんとに?」
「うん。みんなもそう思ってる。」
そう言って笑った夏弥の声は、まるで春の陽だまりのように優しかった。
羽玖の肩から、少しだけ力が抜ける。
「夏弥、やっぱり頼りになるなぁ…昔から変わらない。」
「ふふ、こっちは“変わった”って思ってるけどね。
最近、羽玖が“背中で引っ張る”タイプになってるの、知ってるよ。」
「……やだ、なんか泣いちゃいそう。」
「泣いていいよ。保健室だし。」
そう言いながらそっと羽玖の手を握ったとき、
保健室のドアの外、廊下の向こうでは──
そっと窓の隙間から中をのぞくふたりの男子の姿があった。
「……あれが夏弥の“強さ”か。」
煌の低い声に、真斗がうなずく。
「夏弥ちゃんってさ、ほんと柔らかくて優しいんだけど……ちゃんと人を支える力、あるんだよな。俺らじゃ敵わないくらいに。」
「……ああ。」
煌の目は、保健室の中で笑い合う2人に向けられたまま。
そこに浮かんだ眼差しは、どこか誇らしくて、どこか温かい。
「さ、戻るか。そろそろ次の競技、始まるぞ。」
「ああ。羽玖には、ちゃんと伝えよう。よく頑張ったって。」
「……うん。」
ふたりはそっと背を向け、扉から離れていった。
保健室に残された静けさの中、夏弥の声が羽玖の心に優しく響いていた。
──「ね、早く治して。次は一緒に、勝とうね。」
ー
夕暮れに染まる校舎の中、体育祭の余韻がまだ残る教室に笑い声が響いていた。
「じゃあね、今日は特別に先生から……ご褒美を用意しましたー!」
そう言って担任の先生が運んできたのは、クーラーボックスいっぱいのアイスクリーム。
「やったー!先生、太っ腹!!」
「え、これ本当にいいの?!」
歓声があがる中、クラス全体に嬉しさがじんわりと広がっていく。
グラウンドでの全力の応援、競技での真剣な勝負、悔し涙も、笑顔も、全部をひっくるめた“ご褒美”のようだった。
「なぁ、俺チョコのやつー!誰かストロベリーと交換してくれ!」
「えー、チョコ人気なんだけど!?争奪戦じゃん!」
「真斗、静かにして、先生の話まだ終わってないよ!」
羽玖にぴしゃりと注意されて、真斗は肩をすくめながらも笑う。
「いやぁ〜体育祭、結果は2位でも、マジでいいチームだったな。俺、ちょっと泣きそうだったもん。」
「嘘つけ、試合のあとずっとテンション上がってたくせに。」
「うるせーな!俺だって感動くらいするんだよ!」
そんなじゃれ合いのすぐ近くで、夏弥は羽玖とアイスを分け合っていた。
「羽玖、大丈夫?足、もう痛くない?」
「うん、ちょっとだけ腫れてるけど……アイスで冷やしてるからちょうどいい。」
「え、それはそっちのアイスじゃないよ?」
「ふふ、知ってるよ。心配かけてごめんね。」
羽玖の笑顔に、夏弥もほっとしたように笑う。
その向こうでは、煌が教室の隅でクラスメイト数人に囲まれ、なにやらサッカーのプレイについて熱く語っていた。
「マジであのパス回し、かっこよかったよな!」
「うん、めっちゃ冷静だった!てか、ファン増えてない?」
そんな言葉を聞きながら、夏弥はそっとその背中に目を向ける。
楽しそうに話す煌。その横顔を見て、自然と笑みがこぼれた。
──なんだろう。
あのときグラウンドで感じた“熱”が、まだ胸の奥に残っている気がする。
「あ、夏弥ちゃんもこっち来なよー!」
真斗の声に呼ばれて、夏弥が輪の中に加わると、
そこには煌もいて、自然な流れで隣に並ぶ。
「……おつかれ。」
「うん、煌も。ゴール、すごかったね。」
短い会話。でもその中には、静かに交わされる信頼と、あたたかさがあった。
そして、教室の窓の外では、今日の陽が静かに落ちていく。
誰かが言った。
「なんか……高校生活、まだ始まったばっかりなのに、すでに最高かもな。」
その言葉に、誰もがうなずいた。
ひとつの行事が終わり、またひとつ、クラスの色が深まる。
汗と笑顔と、少しの涙。そして、アイスの甘さ。
全部ひっくるめて、それが“青春”だった。
ー
【番外編 : 先生、アイス奢ります。】
体育祭の閉会式が終わって、校庭から戻る3組の列の中を、菅野航太は静かに歩いていた。
──2位。
あと一歩届かなかったけれど、悔しさの中にも笑顔がある。
このクラス、やっぱりいいチームだな。
「先生、見てました?サッカー、俺ゴール決めたんすよ!」
「ねえ先生、羽玖大丈夫かな……あとで見に行ってきていい?」
そんなふうに声をかけてくる生徒たちに、うなずきながら返事をする。
いつもはにぎやかで自由人な真斗も、リーダーとしてよく頑張っていた。
控えめだけど芯のある煌は、言葉じゃなく姿勢で周囲を引っ張っていた。
夏弥と羽玖の“支える力”も、クラスの空気を確かにやわらかくしてくれていた。
この学年で教壇に立つのは3年目。
「正直、今年は大変そうだな」と思っていた。
個性強め、まとまりのなさそうな顔ぶれ──けれど今日、確信した。
きっとこのクラスは、すごくいい1年になる。
だからこそ、今の気持ちをちゃんと伝えたい。
言葉だけじゃなくて、何か形のあるもので。
「……よし。」
ふと職員室前の廊下で立ち止まり、ポケットから財布を取り出す。
その先には、アイスの自販機と購買部。
「たまには先生らしいこと、してみるか。」
菅野は静かに笑った。
──放課後の教室。
「じゃあね、今日は特別に先生から……ご褒美を用意しましたー!」
驚きの声と歓声が上がる。
クラスのあちこちで笑いが弾ける。
──その景色を見て、先生はふと思った。
大人になっても、思い出してくれたらいいな。
このアイスの味と、今日の青空と、みんなで過ごしたこの時間を。
「先生!俺、チョコ味ください!」
「え?俺の分なくなったんだけどー!」
「ストロベリーと交換して〜!」
次々と声が飛ぶ中、教卓に肘をついて笑う菅野の表情は、どこか嬉しそうだった。
──青春ってのは、案外アイス1本で色づいたりするんだよな。
新しいクラス、新しい景色。
その中で少しずつ、心を寄せ合っていく生徒たちの姿は、
きっとどこかにある“あなたの青春”とも重なるはずです。
静かに熱を灯す煌、
その光に惹かれる夏弥、
眩しすぎる真斗と、誰よりも芯の強い羽玖。
ひとりひとりが「自分らしく在ること」を大切にしながら、
季節と一緒に、物語は確かに動き出しました。
この春のページをめくってくれて、ありがとう。
次に訪れる季節にも、また新しい輝きが待っていますように。
彼らの物語が、あなたの日常のどこかに、そっと寄り添えますように──。
——向灯葵