これは本当に品性の塊と言われる王太子殿下からのお手紙でしょうか?
セオドール王太子殿下からお手紙をいただきました。最高級の紙とインクに、神々しいシーリングスタンプ。宛名には丁寧で美しい文字。
もうかれこれ三十通目です。
きっとまたいつものように、日々の出来事、そしてやんわりとご自分との婚約を促す内容が書かれているに違いありません。
私は躊躇いながら封を開けます。
◇ ◇ ◇
ディア ルーナ
毎日暑い日が続いているが、体調を崩してはいないだろうか。
私は寝ても覚めても貴女のことばかりを考えている。
貴女のその白い肌に■■■■■、1つになりたい。貴女の■■■■■■■■■■、貴女の■■■■■■。
そうして虚ろになった貴女の瞳を見つめながら、口を塞ぎ、さらに激しく■■■■■■、朝まで何度も■■■■■■■■■。
貴女の■■■■確かめたい。■■■■■■なりたい。
こう見えて私は■■■■■■。貴女をきっと満足させることができるだろう。
愛している。1日でも早く私と一緒になってほしい。
◇◇◇
*そのまま載せるわけにいかないので、作者の方で一部文章を伏せさせていただきました*
「これは何ですか!?」
私は叫びながら、思わず手紙を投げ捨てました。
本当に、
これは、
何?
あの品性の塊と言われるセオドール王太子殿下からのお手紙なのでしょうか?
これを殿下が書いたというなら、完全にどうかしてしまったとしか思えません。
私は呼吸を整え、手紙を拾いました。そして再び手紙に目を向けます。
貴女の……■■■■■■!?
朝まで何度も……■■■■■■■■■!?
私は……■■■■■■!?
内容は酷いものですが、確かにこれは今まで何度も目にした丁寧で美しい殿下の文字です。
卑猥です。
直接的すぎです。
女性をそういう対象にしか見ていないのかと思うと、心の底からぞっとします。
何より、17歳の私には刺激が強すぎます。
けれど、ある意味よかったのかもしれません。
これまで殿下からいただいたお手紙は、ごくありふれた、どちらかといえば、控えめな恋文でした。
この手紙を理由に、今度こそ完全に殿下のお申し出をお断りすることができそうです。
そもそも私は、殿下の想いにお応えすることなど絶対にできないのです。
男爵令嬢の私が王家に嫁ぐなど、家柄が釣り合わなすぎます。
現状、殿下の婚約者であった令嬢を抱える公爵家を筆頭に、我が家に圧力がかかっております。もうすでに、我が家はやっかみからかなりの嫌がらせに合い、没落寸前なのです。
たとえ今後、殿下と無事結婚できたとしても、私自身、王家の中で苦労するのが目に見えています。
なぜ、たかだか男爵令嬢である私のような者が、殿下から慕われているのかといえば、その理由は明確です。
私は一度、殿下のお命を救ったことがあるのです。
それは、殿下の22歳の誕生パーティーの最中でした。
実は私には僅かですが、未来を見る力があります。といっても、全てが見えるわけではありません。
時折、他人の側にいるとき、ぱっと一瞬その人の数秒後、数分後が見えることがあるというだけの、ほぼ役に立つことのない力です。しかも自分に関してはまるで見えません。
私はこの力のことを誰かに話したことはありません。ですから、家族や友人からも、少し勘がいいと思われている程度です。
セオドール王太子殿下は、優しく礼儀正しい方で、その日の殿下は宮殿から出られて、庭園の来賓にまで挨拶をしておられました。
彼が私の横を通った時、今いるこの場所で毒蛇が彼の足に噛みつく映像が見えたのです。
私は彼を突き飛ばしました。
毒蛇は寸前で彼に噛み付くことはできず、殿下の護衛によって頭を刎ねられました。
まさに危機一髪でした。
「どうして気づけたのですか?」
事が終わると、私は荘厳な護衛に詰め寄られました。
「その、たまたま下を見ていただけです」
「普通このような場に、毒蛇がいるなどと思わないでしょう。大体、これだけ人が居てそう気づけるものではありません」
護衛は鋭い目つきで私を睨みます。
「……やめないか。それではまるで彼女を責めているようだ。エブリ、下がっていろ」
「殿下、失礼いたしました」
護衛は一礼して私から離れました。
「貴女のお名前は?」
「ルーナ・マチアスと申します」
「ルーナ嬢、助かった。心から感謝する」
殿下はそう言って、私に頭を下げました。
「止めてくださいませ。本当に偶然気づけただけなのです」
「偶然であろうと、そうでなかろうと、命の恩人には違いない」
「殿下がご無事で何よりです」
殿下は顔を上げると、私を見つめました。
こんなに間近で殿下を拝顔するのは初めてで、私は硬直してしまいました。というのも、殿下の見目が麗しすぎたからです。
本来、彼は私がこんなに近づける存在ではありません。
彼は私をじっと見つめ続けます。
「ルーナ嬢、貴女の瞳は左右で微妙に色が違うのだな」
「あ、はい。ほんの少しだけですが。生まれつきなんです。奇妙ですよね」
「奇妙だとは思わない。とても綺麗だと思う」
「え?」
驚いた私を見て、殿下は品よく笑いました。
「よければ、私のことはセオと呼んでほしい」
「いいえ、そんな愛称で呼ぶなど恐れ多いことです。これからもセオドール王太子殿下とお呼びいたします」
「私は貴女を気軽にルーナと呼びたい。親しくなったらいいだろうか」
「私のことは、どうぞお好きにお呼びくださいませ」
「そうか。では、ルーナ、私はいつかセオと呼んでもらえるまで根気強く待とう」
殿下はそう言って、またうやうやしく私に頭を下げました。
その日のうちに、殿下はすぐにご自分と公爵令嬢との婚約を破棄いたしました。
恩義を感じてなのか、私のなにかを気に入ってくださったのか、それから月に三度ほど私宛に殿下から恋文が届きます。
勿論、殿下のなさることに表立って異議を申し立てる者はおりません。
けれど、我が男爵家に対し、その日以降様々な嫌がらせが始まったのです。
私はペンを手に取り、あのとんでもないお手紙に、どうお返事を書いたものかと頭を悩ませました。
◇◇◇
王太子殿下、ご機嫌はいかがでしょうか。
今、私は、あのような内容のお手紙を頂戴して、非常に動揺しております。
あれは本当に殿下がお書きになられたものなのでしょうか。
そうであるなら、殿下を軽蔑いたします。もう二度と私にお手紙を送りつけて来ないでくださいませ。
◇◇◇
そこまで書いて、私は便箋をくしゃくしゃに丸めました。
いくら何でもこれでは失礼すぎます。
王家に親族ともども潰されてしまうかもしれません。
結局、いつものように、自分が殿下に相応しくないことを延々と書き連ねる以外の方法は浮かびません。
でも、あのような内容に全く触れないというのは不自然です。
とりあえず返事を書かない。
それが一番よい方法のように思えました。
それからひと月が経ち、私は王宮に呼び出されました。
当然呼び出したのはセオドール王太子殿下です。
サンルームに2人きり。
気まずい沈黙が流れます。
給仕の女性が紅茶を運んでまいりました。
私は緊張をほぐすためにカップに口をつけます。
「待て」
殿下の声で、私はカップから口を離しました。
「見慣れない女性だった」
殿下は私からカップを奪い、紅茶を口に含むと、素早く横を向きその液体を吐き出しました。
「毒だ」
「え? そんな……。殿下は大丈夫なのですか?」
「私には、多少毒の耐性がある」
「……私のカップに?」
私は呆然と殿下が口をつけたカップを見つめました。
「私ではなく、ルーナを狙ったな」
「どうして? それに、殿下はお命を狙われているのですか?」
私の質問に、殿下は答えてくれませんでした。
「ルーナ、一緒に来てくれ。これ以上は無意味だ。早々に片をつける」
殿下は冷たい瞳でそう言って、私の手を引きました。
殿下は、ものすごい勢いで王宮の回廊を進み、その部屋に乗り込んで行きました。
「イリオン、どういうつもりだ?」
イリオン第二王子のお部屋のようです。
殿下に問い詰められたイリオン王子は、何故か上半身に衣服をまとっていませんでした。
「あ、ああ……兄上。突然、どうされたのですか?」
「惚けるな。ルーナを狙うなど、許してはおけぬ。彼女が聖女だと知っているのは私とお前だけだ。聖女の力が世に知れ渡り、私と一緒になると厄介だとでも考えたのだろう」
「そんな!! 僕は何も知りません!!」
イリオン王子は答えながらも視線を彷徨わせます。
「奥に誰かいるのではないか?」
セオドール王太子殿下は、躊躇うことなくベッドルームがある場所へと進みました。
「これは、オリビア公爵令嬢。私との婚約が破棄になったら、今度はイリオンか。いや、逆だな。私と婚約している時から、イリオンと通じていたのだろう。全て知っていた。2人で共謀して、私の命を狙っていたことも」
公爵令嬢はベッドの上で、やはり衣服を身にまとっていませんでした。
彼女はシーツに身を包み、震えております。
「改心するようなら、目を瞑ろうと思っていたが、少々考えが甘かった」
セオドール王太子殿下はオリビア公爵令嬢に近づき、彼女の目を見つめました。
「た、確かに、わたくしは殿下と婚約していた頃から殿下を裏切り、イリオン様と通じておりました。けれど、殿下のお命を狙うなど、考えてもございません」
「そうか? あの、1年前の毒蛇のことは覚えているな。公爵家の使用人を問い詰めたら、パーティーの数日前、確かに毒蛇を調達したと白状したが? あの蛇はこのような場所に生息する蛇ではない。今更、言い逃れはできぬ」
「……嘘? 嫌!! イリオン様、全て見抜かれているではないですか!! だからわたくしは嫌だと言ったのです!!」
「兄上!! 兄上、どうかお許しください!!」
「今日、紅茶に入れた毒で、ルーナは死んでいたかもしれぬ。許せるはずもなかろう」
いつの間にか、2人は大勢の護衛に囲まれていました。
「兄上、兄上ーーー!!」
「わたくしはイリオン様にそそのかされただけですわ!!」
泣き叫ぶ2人を護衛が連行して行きます。
その後、イリオン第二王子、公爵家に流刑の処罰が下されました。
彼らがもうこの地に戻ってくることは、二度とありません。
それから10日が経ちました。
我が男爵家への嫌がらせはぴたりと止み、お父様の顔色がよくなってきたころ、私は再びセオドール王太子殿下に王宮へ呼び出されました。
セオドール王太子殿下は、私に怖い思いをさせて申し訳なかったと詫びました。
それから、言いにくそうに、どうして手紙の返事をくれないのかとお尋ねになられました。
私はテーブルをはさみ、殿下の向かいに座っております。
いい香りが立ち上るお茶には、手を伸ばす気になれません。
「あのお手紙は、本当に殿下がお書きになったものなのですか?」
私はそう尋ねました。
「勿論だ」
殿下は表情を変えずに答えます。
「何か今回の一件と関わりが?」
「どういう意味か?」
「関わりは無いのでしょうか?」
殿下は首を傾げます。
「ルーナ、遠慮はいらない。言いたいことがあるなら、はっきりと言ってほしい」
殿下に真剣な瞳で見つめられ、私は覚悟を決めました。
「では、失礼ながら言わせていただきます。なぜこのような画策を見抜ける聡い貴方様が、あのような馬鹿げたお手紙を書くのですか?」
「馬鹿げた? あれは、私の心からの思いで望みだ」
「破廉恥です。あのようなお手紙を頂いても、嫌悪感しか抱きません」
セオドール王太子殿下は目を見開き、ご自分のこめかみあたりに手を置きました。
「……恋愛において、日頃思っていることを素直に伝えることが大事だと、皆口々に言うではないか」
「何でもかんでも思ったことを伝えればいいということではありません。というより、殿下は女性のことを、そのような性の対象にしか見ていないということですね」
「違う。私はただ、自分の望みを素直に伝えただけで、貴女が望まぬことは絶対にしない。それに、女性ではない。ルーナにしかそのような望みは抱かない」
「全然嬉しくありません」
「ではどう言ったら伝わるのだ」
殿下は憂いを帯びた表情で、視線を落としました。
「殿下、1つお聞きしたいのですが、イリオン様の前で私を聖女だとおっしゃっていましたが、あれは一体どういうことですか?」
「ああ、聖女というのは特別な力を持った者だ。つまりルーナ、貴女のことだ。ルーナは未来を予知できる」
「どうして? 私は今までそのことを誰にも話したことがありません」
「左の瞳の色は淡いブルー、右の瞳の色はダイオプテース。髪は銀色。体から常に温かな黄金のオーラを発している。王家の文献に載っている聖女の特徴が正にルーナそのものなのだ。実際、予知で私を助けただろう?」
「そ、そうですが、こんな些細で不安定な力、私が聖女だなんてあり得ません」
「聖女といえども、磨かなければ光りはしない。もっと力を高める努力が必要なのだ」
「修行すれば、私はちゃんとした聖女になれますか?」
殿下は微笑し、頷きました。
「そうだったのですね。それでようやく納得がいきました。殿下は私が聖女だから、国のためになると分かっていたから、私と婚約しようとなされていたのですね」
「違う!! そんな打算的なことではない。単純に一目惚れだ。見た目も性格もタイプだった。今は純真そうに見えて、はっきりと物事を言うところも気に入っている。身分など関係ない。私は、ルーナが聖女でなくとも、例え村娘だろうと、一緒になりたいと願っている」
こんなに取り乱した殿下を見るのは初めてでした。
「殿下……」
「貴女が好きだ」
セオドール王太子殿下の頬はほんのりと朱色に染まっています。
お手紙にそう書いてくださればよかったのに……と思ったけれど、不器用すぎる殿下がなんだかおかしくて、それでいて愛おしくて、私は何も言葉を返すことができませんでした。
◆◆◆◆◆
その後、私はセオドール王太子殿下の正式な婚約者となり、王宮で本格的な聖女の修行を始めております。
「ところで、手紙に書いた私の望みはいつ叶うのだ?」
庭園でお茶を飲みながら、殿下は不意にそう口にされました。
「手紙の望みというのは、あの具体的な、私に対する、とんでもない望みのことですか?」
「もっと詳細に伝えることもできるが」
「い、いえ。これ以上詳細に伝えられても困ります」
「やはり婚姻前というのは厳しいかもしれないな。ルーナもそれほど私を好いてはいないようだし」
「そんな。私はセオ様のこと、お慕いしております」
私は赤くなり、そう小声で伝えることしかできません。
「私の願いを叶えてはくれないのだろう?」
「えっと、それは、絶対に叶えない……ということでは……ありません」
「そうか。いずれ叶う可能性もあるということか」
セオ様は上品に笑っておられます。
私の顔はますます赤くなるばかりです。
大きな声では言えませんが、実は、今はあのとんでもないお手紙の内容を受け入れても構わないとさえ思っている自分がいるのです。
お読みいただきありがとうございました。
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