恋した相手には婚約者がいたけれど、どうしても手に入れたくて手を打った。
一週間後が結婚式だというバタバタしている日に婚約者のヴューイット・カンベルが、先触れもなく屋敷にやってきた。
ヴューイットの姿はなんだか薄汚れているように見える。本当に汚れているわけじゃないのだけど、いつもきっちりとセットしていた髪も乱れている。
「どうかしたの?」
私はヴューイットが好むお茶を入れながら、用件を聞く。
「すまない。私は失敗してしまったんだ・・・」
「失敗?」
「セレナーデが知っていたかどうか解らないけど、独身最後だと思って、ちょっとした火遊びをしてしまったんだ」
「そ、う・・・」
セレナーデには思い当たるものが四つか五つあった。
「ほんの出来心で、手を出しただけなんだ。愛しているのはセレナーデだけなんだ!!それだけは信じて欲しい!!」
私は何も返事をせず、先を促す。
「手を出したのは、ブロイス・アンカーット。男爵家の令嬢で、娼婦よりも身持ちの悪い女だったんだ。何度か遊んで、互いに楽しんだだけだったんだ。なのに、妊娠したって言い出して・・・」
私はため息を吐くのをなんとか堪えた。
「それで?」
「ブロイスは結婚を迫ってきているんだっ!!」
「責任は取る必要があるのではないですか?」
「だが、本当に私の子かも解らないんだぞ!」
「でも、心当たりもあるのでしょう?なら、取り急ぎ私との婚約を破棄しなければなりませんね」
「待ってくれっ!!私は本当にセレナーデを愛しているんだっ!!お願いだっ!捨てないでくれっ!!」
私はベルを鳴らして執事を呼んでもらう。
簡単に事情を説明して、カンベル侯爵夫妻を早々に呼んでもらうように頼む。
ヴューイットが逃げないように、身を清めるように伝え、メイド達にヴューイットを任せてしまう。
私は父の元に向かい、ヴューイットのご両親が飛んでくることと、ヴューイットの「おいた」のあれこれを伝え、報告書を手渡す。
父は真っ赤な顔をしてヴューイットとの婚約破棄を口にする。
「お父様。私もそのことには賛成いたしますが、結婚式は一週間後ですので、親族方への連絡を取り急ぎしなければなりません」
「そうだな・・・」
父はため息を吐きながら、言いたくないけれど、伝えなければならないから、しかたなく言うんだ。と言う空気をまといながら、口を開いた。
「あまりにもタイミングが良すぎて怖いのだが、セレナーデに婚姻の申し込みが来ている」
「婚約破棄もしていないのに、気の早い申し込みですのね」
「ミーノル・コンダッタ公爵だ」
「そうですか」
わたくしは驚かなかった。
「個人的に知り合いだと公爵は言っていたが・・・」
「そうですね。ちょっとしたことで半年ほど前に知り合いました」
知り合った正確な時期は子供の頃だけど。
「お受けするも、断るも、お前の好きにしていい」
「公爵家からのお申し込みですもの、お断りは出来ないでしょう?」
「だが、ヴューイットのことで裏で手を引いて居るのもコンダッタ公爵じゃないのか?そう考えないと、このタイミングで婚姻の申込みなどありえないだろう?!」
「わたくしをどんな手を使っても手に入れると、言われてましたので、有言実行されただけでしょう」
父は納得をしたのか、話の方向を変えた。
「ヴューイットとはどうするんだ?」
「当然、婚約破棄いたします。わたくしに恥をかかせた以上、それ相応のことはしていただきませんと」
「解った」
カンベル侯爵夫妻が我が家の門をくぐったのはそれから一時間も経っていなかった。
酷く恐縮したカンベル夫妻と、不貞腐れた態度のヴューイットに父が婚約破棄を告げる。
今回の結婚式にかかった費用の全てと、不貞による婚約破棄への慰謝料として、金貨三百枚を要求した。
カンベル夫妻は、なんとか、慰謝料を安くしてほしかったようだが、こちらとしてはこれでも安く見積もったほうだった。
「ヴューイット様はアンカーット男爵令嬢との火遊び以外にも、サンドベージ準男爵の次女と三女の方と三人で楽しまれたこと、ブルーカナッツ夫人との度重なる逢瀬、それから、ゴルゾン一家の賭場に毎週金曜日に通われていて、既に金貨百五十枚の返済を求められていることと、賭場で知ってしまった阿片の中毒になっていることは見過ごすことは出来ません」
カンベル侯爵夫妻は目をむいて、夫人はその場で貧血を起こしてしまっていた。
「かろうじて、女性との火遊びは目を瞑ってもいいと思っていましたが、ゴルゾン一家との繋がりは、ヴューイットが死ぬまで切れることはないでしょう。婚約破棄は致し方ないと思います」
カンベル侯爵がヴューイットに確認を取り、ヴューイットはそれらすべてを私達の目の前で認めてしまった。
「ウエディングドレスも全てカンベル家へ届けるように手配いたします。勿論支払いも。わたくしの親族、友人がすでに、こちらに向かっています。その人達の宿泊費用なども全て、カンベル家で支払ってください。我が家では一切支払いはいたしません」
「今まで長い間婚約していた相手にあまりにも酷い対応ではないか?!」
ヴューイットは阿片の影響で震えた手を私に向ける。
「いいえ、わたくしは正しい対応だと思っております」
ヴューイットの素行調査書を差し出すと、カンベル侯爵が思う以上にヴューイットの素行は悪かったらしい。
父が、すべてを記載した書類をカンベル侯爵の目の前に出し、ヴューイットの前には婚約破棄の書類が置かれた。
「サインをお願いします」
項垂れたカンベル家の二人は書類にサインした。
「今サインを頂いた書類に記載してある通り、来月中に金貨三百枚の支払いをお願い致します」
「待ってくれ!そんなことは聞いていない!!」
「書類をご覧になってください。きちんと記載されています」
「せめて三ヶ月待ってくれないか?!」
「三ヶ月待つと、侯爵家が存続している保証がないでしょう?」
そう私が言うと、三人は目をむいて、ソファーの背もたれにもたれて、天井を仰いだ。
カンベル侯爵達が帰って行く少し前に先触れが来て、ヴューイットが馬車に乗り込んだところに、コンダッタ公爵家の馬車が停まり、公爵が馬車から降りてきた。
とても楽しそうにカンベル侯爵家の馬車を見送り、わたくしの目の前に来て、手を取って、唇を寄せる。
「満足のいける結果を私はセレナーデ嬢に出せましたか?」
「ええ。強いて言えばもう少し早ければ言うことはありませんでした」
「一週間後には私とセレナーデ嬢の結婚式を執り行うので、無駄にはなりませんよ」
私は目を見開いたが、動揺を見られたくなくて平気なふりをした。
「ウエディングドレスが間に合わないわ」
「素敵なドレスを用意しています。一度、身に合わせに行きませんか?」
「今から?」
「ええ」
「解りました」
コンダッタ公爵はわたくしの父に向かって話し始める。
「ユージュクト侯爵、セレナーデ嬢に婚姻の承諾はもらえました。一週間後に大聖堂で式を挙げます。こちらがすべての書類です。私のサインは全てしてあります。後は、我が家の家令のドロティと話を詰めていただけますか?」
質問の形にはしているが、公爵家からの要請だ。我が家では断れない。
父が一度下を向き、目を固く閉じて、開いた時には、コンダッタ公爵に「承りました」と答えていた。
私はコンダッタ家の馬車に乗せられ、ウエディングドレスならこの人に作ってもらわなければならないと云う国一番の人のドレスショップへと連れて行かれた。
「少しだけ残念なのは、君の好みを反映できなかったことだろうか・・・」
コンダッタ公爵が目を伏せてそう言った。
見せられたウエディングドレスは五着。
全てオーダーメイド。
「どれも君に似合うと思って、君のサイズで作らせている。取り敢えず着て見せて欲しい」
「結婚前にウエディングドレス姿を見せるのはよろしくないのではないのですか?」
「私は誰よりも早く君の美しい姿を見たいんだ」
試着室へと案内され、一着目に袖を通す。
サイズは私にぴったりで、直す必要はどこにもないと思えるほどだった。
鏡に映る私はそれは美しい花嫁に見えた。
試着室を出ると、コンダッタ公爵の褒め言葉が途切れること無く紡がれ、私は恥ずかしくて赤面してしまいそうになった。
五着全て着て見せると、公爵はすべて気に入ったと言って、五着とも購入した。
「わたくし、一度の結婚式で五着も着られませんよ」
「まぁ、四着は着なければならないから安心して」
ちっとも安心できない言葉を聞かされてしまった。「四着とはどういうことですか?」
「一般の結婚式と、陛下が結婚式に参列したいと言いだしたので、王城の聖堂でも結婚式と披露宴をすることに決まっている」
「・・・・・・」
私は言葉を失う。
「まぁ、気を使う必要ないよ。単なる兄馬鹿だから」
コンダッタ公爵は今の陛下の末弟で、公爵へと降下したにも関わらず、第一王位継承権を持っている。
陛下に何かあった時、王子、王女よりも先に王になることになってしまう。
その妻になるわたくしは、これから王妃教育が必要になることになる。
「どのドレスを、どこで着るか教えてね。セレナーデ嬢に合わせて、私の衣装も五着作らせているんだ」
わたくしのドレスと公爵の式服だけでいったいいくら使ったのだろう?
わたくしがカンベル侯爵からせしめた金貨三百枚など、軽く飛んでいくのではないだろうか?
「美しい私の花嫁・・・君を手中に収めるためならば何も惜しくはないよ」
その足で宝石商へと連れて行かれ、公爵の瞳の色と髪色の宝石をこれまた五つ購入して、これほど透明度が高く、傷ひとつないダイヤの婚約指輪を婚約指輪として、購入をお決めになった。
わたくしの瞳の色と、髪色のタイバーとカフスリンク、ピンホールピンを取り寄せていたようで、わたくしが見ても、わたくしの色だと解る色の物が取り揃えられていた。
結婚指輪はわたくしの好みのものを選んで欲しいと頼まれ、二つの指輪が合わさると、ハートのティアラになるものを選んだ。
「ちょっと可愛らしいものを選びすぎましたか?」
「可愛らしくていいと思うよ」
私の左の薬指にキスをして、婚約指輪をはめるのを私は黙って受け入れた。
自宅へ送ってくれると言って、馬車に乗り込むと「セレナーデ嬢が婚約していた時だけど、私はプロポーズをした。その時の返事をもらえるかな?」
「婚約破棄が整った時、お返事をさせていただきますね」
いたずらっぽく笑って、その場ではプロポーズを受けなかった。
けれど、婚約指輪を受け取ってしまっているのだから、返事は決まっているのも、同然だろう。
自宅に戻ると、父が出迎えてくれて、ヴューイットとの婚約破棄が受理され、公爵との婚約が整った書類が渡された。
普通婚約の承認だけでも一週間はかかるだろうに、ドロティはよほど有能なのか、コンダッタ公爵の手回しがいいのか、どちらなのかしら?と現実逃避していた。
父に、この場を辞してもらい、公爵に向き直った。
***
ミーノル王弟殿下と云う存在は子供の頃から知っていた。婚約者候補に挙がったこともあったが、ミーノル王弟殿下の立場はあやふやで、婚約者を決めきれずに、殿下の立場と同じように婚約もあやふやなままになってしまった。
当時、まだミーノル王弟殿下の父王が健在で、王太子が選ばれていなかった。
王子は四人いて、どの王子も人を魅了する魅力の持ち主で、実力も同程度持ち合わせていた。
父王は、誰か一人を選びたがらず、四人の王子に「王を望むものはいるか?」と聞くと、誰も望まなかった。
まだ子供だからといって、第一王子が二十歳になった時、また聞くとしよう。と言って、王太子を選ばないまま、第一王子が二十歳になった時には第一王子は結婚していて、妻の家を継いでいた。
この時も王になりたがる王子はいなかった。
安穏と構えていた第二王子以下の王子達は、慌てた。
第二王子は翌月十八歳になり相手の家に婿入りも可能だったが、第三王子の婚約者には兄がいて、婿入りが出来ないことがはっきりとしていた。
第二王子は「すまない」と第三、第四王子に笑顔で言って、十八歳の誕生日と同時に婿入りしてしまった。
第三王子と第四王子は頭を抱えることになった。
第四王子は、婚約者も決まっていない。
ならばと言って、第三王子は王妃になれる婚約者を選べと言いつける。
第四王子は、間に第二王女が生まれていたために、第三王子より四つも年下だった。
第四王子は、王の座は自分に回ってくるのだと諦めの気持ちになって、王になる覚悟も決めた。
そして、第三王子が年が明け、結婚して、公爵になろうとしていた時、王妃が急な病で亡くなってしまった。
王は最愛の妻を亡くして、執務に手が回らなくなってしまった。
王は、第三王子に「すまない。後は任せた」と言って退位してしまった。
第四王子は成人までにまだ四年ある。
婚約者もいなくて、王妃教育が出来ていない。
第三王子はその場に膝を突き、項垂れて、兄弟の前で王になることを了承した。
第四王子が成人するまでの中継ぎだと言って。
第四王子は王位を継いだのだから責任持って王でいてくれと頼んだが、第三王子はあくまで中継ぎだと言い張った。
第四王子の婚約者を選ばなければならないが、第四王子は、目の前に並ぶ婚約者候補達には魅力を感じなかった。
第四王子はセレナーデ・ユージュクト侯爵令嬢に恋をしていたからだった。
しかしこの時、セレナーデには婚約者がいた。
侯爵家の子息だが、典型的なできの悪い息子だった。
第四王子は自分は関わらず、色々な遊びを教える友人を唆して、ヴューイットを誘わせた。
ヴューイットは面白いほど簡単に転がり落ちていき、女遊びに賭け事、借金、薬物へと溺れていった。
第四王子、ミーノル王子はセレナーデの結婚一年前に好きだと伝えた。セレナーデに一蹴されてしまうがそれは覚悟の上だったので、傷つきもしなかった。
この頃になって、やっと第三王子が、王として腰を据えてやっていく決意をして、ミーノル王子に王になる気がないのなら、このまま王を続けてもいいと伝えた。
ミーノル王子は急いで公爵へ臣籍降下する手続きを取り、未成年の公爵が誕生した。
そんなに慌てなくても良かったのにと、王に笑われたが、王の気がいつ変わるか判らなかったから、ミーノル王子は兎に角急いだ。
ただ、王は、我が子だけではなく兄弟すべての子供達に王になる資格を与えた。
王自身が若くして亡くなった場合はミーノルが中継ぎになること、そして、その後の王の選別は王になる能力がある、なりたい者全てに与えると決めた。
ミーノル王子が、王に長生きしてくださいと真面目な顔で言ったのは、兄弟の酒の席での笑い話になっている。
第一王子、第二王子の子供にも王の資格が与えられた。
継承順位はミーノルが第一位、第一王子の長男が第二位、第二王子の長男が第三位、第一王子の次男が第四位である。
子供達は皆王城にて教育を受けることになり、子供達も、また王にはなりたがらず、なすり合いをしているようだった。
そして、やっと王に長男が生まれ、王位継承権が入れ替わるのかと思っていたら、王の子供の継承権は第五位だと発表された。
そしてセレナーデの結婚半年前に「君以外は何もいらないと思えるほどセレナーデ嬢が欲しくて仕方ないんだ。君をこの手の中に閉じ込めたい。お願いだ。私と結婚して欲しい」とプロポーズをした。
勿論「婚約者がいます」とこの時も断られたが、感触は悪くなかったように思った。
ヴューイットの素行調査書を渡すと、驚きもせず受け取り「私にどうにか出来る時期は過ぎ去ってしまいました」と目を伏せて答えた。
それならばとコンダッタ公爵はヴューイットからセレナーデに自身の行いの告白をさせることにした。
アンカーット男爵令嬢は侯爵家のヴューイットに執着していたし、セレナーデに取って代わりたいなら、妊娠するといいよとアンカーットの女友達に遠回しに言わせることに成功した。
***
いよいよセレナーデ嬢の結婚が迫ってきていた。本当にアンカーット男爵令嬢が妊娠したのかは分からないが、結婚式が近づいてきて焦ったのだろう。
面白いようにコンダッタ公爵の思うがままに、話は転がっていった。
「公爵、初めてあなたと出会ったのはまだほんの小さい頃、婚約者候補として出会いました。第四王子だったあなたに心は奪われていました。ただ、タイミングが悪くて、第四王子と結ばれることは諦めていました。公爵がわたくしを欲してくださるのなら、わたくしは公爵の下へと嫁ぎたいと思います」
私はやっと心の内を公爵へと告げることが出来た。
「今日頂いた婚約指輪も、ウエディングドレスも宝石も、全てが私の宝物です」
「私はやっと私の姫を手に入れた」
一歩離れた距離から手を取られて、引き寄せられ強い力で抱きしめられた。
驚いたことに本当に一週間後、公爵と私の結婚式が執り行われた。
陛下の前で結婚することが決まっているので、セレモニーとしての結婚式だ。
宣誓書にはサインしない。
披露宴では、結婚相手が急に代わったことに驚かれ、それも相手が王族とあって、説明して!!と友人達に問い詰められた。
幸せを祝ってもらって、嬉しい気持ちでいっぱいの結婚式になった。
その日、私は王城の客室に案内され、ミーノルは王城の中の自室へと下がった。
翌日、三着目のウエディングドレスを着て、王城の聖堂で王族と私の両親と兄と妹だけで結婚式を挙げることになった。
宣誓書にサインをして、キスをして、この場にいる人に祝われて婚姻が結ばれた。
四着目のドレスを着て、披露宴代わりの会食をする。
陛下に「これから王妃教育を受けるのは大変だろうが、頑張って欲しい」とお願いされた。
「出来得る限り努力します」
と返事するしかなかった。
公爵邸へと馬車で向かい、玄関でこの屋敷の使用人達が全員で迎えてくれた。
公爵に紹介され、メイドが三人、私の部屋へと案内してくれた。
白と薄いグリーンを基調とした部屋で、一度も着なかったウエディングドレスが一着飾られていた。
「着なかったウエディングドレスが、もったいないわね」
「後日、絵を描いていただくそうですよ」
「そうなの?」
「はい。五着全ての絵を描いていただくそうです」
「それは、それで大変そうね・・・」
その時のことを想像してげんなりとした。
「奥様、身支度を始めましょう」
「お願いするわ」
丁度いい湯加減のお湯にゆったり浸かった後、痛いと気持ちいいの間のマッサージを受け、重かった体がスッキリとした。
さすが王家?公爵家?のメイドだわ・・・。
少し大人っぽいナイトドレスを着せられ、夫婦の寝室へと通され、公爵が来るのをベッドに腰掛けて待った。
これから起こることを知識として取り入れているけれど、うまく出来るのか心配で仕方なかった。
セレナーデは真面目な性格だったので、学業でも予習復習は欠かさなかった。
けれど、今夜起こることだけは予習ができないことで、教えられた知識では、相手によるという曖昧なもので締めくくられてしまっていた。
心臓が壊れてしまいそうなほどドキドキとなっていて、公爵を待つ一分一秒がとてつもなく長く感じた。
ノックもなく扉が開き、わたくしは心臓が止まるかと思った。
公爵は私の直ぐ側まで大股で歩み寄り、私の手を取り、引き寄せられ「この日をどれだけ待ったことか」と耳元で囁かれた。
「わたくしもです」
と答えたつもりだったけれど、声が震えて、公爵に聞こえたのか自信がなかった。
頬を支えられ、後頭部ごと引き寄せられ、欲のある口づけを交わす。
初めは触れるだけ、次は角度を変えてチュッと音がなるものを、そして、舌が差し込まれ、絡め取られて、息苦しくて、少し離れた瞬間に息を継いだ。
ベッドに押し倒され、うわ言のように「愛してる」と「私も愛しています」と言葉をかわしながら、公爵を受け入れた。
「公爵様」と呼んだら「ミーノルだ」と言われ、私が「ミーノル」と呼べるまで、責め立てられた。
翌朝、いつもよりも寝過ごしてしまい、慌てて身を起こそうとしたら、体を縫い留める手があった。
その途端に昨夜のことを思い出し、恥ずかしくてミーノルの胸へ顔を埋めた。
頭の上でクスリと笑う声が聞こえ「おはよう。私のかわいい奥様」と髪に口づけられ、私はミーノルの顔を見上げて「おはようございます。私の愛しい旦那様」と答えた。
何も着ていない体はミーノルの手が滑るだけで、ピクリと反応してしまった。
初めはいたずらだった手の動きが、熱を持ち始め、胸に唇が落された時には、私はミーノルを受け入れる準備が整っていた。
朝からミーノルを受け入れ、私の中にいる愛しい人を離したくなくて、終わりが来なければいいのにと思ってしまった。
事が済んだのを見計らうように、メイドが部屋の扉をノックして、朝の用意をしてもいいかと聞いてきた。
私達は受け入れて、身支度を整え、朝食を食べに手を繋いでダイニングへと向かった。
お腹が空いていた私はいつもより多めの食事をいただき、ミーノルの今日の予定を聞いた。
ミーノルが答えるのではなく、家令のドロティが答えた。
「旦那様の本日の予定は、午前中は執務室で、執務をしていただきます。奥様は午前中はベッドでゆっくりなさっていただいて、昼からはお二人で王城へ顔を出していただくようにと陛下より連絡が来ております。名目としては、今後の予定を立てたいとのことでした」
ミーノルが舌打ちをしたので、舌打ちなどするのだと感心してしまった。
「それから、カンベル侯爵より、金貨三百枚の支払いがされたとユージュクト侯爵より連絡がありましたが、カンベル令息が、婚約解消後一週間で結婚したということは、奥様も浮気をされていたのではないかと彼方此方で言いまわっているとのことです」
「自分のことを棚に上げて、好きに言っているな」
「言いたい者には好きに言わせておけばいいわ。何もやましいことはないのだもの。それに向こうもわたくしとの結婚式と披露宴をそのまま、アンカーット様としたのだから」
クスリと笑う。
ウエディングドレスまで私が作ったものを着ようとして、ボタンがとまらなかっただろうと想像している。
妊娠した体でわたくしのサイズが入るはずもないのに。
「まぁ、そうだな。カンベル侯爵に抗議を出しておけ」
「かしこまりました」
わたくしはゆったりとした部屋着に着せ替えられ、ベッドに入ることをメイド達に望まれる。
目を通すべき書類に目を通している内に、いつの間にか夢の世界へと旅立っていた。
メイドに起こされ、昼食を部屋で取り、城へと向かう衣装へと着替えた。
鏡に映る自分は、昨日とは違う自分だと私もミーノルも知っている。
けれど鏡に映るわたくしは昨日と何も変わらなかった。
馬車の中で何故かミーノルの膝の上に座らされている。
「恥ずかしいのですが・・・」
「誰も見ていないよ」
頬に口づけられる。
「紅が乱れないのなら、唇にキスをしたのに、すごく残念だよ」
「それはわたくしも残念です・・・」
案内され、応接室へと向かうと、そこには結婚式で見た王族が腰掛けていた。
「昨日は私達の結婚式に参列してくれてありがとう」
ミーノルが感謝を告げるので、わたくしもそれに合わせて感謝を伝える。
「綺麗な花嫁だったよ。ミーノルがどうしてもセレナーデ嬢を欲しがるのも解ったよ」
第一王子だったブルセット・ワイリーがそう言うと、妻のシュリーも頷いている。
第一王女だったミリーナ・チュリーとご主人のクオンテ。
第二王子だったコンダクト・ガーデゥと妻のナナアン。
そして先の王バーバリアン三十八世。
第三王子だった陛下、バーバリアン三十九世と妻のジュピター。
第二王女のレヴィと婚約者のリプス・ファイナー。
が、揃って腰掛けていた。
皆が昨日の結婚式を思い出しているのか、うっとりとしている。
「遅れてしまいましたか?」
「いや、昨日の結婚式の話で盛り上がろうと、皆早くから集まっていたんだよ」
バーバリアン三十八世が言い、家族の仲の良さが伺えた。
「あまりホイホイ呼び出されるのは困るんだけど?」
ミーノルが伝えるとレヴィが「解っているわよ。特に今日に呼び出したのは悪いと思っているわ」
「だがカンベルのものをこのまま放っておくわけにもいくまい?」陛下が恐ろしいことを言う。
ミーノルが「気にかけずとも、そのうち崩壊していきますよ。手を出したいなら、阿片の使用で今直ぐでも逮捕できますよ。本当に愚かな男ですから、態々こちらが手を出す必要はありません」
「まぁ、ミーノルがそう言うのならどうなるのかしばし楽しむとするか」
それからは二時間ほどからかわれて、お茶の飲み過ぎで、歩くとお腹がタプンと言いそうだった。
結婚から二ヶ月が経ち、カンベル家は身動きが取れない状態になっていた。
私へ支払った慰謝料に加え、結婚したアンカーットの浪費がすごかった。
元々浪費癖などなかったはずなのに、豪華な結婚式で歯止めがきかなくなったのか、散財してしまったらしい。
そんな中で生まれてきた子供はヴューイットに似たところがなく、噂のあった男とそっくりだった。
ヴューイットは至る場所で暴れ、数度兵士に逮捕されていて、阿片の使用を疑われ、泳がされている状態になっているらしい。
カンベル夫妻はわたくしの両親に助けて欲しいと言ってくるらしいが、助けようがないと断っているそうだ。
ヴューイットが逮捕されたことが大きく発表された。
阿片窟になっている場所も挙げられ、一網打尽となった。
カンベル家は借金まみれになり、アンカーットを娼館へと売り渡したそうだ。
アンカーットが使ったお金は自分で返せと言うことらしかった。
カンベル家は陛下に爵位と領地を返上した。
生まれてきた子供の行方はわからなくなってしまっている。
本当の父親が引き取ったとも、ヴューイットの逮捕の時誘拐されたとか、色々言われているが、カンベル夫妻が子供を奴隷として売ったのが本当のところらしい。
「ミーノル、カンベル家があまりにも哀れではありませんか?おば様やおじ様は悪い人ではありませんでしたよ」
「だが、子育ての失敗の責任は取らねばなるまい?」
「まぁ、そうでしょうか?」
「ヴューイットは鉱山送りになったんだけど、働く気力もないらしい。薬、薬とただ呻いているだけらしい。阿片の恐ろしさを改めて知ったよ。阿片を撲滅させなくてはならない」
「そうですね」
「私達の子供はしっかりと育てような」
わたくしは頷いて、ミーノルに口づけた。
***
私の王妃教育がやっと終わった頃。
陛下に呼び出され陛下と王妃が「退位しようかと思っているんだけど・・・」
と言ってきた。