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倫敦 時折、春 外伝〜紅時〜  作者: 木村空流樹


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14/19

紅時14 嫌悪感

 紅時が昼見世が終わった後、ぼーとしていた。

 何時もなら忙しなく働いている時間である。

 大部屋の廓の格子のある窓から外を眺めている。

 女郎達が慌てて、夜見世の準備をしていた。


「紅時。どうした……」


 末摘花が隣に座った。


「少し考え事を……」


「珍しいね。悩みかい……」


 紅時は息を飲んでから言葉を発した。


「空蝉が先生を忘れろと……」


 末摘花が嫌な顔をした。


「其処は同感だね。空蝉も女郎だから、想い人がいる紅時を心配したんだろうね。振袖新造になる前に……、客を取る前に捨てろと云ってるのさ。先生はこの世に居ないと……ね」


「年季が明けたら、探します。先生は必ずいらっしゃいます」


「先生に会えるかは別問題だろ。年季が明けても瘡毒にかからない可能性は低いさね。体を壊す奴しかいないからね……。紅時は幼い……好きでもない男に体を開けるのは、女には辛いのよ。」


 紅時は、黙った。

 今世では伊藤明継はいないかも知れない。もしかしたら、会えないかもしれないと絶望感があった。

 だって、前世での律之も晴もいない。

 はらはらと涙が、紅時から流れる。


「紅時は先生に弱いね。一番良いのが、先生が身請けしてくれる事さね。伊勢の旦那さんは紅時の事を聞く男性にあっただろ……」


「たしか、伊藤継一さんで先生の御父さんの名前です」


「でも期待はしない方が良いよ。先生の親族だって身請けには銭がかかる。女郎が希望を持ってはいけないよ」


「ええ、分かっています。でも……、先生だけは諦められない」


「辛いよ。紅時、辛いよ。女郎として生きて行くには……」


「まだ、解りません。まだ……」


 末摘花が溜息を吐いた。


「若紫を見な。気に食わない客を空蝉に寝取られたって、太夫としてケジメを付けてる。おかあさんと楼主が若紫と話し合ってる最中さ。旦那はんは、咎めがあるのかね~。あと少しで、空蝉の身の振り方が決まるよ。」


 通路がザワザワと音をたてている。

 二人は振り返り、部屋から出た。一階に降り、おかあさんの部屋の前に人溜まりが出来ていた。

 中から太夫としての声が響く。

 若紫には似つかわしくない金切り声だった。


「わっちは納得できひん。旦那はんはお咎めし……。其の上、わっちの馴染みは継続。あほをおええで。立たへんなら空蝉かて魔差さへんかったはずやわ。空蝉は若いだけや。上客の誘いを無下に出来へんかっただけ。なのに、お歯黒溝(おはぐろどぶ)に投げる等、旦那はんの為に生命まで奪うのんは可笑しいどす。空蝉の借金を旦那はんが肩代わりするんやったら、身請けしたればええだけやで。なんに……」


「伊勢の旦那はんは、若紫しか見とらん……」


 太夫が机を思いっ切り叩く音がする。


「納得でけへん。借金を肩代わりするくらいなら、空蝉を妾にすれば宜しかろ……。何故、生命まで奪うのや」


「伊勢の旦那はんは噂になりすぎた……。正妻が黙っておりまへんのどす。紫も一歩間違えば銭で解決されるかもしれへんのや。だが、看板背負ってる輪上屋が黙ってまへん。わてらにもメンツがありおす。空蝉は諦めとくれ……。此処は黙って……」


「納得でけへん」


 障子が開いた。

 太夫が眉を釣り上げて、出て来た。

 背の高い末摘花の隣の紅時と目が合うと瞳が潤んだ。


「今日は夜見世は終いどす。癇の虫がさわるよって……」


 太夫が紅時に伝えると、二階に帰って行った。


 末摘花が「行っておやり……。今日は太夫の部屋で寝ておやりよ……」と耳打ちした。


「でも……」と紅時が困惑する。


「若紫の禿だろ。若紫だってまだ、若いよ……。聞いてやるだけで良い……」


「分かりました」と紅時が頷いた。




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