7 決着
コートの中、ボールを持った青木君がフリースローラインの少し先に立っている。森沢君は、3Pラインとセンターラインの中間あたりに立っていた。勝負は一回限り。森沢君が攻めて、青木君が守る。シュートを入れれば森沢君の勝ち、青木君のボールになれば青木君の勝ち。それだけ。二人で決めたルールだそうだ。私達はコートの脇で静かに見守っていた。
森沢君がこんなにも注目を集めたのは初めてではないだろうか。
教室の中での森沢君は、存在自体が希薄だ。特に目立つ容姿をしている訳でもない者が、一人で静かにしていれば直ぐに空気になれる。森沢君は自ら望んで空気になっていた。クラスメイト達は、ボッチである森沢君をボッチフィルターを通して見ることによって、インキャ、オタク、コミュ障などの先入観を持っていたと思う。しかし、詩織の存在が、森沢君を舞台に上げてしまった。
勝負を見るためにコート脇に集まったクラスメイト達の囁き声が聞こえてくる。
「こうやってみると、森沢君て意外とイケてない?」
無駄に爽やかなんだよ。
「よく喋ってたね?全然コミュ障じゃないじゃん。」
うるさいくらいのおしゃべりだよ。
「声とか話し方とか、なんか良かったね。」
知ってるよ。
「話しかけたら、恵美に怒られるかな?」
怒らないけど、でも…
「森沢君て、恵美のオモチャなんでしょ。」
オモチャじゃないけど、でも…
もう、私しか知らない森沢君はいなくなってしまったのかも知れない。
「森沢、そろそろ始めるか?」
「黒木君、僕が勝ったら詩織は僕の彼女だって事認めてよ。」
コートの中から森沢君の声が聞こえてきた。
「わかってるって。男の約束だ。お前も守れよ。」
「もちろん。じゃあ、始めようか。」
「ほんじゃあ行くぜ、森沢。どっからでもかかってきな。」
ボールを持っていた青木君が、森沢君にパスを出した。ワンバウンドのゆるいパス。
勝負は始まった。
森沢君はボールをキャッチすると一呼吸おいた後、恐ろしく唐突にシュートを放った。遠すぎる距離から突然放たれたシュート。青木君も森沢君もまだ一歩も動いていない。彼を注視していた私でさえも不意打ちをくらった。思考は置き去りにされ見ているだけ。彼の流れるようなとても綺麗なシュートフォームをただ見ているだけだった。彼によって高く投げ上げられたボールは、青木君の頭上を大きな弧を描きながら通過し、何のためらいもなくリングに飛び込むと、「パスッ」と、ネットに触れる音を残して床へと落ちた。
「えーっ。」 「うおーっ。」「きゃー。」
大声で叫んでいるクラスメイト達の声が遠くに聞こえた。森沢君のシュートが決まったと理解するまでに時間がかかった。私も何か叫んでいたのかもしれない。何もしていなかったのかもしれない。気がつけばコートの中、森沢君と向かい合っていた。
「凄いよ、凄い。森沢君凄いよ。本当に凄い。凄いよ。」
森沢君は、いつもと変わらない優しい笑顔でうん、うんと頷きながら私の『凄いよ』を聞いていた。
「うん、ありがとう。本当に入って良かったよ。丹波黒豆になった気持ちだよ。グリンピースから出世したって言いたかったんだけど、なんかちょっと違うね。あっ、でも、シュウマイの上に丹波黒豆ってどうなんだろうね。せめて、大納言小豆の方が良いような気もするけど、やっぱりグリンピースなのかなぁ。豆のこと知らなさすぎて、今度調べてみるよ。」
「ごめん、何言っているのか全然わからない。」
「ありがとう。凄く嬉しいよ。」
森沢君が満面の笑みで返してくれた。
「本当に入って良かったよ。ありがとう。」
もう一度私にお礼を言うと、今だにゴールの方を向いて呆けている青木君に話しかけた。
「黒木君、僕の勝ちでいいよね。」
「お前スゲェな。あれはまぐれか?」
「あれしか君に勝つ方法が思いつかなかったんだ。一か八かだよ。入って良かった。」
「まぐれでもお前の勝ちだ。高宮は、お前の彼女だ。俺が認める。男の約束だからな。俺は他人の女に手を出す趣味はねえ。だから、高宮は諦めたよ。」
「黒木君、ありがとう。それを聞いて安心したよ。それともう一つお願いがあるんだけど。詩織が困っている時には、助けてやってくれないかな。僕が彼氏だとちょっと頼りないでしょ。」
「あぁ、わかったよ。それと、俺は青木な。」
二人の間で、男と男の約束は実行されたが、そこに詩織の意思は反映されてはいなかった。
詩織は2人のすぐ後ろで黙って話を聞いていた。