3 森沢君
森沢君はいつも一人だ。誰とも話をしない。でも、これは正確ではない。正確には、『誰にも話しかけない。』である。話しかければ、むしろおしゃべりと思わせるくらいよく話す。クラスメイト達とは、お互いに『話しかけられないから、話さない。』といった、暗黙の不可侵条約のようなものが出来上がっている。だから、誰も話しかけない。だから、誰も本当の森沢君を知らない。
私は、話しかけてしまった。そして、森沢君という人に興味を持ってしまった。だから、皆んなより少しだけ、森沢君を知っている。
今回の席替えで森沢君とは隣になった。いつも一人でいて物静かな人、彼と話をした記憶もない。それくらいの微かな印象しかなかった。
席替えの次の日、私は森沢君の机の上に違和感を覚えた。数学の授業中なのに、彼の机の上には世界史の教科書が広げてあったのだ。
「教科書忘れたなら、見せようか?」
ほんの親切心で声をかけた。
「ありがとう。でも大丈夫。後ろのロッカーに教科書はあるんだ。休み時間に交換するの忘れちゃって、そのまま世界史の教科書広げてるんだけど、仕方がないから今世界史の勉強中。ほら。」
と、今まで一生懸命書いていたノートを私の方に見せた。
「 … 。」
そこには下手くそな3人のおじさんの絵が描かれていて、
「これがナポレオンで、こっちが…。」
クラスメイト達の視線を感じたので、黙って前を向いた。森沢君、そんな落書き説明されてもトホホだよ。
森沢君と話をしたという事は、クラスでの大きな事件だったようで、休み時間には友人達からの事情聴取が凄かった。
「教科書忘れたなら、見せようか?って聞いただけだよ。」
と、絵が下手だった事は秘密にしてあげた。
放課後、詩織とお茶をした。
「ねえ詩織、森沢君てどうしていつも一人なんだろうね?」
「今日話してみて気になっちゃったの?」
「今までのイメージと全然違うなって。話の内容はアレだったけど、話しかけたら普通に返してくれたし、私森沢君の事全然知らないなって思って。」
「案外優良物件だったりして。」
「そんなんじゃ無くて、どんな人なのかな〜って思っただけだから。」
「ふ〜ん、まあ、ガンバレー!」
もはや私の好奇心を止める事は出来なかった。翌朝すでに登校して席に座っている森沢君に、朝の挨拶をしてみた。
「森沢君、おはよう。今日も寒いね。」
「えっ、おはよう。ごめんね。本当にごめんね。最初に、もしかしたらそうじゃないかと思ったのは中学校の頃なんだ。まさか高校になってもこんなに寒いとは思わなかったけど。地球が温暖化してるとか言われてるけど、僕には全く影響してないみたいで、これがいい事なのか悪い事なのか良くわからないけど、本当に寒いよね。僕も少しは頑張ってみようと思ってるんだけど、本当にごめんね。」
「ごめん、何言ってるのか全然わからない。」
話しかけ始めた当初は、クラスメイトからの好奇の視線を感じたが、特に変な噂が立つこともなく、今では森沢君研究の第一人者としての地位を確立し日々研究に取り組んでいる。今日も、きっかけを探しては森沢君に話しかける。
昼休みに窓際の席、イヤホンを耳に挿して外を見ている森沢君を見つけた。トントンと小さく肩を叩くと、私に気付いた森沢君はにっこりと微笑んでイヤホンを外した。
「えっと、何?」
「森沢君て音楽聴くんだね。どんなの聴くのかなって思って。」
「今聴いていたのはアニメのEDの曲なんだ。すごく悲しいアニメで最後にこの歌が流れてくるの。で、この歌を聴くとね、もらった事が無いからこれは僕の想像なんだけど、バレンタインデーの頃にコンビニに行くと、リボンとか付けて綺麗にラッピングされたチョコレートって売っているでしょ。アレを貰ったらこんな気持ちになるんだろうなって思うんだ。」
「ごめん、何言ってるのか全然わからない。」
こんな会話を繰り返しながら、私の中には、私しか知らない森沢君が少しづつふえていった。
寝癖なんかそのままで身嗜みには無頓着なくせに、なぜか爽やかな森沢君。
ロッカーに教科書入れっぱなしのくせに、テストの点数がかなり良かった森沢君。
誰にも話しかけないくせに、私が話しかけるとすごく優しく丁寧な口調で話してくれる森沢君。
イケメンじゃないくせに、ニコッと笑うと妙に可愛い森沢君。
少しづつ、だが確実に森沢君は増えていった。
「森沢君、最近どう?」
時々友人達から研究結果を求められる。私しか知らない森沢君のほんの一部を披露した後、最後はこう締めくくる。
「本当に残念なんだ。残念だよ、森沢君。」
体育館の隅で一人、森沢君はバスケットボールでドリブルをしていた。私は彼を見ていた。
誤字修正しました。ありがとうございました。