16 恵美
「私は恵美。恵美って呼んでよ。」
森沢君と席が隣になって約2ヶ月。高校2年で初めて同じクラスになって、今はもう冬。そして、この期に及んで隣の席の人に自己紹介している私。今まで一度も名前を呼ばれた事はなかった。森沢君はクラスメイトの誰の名前も口に出した事が無かったから、誰の名前も知らないんだろうなと思っていた。当然私の名前も知らないんだろうなと、興味なんかないんだろうなと思っていた。彼とは会話をするだけではあるが、良好な関係を築いていた。彼との会話から、彼も私との会話を楽しんでいるという事は感じていた。彼は私としか話をしない。だからこそ、私の名前を呼んで欲しかった。せめて、知っていて欲しかった。なのに、今日初めて接した詩織の名前は呼び捨てで何度も呼ぶくせに、私の名前は一度も呼ばれなかった。
「ごめんね。僕が名前を呼んだら嫌がるだろうなと思っていたんだ。呼んでいいだなんて少しも考えなかった。嫌われるのが怖かったんだ。」
本当に申し訳なさそうに謝る森沢君に、さらに質問をぶつける。
「どうして名前を呼んだら嫌がるだろうと思ったの?あれだけ話しかけてるのに、そんなはずないでしょ。それに、そもそも私の名前を知ってるの?」
「こんな独りぼっちの寒い奴に、席が隣になったくらいで馴れ馴れしく名前を呼ばれたりしたら嫌だろうなって思ってたんだ。君の名前は、今のクラスになってすぐに知ったよ。HRで自己紹介した時、興味がなくてボケーっとしていた時に聞こえてきたんだ。心の奥にまで響いてくる凄く素敵な声が。雷に打たれたような衝撃だったよ。君の名前はその時に覚えた。すぐに顔を見て、この人は妖精に違いないって思ったんだけど、それからも、聞き耳をたてている訳じゃないのに、君の声は僕の耳に届いてきて、それで少しづつ君の事を知るようになって、僕も君と話をしたいって思うようになったんだ。で、席が隣になって、神様と悪魔が同時にいたみたいな感覚で、凄く嬉しくて、凄く怖かった。嫌われる未来しか見えなかったからね。僕は君と話をしたかったけど話しかけられなくて、でも君は毎日話かけてくれて、とても嬉しかったよ。初めて話かけられた時は、頭が真っ白になって何を言ったのか覚えてないけど、それでも、何度か君と話しているうちにある事に気付いたんだ。
『ごめん、何言ってるのか全然わからない。』
って言ってる君が、楽しそうだって事に。だから、それからは君にそう言ってもらえるように会話を工夫したんだけど、その言葉が僕にとってのご褒美だったんだ。明日も話かけてもらえるって約束されたようなものだからね。」
「だから、名前で呼んでって言ってるでしょ。さっきから、君、君って。私は恵美よ。」
顔が熱い。聞いていて恥ずかしくなってきた。私が『妖精』って何よ。コイツは無自覚に聞いていて恥ずかしくなるセリフを放ってくる。予想外の破壊力だった。詩織はこの無自覚テロにより、脳を完全に破壊された。私も気を付けなければならない。と、思っていた時だった。
「はい、私から提案があります。」
背筋をピンと伸ばし、右手をまっすぐ真上にあげ、妙にハキハキした口調で詩織からの提案があった。この女、小学校の頃からポンコツの時に限ってこういう言動をとる。だから、その提案は間違いなく聞くに値しない物なのだが、ましてや、今の詩織は無自覚テロによって桃色ポンコツ魔人と化している。聞きたくない。しかし、真っ直ぐ挙げた手を下そうともせず、桃色ポンコツ魔人が目をキラキラさせて発言の許可を待っている。私も忘れていたが、まだここはファミレスだった。いったいいつまで私たちはここにいるのだろうか。半ば諦めが私を支配した。
「発言を許可します。どうぞ。」




