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(8)謎の令嬢

「アネットちゃん、お化粧をするとやっぱり見違えるわねえ。イブニングドレスを着たらさぞかし見栄えがするでしょうねえ。女の子っていいわねえ」

王都へきて三日目。アネットは叔母のレティシアとサンルームでお茶をしていた。マクファーソン邸のサンルームはモダンな黒の鉄骨にガラス張りで、取り寄せられたいくつもの南洋の植物が異彩を放っていて、まるで外国にいるようだ。この前読んでしまった南洋の国の神話を思い出す。今日の読書は、昨日王都の大きな書店で買ってきた、人気の探偵小説の新作だ。


「スーザンが上手なんです。今日はお化粧の仕方も教えてもらって」

アネットは毎朝、レディースメイドのスーザンに流行りの髪型や化粧を教えてもらって悪戦苦闘していた。アネットは正直、不器用な方だ。まっすぐな髪はふんわりと結い上げようとしてもするする指の間から落ちていくし、口紅を綺麗に塗るのも大変だ。

伯爵家のメイドたちは昔からアネットを可愛がってくれていて、それが私共の仕事ですから、と至れり尽くせりやってくれようとするが、カラーディアに帰った時のことを考えれば、アネットが自分で覚えなくてはならない。それに、何でも小説のアイデアにつながらないとも限らないのだ。

「全部スーザンに任せてもいいのに」

と叔母は鷹揚に笑う。

「カラーディアでは自分でやらないといけないんですよ。せっかく優秀な先生がいるんだから覚えなくっちゃ」

「そうなのよねえ。マリアも田舎でよくやっていると思うわ」

アネットは曖昧に微笑んで薫り高い紅茶を一口飲む。

子爵家の令嬢だったアネットの母マリアは、製粉工場を経営する地方の名士だが貴族ではないジョージ・オルランドと熱烈な恋愛を経て嫁ぎ、その妹のレティシアは格上のマクファーソン伯爵に嫁いで玉の輿に乗った。子爵家は末の弟が継ぎ、きょうだいの仲は今も変わらず良好だが、仲が良くとも環境が違えばわかりあえない部分もある、と母が語っていたのをアネットは知っている。


「そういえばねえ、アネットちゃん。昨日行ったお茶会で気になる話があったのよ」

叔母が眉をひそめて話し始めた。

「作家のジョー・サンドが、今度サロンで新作を披露するんですって。実は貴族のお嬢さんらしいのよ」

「え?」

アネットは急に胸がどきどきしてきた。

叔母はアネットが小説を書いていることは知っているが、ジョー・サンドの正体を知らない。それは最初にアネットをアッカーマンに紹介してくれた叔母の息子のスコットとも相談したことだ。秘密を知る人は少なければ少ないほどいい。

覆面作家のジョー・サンドの素性については、王族や貴族など諸説あるが、新作を披露するとは聞き捨てならない。いつもの噂と違うような気がした。


「やあ、そこの綺麗なお嬢さんとご婦人。ご一緒してもよろしいですか」

黒髪の背の高い青年がサンルームへ入ってきた。

「スコット。早かったのね」

「今日はお偉いさんとのゴルフだったからね。適当なところで切り上げてきたよ」

六歳年上の従兄、スコットがアネットの隣のソファーに座った。シャツにベストのラフな格好だ。マクファーソン家の色である黒髪に菫色という神秘的な色を持つスコットだが、その性格は神秘的というよりオープンな方だ。スコットのそのオープンな性格が幸いしたのか災いしたのか、もうすぐ三十になるのに独身で、母親のレティシアをやきもきさせている。


「アネットは日に日に花が咲くように綺麗になるね」

「そうやっていつも女性を褒めないと気が済まない病なのね」

三日前にマクファーソン邸に来てからもう何度聞いたか。よくそんなに誉め言葉が出てくるものだと、アネットは赤くなりつつ呆れかえった。

「カラーディアにいる時の野の花のような素朴なアネットもかわいいけど、磨き上げると白いヤマユリのように気品があって綺麗になる。母上もアネットが来てから気持ちに張り合いが出て、美しさに磨きがかかってますね」

「それよりスコット、聞いた? ジョー・サンドが新作を朗読するらしいわよ」

顔色ひとつ変えず賛辞を吐くスコットにちょっと意地悪をしたくなって、アネットはとりあえず混乱の理由のひとつをスコットに押し付けることにした。


「この前のお茶会で聞いたのよ。どこかのご令嬢が実はジョー・サンドなんですって。ウィンター子爵夫人が娘から聞いたって力説なさってたわ」

愛する息子と姪のおしゃべりをにこにこと眺めていたレティシアが、のんびりと言う。

「それだけじゃ謎のジョー・サンドが誰かわからないな。一体誰なんだろう」

さすがのスコットもそれだけでは特定できないか、とアネットは内心残念がる。

「ただの噂なんでしょう?」

スコットも気になるようだ。

「でも今度、ドーバー公爵夫人のサロンで新作を朗読するという話よ」

それから話題は最近の気候や経済の話に移っていったが、過酷な暑さも株価の下落も、生返事をするアネットの耳をすり抜けていくばかりだった。


夕食前の着替えのためにサンルームを出ると、アネットはスコットにささやいた。

「サロンにジョー・サンドが登場して新作を朗読するってどういうことなのかしら」

「ドーバー公爵夫人は新進気鋭の画家や詩人や作家を支援していて、サロンにはまだ無名のアーティストと好事家が集まるんだ。逆に名のある作家を取り上げることはない」

「じゃあ、普通ジョー・サンドを扱うことはないわけね?」

アネットはまだ影も形もない新作に思いをはせる。

「そうだね。僕は絵画の日しか知らないけど、小説も同じはずだよ」

スコットも珍しく真剣な表情だ。

「ヘンリーに伝えておくか。ここまで具体的な話は初めてだし、何か良くないことが起きているのかもしれない」

「お願い。おかしなことになる前に、アッカーマンさんと一度相談したいわ」

「今から電話しておこう。可愛いレディにはいつも笑顔でいてほしいからね」

「もう!」

もやもやが和らいだアネットは、口をとがらせながら自室として与えられている客間に入った。

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