開示の儀にて
女性に礼を告げた後、衛士に囲まれ広間へ向かう。真珠母色の空間には見覚えのある二人と一匹に加え、昨日以上に多くの人間が集っていた。
少女の見る限り、趣の違う二派に大別出来る。片や厳しい鎧を纏った衛士の一団。片や清廉な白衣に頭巾の一団。二つの集団は交わる事なく、広間の前後に分かれて何らかの儀式を見守っていた。
「最後のイジンです」
衛士が一際大きな声で告げる。全員の視線が、一点に向けられた。ぞっとして少女は海産物を抱える腕に力を込める。白衣の老人が一人、静々と近づいて来た。恭しく頭を下げ、か細く話しかける。
「此方へ」
老人と共に広間の中央へ向かう。豪奢な燭台が一本立っていた。
灯る炎を、少女は以前目にしている。
海沿いの集落で長に案内された建物に在ったものと同じ、青い炎だ。
少女が近づくにつれ、炎は高く燃え上がる。僅かな響めきと納得するような会話が何処かで交わされた。
「……彼女もイジンで間違いありません」
老人が告げる。
「次に、加護の開示を」
その言葉を最後に、静寂が訪れる。刺すような視線の中少女が突っ立っていると、おずおずと老人は尋ねた。
「イジンサマ」
「は、はい」
「加護の開示を」
嫌な汗が背中を伝った。
そんなことを言われても、カゴが何なのかもわからない。
「あの」
少女は問う。
「方法を教えてください」
「え?」
「開示って、どうやるんでしょうか」
再び沈黙。
この雰囲気はまずい。そう直感しても少女に出来ることは何も無い。
「……なんか、ここに来てから能力使えるようになってない?」
離れた場所に佇んでいた制服の少年が声をかける。それでもなお呆けたような顔をしていた少女を見て、肩を竦めた。
「俺は炎が出せる。普通に、燃えろって念じるだけ。他のイジンもそんなもんだと思う」
でしょ、と少年は男性に同意を求める。昨日と同じ放送禁止用語のTシャツに白衣のズボンを合わせた男性は頭をポリポリと掻いた。
「特に小難しいことをする必要は無いんじゃねーの」
「兎にも出来るくらいだし」
ごく自然に出来るものなのか。二人の言葉を受けて、海産物を首にかけた少女は念じる。
何か起きろ。
ただその思いだけが脳内を木霊する。知恵熱のようなぼんやりとした頭痛が起きて、視界が霞んだ。
途端、首筋の海産物が氷のような冷感を帯びた。
我にかえる。
「……加護がないのでは」
誰かが囁いた。小声の会話が大きな響めきに変わりゆく。聞き覚えのある声が「静粛に」と告げた。
衛士の一団から、姫と呼ばれていた騎士が歩み出る。
「次へと進もう」
良く通る声は、少女に見切りをつけるようでもあった。すごすごと少女は他のイジン達の元へと戻る。籠の中で震える兎を挟んで、隣に立つ少年は少女を一瞥して姫騎士に視線を向けた。
一方の姫騎士は、玉座に座る神子を見つめる。交錯することのない眼差しが、諦めるように一同を見渡した。
「来たる『回遊』に備えて、我々騎士団は戦力を欲している。世界を、人々を守るための戦力だ」
そうして言葉を区切り、補足するように「神子も」と付け加えた。
金属のヒールを打ち鳴らし、姫騎士はイジン達の前を往復する。ある一点で立ち止まり、手を差し出した。
「焔を操る、彼の少年を。我々が後ろ盾となろう」
少年から僅かに肩の力が抜けたような気がした。しかしすぐに姿勢を正し、一礼をする。
「必ず、お役に立ちます」
少年の言葉に姫騎士は頷く。
世話をしてくれた女性や衛士が言っていたのは、この儀式のことだったのか。
今更ながら合点がいく一方で、少女は焦り始めた。
何も示せていない。
頭巾の一団が、鼈甲色の小さな机を持ってきた。続いて別の頭巾が書類と小刀の載った盆を掲げ、姫騎士の傍らに傅く。姫騎士は書類を机の上に置き、小刀を手に取った。
「では、契約を。彼の者の身柄は私が保証しよう」
宣誓をした後、姫騎士は白い指に刃を当てた。鮮やかな赤が微かに滲む。書類に血判を押し、少年に小刀を差し出した。
「さあ、君も」
え、と上擦った声を出して少年はたじろいだ。小刀と血判を見比べるイジンに、姫騎士は血が滲んだ方の手を伸ばす。
その手が少年の指をからめ取り、親指を赤く染めた。
「これでも問題はないだろう」
姫騎士は微笑む。少年は顔を紅潮させて、促されるままに判を押した。
姫騎士と少年の書類は、頭巾によって何処かへ持ち去られる。
「では我々は彼を」
加護の開示を求めた老人が挙手する。男性は猫背気味な背中をより一層丸めた。
「っす」
しかし男性はその場から動くことなく、小刀を一瞬見つめた。
「それ、不衛生だからムリ」
男性の言葉に、老人は慌てて頭巾に指示を出す。暫くして頭巾が貝殻に満たされた何らかの染料を持ち運んできた。真紅の染料に老人は指を浸し、判を押す。
やっと男性は机に近寄り、書類を繁々と眺める。上から下まで読み込んだ後、納得したのか染料を用いて判を押した。
先程と同様に書類は回収され、別の書類が机に置かれる。
「では、こちらの小さなイジンは」
老人が兎の籠を掲げる。籠の中で兎が身動ぎ、老人は危なっかしく籠を揺らした。
挙手は無い。
籠を下ろし、続いて老人は少女の前に至る。
「彼女は」
思わず少女は顔を伏せた。ずるりと、海産物が首から滑り落ちる。
沈黙が耳に痛い。
そっと周囲を伺う。予想はしていたが、挙手をする者は一人としていなかった。
「……コイツらはどうなんの」
男性の声が静寂を破る。
「パトロン決めるために集まってるんでしょ。今決まらなかったら、どうなんの。ほっぽりだすわけ?」
どこか捲し立てるように男性は問う。頭巾の老人が少し萎縮した。
こんな場所で、独りになるのか。
男性の言葉が恐ろしくて、少女は制服の裾を握り込んだ。
「面倒見てくれる機関とか仕組みとか、あるの」
「……ええ」
歯切れ悪く老人は答えた。居心地の悪さを覚えて少女は周囲の大人の顔を見る。俯く顔、あからさまに目を逸らす者。
加護を持たない者は、必要とされていない。そんな人間を引き取る場所とは、どんな所なのだろうか。
不安に押し潰されそうになる。
「うわ」
誰かが情けない叫び声を上げた。衛士も頭巾も響めきはじめる。少女は叫び声の主を探し、視線を巡らせた。
机の上、染料が満たされた貝殻に、海産物が浸かっていた。紅く染まった海産物はのろのろと這いずり、まだ何の署名も判も無い書類の傍らで伸び上がる。
止める者もいないまま、海産物は書類に染料漬けの体を打ち付けた。




