玉座の間にて
鼈甲の扉が開け放される。三人と一匹は一斉に視線を向けた。
「お待たせいたしました」
先程の女性が恭しく頭を下げていた。その背後から、ぞろぞろと同じ衣服を着た一団が現れる。門から案内をしてくれた衛士の制服によく似ているが、幾分か上等な作りのように見える。おずおずと少女はソファから腰を上げた。
「神子のもとへ、お連れいたします」
いの一番に歩き出したのは少年だった。部屋を出て行った彼の後に、何人か衛士が着く。入れ違いに布を敷き詰めた籠を携えた女性が静々と近づいてきた。
「こちらへ」
ソファで蹲ったままの兎に女性は語りかける。何の反応も示さない兎を数秒見つめて、そっと抱えた。籠に収められた兎は女性に掲げられ退室する。
「行くかあ」
どこか諦めたように男が呟く。一人と一匹部屋に残るわけにもいかず、少女は後を追った。
白亜の廊下を一行は歩く。前の男や衛士の合間から、巨大な螺鈿細工の扉が覗いた。
螺鈿細工の扉は音を立てて開く。
中の様子をちらりと伺って、少女は息を呑んだ。
真珠母色の空間が広がっている。
柔らかな虹色にうつろう大広間に、心の準備も出来ないまま少女は足を踏み入れる。
幻想的な材質とは裏腹に、広間の内装自体は実にシンプルだった。一段上がった舞台のような場所には玉座が一つあり、そこに少女よりいくらか年上の女性が腰掛けている。
白衣を纏った彼女が、おそらく「神子」なのだろう。
広間の真ん中で立ち止まった三人の周囲で、衛士達は傅く。ただ一人、兎の籠を持った女性は少女の隣に顔を伏して立っていた。
「神子よ」
誰かがそう告げたのを皮切りに、追唱が響く。
「神子よ」
「彼らが新しくこの地を訪れたイジンです」
「我らを救い、扶けるモノです」
「祝福を、慰めを」
広間に響く声を聞き流しながら、少女は近所に住んでいた老婆を思い出す。彼女は島の祭祀を切り盛りしていて、何か相談事があれば真っ先に島民が頼る相手でもあった。
目の前の少女も、そんな存在なのだろう。度合いが随分と違うだけで。
無理矢理自分の知る事柄に、目の前の光景を落とし込む。納得は出来なかった。ただ、そんな事を考えでもしないと、今の異様な状況には耐えられなかった。
首筋で海産物が震える。そっと手を添えると、心地よく指が沈んだ。
唱和が終わり、神子が小さく頷いた。色素の薄い髪が一房、磁器のような頬を滑り落ちる。
途端、衛士達が立ち上がった。張り詰めた空気の中で響いた音に、少女は肩をびくつかせる。
こぎみよい靴音が、広間に入ってきた。
「神子よ」
少女と男の間を割って、鎧が通る。
神子と同じ色素の薄い髪が、少女の顔を微かに撫でた。
「謁見の最中、失礼する」
隣に立つ鎧の顔を見て、少女は目を見開く。玉座に座る神子と寸分違わない顔がそこにあった。
冷たい眼差しが少女を一瞥する。
「貴殿らが、新しく現れたイジンか」
踵を合わせ、騎士は優雅に礼をする。その佇まいに見惚れていた少女の耳に、囁くような叱咤が入る。
「神子の御前ですよ、姫」
少女達の背後で傅く何れかが告げたのだろう。騎士は少女の肩越しに睨みつける。
「……顔を見たかっただけだ。明日では遅いからな」
三人の「イジン」達の顔を見流し、騎士は布を翻す。初めて見るマントに、思わず少女は感心の溜息をついた。同様に少年も何か思うところがあったのか、騎士を追うように振り向く。騎士の後ろ姿は既に白亜の彼方に消えていた。
ただ一人、男は忙しなく視線を動かし、貧乏ゆすりをしていた。
兎は三人以上にストレスを感じているようで、籠の中で暴れるように悶えていた。
「神子よ」
再び誰かが呼びかける。
「彼らに祝福を」
玉座の神子は遠くを見つめている。
声が届いたのか、小さな唇を微かに開いた。
「其方らに、恩寵を与えよう」
おお、と響めきがあがる。兎の鎮座した籠を抱えた女性がひれ伏すのを横目に、少女は所在なく立ち尽くす。響めきが鼓膜を、視界を揺らす。自身もまた揺らいでいることに気付いた時には、少女は床に膝をついていた。
フェリーに乗って眺めた光景が、何故か脳裏をよぎった。
「うお」
男は一瞬身を引き、即座に傍らに蹲み込んだ。
「なに、気分悪いの?」
答えきれず、ただ首を縦に振る。空気に酔ってしまった。こみ上げるものを押さえつけるため、上体で大きく息を吐く。
「あのー、謁見中で申し訳ないんすけど。この子調子悪いみたいだからさ。お暇してもいい?」
何とも軽い口調で告げた男の言葉が、ありがたかった。
「お姉さんさ、その籠持っとくからこの子手伝ってくんない」
やり取りの後、貫頭衣の女性が少女の背に触れる。小さく謝罪を呟いて、よろよろと立ち上がった。
広間から少女は脱する。
視界の隅に一瞬、少年の姿が入る。男のように此方を気にかける様子でもなく、どこか冷めた目つきで少女を見送っていた。
「お部屋をご用意しています。先にそちらで、お休みになってください」
体を支える女性の優しい声音を聞いて、少女は頷く。長い長い廊下の先がたわんで見えて、目を伏せた。