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神殿にて

 衛士に率いられ、少女と海産物は白亜の門を潜る。その先には、先程の集落とは随分と趣の違う街並みが広がっていた。


 元は門と同じ、白亜の壁なのだろう。規格住宅のような全く同じ造りの家々は、夕陽を受けて茜色に染まっていた。


「恐らく、数刻後に謁見があります」


 衛士の告げた予告に、少女は目を丸くする。


「え、謁見?」

「はい。一日の終わりに、神子は日中に来訪したイジンの皆様と謁見するのです」


 謁見という言葉の仰々しい響きに、少女は恐れを成す。衛士は先程と同じ輝かんばかりの笑顔で「恐れることはありません」と言った。


 恐れが無くなるはずもなく、少女は口を閉ざす。向かう先に聳え立つ塔も少女を威圧するかのような様相だった。


 塔の根本には、先程の門よりも更に壮麗な造りの入り口があった。その前で微動だにせず立っていた貫頭衣の女性に、少女と海産物は引き渡される。


「お待ちしておりました」


 深々と女性は礼をする。つられて少女も頭を下げた。ずり落ちそうになった海産物を目にして、女性はあからさまな動揺を見せた。


「し、失礼いたしました……」


 一転、取り繕うように微笑む。女性の驚愕などつゆ知らぬ様子で、海産物は再び少女の首筋に這い上がった。


 緩やかに袖が動き、白い手が門の奥を示す。いよいよ神殿に入れるようだ。ここまで案内してくれた衛士に礼を述べて、二人と一体は門を潜った。


 白亜の回廊を辿り、鼈甲のような照りを放つ戸の前に立つ。大きな扉を女性は体重をかけるように押し開けた。


「暫しの間、こちらでお待ち下さい」

「は、はい」


 一瞬目が眩む。無数の蝋燭が並ぶシャンデリアの下で、先客がこちらを振り向いた。


 細長い痩躯に破れたジーンズ、放送禁止用語の記されたTシャツ。ぎょろりとした目が少女を凝視する。少女よりは先程の集落や傍らの女性に近しい風貌を目にして、たじろぐ。言葉は通じるだろうか。


 取り敢えず会釈をする。「こんにちは」は少し違うような気がして、黙したまま立ち尽くした。背後で扉が閉まる音がして、思わず振り向いてしまう。女性の姿は既になかった。


「あんたさぁ」


 声をかけられた。先客はふらふらと歩いて、豪奢な作りのソファに腰掛ける。そうして貧乏ゆすりをしながら少女を睨め付けた。


「どっから来たの?俺たちとおんなじ口?」

「え、えっと私は」

「あ、言葉通じてんじゃん」


 先客は笑う。相手も少女と同様のことを考えていたのだろう。少し安堵して頷く。


「日本にいたはずなんですけど、いつの間にか漂着していたみたいで」

「漂着?やば」


 そう呟いて先客はサイドテーブルに乗ったコップを取り、白濁した液体を煽った。アルコールの匂いが漂う。


「ところでニホンってどこ」


 次いで告げられた言葉に、少女は落胆する。彼は日本を知らないようだ。


 しかし、考えてみれば少女だって知らない国はたくさんある。まだ望みはあるということだ。


「俺さ、エンケラの自治区生まれなんだけど」

「はい」


 全く未知の、国名か地名かもわからない単語が出てきた。取り敢えず質問はせず話を聞く。


「酒飲んでツレと別れて、ハーシェル通りに曲がったんだよ。そしたら、ここの更衣室にいた」


 突拍子も無い話に言葉を失う。酒に酔って記憶が無いというわけでもないのは、先客の沈んだ表情からも明らかだった。


「どういうことよ」


 貧乏ゆすりで震える足の間に、先客は顔を埋める。かける言葉を見つけることは出来なかった。ただ、少女も先客と同じ心境であることは確かだ。


 足元で何か柔らかなものが蠢く。ぎょっとして視線を落とすと、白い兎がこちらを見上げていた。


「わっ」

「そいつも、俺たちと同じイジンらしい」


 人間以外の見慣れた生き物を目にして、少女は少し嬉しくなる。屈んで触れようとすると、兎はふいと顔を背けて先客の足元へ向かった。項垂れていた先客は顔を上げ、兎の額をくすぐる。その手つきが思いの外優しげに見えて、少女は第一印象を改めた。


「あんたの首のも、イジンなの?」

「いえ、ただ海から一緒なだけで……よくわかりません」

「へー」


 特に追求されることもなく、先客は兎を撫でる。ほっとしたのも束の間、少女の肩に影が落ちた。


「それ、魔獣だよね」


 振り向く少女の目の前で、熱気が生じた。


 火だ。


 そう直感して両腕で顔と海産物を庇い、数歩後ずさる。


「ぁにやってんだ!」


 先客のドスの効いた声が響き、熱気が鎮まる。手を下ろし目を開けると、右手を掲げた少年が立っていた。一瞬唖然としたような顔を見せて、すぐに少年は目つきを鋭くする。


「だって」

「火だろそれ。火傷したらどーすんだよ」


 少年は右手を下ろす。年の頃は少女とそう変わらない。纏う衣服も制服か何かのように見える。


 しかしその顔を一目見て、少女は困惑する。


 人種がわからない。おおよそ特徴というものを削ぎ落としたような顔立ちだった。


「あ、あの」


 僅かな望みを持って、少女は声をかける。少年は怪訝な顔をして「なに」と小さく呟いた。


「もしかして、日本人?」

「……そっちも?」


 一瞬言葉の意味を考えて、少女はぶんぶんと頭を縦に振った。少年もまた驚いたように目を見開く。


「うそ。日本人、他にいたんだ」


 少年の言葉も聞き終わらないうちに、少女はへたり込む。


 よかった。


 よかった。


 そんな言葉を繰り返して、制服の裾を握り込む。緊張の糸が切れたのか涙が溢れそうになって、目元を擦る。


「あんたも言葉通じたのかよ」


 兎を隣に下ろして席を立ち、何かを探すように彷徨きながら先客は話す。


「何も言わねえから焦ってたわ」


 そうして空いたソファを指差す。


「床じゃなくてさ、座れば」


 すみません、と濁った声で答えてありがたくソファにかける。隣で丸まった兎がぷすぷすと鼻を鳴らした。


 歪んだ視界に透明な液体で満たされたコップが現れる。水、とだけ告げた先客に礼を告げて、喉を潤した。印鑑に使う水牛の角のような材質のコップは、妙に手に馴染んだ。


「……飛ばされてきたの?」


 暫し間を置いた後、少年が問いかけた。へ、と少女が呟くと相手は冷笑を浮かべる。


「わかんない?どう考えても、ここは元いた世界じゃないでしょ」


 異世界だよ。


 囁くように少年が告げる。一拍のち、ポリポリと先客が頭を掻いた。


「まじで言ってる?」

「それ以外あり得ない。ガイジンばかりだし、日本は知らないし、電気や自動車は無いし、馬はウマじゃないし」


 少年が並び立てた事柄は、何れも少女が疑問に思っていた事だった。


 だとしても、本当に、本当に?


「何より」


 指を鳴らす音が響く。


 細い火柱が、少年の指先から立ち上った。


「こんなの、出来るわけないでしょ。フツーなら」


 熱気の向こうで、少年の顔が陽炎のように歪んだ。

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