丘陵にて
暫く丘陵を駆ける。慣れない馬の背で何とかバランスを取りながら、少女は行先を見つめる。
起伏の合間に、塔のようなものが見えた。
「塔が見えますか?あれが神殿ですよ」
息を切らしながら馭者は告げる。
「まだまだかかりますがね」
振動で尻が痛い。馬だけではなく、乗っている方も疲れるとは思わなかった。頭を揺らしながら少女は声を張る。
「あの、すみません!少し、休憩って出来ますか?」
「え?何か」
「少し休みませんか!」
少女の声が届いたのか、馬は並足になる。そうして足を止めた。
「その、貴方も疲れているかなと」
「あー……そうですね。じゃあ水でもいただきましょう」
汗を拭いながら馭者は笑う。馬から下りると、鞍に取り付けた鞄から皮袋を三つ取り出した。そのうちの二つを手渡される。
「はい。イジンサマには軽食もあるんで」
「あ、ありがとうございます」
巾着状の袋の口を開ける。板としか形容出来ない食品が数枚入っていた。一口齧ってみる。ほんのりとバターの風味がした。
もう一つの袋を暫く観察して、水筒だと気がつく。栓を抜いて口をつけると、少し潮の香る水が流れ込んだ。海沿いの集落だからか井戸水にも潮が混じっているのかも知れない。渇きを癒して、もう一口板を齧る。
「あの、お腹空いてませんか。貴方も食べてください」
「おお、ではありがたく」
板を一枚馭者に渡す。ごりごりと咀嚼する馭者の隣で、首筋から流れ落ちた海産物に板をちらつかせて見せる。
「食べる?」
海産物は微動だにしない。小さく崩してみようと板の端を摘んだが、指先を痛めただけだった。
端を齧って掌に乗せてみる。どこに目があるのかもわからない海産物は、何の反応も示さなかった。
「……水は」
ちゃぷちゃぷと革袋を揺らす。途端、海産物は波打った。うわ、と小さく声を漏らしながら水をかけてみる。
踊り食い、という単語が脳裏をよぎった。
「何故、私はあそこに」
海産物を水浴びさせながら、少女は問う。すっかり板を平らげた馭者は、塔を見つめながらポツポツと語り始めた。
「ついこの間のことです。御触れが出たんですよ。イジンサマは全て神子の元に呼び寄せよと。何でも、彼等の力が必要なのだとか。大いなる災いとか長は言っておりましたが、俺たちにはピンと来ませんね」
「……」
なかなか壮大そうな話の断片が出て来た。少女は辺りを見渡す。どこかにカメラでも隠されているのではないか。それほど、突拍子もない内容だ。
「イジンサマが来るのはまあ、百年に一回ぐらいなものらしいんですが、急に大勢出てくるようになったのです。これも先触れなんでしょうね」
「他にもいる、ということですよね。そしてその人達は同じ場所に集められている」
俄然希望が見えてきた。余所者は少女だけではない。神殿とやらに向かえば、日本がわかる人間が一人くらいはいるはずだろう。
休憩を終え、再び地を駆ける。ふと空を見上げると、端が橙色に滲みつつあった。
その橙色が茜色に変わった頃、一行は白亜の門前に辿り着く。門の前で並ぶ兜の男達を見て、再び少女の思考が渋滞した。
「……あの人達は」
「衛士様ですね」
並足でとことこ歩く馬を見つけたのか、衛士は槍を携え向かってくる。出迎えとは思えなかった。
「止まれ、馬から下りろ」
衛士の指示に従い、二人は地に立つ。少女の姿を一瞥した衛士は居住まいを整え、態度を軟化させる。
「もしや、イジンだろうか」
「はい、そうです。うちの村に突然やって来て」
「では、身柄は此方で預かろう」
そうして中腰になる。一瞬、衛士は海産物を視界に入れて身を竦ませた。
「その魔獣は」
「こいつはその、ついて来て」
「イジンサマのお供みたいだ」
豪快に笑う馭者を睨め付け、衛士は確認する。
「何か害をなす恐れは」
「粗相は特に、これまでは無かったです」
「そうですか」
衛士は海産物を見つめる。等の「本人」は少女の首元からだらりと垂れ下がり身動ぎ一つしない。その様を見て、衛士は何か納得が行ったようだ。
「そういう加護なのでしょうか」
また加護だ。どうにも言葉に馴染めず肯定しきれない少女の隣で、代わりに馭者が頷く。
再び、衛士は少女に向き直る。
「……戸惑うことばかりでしょうが、心配には及びません。神子の光が貴女を導きます」
随分と良い笑顔の衛士に、愛想笑いを返す。
ミコってなんだろう。内地の神社にはそういう人達がいると知識としてはあるが、実際に目にしたことはない。そもそも、西洋っぽいこの地域にも巫女は存在するのだろうか。
確かめるべく、流れに身を任せる。
「それではイジンサマ、俺はここで」
「はい。短い間でしたが、お世話になりました。オサ?さんにも感謝しています」
水と食事、何より右も左も分からない少女に行先を与えてくれたのはありがたい事だ。頭を下げると馭者もまた深々と礼をする。
「こちらへ」
馬に跨り去っていく馭者の後ろ姿を見送ると、衛士が導くように片手を掲げた。その先で、白亜の門が開かれていた。
「法都へようこそ。皆、貴女方をお待ちしていたのです」