集落にて
面食らう。飛び出してきたのは流暢な日本語だった。唖然とする少女の前で、老人は身を震わせる。
「ああ……ああ!」
「だ、大丈夫ですか?」
尋常ではない様子の老人に近付く。肩に手を触れると、シワだらけの手ががしりと握り込んだ。
「どこから、来たのですか?」
「え?に、日本……」
「此処ではない何処か、そうでしょう?」
頷く。そうに違いないからだ。
老人に手を引かれ、町へ向かう。耳に入る人々のどよめきもまた日本語だった。
奇異の視線が突き刺さる。どうにも居た堪れなくなって、少女は足元に目を落とした。当然、アスファルトで舗装されているような道ではなかった。
「イジンサマ、こちらへ。心配には及びません。然るべき場所へお連れいたします」
警察署とか、大使館とかだろうか。導かれるままに少女は通りを歩く。
連れて行かれたのは、周囲と同じく煉瓦造りの屋敷だった。観音開きの扉の奥は薄暗く、何やら炎のようなものがちらついている。物々しい雰囲気を感じ取り、少女は足を止めた。
同時に老人も立ち止まる。そして、中へ進むように促した。
「奥へ」
指示に従い、少女は屋敷に足を踏み入れる。ホールに当たるのだろうか、がらんとした空間には燭台が一つ立っているだけだった。揺らぐ炎を見つめると、何かが反応でも起こしたように、青い火柱となって細く伸び上がる。
物音がした。振り向くと、老人が何やら咽ぶように突っ伏していた。思わず駆け戻る。傍らで右往左往していると、老人が呻いた。
「……まさか本当に、イジンサマが訪れるとは。この村にイジンが……」
老人は手を組む。ステレオタイプの祈りにも似た仕草を目にして、少女は声をかけづらくなる。隠れキリシタンの島とかだろうか。だから外国人っぽい顔立ちの住民ばかりなのだ。荒唐無稽な想像をしながら、老人の背中をさする。
「あの、お爺さん。どこか連絡を取れるところは」
「わかっております。貴女には向かうべき場所がある」
くしゃりと微笑む老人の返答は、少女の望んだものではなかった。言葉に詰まっていると、再び老人は片手を引いた。
「ここには馬しかありません。不便な道のりになりますが、早速貴女を神子の元へと」
「み、みこ?」
シワだらけの手が誰かを招く。筋骨隆々とした壮年が数人、老人の元へと駆け寄った。
「馬の用意を。イジンサマを法都へお連れするのだ」
「しかし、長。聞くところによると近隣ではイジンを村で匿って」
「この期に及んで何を言う!村や国の問題ではないと、理解出来ぬか!」
喝を飛ばす。長の気迫に気圧されたのか、壮年はそれきり無言で立ち去った。
一ミリも状況を理解出来ないまま、少女は立ち尽くす。忘れかけていた海産物が、首元で波打った。
ひ、と小さく老人は悲鳴を上げる。
「イジンサマ、その獣は」
「ケモノ?あ、いやこいつは……海で……」
犬や猫を拾ってきたのとは訳が違うのだろう。言葉を探すうちに、老人はどこか深刻そうな表情になっていく。
「もしやそれが、イジンサマの加護なのでしょうか」
長はこぼした。聞き返す前に、背後の嘶きに反射的に振り返る。
「馬」がいた。
馬、なのだろうか。
「この者がお連れします。後ろにおかけください」
ヒツジとラクダを掛け合わせたような生き物は、前脚を折り身を低くする。馭者の視線に急かされて、鞍に跨る。
「食事は用意したか」
「はい」
「必ずお送りするのだぞ」
馭者と数回言葉を交わし、老人は深々と頭を下げる。少女もまた頭を下げた途端、「馬」が走り出した。がくんと上体が揺れる。
「夕方まではかかりますが、馬は慣れてますかい?」
「へ、夕方まではかかります?」
何から返事をしたら良いのかわからず、断片を鸚鵡返ししてしまう。そもそも今何時なのか。尻の座りを整えて、一先ず馬について返した。
「乗馬は、初めてです」
「そんな感じはしますね」
土を跳ね上げ馬は駆ける。馭者が手綱をしならせると、一声「めえ」と鳴いた。
「ところで、イジンサン」
前方を向きつつ馭者が尋ねた。
「イジンサンは、何が出来るんですかい。最近他の村にもイジンサンが来たらしいですが、その方は氷をいくらでも作り出すことができるとか」
呆気に取られる。
どういう意味だろう。氷は冷凍庫で作るか、共同売店で買うものではないのか。
「イジンサンはそういう、加護は何を持っていて?」
老人とのやりとりを思い出す。彼は海産物を見て、加護という言葉を口にしていた。ただそれがどういうものなのか、少女にはまったく見当がつかない。
「もしかして、魔獣を操るとか」
馭者は笑う。
「収穫とかで役立ってくれそうですねえ」
はあ、と気の抜けた返事しか出来なかった。首元の海産物を操っているつもりなど微塵もない。海産物の方もただ好きにしているだけなのだろう。
「それに最近、獣害も増えているんですよ。何でも先触れという奴が来ているようで」
「さきぶれ?」
「なんて言ったか。テンペンチイです」
天変地異。馭者の言葉を復唱して、周囲を見渡す。馬が駆ける先に、蠅の集った肉塊が転がっていた。「馬」と同様に形容し難い姿形の肉塊の傍らを通り過ぎて、少女は馭者に問う。
「あの」
「はい、何でしょう」
「日本って、知っていますか」
「ニホン?何ですかそれは」
「国の名前なんですけど……」
馭者は暫く考え込む。
「そんな国もあるんですねえ」
聴き慣れないだけだ。
そう思うことにした。