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焦土にて

 粘ついた音を立てて、肉塊が落ちる。言葉になれなかった吐息が少年の喉を通った。


 輪郭の変わった少年の顔をただただ見つめる。


「あ」


 何か言いたげに宙ぶらりんの舌が蠢く。先に剥がれていった顎のあとを追うように、その舌も地に落ちた。


 舌を失った喉では叫ぶことも出来ないのだろうか。あるいは、悲鳴を忘れているのだろうか。ただ空気を送り出して、少年はきょろきょろと目を動かす。不思議と動揺している様子はよくわかった。目は口ほどに物を言う、などという言葉をぼんやりと思い出す。


 それどころじゃないのに。そんなことはよくわかっているのに。


 少女の目の前で、少年は爛れて、崩れて、溶けていく。


 先程まで敵意を向けていた少女にも目をくれず、少年はこぼれていく自身を掻き集めようとする。とろけた肉をすくう指がほろりとほどけた。


 悲痛な叫びが聞こえた。


 少年は自身を抱え込み、地に伏す。周囲を囲むように赤い液体が滲み出た。


 これが壺の中身だ。おぞましい想像を拭うことも出来ず、少女はむせ返るような血の匂いを肺に送り込む。


 足が動かない。目を背けられない。


 人の姿を失っていく少年の姿が、網膜に焼き付く。対照的に、呻き声や木々の爆ぜる音は徐々に遠のいていった。静かな世界で、息を潜めるような気配が炎の向こうで息づいている。


 此方を見ている。


 炎の向こうでイジン達を取り巻く気配を捕捉した途端、体が動き始めた。


 融解した少年に背を向け、炎の切れ間に飛び込む。


 案の定、衛士達と鉢合わせた。


 ひ、と何人かが声を漏らす。それでも任務を忘れることはないのか、少女に手を伸ばした。信じられないほどの反射と力でその手を跳ね除ける。


 逃げろ。


 ただその言葉を脳裏で繰り返す。灼けた森を駆ける少女を、幾人かの影が追う。全員ではない。ちらりと背後を振り返り、人数を確認する。残りは消火活動でもしているのだろうか。そういえば、あの少年に異変が起きてから火の勢いが弱まっている。無関係ではないはずだ。だからこそ少女の逃げる隙が現れたのだが。


 それでも、思うところはあった。


 何かが脇を掠め飛ぶ。数歩先に突き立った矢を見て、今度は少女が声を上げた。


「ひぇ」


 あれ、痛いだろうな。


 何処かで呑気な事を考えながら、もう一度背後を注視する。距離をとった衛兵が弓を構え、矢を放った。


 粘度を持った視界をゆっくりと矢が突き進む。聞いたことのある感覚を体験して、少女は一人納得した。こんなに遅く時は進んでいるのに、体は少しも対処してくれない。横にそれるかしゃがみ込むか。どちらかでも動けば、最悪の事態は免れる。だから早く、動いてくれ。


 不随意に力が篭った腕から、海産物が抜け出る。遅延した時の中で、海産物は妙に滑らかに宙を舞った。極彩色の外套膜が少女の顔を包む。


 世界が沈み込んだ。


 黒が滲んで無数の原色に分散されていく。フラクタルな粒子と波の紋様が脈動した。狭まっているのか膨らんでいるのかもわからない視界の中で、神経が焼き切れそうな情報がまとわりついてくる。叫び出しそうになって、がむしゃらに手を伸ばした。


 指先が世界を掻き乱す。分散した光が、無数の景色を鏡のように映した。


 その中の一つに、見覚えのある青を見つけた。


 あ。


 声をこぼす。輝く青は、様々な光景を映し出した。


 海。空。浜。


 釣竿、仏桑花、遺影。


 あの青を掴み取らなければならない。


「あの海の青を」


 なのに、こぼれ落ちていった。


 確かな衝撃が前面を打ち付ける。


 潰れたような呻き声を出して、少女は自身の状態を感覚で把握した。海産物と共に地に伏したのだろうか。大の字になった体に神経を行き渡らせて、起き上がる。


 枕のように顔を押し付けていた海産物の背から離れて、辺りを見回す。


 森は、来た時と同じ静けさを取り戻していた。


 残り火の影もない灼けた森を、星あかりが照らし出す。生物の気配がまるで無い世界で、少女は暫し呆然とした。


 火は、衛士は、少年は。


 海産物を抱え上げ、周囲に気を配りながら歩き始める。


 ぱきりと焼け焦げた枝が足元で折れた。見下ろすと、土に埋もれた鏃が鈍く輝いている。あの時放たれた矢だと直感した。随分と様変わりしてしまったが、少女が逃げ惑っていたあの森で間違いはないようだ。


 ふと、鼻先を香ばしい匂いがくすぐった。空腹でもないのに反射的に唾が湧く。


 匂いの元を探す。程遠くの倒木から強く漂っているようだ。恐る恐る近づき、目を見開く。


 焼け焦げた木片に埋もれて、肉塊が転がっていた。少年の変貌が脳裏をよぎり、少女は後ずさる。融解したはずの少年にしては形を保っていることを確認して、遠巻きに少女は肉塊のそばを通った。


 人間ではない。かと言って、獣のようにも見えない。違和感の正体を考えて、思い至る。四肢や頭に当たる突起がないのだ。これでは何の動物か判別がつかない。


 ……よく焼けている。


 哀れな野生動物だと思い込むことにしてその場を離れる。人の気配はないが、第二の追手が来ないとも限らない。


 もっと遠くへ。


 少女は駆ける。まだ夜明けは遠いはずだ。

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