安置所にて
日中に告げた通り男が手引きしてくれたのか、少女の部屋は先日と同じ場所が用意されていた。蝋燭の灯る部屋の中で、身じろぎもせず天井を見つめる。
宴を中座したは良いが、疲れて思考が働かない。本当はもっと焦って、怯えるべきなのに。ぬるま湯に浸るように視界が沈む。
今日は巨大なミジンコを通して、この世界の異様さを垣間見た。
訳もわからず寄せ集められた人々と、当然のように怪物と対峙させる此処の人々。
腑に落ちないが、力ずくで飲み込ませられるような理。
不気味なのはわかっている。
「……」
寝返りを打つ。隣で伸びていた海産物に顔を埋めると、ほのかな潮の香りがした。
「みず」
ぽつりと呟いて海産物から顔を離す。
一回りほど縮んでいるような気がして二度見する。恐る恐る抱え上げると、日中よりもいくらか軽くなっていた。
「脱水?」
慌てて水分を探す。ミジンコの襲撃前はあったタライと水差しはどこにも無い。少女は海産物を抱え部屋を出る。
扉を開けると、暗闇が広がっていた。
足がすくむ。廊下の遥か先に燭台が灯っている他は、見える範囲では少女の部屋以外に光源は無いようだ。
生まれ育った島はほとんど街灯が立っておらず、祖父の家も間接照明のような洒落たものは無かった。夜になれば今以上の暗黒が息づいていて、それを怖がりはしたが手探りで歩ける程には慣れていた。
おそらく足がすくんだのは、その一点なのだろう。慣れていないだけだ。何も恐れることはない。
足を踏み出す。
床板が軋む幻聴が脳裏を過った。無論、そんな音は此処では響かなかった。昼間は光を反射するほどに白く磨き抜かれていた床材を踏みしめ、一歩ずつ進んで行く。
宴はまだ終わってはいないはずだ。なのに耳が痛いほどの静寂が満ちている。壁に手をつき廊下を辿る。
誰か人がいるところは、例の広間しか思い当たらない。運良く衛士かに出会えたらそれはそれで。
どこか温もりのある材質の壁を辿る。かくんと手のひらに違和感を覚え、ゆっくりと曲がる。
甘い香りがした。
薫香に惹かれるように廊下の先を注視する。
靄がかかったような薄暗闇の中、突き当たりに扉が浮かび上がる。螺鈿細工の扉には見覚えがあった。何かを焚いているのか煙と香りが漂う中を小走りで抜け、軽く扉を叩いた。
「すみません……」
返答はない。物音もない。這い上がるような違和感に一歩足を引いた。
広間に続く扉のはずだ。あの無表情な神子が鎮座する聖堂に相応しい、豪奢な扉。
そこに至るまでの道は、正しかったか。
暗い廊下の道のりを思い返す。気付かぬうちに一度だけならず何度か曲がってしまったのだろうか。
逡巡し、踵を返す。
ぬるりと海産物が蠕動した。
思わず腕を緩めると、海産物はもったりと床に落ちる。そのまま這って扉に張りついた。
染み込むように、下部の隙間へ海産物は消えていく。
「あっ、ちょっと!」
鰓を捕まえようとするも遅かった。すっかり姿のなくなった海産物を探し、少女は這いつくばる。中の様子がわかるほどの隙間はなかった。
「……すみません!」
その場にいない誰かに向かって謝り、扉を押す。
思いの外軽く、音も立てずに扉は押し開かれた。ちょうど少女が入れるほどの隙間に潜り込み、広間を見渡す。
少なくとも、先程宴会をしていた広間とは違うようだった。造りはほぼ一緒だが、照明は温かな蝋燭ではなくイジンを示すための青い炎だった。
そして広間の最奥には、神子の玉座の代わりに無数の甕がひしめき合っていた。
暗闇に浮かびあがる蓋つきの容れ物を目にして少女はギョッとする。形といい大きさといい故郷で見た骨壷によく似ていたからだ。
息をつく。
途端、鉄の香りがなだれ込んできた。
再び辺りを見渡す。人の気配はない。勿論、自身が怪我をしているわけでもない。濃密な血の臭いが最奥に滞っていた。
入り口の香りは覆い隠すためだったのか。後退り、逃げ出しそうになる。
陶器の擦れるような音がした。
叫び声も出ず、ただ音の方向へ目を向ける。無数の甕の中の一つ、その上で何かがぬらりと光を反射した。
海産物だ。
小言の一つでも言いたくなって、甕に駆け寄る。蓋の上で鎮座する海産物をむにっと掴み、即座に踵を返す。
海産物が伸びた。
驚いて手を離すと、ゴムのように海産物は縮む。蓋に吸い付く海産物に唖然として、もう一度掴み上げる。縦横無尽に伸びつつ外套膜の縁は蓋に貼り付けたままの海産物を見て、少女は焦る。
「ちょっと、早く出るよ……」
蓋がずれる。
あ、と声が漏れると同時に海産物は少女の腕にまとわりつき、バランスを失った蓋は床に転げ落ちた。
静かな広間で、爆音と言って差し支えないほどの音が響く。
その音に身をすくめ、慌てて蓋を拾い上げる。幸い欠けも見当たらない。何事もなかったかのように取り繕おうとして、甕に蓋を戻そうとする。
中を見て、少女は動きを止める。
燭台の炎が揺らぐたび、甕の中身は反射し輝いた。照明のせいで色はよくわからないが、不透明な液体で満たされている。
普通に考えれば、何か飲料や油の類なのだろう。
しかし一層強まった臭いが、嫌な想像ばかりを掻き立てる。
その妄想を振り切るように息をついた途端、ぽこりと泡がたった。
蓋を抱えたまま水面を見つめる。幾つか泡が吹き出ては弾けた後、白い塊が浮き上がった。
それと、目があった。
人間。
誰かの顔。
液体に浮かぶ肉片は少女を見つめ、微かに唇を開く。
声の代わりに甕に満たされたものと同じ液体が口から溢れた。
蓋を被せる。不思議なことに叫び声は出なかった。そうやって妙に落ち着いて考える反面、足はもつれ、這う這うの体で扉に辿り着く。力任せに押し開け、廊下に転がり出た。
眩む。
先程とは比べ物にならない光に照らされ少女は思わず顔を背ける。逆光の中、立ちはだかる影に気付いて目を細めながら視界を順応させた。
再び目があう。
麗しい騎士が、少女を見下ろしていた。




