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出口にて

 巨きな微生物を仰ぎ見ながら、少女は絶句する。プレパラートを投影したような現実感のない光景が、脱力を促す。しかし即座に訪れた地響きが、少女の脳を揺さぶった。


 窓枠から飛び退き、衛士に何事か伝えようとする。


 何あれ。

 ここから離れよう。

 何あれ。


 言葉が渋滞し呂律が回らなくなる。一方の衛士も足が竦んでしまったのか、身動きが出来ずにいるようだった。


「あんな大きなの、相手にしていたの?」


 ひゃい、と衛士は返した。


 相手にできるか。


「逃げ、るよ!」


 上擦った声で衛士の裾を掴む。動転している青年を引いて廊下に出ると、慌ただしく歩いてきた誰かとぶつかった。


 いてっ、と小さく呟いた少年に頭を下げる。


「すみません!」


 ほぼ反射的に出た謝罪の後、少年の姿を改めて見つめる。


 先程騎士に引き取られていった、「同期」の少年だった。衛士のそれとよく似たお仕着せを纏った少年は少女を見るなり眉を顰める。剣呑な空気に少女は口を引き結ぶ。


 無言のまま、少年は少女の肩口にぶつかり廊下の奥へと走り去る。暫し茫然とした後、少女は振り向く。


「ど、どこに」


 既に少年の姿は遠い。幾度目かの地響きに少女は身じろぎ、衛士に尋ねた。


「あの、避難場所とかって」

「イジンサマは前線に」

「む、無理」


 意外に響いた声に情けなさを覚える間も無く、衛士に畳みかける。


「あんな、だって、完全に縮尺おかしいもん」

「確かに魔獣は巨大です。しかしイジンサマの加護なら」

「そもそも、どうやって本体に攻撃するの?」


 天地を突く鰓脚はともかく、ミジンコの身体は遥か上空だ。空に投影されたような半透明の姿に直接ダメージを与える手は、少女には考えられなかった。


 そこも加護なのだろう。


 衛士の返答を予測して少女は口をつぐむ。


 しかし当の衛士は、どこか釈然としない表情でいた。


「本体?」


 溢れた言葉に違和感を覚える。


「あの棘だけじゃなくて、あれ」


 空を指し示す。ただ無為に地を掻き乱す鰓脚の主は、ただ浮いているように見える。あまりにも巨大なため、動いているのか止まっているのかもわからないのだ。


 見えないということはないだろう。


「あれって何ですか」

「あれだよ!ミジンコ……」


 怪訝な顔に気付く。一瞬言葉を呑んで、もう一度彼方を指さした。


「見える?」


 尋ねる。少女の目には確かに、遥か上空を蜃気楼のように漂う微生物が見える。


 しかし衛士は、なおも訝しげな表情で少女を見つめる。その視線が僅か逸れて、少女の指し示す空を映した。


 恐怖の色だけが、双眸に滲む。


「魔獣が近づいています」


 衛士の手が少女の腕を捕らえた。一瞬硬直した少女を引き、衛士は廊下を駆ける。


「本部へ」

「ちょ、ちょっと待って。いや、ここから離れなきゃいけないのはわかるけど」

「ご無礼をお許しください。しかし、今は一刻を争う状況なのです」


 それはわかっている。しかしそれよりも、先程の衛士の反応が気になった。


「見えてないの」


 竦む足をなんとか動かしながら呟く。衛士は何も返してくれなかった。


 再び足元が揺らぐ。何かに蹴躓いて、少女は膝をついた。


「早く立ってください」


 焦りと苛立ちを隠しもせず、衛士はイジンを見下ろす。先の震動の時に見せた怯え方からするに、今のは「幻覚」の震動なのだろう。


「はやく」


 震動。


 今度は「現実」に起きた地響きのようだ。先程まで居た客間の中から、硝子が割れるような音が聞こえる。衛士も動揺し、ようやく立ち上がった少女を急かす。


 ほうぼうの体で二人は神殿を駆ける。どこに連れて行かれるのか。少なくとも、昨日の大広間ではないらしい。


 階段を駆け降りる。人々の怒号と熱気が充満するホールを眼下に、少女はひたすら足を動かす。


 避難所も兼ねているのだろうか。もしかしたらここは外の建物よりも丈夫に出来ているのかもしれない。


「退け!道を開け!」


 野太く衛士は叫ぶ。お仕着せでも貫頭衣でもない、質素な衣服を纏った人々の目が、少女に向いた。


「イジンサマ」


 退け、という言葉とは逆に、人々は少女と衛士に集る。


「イジンサマ」

「どうか」

「我々を」


 お守りください。お救いください。


 口々に助けを求める人々の気迫が恐ろしくて、少女は足元に視線を落とした。


 影が差す。


「イジンサマ」


 聞き覚えのある嗄れ声に顔をあげる。老神官が、大きく開け放たれた戸の前に立っていた。


「こちらへ」


 後一息、とばかりに衛士は少女の手を引き立てる。逆光で目が眩んだ。


「貴女の力をお貸しください」


 祖父に似たしわくちゃの手が、少女の手を取る。


 だから加護はないんだって。


 そう告げようとして、老人の背後の街並みに目を向ける。


 家々の彼方に聳える白亜の門。そのすぐ向こうで、棘が突き立った。


 近付いている。


 呆然と空を見上げる少女に老人は囁く。


「危機に瀕すれば、目醒めることも授かることもあるでしょう」


 どういう意味だ。


 問おうとしても、即座に住民の叫び声に呑まれる。老人の枯れた腕からは想像も出来ない強い力が、少女の手を引く。


 白亜の神殿から投げ出される。


 陰った内部の蠢きを、木の扉が覆い隠した。

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