表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/30

窓辺にて

 扉の向こうで、騒々しい気配が生じる。老人は僅かに頭を下げて廊下を覗く。ドアの隙間から、物々しい様子が伺えた。


「魔獣でしょうか」

「法都からは遠い。安心なさい」


 不安げな女性を宥めるように老人は囁く。そして少女に向き直り、再び予言書を示した。


「この写本は貴女に差し上げます」

「わ、わかりました。ありがとうございます」

「この予言書に記されていることは、我々の理解を超えたものばかりです。貴女方イジンならあるいは」


 幾らかページを捲る。抽象的な表現が目につく。その中に数式のようなものもあって、それは少女の手には負えないだろう。


「なにとぞ……」


 老人は深々と一礼をする。つられて少女も会釈をするのを見届け、老人と女性は部屋を出た。


 かちり、と微かな金属音がして扉は閉まる。鍵を確認しようとして、やめた。もし施錠されていても、どうしようもない。


 相変わらず廊下は騒がしい。


 予言書を布団の上に置いて、傍に腰掛ける。


 いきなりものすごい事を任されてしまった。老人の言葉を反復しつつ横たわる。この街、いや、世界にやって来たイジン全員の使命だとしても、「世界を救う」というのは荷が重すぎる。何を勝手に、という思いも存在しないわけではない。


「なんでかね」


 海産物しか居ないのをいい事に、無責任な呟きをこぼす。


 それでも、他に道は見えていない。


 予言書を開く。いきなり数式だらけのページを引いて、少女は目を細めた。


 少なくとも、受験で出るような計算式ではない。


 胸の上に本を伏せ、目を閉じる。顔の側で布団が沈んだ。海産物が徘徊しているのだろう。薄らと海の匂いがして力を抜く。瞼の裏で光がフラクタルを描き、外界の膜が体に纏わりつく。


 波が押し寄せて来た。


「!」


 ベッドから弾き飛ばされる。


 なんだ、今の。


 床でへたり込んだまま、混乱して辺りを見回す。確かに衝撃を受けた。潮流のような暴風の中のような、為されるがままの力を感じた。だというのに、部屋の調度品は何事も無かったかのようにその場にある。ただ海産物だけが、何かを察知したように微動だにせず沈んでいた。


 ふらつきながら立ち上がる。


 再び世界が波立った。


 おかしい。おかしい。


 何かが近づいてくる。


 周囲をかき回されながら膝をつく。回る白亜の床をただただ眺めていると、首筋に冷たいものが這い上がった。


 視界の隅に海産物が垂れ下がる。平静を取り戻して少女は息を整えた。


 扉が開く。


「イジンサマ」


 見知らぬ衛士が部屋に立ち入る。項垂れる少女を見て目を見開き、その場で立ちすくんだ。


「……魔獣が法都近辺に出現しました」


 駆け寄るでもなく、衛士は告げる。


「法都の南端で被害が出ています。全てのイジンを動員せよと、神託が降りました」

「シンタク?」


 反復する少女の視線の先で、衛士達が廊下を右往左往する。先程の喧騒とはまるで違う、物々しい空気。


 さっきのは地響きか何かだったのか。そう思い至った途端足元が揺れる。今度は幻覚のような波ではない、本当の揺れだった。衛士がふらつきサイドテーブルの水差しが倒れる。


 客間の一辺に走り寄る。薄く削った貝のような材質の窓越しでは、外の様子もわからない。力任せに開け放した。


 眼下に街並みが広がる。これが法都か、などという感慨があるはずもなく、少女は抜けるような青空に立ち昇る煙を見つける。


 家が崩れている。出火もあるようだ。しかし、「元凶」が見当たらない。渦中に目をこらしても逃げ惑う人々と衛士達ばかりだ。


「イジンサマ」


 痺れを切らしたように、背後の衛士が少女を呼ぶ。

 加護も無いまま彼処に行くのか。


 何が出来るのか。


 返事も出来ずに窓枠に手をかける。焦りが体を硬らせた。


 ぬるりと海産物が顔に這い上がる。息が詰まりそうになって、覆い被さる襞を捲り上げた。


 再び世界が揺れる。


 窓の向こうの空がたわんだような気がして、目をこらした。鰯雲が砕けて一方向に青い筋を作る。泳ぐ魚が水面の花弁を割るような動きだった。


 その筋から、「棘」が降りてくる。


 声も出ないうちに、棘は街門の向こうの丘陵を掠めた。土埃を目視して少女は叫ぶ。


「今の!」


 丘陵を指し、衛士に告げる。


「見た?なんか、棘!」


 騒ぎ立てる少女の側で、衛士は尻込みをするように廊下へと出た。


「さ、さあ早く!貴女のお力を」


 遠巻きに告げる衛士。加護があろうが無かろうが、あれを相手に戦えるとは思えない。何か戦略はあるのだろうか。


「加護、とかまだわからないけど、皆さんはあれとどうやって戦ってるんですか?」


 追い払うことは出来ると老人は言っていた。成功した事例はあるのだろう。


 しかし、質問を受けた衛士は浮かない顔で沈黙する。


「イジンの加護を持ってすれば、二日程で消え失せます」

「二日?」


 二日も暴れるのか、あれが。


 そんな問答の間にも、棘は遠くの丘陵を引っ掻く。そのまま、竜巻のように地をなぞり街門へ近づいて来た。その奥から二本目、三本目の棘が降りる。


 棘?


 上空を見上げる。無数の節が連なった棘の先は一つだった。「それ」はゆらりと棘をそよがせ、水を掻くように雲を混ぜる。


 棘ではない。脚だ。


 雲の裂け目から青天が現れる。その空に浮かぶ魔獣の姿を見て、少女は固まる。


 学校の授業で見たことがある。


 もっともその生き物は、決して雲をつき地を割るような大きさでは無かった。


 空の彼方に蜃気楼のように浮かび上がる魔獣は、少女の世界でミジンコと呼ばれている生物によく似ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ