隔離部屋にて
儀式が終わり、人々は広間から引き揚げる。
「後ろ盾」を得た三人と一匹のイジン達もまた、それぞれの引取先へと後見人達と共に向かう。少年は騎士団へ。男性は神殿へ。
ただ一人、少女は後見たる海産物と途方に暮れていた。
「だいじょーぶ?」
兎を小脇に抱えた男が、少女に声をかける。結局、誰も引き取り手がいなかった兎の後見人を買って出たのは同じイジンの男だった。兎の頭を掻きながら、辿々しく男は少女の身を案じる。
「……俺、多分この神殿に世話になるからさ。なんかあったら相談してよ」
「ありがとうございます」
「流石に頼る人がいないってのはさ、しんどいでしょ。俺もあの子もさ、おんなじだから」
そう男は告げる。「あの子」こともう一人のイジンは、二人と一匹を一瞥した後姫騎士と衛士達に連れられ立ち去った。彼の方は、すっかりこの世界に適応しているのだろう。
「イジンサマ」
老人が男の側に音もなく近づく。
「神殿の案内をいたします」
「その前に、さっきこの子の面倒見てくれるとこがあるとか言ってたじゃん。そこにこの子案内したげてよ」
「は、はあ」
苦笑いをする。そんな老人の姿を見て、少女はより一層肩身が狭くなった。
「では、部屋へ」
濁すように神官を呼ぶ。若い神官は頭を下げた後、訝しげに海産物を見つめた。染料塗れの海産物は少女の足元でのたうち回っている。
「こちらの魔獣は、大丈夫ですか」
「す、すみません……水で洗ってあげたら、大丈夫だと思います」
「では、水を用意させましょう」
「ありがとうございます」
海産物を身から離すように持ち抱え、神官に着いていく。昨日、今朝と同じ部屋に戻る。
お待ちください、というような言葉も無いまま神官は立ち去る。整えられた部屋の中で海産物を野放しにするわけにもいかず、少女は立ちほうける。
程なく水盤とタオルを手に神官が戻ってきた。床に水盤を置き、無言で一礼をする。
「ありがとうございます」
少女は礼を告げる。その言葉の半ばに、神官は部屋から出て行った。
海産物を水につける。赤い色素がぱっと水面に広がり、海産物の姿は溶けて消えた。波打つ水面を見つめ、少女は溜息をつく。
これからどうしようか。
「後見人」たる海産物にそんな質問をしても、なにも返してはくれないのだろう。水盤から這い出てきた海産物の水気をタオルで拭う。
無論、第一の目的は家に帰ることだ。しかしどうやってこの世界にやって来たのかもわからない少女には、闇雲に探すしか方法がない。そしてそれは、無謀だ。
まずは「此処」を知ろう。そのためには、彼等に協力するのが得策かもしれない。
法都まで送ってくれた村人の言葉を思い返す。
彼等の力が必要なのだとか。
その力を、何に用いるのだろうか。少女の持ち得ない加護とやらを。
制服の裾を握り込む。協力なんて出来るのだろうか。今の少女に。
誰かが扉を叩く。
海産物を抱え、答えた。
「はい」
「イジンサマ。立ち入ってもよろしいでしょうか」
聞き覚えのある声に、思わず頷いてしまう。
「どうぞ」
静かに入室したのは、昨日から世話になっている女性と年老いた神官だった。互いに会釈をする。
「加護の方は……変わりありませんか」
老いた神官の第一声に口籠る。男性や少年の「念じれば出来る」という言葉の意味は未だわからない。すみません、と謝罪の言葉がつい零れた。
「加護を持たないイジンは貴女が初めてです。これまでも、意思の疎通が出来ないイジンが訪れることはありましたが……」
白い眉が下がる。
「それでも、貴女には役目を果たしてもらわなければなりません」
「へ」
役目。
目を丸くした少女に、女性が本を差し出した。薄い革の表紙を捲る。
驚いたことに、日本語で記されていた。
神官を見つめる。
「先の朔の夜に、神殿に現れた予言書の写本です」
滔々と神官は語りだす。
「この本に、これから『世界』に何が起こるかが記されています。まずはイジンの訪れ」
枯れた指先が少女に代わってページを捲る。確かにそのような一文がちらりと見えた。
「続いて、魔獣の襲来」
捲る。何らかのスケッチ。
「魔獣と言っても、我々の知るモノとは種が違うようです。現在の戦力では追い払うのがやっとなのですから」
捲る。何か見覚えのある図。楕円を挟んで、不可思議な生き物がのたうっている。詰まった文字の先に、脈絡も無く「回遊」という一言が現れた。
「そして最後に、巨大な波が来る」
捲る。白いページ。
「しかし、この予言書には一つ記されていないことがありました」
本を閉じる。ページの合間から押し潰された空気が吹き出した。
「加護についてです。これまでに訪れたイジンは皆、加護を持っている……いずれも、神の御業のごとき力です」
老人と目が合う。縋るような、鈍い光を放つ瞳だった。
「貴女にもきっと、加護がある。どうかその力を、この世界のために」
そうは言われても。
少女は目を逸らす。握り込んだ掌に爪が食い込んでも、「神の御業」は何一つとして生じなかった。




