もう一人のマリア
「ダレダ オマエ!! ダレダ!!」
「あ?」
順調過ぎるほど順当に迷宮の階層を潜り進めていたロルフの危機は、実に思わぬ方向からやってきた。
場所は迷宮7階層。壁から天井まで、昼の空と見紛うような青い光を放つ苔に囲まれた奇妙な階層だった。
広く入り組んだこの迷宮へ入って、早くも2日半の時が過ぎていた。
突如獣のような不明瞭な発音で叫んだのは、いつも通りにロルフが肩に担ぎ上げていた愛美ーーあるいはマリアーーであるはずのものだった。
ロルフが状況を理解しようとする間に、ロルフの胸の辺りに抱え込まれていた少女の脚がガバリと持ち上がり、ロングスカートに包まれた丸い膝が容赦なくロルフの顔面へ打ち付けられた。
「っ、!?」
顔面への衝撃と、布地で視界が塞がる状況に、ロルフはひとまず状況整理に思考を巡らせるのを諦めて、少女を突き飛ばすように地面へ降ろした。
「っあ゛、くそ……」
痛む顔面に手を触れたロルフは、その手のひらにボタボタと鮮血が落ちるのを見て大きく舌打ちをした。
少女の膝とはいえ、膝は膝。それも不意をついて至近距離から容赦なく叩き付けられたとあっては、いかにロルフと言えど受けきれなかった。
しかし神獣との戦闘ですら滅多に傷を負わないロルフにとって、顔面にまともに膝を食らうのも鼻血を出すのも、覚えが無いほど久しぶりの事である。
この女の事は警戒していたつもりだっただけに、不意打ちを食らって鼻血など流した事が、歯噛みするほど不本意だった。
「オマエ!オマエオマエオマエ!マリア サラッタナ!!」
距離を取った女の様子は、明らかに尋常でなかった。
普段のボンヤリと浮世離れした少女然とした様子はなりを潜め、大きく脚を開き地面を踏み締め、前傾姿勢で両手を前に構え、大きく口を開いてギャッギャッと声をたてて威嚇する。
完全に野生動物の動きである。
『内なる目』を開けば、彼女の全身から青い炎が燃え上がるのが見える。
それどころか、その青い炎は少女の身体を包み込むようにして、巨大な獣のような姿で大きな牙を剥き、やはりロルフを威嚇しているようだった。
(こいつが『精霊力』の核か?)
どう見てもまともな人間には見えない様子に、ロルフは念の為いつでも剣を抜ける体勢になりながら思案する。
魔獣なのか精霊なのか知らないが、護衛を頼まれている身で討伐してしまうというわけにもいかない。
(俺が迷宮でコイツ切り捨てて帰ったら、ミツバ泣かすどころの話じゃねーぞ)
今のところ周囲に敵影は無いが、魔獣がいつ湧くとも知れない迷宮の中でゴタゴタしている場合でも無い。
(よし、ミツバ方式でいこう)
あの、ポヤポヤとして他人の警戒心を解くのが上手い男を多少なりとも真似られれば、この魔獣の巣窟でギャンギャン騒いでいる獣を懐柔する事ができるかも知れない。
ロルフは大きく一つ息を吐き、手の甲で鼻血を拭って腰の大剣を地面へ落とした。
右の腰に下げたニ刀も同じく地面へ落とし、ついでに上着を脱いで武器を隠していない事を見せながら両手を広げて見せた。
相手の警戒心を解くためであるが、正直に言えば丸腰でも騒いで威嚇するだけの獣を抑え込めると判断してのことであった。
「俺は、冒険者ロルフ。愛美とマリアの依頼でアンタの護衛中だ」
身分と状況は端的に明瞭に。
これもやはり三葉の真似である。
これは多少なりとも効果があったようだ。
前傾姿勢で毛も逆立たんばかりの様子だった獣が、少し様子を見るように頭の位置を上げた。
しかし、さすがにすぐさまロルフを信用することはできなかったようだ。
「……ウ、ウソダ、オマエ、マリアノ オナカ ギュット シテタ。ヒトサライ ダロ」
してねぇよバカ。
頭を抱えたくなったロルフだった。
「待て、待て。マリアは走るのが速くないだろ。今は急いでたから運んでいただけだ」
できるだけ獣を刺激しないように大きな動きは避け、手のひらを顔の前に出して落ち着かせる。
獣はしばし思案するようにロルフの脚を眺め、わざわざロングスカートをたくし上げてマリアの細い脚を見つめ、たしたしと足踏みして首を傾げながら目を細めた。
威嚇するように広げられていた両手は次第にリスのように胸の前に畳まれてきたが、それでもロルフを信じられないようだった。
「ニンゲン、マリア ハコブ トキ、リョウテデ ダッコ、スル。オナカ ギュット スルヤツ、ワルイヤツ」
こいつに中途半端な自衛知識与えたやつ、出てこい。
誰だか知らない教育担当に恨み言を吐きつつ、適当な運び方をしていた自分を少し責めたロルフだった。
「良いか、ここは魔獣が出る場所ーー迷宮って分かるか?迷宮の中なんだ。俺は武器を使う為にマリアを片手で運ばなきゃいけなかった。だからマリアを担いでたんだ。」
ロルフの言葉を一応真剣にふんふんと聞いていた獣は、しかし途中で片目を眇めて少し口を開けた。
明らかに理解できていない様子だった。
「カツ、……イ、デ……?」
そこピンポイントで理解できないのやめろ、この獣。
「〜〜っ、だから、お前が『オナカ ギュット スル』とか言ってるヤツだよ!俺はマリアを肩に乗せて運んでたんだ。それを『担ぐ』って言うんだよ!」
やめろ、俺にこんなムズムズする単語を言わせるんじゃねぇ。
つうか、そんな言い方したら俺がマリアを抱き締めてたみたいになるだろ、なんだその言い回し。いいかげんにしろ。
羞恥とも怒りともつかない感情で、無駄に顔面に熱が上がるロルフである。
なんだか、普段はかかないような嫌な汗まで額に滲む気がする。
しかし、そんな馬鹿みたいな会話をしている場合でもない。
先ほどからロルフの首筋に危機察知がビリビリと奔っていた。
「くそっ、良いか、お前ーー名前はなんだか知らないが!俺はマリアの味方だ!『味方』!分かるな!?」
念押しをして、ロルフは地面に落としたままだった大剣を拾い上げてそのまま背後へ姿勢を反転する。
ロルフの動きを見た獣は一瞬警戒するように肩をいからせたが、ロルフの構える向きに釣られて視線をやり、その先に居る巨大なーー天井まで届きそうな黒い塊に気付くや否や、声も出さずに固まった。
獣の位置はロルフの右斜め後ろだったが、ロルフが持ち前の広い視野と気配察知能力によって状況を確認するに、ちんまりと小さくなって息を殺しているらしかった。
(俺相手には散々威嚇しといて、デカい相手には役立たずかよ)
別に獣の参戦を期待していたわけではないが、見た目が巨大なだけの魔獣相手には必死に気配を消して小さくなるくせに、自分相手には威嚇して勝てると思われている事が釈然としないロルフである。
(まあ、後ろから攻撃される確率下がっただけ儲けもんだな)
ため息一つ、大剣を鞘から抜く。
ーーヒュイィイイイイッーー
青く発光したそれが歓喜の声を上げるのを、小さくなった獣は目を真ん丸にして見ていたようだった。
ズン、ドズン、と地面を震わせながら歩み寄る巨大なだけで鈍重な魔獣は、丸く太った青黒い蜥蜴のような見た目をしている。
近付けばその体表が粘液でぬめぬめと光っているのが見てとれるだろう。
名を『丸呑み龍』。
いつだか図鑑を見たミツバは「爪のある大きな大山椒魚みたいですね」と言っていたが、ロルフには大山椒魚の方がなんだか分からなかった。
「『俊歩』、『身体強化』」
ロルフの両脚と腕に赤い魔力が弾ける。
巨大な魔獣の口が意に介さず獲物を丸呑みしようとガパリと開いた。
赤くぬらぬらとした粘膜と太い舌。
その手前でロルフの身体が掻き消える。
バクン。
一歩遅れて『丸呑み龍』の口が閉じたが、そこに獲物は居なかった。
「『重力上昇』」
バチンッ。
のろまな龍の上に赤と青の混じり合った雷が落ちた。
ドッ。
雷に貫かれた龍の頭が滑り落ち。
……ッドォオ……ッ……ォン……
遅れて迷宮を揺らすような衝撃が鳴り響いた。
地面を砕いた雷は、愛刀を肩に担いでまた獣の目の前まで戻ってくる。
ガシャアァン……
途中で支えを失った『丸呑み龍』の巨体がくずおれ、迷宮の壁を破壊した。
その音がまた、迷宮の空洞内へ、ォオン……ォオン……と哀悼の声のように響き渡る。
「さてと、……まあ、なんだ。どこまで話したか」
巨大な龍を一刀のもとに切り伏せた大刀を、無造作に地面へ突き立て。
柄に両手を乗せてロルフは首を傾げる。
「俺がマリアの味方だってことは、ひとまず理解できたか?」
首を傾げた獅子に視線を送られて。
「……っ、……っ、」
身体が半分になるほど身を縮こまらせた獣は、涙目でコクコクと頷いた。
最強の冒険者がわけの分からない状況にてんやわんやするのがとても好きです。(作者が)
あと、慣れないながら三葉さんを見習ってみるロルフさんも、とてもツボです。(作者の)
でも力押しの方が話が早かったようです。残念。
もう一人のマリアちゃんは愛すべき獣なので、これからもロルフをてんやわんやさせてほしい。




