かわいい奥さん
「ご機嫌よう」
用意を済ませた三葉の借家に現れたのは、メイドを引き連れて綺麗に身支度をしたマリアだった。
今日のドレスは爽やかな水色で、髪を押さえるボンネットも水色に白のレースが涼やかだった。
「こんにちは、マリアさん。お話は伝わってますか?」
「あなたが、あの男から私達を引き離してくれたということは分かりましたわ」
「そうですか」
「でも私、あなたの事も特別に好いてはおりませんから」
「そうですね、それで良いと思います」
微笑んで返す三葉に、マリアは少し呆気に取られたようにぽかんとした。
「……マナの話では、あなたは私達……いえ、マナを花嫁として貰うつもりでいると聞きましたが」
「もしもあなた達が望むなら、そうしましょう」
「……私の意見も関係があるの?」
「勿論です。あなた方の意見が決まるまで、僕はあなたに指一本触れない事をお約束しますよ」
「……本当に?」
「ええ」
マリアがわずかに息を吐くのを見て、三葉は彼女がどれほど緊張していたのかに気がついた。
それから三葉は、メイド達に向かって言った。
「ここへ残る方は一人だけにしてください。そして、その沢山の荷物は……そうですね、最も地味な服を寝巻きを含めて3着だけ置いて、残りはお持ち帰りください」
メイド達はざわついたが、三葉は引かなかった。
「ここはアダヴェ家の別荘ではなく、僕の家です。僕のお金では身の回りの世話をするメイドは雇えないし、メイドが居なくては着られない服は当然着られません。見張りの役目として一人だけ残ってください」
それを聞いたマリアは、あら、と声を上げた。
「それなら、私はこのドレスを脱がなくてはならないわね」
「そうですか?それならばお部屋にご案内しますよ。これからは一人で着脱ぎできる服をお召しになった方が良いでしょう。何着かは、僭越ながらご用意させて頂きましたよ」
マリアはくすくすと笑う。
「いやだ、私一人で服など着たことが無いわ」
「すぐに慣れますよ。難しくない服を選びましたから」
言いながら、彼女の部屋として誂えた二階の部屋へと案内する。
部屋には小さなクローゼットとベッドがあるが、物はそれだけだった。
「それでは、僕はここで失礼。服はクローゼットに入っています」
三葉はあっさりと礼をしてその場を辞した。
代わりのようにこの場に残るらしい一人のメイドを部屋へ促す。
服を着るのに人の手は要らないが、ドレスを脱ぐのには人の手が要るからである。
三葉は玄関先で残される荷物を受け取った。
最も地味なものを選んだと言っても豪奢なドレスとネグリジェだった。
ネグリジェはともかくドレスを着る機会など無さそうだが、ひとまず居間の椅子にかけておく。
彼女が着替え終わったら部屋に仕舞おう。
メイド達は渋々ながら去って、最後に一人従卒が残った。
彼はマリアの着ていた青いドレスを受け取って帰ると言う。
「……ここだけの話ですが」
彼は、帰ったメイド達や部屋に入ったメイドやマリアに声が届かない事を確認してから三葉にこっそりと耳打ちをした。
「マリア様のあのように楽しそうなお顔は、久しぶりに見ました。それにあなたは、彼女の部屋に一歩も入らなかった。それだけで、僕はあなたを信頼しております」
「そう言って頂けて嬉しいです」
三葉はふわりと微笑んだ。
彼のような良い従者が居るのならば、アダヴェ家も悪いものでもないだろうと思った。
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ほどなくして、自室からマリアが顔を出した。
「どうかしら。上手に着られていまして?」
マリアは三葉の前まで来ると、くるりと一回転して見せた。
切り返しのついたチェックのワンピースがふわりと広がる。
髪型も恐らく服に合わせて結い直したのだろう。ハーフアップに紺のリボンをつけていた。
三葉は女性の服については詳しくないのでロルフに相談したところ、アロメッテという名の女性を紹介された。『アロメッテの針細工』という服屋をやっているらしい。
そこで安いなりにキチンとした服を一揃え見繕って貰い、今に至る。(マリアの服のサイズは何故かロルフが完璧に把握していた)
三葉は服飾など詳しくないが、それが丁寧に作られた物だということは分かる。
「よくお似合いですよ」
目を細めて答えると、マリアは子供のように胸を張ってにかり笑った。
そして、すぐに「あっ、」という顔をして自分の口を押さえた。
「ここでは、作法など気にしなくても良いんですよ?」
恐らく上流階級の作法では歯を見せて笑うのはみっともないなどと言われるのだろうと思った三葉だが、それは当たったようだった。
「あら……。こんなこと、初めてだわ」
嬉しそうに改めて笑うマリアの笑顔は太陽のように明るかった。
それから少し、家の中を案内して回った。
お腹が減ったら自分で食事を作り小まめに自分で部屋の掃除をすると聞いたマリアは再度驚いたように目を瞠った。
「どうしましょう、私、お掃除やお料理なんてした事が無いわ」
「簡単な物なら僕も教えられます。夜ご飯は、外へ食べに出かけましょう」
そうしてその日、三葉とマリアは一緒に卵を焼いた。
メイドが代わりにやりたそうだったが、この家にいる間は可能な限り自分でやって欲しいと伝えるとマリアは楽しそうに頷いた。
ガス台は無く竈門に火を入れて焼くので、少しの料理でも汗だくになってしまった。
「こんなに汗をかくなんて思わなかったわ」
「あはは、僕もです」
「あら、貴方は慣れているのかと思っていたわ」
「事情があって、遠いところに住んでいたんです。それで最近まで宿に泊まっていたので、このような台所を使った事がありませんでした」
「あなたも本当は庶民の生活を知らないのね?」
「そうかも知れません」
煤のついた顔を擦って三葉は笑った。
そうして2人で少し焦げた目玉焼きと薄く切ったハムを焼いたパンに乗せて食べた。
メイドにも一つ渡すと恐縮していたが、少し離れたところで口にしてくれていた。
「物凄く美味しいと言うほどではないけれど、悪くはないわね」
「それは良かった」
「それに、庶民がドレスを着ない理由も分かったわ。こんなにすぐに汚れていたら……待って、まさか洗濯も自分でするのかしら?」
「そうですね」
「やる事が多過ぎて、休む暇も無いわね」
「いえいえ、お昼寝くらいならいくらでも」
そう言うと、マリアは「でも、こんな格好ではベッドに入れないわ」と自分の服を見下ろすので、居間に置いてある小さな2人がけソファを勧めた。
マリアは狭い小さいと笑いながら、クッションを枕にして眠りについた。
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昼寝から目覚めたマリアは、もう愛美だった。
小さなソファから身体を起こし、周囲を見回す。
「なあに?私煙突の中を通ってきたの?」
「台所でハムエッグトーストを作ったんだよ」
「……タッくん?」
「はい?」
「本当にタッくん?」
「偽物ということがありますか?」
念を押されて首を傾げると、愛美は口元を押さえてくすくす笑った。
「そういう言い方するところは、やっぱりタッくんだよね」
でも時々丁寧語になるのはなんでなの?と、少しばかり不満げだ。
丁寧語は職場で培った習慣なので、彼女といた頃は確かにあまり使っていなかった。
それから愛美はもう一度自分の手元を確認して、あーあと首を傾げてため息をつく。
「今日は、タッくんに会ったらすぐに交代してもらおうと思ってたのに、なかなか代わってくれなくて困っちゃった」
それを聞いて、三葉は思うところがあった。
「マリアは人格の交代に主導権を取れないと言っていたけれど、愛美も自由になるわけではないんだね」
愛美は口元に人差し指を当てて、んー、と唇を尖らせながら少し考えたようだった。
「私が交代しようと思う時は大体交代できると思う。それ以外に勝手に交代しちゃう時もあって、今回みたいに交代したいのにマリアが代わってくれないのは殆ど無かったんだけど、でも、マリアが凄く楽しかったりすると交代できないみたい」
他にも、表に出ていない時にも外の様子が分からない時と分かる時があるらしい。
それはマリアの開示したい気持ちに比例しているのではないかと愛美は思っていた。
「でも、私が表に出てる時はマリアは何も見えてないみたい。だから、私が心の中で詳しく説明してあげないと、彼女は何も分からないの」
「心の中で説明もできるんですか?」
「うん、暗い部屋の中に座ってお話をするの」
「……暗い部屋なんですね」
表に出ていない時は暗い部屋に座っているという事なのだろうか。
だとしたら、愛美の意思次第ですぐに暗がりへ引き込まれてしまうのはどんな気分だろうか。
「あっ、なんか悪い想像してるでしょ」
「違うんですか?」
「うーんとね、暗いって言っても、朝の電気を付けないでカーテンを閉めたくらいの暗さの場所よ。どっちかと言うと安心するの。……私が来たばかりの頃は、マリアはむしろ暗い部屋の中にいたくて、私が表に出てばかりだったわ」
三葉は知れず血の気が下がる思いがした。
多重人格という病状がある。それは強いストレスに晒された者が自身の精神を守るために新たな人格を生み出すというものだ。
マリアと愛美の状態はそれに近いと薄々感じていたが、主人格よりも支配力の強い副人格ときて、安心するような暗がりに閉じ籠もりたがる主人格となると、あまりに符号が多い。
「……多分、マリアは外の世界がすごく怖かったのね。その気持ちが私と引き合ってしまったのか……、……あのね、もしかしたらだけど、マリアは一度死んでしまっているのかも知れないと、思うことがあるの」
「……死んでしまった?」
「初めて私が彼女に出会った時……つまり、この子に入った時だけど、……ひどく頭とお腹が痛かったの。……誰かに強く打たれたみたいに……」
三葉は覚えず固唾を飲んだ。
「理由は知らないわ。マリアも話そうとしないし、それどころか覚えてないって言うし……でも、あの時……マリアは死んでしまったか、もう死んでしまいたいって思ったのだと思うの。……きっとそれで、私が彼女の代わりに身体に入ったんだわ」
けれど頭と腹の痛みをどうにかしようと愛美が祈ると、それで身体の痛みがひいたのだという。
「今思えば、回復の力を無意識に使ったのよね、きっと。……知ってる?私、回復の力がとても強くて、以前首都を襲った『魔獣暴走』の折には『聖女』なんて呼ばれて沢山の人の傷を癒したのよ」
そして傷の回復と共に心の内側にマリアが息を吹き返すのを感じたという。
今一歩のところで死なずに済んだのか、あるいは死んでもなお回復の力で生き返ってしまったのかは分からないという。
「なんだか、マリアの方が私の作ってしまった人格だったらどうしようって思うこともあるわ」
「……そう」
その答えは三葉は持ち得なかった。
けれどマリアも愛美も、確かに1人の人間であるように三葉には感じられた。
「だから、というのもおかしいけど、マリアが私に代わりたくないくらい楽しいと思ってくれて、嬉しいの」
「そうだね。少しの間だけど、君たち2人が楽しんでくれたら嬉しいかな」
そう言うと、マリアは「あっ」と声をあげた。
「そうだわ!三ヶ月ってどういうこと!?私はタッくんがお嫁さんに貰ってくれると思ってたのに!」
「今更貰わなくても、君は僕の奥さんなんだけど」
「そっ、……えっ、そんな事言ったってダメなんだから!」
「だって、一緒に過ごしてみてやっぱり世話をしてくれてお化粧品やドレスも買いたいだけ買える生活が良いって言われたら、その時戻れる場所があった方が良いじゃないか」
「……なにそれ。男らしく『俺のものになれ』くらい言ってよ」
「……そこはやっぱり、向こう見ずな若者を止めるのも年長者の仕事なんだよねぇ……」
「む、向こう見ずな若者って私のこと!?」
「そりゃあ……」
三葉は、困ったように笑ってため息をついた。
「例えば、今日も煤だらけになったから食事の前にお風呂に入って貰うけど、お風呂場に石鹸以外のものは無いよ。シャンプーもリンスも無い。香油も無いし」
「ええっ、嘘よ、あったもん……」
「向こうの家にはあっただろうね。でも、シャンプーやリンスがいくらするか知ってる?」
「知らない……」
「金貨20枚。……日本だったら、20万とか30万相当の価値だよ。ちなみに僕の月々のお給料は金貨40枚。これでも冒険者を除けば頑張ってる部類に入るはずなんだけど、消耗品に金貨20枚はとても出せないよ」
「……」
「向こうの世界だったら当たり前にあったものが高額な嗜好品になってることなんか、沢山ある。……さっきだって料理をしたけど、ガス台なんか無いから薪を燃やすんだよ。この世界にも火の魔道具はあるけど、それこそ金貨50枚とか100枚とかかかるからとても買えない。……こんな男のところに嫁いできて、幸せになれるって言うなら来てもらうけどさ」
「……幸せになれるもん」
「うん。……三ヶ月経ってもそう言ってくれるなら、僕もちゃんと手を考えておくよ」
ぷくりと膨らんだ愛美が勢いよく立ち上がる。
「私お風呂入ってくる!」
それを三葉は慌てて止める。
「待って、お風呂は水を汲んできて薪で沸かさなきゃ使えないんだよ」
衝撃にわなわなと震えている愛美を手招く。
「ほら、手伝って、僕の奥さん」
「こんな時だけ奥さん扱いするのズルい!」
「ズルくないよ。君が奥さんになれるかどうか試しに住んでるんじゃないか。……僕も一緒にやるから」
「……むぐぅう……」
それで2人で井戸から汲んだ水を風呂桶へ入れ、三葉が外の窯で薪を焚いた。
「お湯加減は?」
「大変結構です!」
尋ねると何かに憤っているような返事があった。
少しして、わぁんという泣き声と共に念じるような叫びが聞こえた。
「住めば都!住めば都なんだから!!」
三葉のかわいい奥さんは、なかなか我慢強そうである。
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お風呂やガス台が無いの、思ったより大変そうですね……。
魔道具は当然ロルフが買ってあげようとしましたが三葉さんが断りました。
愛美さんをあえて苦労させたいのではなく、他人のお金で分不相応な生活をしたくないという考えのようです。




