【sideロルフ】精霊の愛し子
酔っ払い泣き疲れた男を毛皮で包み直し、ロルフは隣でカップを傾けた。
サリオという木の実は殻が硬く簡単には壊れないのだが、割って中身を搾ると白く甘くまったりとした飲み物になる。
それに穀物から作った酒を混ぜて飲むと身体がよく温まるので、寝る前などに愛飲する者は多い。
隣で身動ぐ気配に視線をやると、ミツバが赤くなった目元を手で擦るのが見えた。
酷く腫れないように、冷やしてやる方が良いだろう。
それにしても、地面に人間が埋まっているのを見つけた時は流石のロルフも驚いた。
普通、人間は地面に埋まっていないものだ。
ロルフ自身はあの時、特に狩りをするつもりも無かったので、気配を隠さずあえて音を立てて移動していた。
そうすると大抵の生き物はロルフの気配と物音に逃げ出して行くからだ。
だが、それでも周囲の気配は探りながら移動していた筈なのだが、ミツバの存在は踏みつけるまで気付かなかった。
普通の生物ならば溢れてくる気配が無く、森と同化したように溶け込んでいた。
(あれ、もうほとんど溶けかけてたんじゃねぇか?)
森から離れた今、ミツバは憔悴しているが人間らしい気配がわずかながらある。
そう思うと土に埋まっていたあの状況は、森に取り込まれる直前だったのではないかと推察される。
(あんまり言ったらビビらせるから、黙ってよう)
一般人は自分が森に消化される一歩手前だったなどという事実は普通知りたくないだろう。
ましてや目の前の男はいかにもひ弱そうに見える。
しかし水浴びする彼の顔色を見た時は、森で見つけた時に輪をかけて焦った。
血の気が引いて唇まで青くなっているのにまるで自覚なく、不思議そうに首など傾げているので強引に暖を取らせたが、サリオに多めに酒を垂らしたのが良かったのか毛皮とロルフ自身で包んでいたのが良かったのか、小さな焚き火の元でも顔色に朱が戻った事が分かる。
(案外、心の澱を吐き出してしまったのも良かったのかも知れないな)
『精霊の愛し子』というものについて知識はあった。
彼を見てすぐに彼が『愛し子』だということにも気付いた。
けれど、『精霊の愛し子』というものが抱える孤独について、彼がロルフの肩を掴み慟哭するまで、恥ずかしながら本当の意味では考えが及んでいなかった。
精霊というものは巨大なエネルギーの塊で、一般的には意思は無いと考えられている。
しかし精霊に親しむ者は、そこに意思があると思わずにいられない現象が多々ある事を知っている。
その最たるものが『精霊の愛し子』の存在と言って良いだろう。
どこからどのように探し出すのか、まるで母が自分の赤ん坊を抱き寄せるように、精霊が人や動物を引き寄せてしまう事がある。
その『愛し子』の殆どは見たことも聞いたことも無い場所から突然『精霊の棲家』へ落ちてくる。
そして引き寄せられた彼等には、精霊の強いエネルギーが降り注ぐ。母が我が子を求め抱き締めるように。
しかし意思の有無はともかく、精霊に人間と同じ善悪感や常識を求められるわけがない。
巨大なエネルギーに晒された『愛し子』は簡単に壊れてしまう。少なくとも肉体や精神は。
恐らく彼等にとって重要なのは魂なのではないかというのが、精霊に親しむ者の見解だ。
彼等は『愛し子』を確かに愛しているのだが、その生死や精神の安寧については無頓着なのだ。
それはずぶ濡れな上で土と葉に埋められていたミツバを見ても良く分かる。
普通の人間はあんな状態で放置されては、森に吸収されずとも長くは生きられまい。
偶然にもロルフが彼を発見できたのは幸いだった。
愛馬ウーヴェに持たせた荷物の中から素材を取り出し、小川の水に浸す。
クシャクシャに乾いて縮んでいたそれが充分に水を含んだのを確認してから眠るミツバの目元へそれを乗せる。
「ゔっ……」
寝入っているところに濡れた感触が不快だったのか、一瞬低く唸って唇をムッと折り曲げたミツバは、しかし軽く背中を叩いているうちにまた眠りの淵へ落ちていったようだった。
本人は自分をおじさんだと言うし具体的に年齢を聞くと47歳だと言うし、聞いた限りでは娘がいてその娘も既に結婚もしていると言うのだからやはり本当に47歳なのだろうが、見た目はともかく言動を見ていると、本当に歳上なのかと疑いたくなる。
そもそも森で土に埋まったまま焦るでもなくホケっとしているのもどうかと思ったが、ここまで来る間もその後も、なんだかふわふわとした様子で危なっかしい。
(……いや、まだ現実感が無いのか)
もしも自分が見ず知らずの地へ突然落ちてしまったらどうするだろう、とロルフは考えてみたが、それこそ実感を持って想像するのは難しかった。
「…………」
しかし、気がついたら地面に埋められていた、などということがあったら、やはり自分もしばらく放心するかも知れない。
そういう意味では、彼の状況は実に同情し得る。
「まあ、俺が見ていてやれば良いか」
仕方ない、といった様子で呟くロルフだが、目を細める様子はまんざらでも無さそうだった。
説明回的なもの
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