愛というものの形
「あなた、意地悪だわ」
言われて目を瞬く三葉の前で、マリアは小さな口をむすりと尖らせた。
「申し訳ない。……僕としても、彼女が確かに彼女である確証が欲しくてつい失礼な真似をしました。」
「失礼よ、本当に」
小さな口を小さいながらもへの字に曲げたマリアはそれを隠すように扇子で顔まわりをぱたぱたと仰ぎ、その間もチラチラとガルドルフに視線を泳がせる。
「ガルドルフとは、以前から交遊がおありだったと聞きましたが」
最初こそ本題に関わらない話題を出すべきではないと思っていた三葉だったが、彼女の機嫌が直らないことには話が先に進まないと察して致し方なく話題を振った。
なにより、始終思わせぶりに視線をやられて話題に乗せないほど冷徹ではいられない三葉であった。
尋ねられたマリアの顔がぱぁっと明るくなる。
「ええ、そうなの!かつてアルテマの首都を『魔獣暴走』が襲った時だって共に戦ったのよ!」
ねっ、と同意を求められたガルドルフが微妙な顔で渋々と頷くのを見ると、どうも彼女の情報には承服しがたい点があるようである。
聞いた中で齟齬のある可能性のある言葉は『共に戦った』くらいしか無いのだが。
その後もしばらく『魔獣暴走』時のガルドルフがいかに勇壮であったかを語られ、三葉がせっせと相槌を打ち、それに同意を求められたガルドルフが面と向かって否定するわけにもいかず肯くということが繰り返された。
三葉は気付く。これは、知り合いというよりもファンとアイドルですね、多分。
長いガルドルフ談議があまりにも終わらないので困っていると、横からメイドがマリアにお茶を出してくれた。
そのお茶とケーキを口にしたマリアは、ふぅとひと息ついて微笑んだ。
「思ったよりは話の分かる方で安心したわ」
なかなか失礼な言い回しだが、気にせず「いえいえ」と笑って流す三葉である。
この時間でガルドルフがやや疲労したような気もする。
椅子へ腰掛けてふありと欠伸をしたマリアは、背もたれにもたれて首を傾げた。
「本当はね、『マナ』は私の思うようになど扱えないの。力を借りているに過ぎないのよ。……ああ、……今も……」
言葉の途中で人形のようにかくんとマリアの頭が落ちる。
突然項垂れた彼女の様子に驚きつつもじっと様子を伺っていると、またふっと微睡から覚めるように顔を持ち上げた。
その視線が、初めて見るように目の前の3人をサッと見て自分の状況を確認するのを三葉は見た。
「ごめんなさい、今、私なんの話を……、……」
軽く咳払いをしたマリアが、三葉の顔を見て固まった。
大きなエメラルドグリーンの目が溢れそうなほど見開かれる。
しかし、直ぐに慌てたように口元に手をやって咳払いを1つ。ドレスを軽く直して澄ました顔で座り直す。
そのちょっとした仕草の一つ一つが先程のマリアとは少し違い、三葉には見覚えがあった。
思わず笑ってしまいそうになる口元を押さえる。
「……愛美?」
今度こそハッキリと目を瞠った少女であった。
「……まさか、……本当にタッくん……?」
驚きに口元を両手で押さえる仕草さえ、以前のままだった。
「嘘ぉ、また会えるなんて、私……」
大きなエメラルドグリーンの目から大粒の涙が溢れる。
咄嗟にその場から動けなかった三葉達の代わりに、メイドがハンカチを彼女に渡してくれた。
彼女は泣き止むまでの間何度も「ごめんね」と繰り返していた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「……ごめんね」
散々泣いて泣き止んだ後にも、ぐずりと鼻を鳴らしながら彼女は言った。
「ずっと神様に、タッくんに合わせてくださいってお願いしてたの。……でも、本当に会えるなら結婚なんかしなかったのに……」
三葉はその時になってようやく彼女の謝罪の意味を理解した。
「それは……仕方ないですよ。長い間一人でつらかったでしょう」
この世界での女性の結婚適齢期は14〜16歳だと聞く。ただでさえ見知らぬ世界の見知らぬ女性になって生活しなければならないのだ。その状況で結婚を断り続けてなんの後ろ盾も無く一人で生きていく事は難しい。
「違うのよ、違うの……」
しかし愛美は大きく首を振ってまたもや涙を溢した。
「……少しだけ2人でお話したい」
愛美が、ちらりとロルフとガルドルフ、メイドへと順に視線を向ける。
しかし三葉はそれに頷けなかった。
「僕と2人きりになって、君がこんなオジサンとの不貞を疑われたら可哀想だよ」
寂しげに笑う三葉に、愛美の頬がぷくりと膨らむ。
「オジサンなんて思ってないもん……!」
「オジサンだと思ってないなら、余計にダメだよ」
「お話したいだけなのに!」
「疑われるっていうのは、事実が無くても起こり得ることだよ」
「タッくんの馬鹿ぁ……!」
またもや、わぁんと泣き出されて、三葉は眉を下げて頬を掻いた。
本当に変わらない。いや、やはり亡くなった時よりも少し子供に戻っているだろうか。
彼女の精神もやはりマリア同様18歳程度で止まってしまっているのだろうか。
「もう、本当に結婚しなければ良かったぁ〜!」
めそめそと泣きながら嫁いだ家の真ん中でそんな事を叫んでしまう彼女に頭痛を覚えつつ、まあまあと嗜める。
「君だけでなく、マリアさんの意思もあるでしょう?」
「マリアは元々あの人のこと好きじゃないもの」
「それじゃあ、エルダイルさんを好きになったのは愛美の方だったんだ」
少し意外な思いで尋ねると、涙目でジロリと睨まれる。
「……パーティの日、私凄く酔っ払ってたの……それで、あの人タッくんにちょっと似てる気がして、部屋に行っちゃって……」
「えっ、ああぁ……」
なんだか嫌な予感がした。
「だけど、お付き合いの申し込みも無くいきなりあんな事して、しかも避妊もされないなんて思わなかったんだもん……!!」
「ああぁ……、」
嫌な予感が的中した。彼女が三葉と2人きりで話したいと言ったのはこの内容の為だったのか。
どう考えても関係無い男性と嫁ぎ先のメイドに聞かれて良い内容ではない。
しかし三葉がすげなく断ってしまったために自棄になって暴露してしまったようである。
「それで子供ができたら結婚するか1人で育てるか選べって言われて……1人でなんて無理だもん……」
三葉はこの世界のお付き合い事情に詳しくないし、避妊や中絶に関する知識も結婚に関する常識も無い。
それでこの件には全く判断がつかなかったが、すぐ後ろのガルドルフが呆れたように額を押さえた。
その目が「あいつ、そんな事してやがったのか」とでも言いたげに空を睨んでいたので、恐らくその感覚が一般的なのだろう。
ちらりと見たメイドは顔色一つ変えなかった。
既に事情を知っているのか、彼女の言葉がいつもの事なのか。
「ねぇ、今からでも離婚したら、タッくん、マナのことお嫁に貰ってくれる?」
彼女が甘える時特有の一人称が出て、三葉は思わず笑ってしまった。
「愛美がそうして欲しいならお嫁にもらうけど、今みたいに素敵なドレスも着られないし化粧品も買えるか分からないけど、それでも良いの?」
「……それでもいい」
三葉は返答に迷わなかった。彼女が望みさえするのなら、それを拒否する選択肢は三葉には無かった。
一瞬ぐっと躊躇したらしい愛美は、それでもぎゅっとドレスを握りしめて答えた。
その切羽詰まったような表情に、三葉はまずいなと思う。
彼女が言う相談は冗談じみているけれど、恐らく本気の申し出なのだ。
そんな申し出をしたくなるほど、彼女は追い詰められてしまっている。
「……僕だけでは決められないな。エルダイルさんにも相談してみようか」
「なんであの人が出てくるのよ」
「離婚するにしてもしないにしても、彼の了承は不可欠でしょう?」
「離婚するもの」
「そうだねぇ」
ぷくりと膨れる愛美を置いて立ち上がろうとして、三葉はふと思い出してもう一度ロケットを出して彼女に見せた。
「そうだ愛美、これに見覚えはある?」
「あっ、これ、私がこっちに来る時持ってた物だ!」
結界に包まれたロケットを、愛美は飛びつくようにして手に取る。
すると彼女の手に触れた途端卵型の結界がバリンと音を立てて割れた。
咄嗟に『精霊の眼』を開いた三葉は、そのロケットから立ち昇る『精霊力』の奔流とそれ以上の力を全身から溢れさせている愛美の姿を見た。
「ああ、嬉しい……」
どっと吹き込むような力の奔流に当てられて、三葉は眩む目を腕で覆った。
「おい、『眼』を閉じろ。引っ張られるぞ」
背後から低い声がかかって、三葉は急いで『眼』を閉じる。
同時に三葉と愛美の間を隔てるように、ステンドグラスのような透明な結界が音もなく現れた。
三葉の後ろから腕を伸ばしたロルフが張ったものであるらしかった。
途端に立ち消えた青い光のあった場所で、ロケットを両手に持った愛美が三葉とロルフを見比べ、不思議そうに首を傾げていた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
その後部屋を辞した三葉は、メイドに取り次いでもらってエルダイルに面会した。
そして話した内容は、彼女の精神状態が追い詰められており、それによって力が暴走していること。また、追い詰められたことによって本人が離婚をしたいとまで思っていること。三ヶ月程度現在の生活を離れて庶民として暮らすことで改善が見込めること。その生活の場として三葉の家で面倒を見ることを伝えた。
勿論、不貞や不倫などを疑われないようにこちらの家から使用人を数人監視として付けてもらって構わないと伝える。
治療行為と称して既婚者と同棲するなど常識外れも良いところである。当主の了解は得られないと思って次はどうするべきかと頭を悩ませていたが、エルダイルは思いの外すんなりとこれを了承した。
三葉が彼女の恋愛対象となるなど思えなかったのか、あるいはそのような手であっても縋りたいほどマリアの『病状』が悪いのか。
「しかし、彼女を預かるったって、どうするつもりだ?……まさかお前らの住んでる宿で一緒にってわけにもいかんだろ」
「そうなんですよね……。……部屋を借りるのと、宿をもうひと部屋借りるのと、どっちが良いと思います?」
ガルドルフの言葉に首を捻って答えると、横からため息が聞こえた。
「俺が家買ってやるから、そこに住めよ」
ロルフの言葉に三葉は笑う。
「それじゃあ、僕は毎月の家賃を君に払うことにします」
「別に良い」
「そうはいきませんよ」
そんな形で、三葉は家を借りることとなった。
*****
余談になるが、この国での貴族の恋愛や婚姻の作法についてガルドルフとロルフに尋ねたところ、2人とも心底嫌な話をするという顔で眉を顰めて舌を打ち鳴らし悪態をつくという、三葉が見たことも無い反応をされた。
曰く、舞踏会や祝賀会というのはそれだけで婚姻相手を探す意味合いがある場であり、男性に割り当てられている休憩室というのは、そもそも女性を連れ込む前提として設けられている場所なのだそうだ。
そこに女性が単身訪れるというのは、それだけで『あなたの物になりに来ました』という意味になってしまい、男性にその気があればすぐさま婚姻成立となっておかしくないとのこと。
場合によっては既婚者ですら舞踏会の間は好みの相手の休憩室へ足を運ぶ事があるそうで、未婚であればなおのこと、その気が無いとは思われないとのことである。
「えっ……、じゃあ、エルダイルさんの休憩室に行って襲われたという愛美の証言は……」
「まあ、少なくともエルダイルの方はマリアが自分を選んで部屋に来たと信じたんだろうな」
頭を抱える三葉にガルドルフが呆れたように大きくため息をつく。
「それにしたって、相手の様子を見りゃあ、相手が嫌がってるかどうかくらい分かりそうなもんだろ」
「困った事にな……、世の中には敢えてそういう演技を楽しむ貴族が多いんだよ」
これについてはロルフもあまり詳しくなかったらしく、ガルドルフの言葉に心底理解できないという顔で首を傾げた。
「……。お前らにはちょっと難しいかも知れんが、わざと嫌がるフリをして乱暴に襲われたがるご婦人も居るって話だ」
目を見合わせてしまった三葉とロルフであった。
「ロルフも知らなかったんですね」
「休憩室の意味やら、アイツらが既婚者でも平気で遊び回ってる事やらは知ってたが、その嗜好までは知ろうと思った事も無かったからな」
なるほど、既婚者でも平気で遊び回っているのか。
それは刺激を求めてよからぬ遊びをすることが常習化していても不思議ではない。
「まあ、貴族というのは血筋や家の繋がりが重視されるからな。婚姻は家に得になり釣り合いの取れる家柄から選び、恋愛はよそでするというのが奴等にとっては一般的だ」
三葉の常識では爛れた話に思えるが、所変われば品変わるというわけで。貴族にとっては常識はずれの行動ではないのだろう。
「……あれ、そのわりにはガルドルフさん、この話聞いた時すごく嫌そうな顔してませんでした?」
「そりゃあ、お前……。知識として理解してんのと、自分の弟が部屋に迷い込んだ10代の娘を手籠にして孕ませた話聞かされるのとはワケが違うだろ……」
それはそうだ。
ただでさえガルドルフとロルフは貴族よりも冒険者の感覚に慣れ親しんでいる。
三葉とロルフは黙って頷いた。
ブックマーク・評価・応援・感想ありがとうございます。
大変励みになります。
話の展開が不穏ですがどうかお付き合いください。
大事な齟齬の部分を説明し損ねていたのでここに入れました。




