第一村人()との遭遇
「あ?なんだこれ?」
「ぅ、あっ……、しゃべった……?」
それが、熊だと思われた生物と地面に埋まったおじさんの、初めての会話だった。
なお、土に埋まった何かが喋る方が、藪を掻き分けてきた何かが喋るより珍しいという事には、三葉は気付かなかった。
声をかけられてようやく、三葉は大きな影が獣ではなく人だったという事に気付いた。
気付いたが、その熊と見まごう大きな人に胸の辺りを踏みつけられていて、掠れた声でうめく事しかできなかったが。
一方、相手の方も、土と葉に埋もれて潰れかけているグニャグニャしたものが人間だという事に遅れ馳せながら気付いたようだった。
ハッとして足を引き、三葉のすぐ横へ膝をつくと大きな手で土や葉をバサッと払う。
「あんた、どうしたんだ?なんでこんなところで埋まってる」
「……ああ、どうしてなんでしょう、僕もちょっとよく分からないですね……」
相手の言葉は当然だったが、三葉の返答も真剣だった。
真剣に、ちょっとよく分からなかった。
相手――熊と見紛うような体格の良い男性は、顔にかすかにかかる前髪を掻き上げながら三葉と地面の土を見比べ、少し首を傾げたものの、引き続き軽く頷いて三葉を掘り起こす作業に取り掛かってくれた。
とても抜け出せないと思っていたのに、大きな手でショベルカーのようにバサリと掘り起こされ、そのまま両脇をガシリと掴まれて地面から引っこ抜かれた。
三葉は人生で初めて、畑の大根の気分を味わうこととなった。
ぶらりと脚が宙を浮く大根の気分は、案外悪く無かった。
「うわぁ……、力持ちですね……」
多少痩せ気味とはいえ一応は標準体型の成人男性であると自負している三葉は、目を白黒させながら思わず感嘆したが、地面に降ろされた後で呆れたような男に大きな手でバシリと背中を叩かれた。
ジンジンと全身が痺れるような衝撃だった。
「何言ってんだ、こんなチビでヒョロヒョロで。あんたなんか5人でもまとめて持ち上げられるぞ」
「ええっ、そんな馬鹿な」
「持ち上げられねぇと思う方が馬鹿だろ」
「ええっ……」
最初は冗談で言っているのかと思ったが、鼻を鳴らして腕を組む相手の様子に、どうやら本当に持ち上げる自信があるらしいことが分かった。
「あっ、ご挨拶が遅れました。僕、……私、ミツバ・タカノリと申します。この度は、ありがとうございました」
背中は叩かれたものの悪意のある触れ方ではなかったし、ひとまず助けてくれた相手に丁寧に接せねばと思ったミツバは真っ直ぐ立って日本人式お辞儀でペコリと礼をした。
土に埋まったまま素で話しておいて、今さら丁寧も礼もあったものではないと思わぬでもなかったが、そこは社会人の性質というものである。
男はキョトンと目を見開いて、2度3度、ぱちぱちと瞬きをした。
身体の大きな男は近くへ立つと三葉より頭ひとつ分以上大きく肩幅も広く威圧感があったが、不思議そうな表情は人懐っこい大型犬のようで親しみが持てた。
そうして、彼は不思議そうな顔のまま顎の辺りに手を当てて、腐葉土の香り漂う三葉を上から下までためつすがめつたっぷりと眺めて、また首を傾げて、そして最後に「ふーん?」と声を上げた。
「あの、なにか?」
「いや、……そうだな、あんた、ここで何してたんだ?」
「なに……ううん、なんでしょう。遭難、ですかね……」
「遭難」
オウム返しに繰り返される理由は分かる。
普通は遭難したからと言って土には埋もれないし、遭難したかどうか不安そうに答えている時点で三葉は不審者である。
しかし、他に言いようが無いのも事実である。
「恥ずかしながら、どうしてこんな所にいるのかも、ここが何処かも分からなくて……」
「ふぅん」
言いながら、三葉も男の姿を落ち着いて確認する事にした。
頭髪が明るい金髪で、日差しを浴びてキラキラしているのは、ひとまず置いておこうと思った。
こちらを眺める瞳が明らかに日本人離れした濃い蜂蜜色である事も、ひとまず置いておきたい。
そんな人も日本国内で出会うかも知れないという気持ちを、三葉はまだ捨てたくなかった。
しかし、服装を確認する段になって、男が麻布らしきシャツで身を包み、なめし皮の胸当て、腕甲を付け、右の腰には巨大な鉈のような剣を提げているのを見て、内心で唸り声を上げてしまった。
この鉈か何か分からない物は、日本であれば確実に銃刀法違反に問われるようなシロモノである。更に腰の反対側にも刃渡り30㎝ほどのナイフが2本。全て簡素な皮の鞘に収められている。
服装を取っても所持品を取っても、この場所が日本国内である確率は低そうである。
三葉が向こうを観察するように、男もこちらを観察している筈だった。
深い蜂蜜色の瞳には、白髪混じりでヨレヨレのグレースーツで水浸しの上土塗れになった痩せぎす眼鏡のおじさんは、どのように映っているのだろうか。
不安になるものの男が何も言わないので、こちらを見つめる眼をじっと見返してしまう。
先ほどは熊かと思ったなどと言ったが、彼は顔が熊づらというわけではなかった。
きちんと髭をあたった日焼けした顔は精悍で、整髪料か何かで後ろへざっくり流された細く明るい金髪は、風に揺れて光を反射してキラキラと光る。
そしてそれに濃厚な蜂蜜のような琥珀色に光る瞳が合わさると、熊というよりは獅子のような印象である。
それも、若く力に溢れた、男盛りの獅子である。
(きっと彼は、怖いものなど何も無いんだろうなぁ……)
見ず知らずの、地面に埋まっている怪しいおじさんを、躊躇なく掘り起こしてくれたことからもそれが分かる。
「とりあえずあんた、この森からは出た方が良いだろうな」
「……へ?」
対面する相手の若さとエネルギーの眩しさに目を細めていた三葉は、かけられた言葉に思わずキョトンとしてしまった。
不審人物だと思って眺められていたにしては、不思議な言葉だと思った。
「なんだ?出たくねぇ理由でもあんのか?」
「えっ、いえいえ、出たいです、出たいです。もしかして助けてくださるんですか」
胡乱げに片眉を上げられて慌てて首を横へ振り、続けて縦に何度もうなずくと、呆れたような顔で苦笑された。
「まあ、ここまできて置いて行ったら寝覚めが悪いだろ」
明らかに歳下の青年なのに、まるで向こうの方が歳上のような頼り甲斐である。
「ちょっと待っててくれ。俺はこの湖に用があってな」
「あ、はい」
言われて、つい先程まで池だと思っていた水辺を改めて見る。
綺麗に澄んだ水がずっと遠くまで広がり、向こう岸は見えない。
向こう岸は見えないのだ。
(これ、泳ぐ方向間違えてたら、湖の真ん中で溺れ死んでいた可能性ありますね……)
今更ながらにぞわりと寒気が走って、両腕で身体を抱くようにしながら水辺から少し離れた場所へ座った三葉だった。
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第一村人()ことロルフイメージ
明るい金髪・琥珀色の瞳
身長198㎝・体重97kg