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万事尽くして天命に賭ける

 赤く太いツタを枕にして眠っていた三葉は、ゆっくりと目を開けた。

普段は夢などあまり見ない方なのだが、珍しく見た夢を覚えていた。


「……ミャルガさん……」


 以前宿の食堂で出会って以来、三葉に懐いてくれている黒猫の獣人ミャルガ。彼が三葉の夢に出てきて、三葉を一生懸命慰めてくれた。

そのふわふわとした毛並みの感触と温もりを、目を覚ました今でも鮮明に思い出すことができる。


(あれは本当に、夢だったのかな……)


起き上がろうとして、目頭から伝った水滴が顎先からぽつりと手の甲に落ちた。


(夢を見て泣いてしまうなんて、いつ以来だろう)


思わず苦笑してしまう。

もう、ずっと昔に大人になったと言うのに、ここ最近は子供のように揺さぶられてばかりだ。


(新鮮なことが多過ぎるのかな……)


手探りで、寝る前に外した眼鏡を探す。

いつも枕元に置くようにしているから、今もそこにあるはずだった。


 何度かツタらしきものを触ったが、すぐに眼鏡を見つけることができた。

眼鏡をかけて周囲を見回した三葉は、予想外の光景にギョッと目を瞠った。


辺りを覆っていたはずの赤いツタが、大きな爪に切り裂かれるようにしてボロボロに崩れていたのである。


「ーーっ、」


 あの分厚いツタの壁を引き裂くなど、どのような巨大な獣であれば可能なのだろうか。

三葉は慌てて周囲を見渡した。

今まさに横にその獣が居るかもしれないと警戒しての事だったが、その視界には切り裂かれたツタ以外のものは写らなかった。


「……っ、逃げ、なくては……」


三葉がハッとしたのは、周囲の赤いツタがうごりとのたうったからだった。


反射的に周囲のツタを自分を守るもの、爪痕を外敵と認識していた三葉だったが、この植物が三葉の味方である保証など無い。

むしろ、どんな理由であれ、こんな場所に閉じ込められ続けるのは御免だった。


 痛む腰を押さえながら裂け目の大きな場所から外を覗く。

そして、勇む心が口の開いた風船のようにしゅるる、と萎んでいくのを感じた。


「……た、高い……」


 そこは最初にその場を見た時の三葉の印象通り、確かに木の幹に空いたうろであった。

その上、母体の木がひどく巨大でうろの位置も高い。およそ高層ビルの5階相当の窓から地面を望むような高さだろうか。


しかも、上から見下ろす形となった森全体が、どこもかしこも真っ赤に染まり、まるで地獄の様相である。


否、色については周囲のツタと運れてくる果実の色で気付いても良かっただろうに、と三葉は思い直して首を振った。

運ばれてくる果物は、どれも真っ赤だったのだから。


 諦めと覚悟に大きく息を吐いた三葉は両手で木の枝を確かめ、まだ震えの残る足を叱咤しったしてそちらへ移動する。


「……ははは、僕も子供の頃は、『木登り上手のタっくん』なんて呼ばれたものでしたけど……」


自身を元気付けるためにそんな事を呟く。

覚えているのは、ごく幼い頃の田舎遊びであった。


学生になり仕事をするようになって、木登りのような全身運動はすっかりやらなくなってしまった。

この悪魔のような森で、幼少期の経験がどれほど活きるものだろうか。


太い木の枝へ移動して、足元の悪さに靴を脱ぐ。


 三葉は少し悩んでから、靴の中に靴下を押し込んだ。

靴紐を長く出して腰のベルト通しへ結ぶ。

以前鞄を捨ててしまって後悔したというのもあったし、もし無事に木から降りられれば今度は靴が必要になるのは間違いなかったからだ。


「……よ、っと」


足元の枝を両手で掴み、斜め下にある枝へ足を伸ばす。

どうにか下の枝へ降り、周囲を見回してまた少しずつ降りる。


 あの赤いツタがまた三葉を追ってくるのではないかと心配したが、何故かこちらを追うどころか動く気配も無い。 


「……動けないほどのダメージという事なのでしょうか……」


そうとなると、あの巨大な植物にそれほどの攻撃を仕掛けた何かが近くにいるということになるわけで、余計に額に汗が滲む。


「音とか、しないですよね……」


近くに危険な生き物が居るのに気付かずにうろついていた、などという状況は避けたい。

もしその生き物を見つけたとして、ミツバ程度の身体能力でそれから逃げかれるかということについては、全くの未知数である。

逃げられる事を祈る他できることはない。


 モタモタと枝を伝って降りて、いよいよ降りる足場が無いところへ出てしまってどうにも頭を掻く。

この高さでは、直接地面へ飛び降りるならば骨の一、二本は覚悟しなければならないだろう。

なので当然、降りるとしてもどこか近くの枝ということになるわけだが、そのどれもが遠過ぎる。


「……可能性があるとしたら……真下の枝、ですかね……」


今乗っている枝に座って足をぷらぷらさせながら真下を見る。


「ええと、距離は2mってところですかね……僕が55kgで……重力が地球と同じだとして、55×2×9.8=……1000kg重ちょっとですかね……」


 つまり、三葉の身体は下の枝にぶつかった瞬間、1000kgの(おも)しを持ち上げるか、1000kgにのしかかられる程度の負荷をかけられることになる。


「1t……トラックにゆっくり()かれるくらいってことじゃないですか……?」


まともに落ちたら死んでしまうことが分かった。

足から飛び降りて衝撃を殺すのも論外だ。

少しでも滑ったら地獄を見る。

何がどう地獄かは想像したくも無い。


「ううん、クッションにできそうなもの……ううん……」


なんと言っても手持ちの荷物が殆ど無い。

散々頭を抱え首を捻った三葉は、ズボンから革のベルトを外した。


金具に通して輪にした部分を右手首にかけ、反対側は二重にして左手首に巻き付け両手でベルトを握る。


「はぁあ……『南無三なむさん』って、こういう気分なんですね」


淡い勝算を手に死地へおもむかなければならない男の気持ちを深く理解してしまい、祈りの言葉と共に大きく身震いする。

最善を尽くしてもまだ死が近い時、奇跡を祈る以外にできる事など無いのだ。


 飛び移る先の枝に余計なとげなどが無い事を確認し、距離をはかって真上に落ちる。


 最初に枝にぶつかったのは、両腕の間に張った革ベルトだった。

もちろん、そうなるように落ちた。


「うぐっ、」


ベルトと腕の力で受け止めきれなかった衝撃が、胸と脇に枝の形をしてぶつかってきた。

その衝撃が傷めた腰にビシリとはしるのをたしかに感じて、声にならぬ悲鳴を上げる。


 衝撃のあまりそのまま滑り落ちそうになるところを、咄嗟とっさにベルトを離した左手と枝を挟んだ脇とで止め、どうにか大きく息を吐き出した。


「……、……い、いき、てる……」


 どうにか体が枝の上で止まった事で、どっと汗が吹き出た。

脇と両手で枝を抱えながら、その下にある枝を爪先で探す。


「……よい、しょっ……、……はぁ……」


枝を見つけてそこへ体重を預けられるようになって、三葉はようやく安堵の息をついた。


衝撃で腹も胸も腰も脇も痛いし、両腕は擦りむけている。

しかし、ともかくどこかが折れる事もなく下の枝へ移れた。上出来だろう。


 そこから先は、同じ要領の繰り返しだった。

三葉は右手首にはベルトの輪を通したまま、届く範囲は手足を伸ばして降りて行き、少し遠い場所へはベルトで衝撃を殺して飛び移る。

木の大きさに比例して枝が大きいからこそ出来ることだったが、ともかくその方法は上手くいった。


ベルトで擦れた手首は傷だらけで、手のひらも腕も擦りむけていたが、動き方には次第に慣れてきた。


ただ、腰の痛みが次第に悪化してきたのは計算外だった。

飛び降りるたびに次に奔る腰の衝撃を予想して身体が竦む。

しかし、それでも、今の場所から離れなければという一心で休み休みに枝を降りた。


けれど、一番下の枝まで降りて、それでもまだ地面まで数mの距離があった時、三葉は絶望感にため息をつくしか無かった。


体力も限界で、降りた後がどうなるかも分からないというのも、三葉の足を鈍らせた。


「……ここで一夜を明かすというのも、1つの手段ではありますかね……」


 幸いにして、巨木の一番下の枝というだけあり、根本は三葉が座って幹にもたれても安定感があるほどのスペースがある。

しかし、上の植物がいつ動き出すか分からず、それが怖い。


ここまで降りてきた苦労が、ツタによってひょいと抱え上げられて全て無に帰すという可能性もあるわけである。

もしそうなれば、再度逃亡する体力はもはや三葉には残されていない。


「でも、他の獣がいるなら、夜は木の上などにいた方が安全度が上がる……いや、それは植物が動かない場合に限った話ですよね……」


起きてからここまでかなりの時間がかかったとはいえ、日没はまだ遠い。

今からまる一晩動かないというのは時間の無駄という気がした。


念のため、もう一度枝の上から周囲を見回す。

近くに大きな獣の気配は無い。


「仕方ない、行きましょう。ここは長居してはいけない気がしますし……」


 痛む全身と竦む心を叱咤して、靴下と靴を履いた。

次に右手の革ベルトを確認する。

右手からベルトが外れない事を確認して、幹の方へ向き、右手を枝の左側から下へ。

ベルトを枝の左側から上へ通して、左手に巻く。


「やることは、さっきと変わらないはず……」


 自分を励ましながら、ベルトを持ちながらも枝を両腕で抱えるようにして下へぶら下がる。

それでもようやく地面まで2mと少し。

足で幹を踏みながら、腕を離して手で体を支え、少し幹を踏む位置を下がって今度はベルトだけで枝にぶら下がる。


左手をベルトから離し、幹を更に踏んで降りながら最後は地面に飛び降りる。

足に集中し、地面に触れた瞬間に意識して膝を曲げる。


命の危機に瀕しているからだろう。

それらはひどくゆっくりと感じられた。


「っう、」


どたりと尻餅をつくような姿勢で地面へ倒れたが、大きな怪我は無かった。

もっとも、腰はあまり無事ではなかったが。

それでも少なくとも折れてはいない。


しかし、ホッとしたのも束の間、突如茂みがガサリと揺れた。


「うわっ!!」


飛び出してきたのは、真っ赤な蛇だった。


幸運だったのは、三葉がまだ右手に革ベルトを握ったままだったことと、左を下にして倒れていたことだろう。


大きく口を開いた蛇の胴体に、振り払うように闇雲に振った革ベルトが音を立てて当たった。

肉を打つ感覚にぞわりと鳥肌が立つ。


 蛇はまだ生きていたが、獲物だと思っていた者からの手痛い反撃が(こた)えたのだろう。

少しだけ狼狽(うろた)えるような動きをして、また茂みの向こうへと去っていった。


「っは、……は、……助か、った……?」


土の上にへたり込んだまま、がくがくと震える三葉である。


 蛇の大きさはアオダイショウ程度だったし、頭も大きくはなかった。

地球の基準で言えば、締め殺される心配も無く、毒もあったとしてもさほど強くないと判断できる。

しかし、今三葉がいるこの世界ではどうだろうか。


 ある蛇は電気を出して獲物を気絶させ、ある蛇は幻覚を見せて獲物を巣に持ち帰るというのを、三葉はこの世界の図鑑で読んでいた。


 あの赤い蛇は、どうだったのだろうか。

それは今の三葉には分からない。

ただ、ひいてくれた事を幸運に思うだけである。


「無害な蛇だった場合、僕の方がご馳走を逃した可能性もあるのかなぁ……」


 昨日果物を詰め込んだだけの胃袋がくうと音を立てて主張した事で、幸運が不運に反転してしまう現金な三葉である。


しかし、よくよく考えれば、向こうから襲ってきた時点で蛇から見て三葉は「倒せる相手」と認識されたということになる。

やっぱり退いてくれて良かったのだ、と空腹を訴える胃袋をなだめながら思い直した。


「ううん、ベルトはこのままが良いかな……」


 先程のような蛇を狩ろうなどという明確な意思があるわけではないが、丸腰で歩くよりは安全だろうと今の状況で思わされた。


「獣を避けて、何か食べ物を探さなくては」


藪を直接掻き分けるのが怖くて、左手に枝を拾って茂みを倒すようにして進む。


「あちらで、水の音がする気がする……」


全身の痛みにフラつきながら、それでも三葉は歩くことを選んだ。

ブックマーク・評価・応援ありがとうございます。

ここより前を少し校正しサブタイトルを変えたりしましたが、内容の変更についてはほぼありません。

今後もよろしくお願いします

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