reach
「お願いします! その御御手に触れさせて下さい!!」
「え? だめ」
「即答無慈悲也ッ」
一瞬だけ! 一瞬だけでいいから! と追撃を試みる私に、彼女は、「毎朝毎朝飽きないねぇ」と呆れたような、やや素っ気ない調子で言いながら欠伸を噛み殺した。
今行われた一連のやり取りは、私と彼女にとって朝の挨拶のようなものだった。同じ高校に通う私たちは、毎朝同じ電車に乗って通学をしている。所謂「手フェチ」である私は、彼女の白くて細い指とラインの整った手首、丁寧に手入れされた爪、時折浮き出る骨の筋、等々──挙げればキリがないが、彼女の美しい手に強く惹かれ、こうして毎日触れさせてくれと懇願しているのであった。
「……っていうか、何、『御御手』って。御御御付けみたいに言われても」
「どちらかというと御御足のイメージだったんだけどね?」
「あぁ、そう……」
心底どうでも良さそうな彼女の返事。アンニュイに長髪を耳に掛ける仕草に、危うく心臓を持って行かれそうになる。彼女の黒髪にその白い手はとてもよく映えるのだ。
「ふぅ……死ぬかと思った。不意打ちやめてよね!」
「えっ何の話……あと言うなら『御手』だと思うんだ」
「わざわざどうも!!」
先程手フェチの私は彼女の手に惹かれたと言ったが、彼女の手以外──要するに顔やスタイルだが、それらも大層美しい。やや血の気のないというか、血の通いを感じさせない、抜けるように白い肌。烏の濡れ羽よりも黒い、手入れの行き届いた長髪。制服の短いスカートから惜しげも無く晒される脚は、モデルもかくやという程にすらりと長い。どこか醒め切ったような目線すら、彼女の薄幸そうで端正な顔立ちには似合いだった。
そして、朝のこの眠たげな表情を、学校中で私だけが知っているのだ。
こんなの、性別の如何に関わらず──……いや、止めておこう。私はただ彼女の手が好きなだけの、一介の彼女の友人に過ぎない。彼女と毎朝こんなことを続けるために、今はそういうことにしておきたいのだ。
「それにしても、手なんかの何が良いのさ。君と登校するようになって随分経つけど、私には未だに微塵も理解できないよ」
「微塵も理解できないのはこっちだよぅ。そんな素晴らしい御手をお持ちなのにどうして分からないかなぁ!」
「飲み込みが早いのは良いことだと思う」
……お褒めに預かり光栄至極である。
正直なところ、彼女がこうして素っ気ない対応をし、手を触らせて欲しいという頼みも断られるのが分かっているからこそ懇願し続けているという節も無くはない。もし彼女が気まぐれを起こして「良いよ、触っても」などと言い出そうものなら、私はきっと、畏れ多さで自らその許しを断ってしまう。世の中の美しすぎるものは、触れられないくらいが丁度良い。それに、私のことをどう思っているのか今ひとつ読めない彼女のその手に触れてしまえば──彼女との関係は、崩れてしまうのではないか。そんな恐怖は、いつも心のどこかにあった。
「それにしても」
彼女は言った。
「出会った時から思ってたけど、君、変態だよね」
「うぇ!? て、手フェチは変態じゃないよっ」
「手フェチが変態かどうかはともかく、毎朝懲りずに手を触らせてくれって頼んでくるような人間は間違いなく変態だよ」
「ダレダロウネ、ソレ」
目を逸らし鳴らない口笛を吹く。彼女が半眼で睨んでくるが、彼女の美しい顔でなら寧ろ本望である。
「君の携帯の画像フォルダとか、手の画像で溢れてそうだなぁ」
「やだなぁ、偏見だよ…………って、ちょっ!?」
気付いた時には手遅れだった。
あまりにもナチュラルな動作で奪われたものだから、つい反応が遅れてしまったのだ。先程まで私の手の中にあったスマートフォンは、今や彼女の綺麗な御手の中に収まっている。何ということだろう、私のスマートフォンには可及的速やかにその場所を代わって欲し…………ではなく、そうだ、そのスマホの画像フォルダには、大量の、彼女の手の盗撮写真が──!
「か、返してっ」
無意識のうちに、私は彼女の手からスマホの奪還を試みていた。盗撮写真のことがバレるのを恐れるあまり、咄嗟に手が出てしまったのだ。
──当然のことながら、私の手は、彼女の手に触れてしまったのであった。
「あっ……そ、その、ごめんっ、本当にごめんっ」
動揺してつっかえながら、謝罪を口にする。彼女との曖昧な関係の均衡が崩れることが何より怖い。毎朝こうして他愛のないやり取りができるだけで私は幸せだから、それ以上は何も望まないから、だから、どうか、壊れないで。
彼女に──嫌われたくない。
「…………」
対する彼女は、未だ彼女の手の中のスマートフォンに触れたままの私の手を、じっと見つめて黙っていた。その整った顔からは、何の表情も読み取れない。
「…………君は、図々しいようで臆病だよね」
「──え?」
一瞬だった。彼女が私の手を取って、私の指の間に彼女の細くて白い指が絡んで──
──ぎゅっ、と。
彼女が、私の手を握った。
そこから先のことはよく覚えていない。あまりの出来事に、急激に顔に血が上る感覚と、彼女の細い指の感触と微かな体温、視界の端で揺れた彼女の黒髪、そして幻聴かもしれない──というか十中八九幻聴だと私は思っている──が、彼女の「……可愛い」という呟き。
それだけが、明確に記憶に刻まれていた。
──きっと、明日の朝も、変わらぬやり取りと共に他愛のない時間が過ぎる。
タイトル雑なのゆるして