Telephon Line 〜記憶1〜
勇次の店を出て部屋に戻る頃、久方ぶりの雨模様になった。
俺は雨音を聞きながらベッドに潜り込む。
酔いが回っているせいか割と早く眠りが訪れて、頭の中でゆっくりと
意識が渦を巻いていく感覚がする。
その渦にまどろみながら、俺はハルのことを思い出していた。
*******
俺より五つ年上で社会人。
「で、名前は?」
『・・・言わなきゃダメ?』
「って、じゃぁ俺はアナタのことなんて呼べばいいのさ」
電話の向こう側でかなり困惑しているのが伺える。ま、顔も知らない奴に
教えるのは躊躇するわなそりゃ。
「俺はちゃんと名乗ったでしょ。名前はイズミ。十八、現役高校生って」
当時、俺のフルネームは[伊住啓介]でイズミ。嘘はついていない。
『・・・・・』
「分かった。本当の名前じゃなくてもいいよ。呼び名とかでもさ」
『・・・・・・・・ハル』
囁くような声でハルはそう名乗った。俺は密かにガッツポーズを決める。
それは何度目かの電話のやりとり。
単純な間違い電話から始まった声だけの出会い。
夜遊びを繰り返す俺にキョウコが「連絡ぐらいしろ」とばかりに誕生日に
かこつけて持たされた携帯電話。
社会人の何%かがやっと携帯しているような時代だったから、十八のガキンチョが
持ってること自体かなり珍しかった。
もっぱらトモダチとの連絡用に使用されていた俺の携帯の待ち受け画面にある日、
覚えのない番号が表示される。俺はかなり訝しげに通話ボタンを押した。
着信相手は少し酔ったオンナの声・・・
『タカヤ?』
「誰それ」
『えっ・・・・』
「俺タカヤじゃないよ」
『ごめんなさい。間違えちゃったみたい』
プツッ。 ツーツーツー
「誰?」
隣にいた勇次が画面を覗き込む。
「知らね。間違い電話」
俺はそう言うとポケットに携帯をしまい込む。と同時にまた着信。
さっきと同じ番号だ・・・・
「違うよ」
唐突に俺はそう告げる。俺の声で同じところにかかったと気付いた彼女は
ちょっとあせったように
『・・・・ごめんなさい』
「ねぇ、何番に掛けようとしてんの?」
『47××−1100』
「・・・・・?あってるよ」
『え、でも』
「誰だっけ? タ、タ・・・」
『タカヤ』
「そのタカヤってのは知らない。番号は俺のだけどね」
間違いなく俺の携帯番号だった。そんなこともあるんだと思った。
『・・・・・・そう』
彼女はかなり落ち込んだ声でそう呟いた。いつから持ってるのかと聞かれ、
俺は半年前と答えた。逆に最後に掛けた時期を聞くと彼女はそのタカヤって奴に
電話しなくなってから一年は経過していると言った。
「じゃぁ、何で今更 電話してんの」
『・・・何でだろ? 声が聞きたくなったのかも』
ちょっと寂しげな声に聞こえた。
思えばその声が始まりなのかもしれない。
『ともかく・・ホントごめんなさい』
そういうと彼女は電話を切った。俺は通話の途切れた後で繰り返されるあの虚しい
電子音を聞きながら何故だか残念に思っていた。
翌日になっても、ふと気付くと携帯を見つめていた。着信履歴をひらくと一番最初
の画面に昨日最後の着信―彼女の携帯番号が表示された。
夕方過ぎを待って、俺は面白半分、期待半分でその着信にリダイヤルを試みた。
五コールの後、受信。
「ども。昨日の間違い電話先です」
なんて言いながら、話始める。彼女はびっくりしながらも電話に応じた。
しばらく取り留めのない話をして俺は彼女に聞いた。
「ねぇ、また電話していい?」
『・・・・・・何で?』
「・・・何でだろ。声が聞きたくなったのかも」
電話の向こう側で彼女の笑い声が聞こえた。高くて澄んだ笑い声。そしてひと言
『キミって面白い』
そうやって彼女―ハルとの電話が始まった。
最初はどうでもいい日常の出来事や愚痴。固有名詞を名乗った後は多少突っ込んだ話とか。
とにかく、取りとめもない話をどちらからともなく電話しては話した。
別に逢いたいとか思わなかった。
俺の日常にいる人じゃないから。所詮、声だけのトモダチ。
現実感なんか湧くわけがない。
そう思っていた。
あの日、ハルが電話をくれるまでは・・・