入口
「行ってきまーす」
俺は母が何か言いかけているのを無視してドアを開けた。
コンマ一秒の間に何かいつもとは違う違和感を感じた。
次いで浮遊感が俺の中に疑問を産んだ。
そしてその疑問は尻に強烈な衝撃が走ると言う現象から回答が得られた。
落ちたのだ。
「……っ」
肺の中の空気が下からの衝撃で押し上げられ、体外に吐き出される。
しばらくするとそれは収まった。
しかし骨を打ってしまったらしい、鈍い痛みを腰の辺りに感じる。
痛みゆえしばらくは動けない。
動けない間は突然の事態にかなり混乱しながらも周囲を観察した。
辺りは薄暗く、恐らくそこから落ちてきたのであろう天井以外の光源はどこにも見当たらなかった。
しかもその光源はかなり高いところにある、ざっと30メートルというところか。
何故死んでいない俺。
「…………、成る程」
その回答はすぐに出た。
土がかなり柔らかいのだ、これがクッションの役割を果たしてくれたらしい、それゆえに腰を痛めただけで済んだようだ。
不幸中の幸い、と言うやつだろう。
「て言うか、スゲー深いんだけど何だここ」
自信の行動を振り替える。
今日は休日、部活をしに学校へ行こうと扉を開けた瞬間にこの穴に落ちた。
と言うことは扉を開けたらすぐそこに穴が開いていてそのまま落下したと言うことか?
「―――あ」
親父が5分くらい前に出ていったんだが……姿は見当たらない。
なら親父が出ていってから俺が出るまでの5分の間に穴が開いたのか?
いや。
玄関の床が崩落して穴が開いたなら残骸が残っているのが必定。
しかしそれらしき残骸は見当たらない。
ならば誰かが開けていったのだろうか。
しかし何故そのような行動に出たのかが分からない。
そもそも自宅の玄関はコンクリート製。
穴を開けるとしてもかなりのこの深さだかなりの時間がかかる。
仮に重機を持ち込んで穴を開けたのだとしてもかなりの騒音が聞こえるはずだ。
だが何の音もしなかった。
……pppppppp――
「おっ、と。
そうだ携帯があったんだった」
コール音が鳴り、ようやく携帯の事を思い出す。
穴に落ちたことがが衝撃的すぎて携帯を持っているのを忘れていた。
出てみると部活の先輩だった。
練習時間が過ぎているのに部活に来ないから顧問がキレてる、と言うものだった。
しかし練習時間まで1時間半ほどあったはず、しかも学校までは15分ほどで到着する。
何故早く行くかと言うといつも30分ほど早く準備を整えて素振りをして体を暖めるのが日課だからだ。
……しかし穴に落ちてから30分も経っていないと思ったが時計を見ると練習開始から既に15分ほど過ぎている。
混乱していたせいだろうか、時間がたつのが早い気がする。
「すみません。
用事ができてしまって今日はいけません」
顧問に代わってもらい適当に作った言い訳をして休むと言う旨を伝えた。
そして、今度は警察に電話を掛けようとする。
が、電源が切れてしまった。
いやいや、おかしいだろう。
充電はしっかりしていた、残りは90パーセント上あったはずだ。
3分程度通話した程度で充電が切れるなんてあり得ない。
ゾクリ、と何か冷たいものが背中を掠めていく。
何かおかしい、いや、おかしすぎる。
そもそもこの辺りの地盤は固く洞窟などできるような所ではない。
しかも、下手をすれば死んでいた高さから落ちたわりには俺の心は平静になりすぎている。
「……っ」
電池の切れた携帯の画面を見ながらそう考えているとおかしなことに気が付く。
辺りが明るくなってきているのだ。
緑色の淡い光り、それはクリスタルのような結晶から発せられていた。
しかもその結晶は俺の下半身くらいの大きさをしている。
大きすぎる、しかも発光するクリスタルなんて聞いたことがない。
そのクリスタルの光りはだんだんと光の強さを増してきている。
「持って帰ってて良かったぜ……」
たまたま修理するために持って帰っていた竹刀が役に立つとは思いもしなかった。
しかしあると無いのとでは安心感が違う。
緑色の光りは他のクリスタルに移っていくかのように段々と広がる。
クリスタルは無数にあり加速度的に空間を照らしていく、こう見るとなかなか広い空間のようだ。
「――――」
……何かの気配がする、しかも複数のようだ。
俺がわかるくらいだから少なくとも猿くらいの大きさはあるだろう。
クリスタルの光が強くなるにつれてそのシルエットがはっきりしてきた。
「ギヒャハハハハ」
「……グホックボッ」
……、ヤバい。
何かはわからんが緑色をした謎の生物が口元を血で染めながら食事をしている。
だが幸いにも彼方は俺の存在に気がついていない。
浅く息を吐いき気配を殺してゆっくりと後退しながら距離を取っていく。
「――――ッ!!!」
しかし、俺その謎の生物が食べていたものに見覚えがあった。
いや、正確にはその生物が食べているものではなく、その食べられているものが身に付けていたであろうものに見覚えがあった。
いや、もう現実逃避はやめた方がいい。
見覚えと言う不安定なものではない。
あれは。
母さんが。
親父にプレゼントしたネクタイだ。
動揺。
恐怖。
焦燥。
憤怒。
後悔。
様々な感情がジワジワと俺の頭を心に広まっていく。
「ゲヒッ」
しかし、その心境の混乱を感じ取ったのかはたまた気配が漏れ出てしまったのか恐らくは後者であろうが謎の生物達俺の存在に気付いててしまった。
一斉にこっちを向いて笑ったのだ。
笑った。
彼らのその行動は笑ったかすらどうか不明瞭なものだった。
しかし俺には笑ったように感じられた。
そしてその笑いから察した、こいつらは俺も殺す気なんだ、と。
そこからの行動は自分でも信じられないくらい単純で簡単なものだった。
そう。
叩き落としたのだ。
ヤツの頭上に。
竹刀を。
今までで一番きれいに決まったと思える改心の一撃。
その時、改心の一撃に感心するような思考能力は失われていた。
何が起こっているのかは理解してるがまるでゲームをするかのごとくなにも感じない。
恐らくその時俺は生き延びるために考えるのをやめたのであろう。
そして、改心の一撃を食らったその謎の生物は何をするでもなくゆっくりと地面に崩れ落ちた。
しかし、俺はそれを一瞥もせずに手首を返して真横に一閃。
真横にいたもう一匹の下顎にそれをジャストヒットさせる。
パンッ、と言う乾いた音に驚く暇もなく3匹目の脳天に竹刀がめり込み、そして倒れる。
そして最後の一匹。
ヤツは剣を構えていた。
いや、あれは剣と言うより何かの農具……真っ黒な鉈のようなものを構えていた。
しかし既に一対一。
しかも仲間を目の前で惨殺された精神的ダメージを鑑みれば既に考えるのをやめた俺との優劣の差ははっきりしていた。
「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
一喝。
武器を持った相手に立ち向かう勇気を絞り己を鼓舞するため。
そして耳が痛くなるほどの静寂の中、突然咆哮を上げ相手の隙を生むため。
奇しくもその直感的な目論みは美しすぎる過ぎるほどに完璧に成功した。
ビクッ、と体をこわばらせる謎の生物の手元に竹刀を降り下ろす。
これによってヤツの武器は呆気なく地面に叩き落とされる。
そして返し様に顎を打ち上げる……!
「…………」
俺の射殺すような視線を受けながら謎の生物はそのまま後ろに倒れ込んだ。
倒れはしたが死んではいない。
直感的に察した俺は最後に倒した謎の生物が持っていた真っ黒な鉈を拾い上げ……。
――――その持ち主の頭目掛け振り落とし頭を叩き割る。
グシャッと言う音、飛び散る赤く生臭い液体は飛び散り俺の頬を掠めた。
そしてそれ以上に嫌悪感を感じる手の感触に吐き気を催しながら謎の生物全ての頭を潰していった。
全ての謎の生物の頭を粉砕しひどく静かになった空間に俺は佇む。
そして親父だった肉塊を見て何かが切れる。
今までが目を閉じていたかのように感じられた。
そして今までの自分が無くなっていく、崩れていく感覚。
当たりに満ちる血肉の臭い、生物独特の有機物の臭いが俺の心に訪れた解放感と混ざり矛盾を産む。
その矛盾から俺は嘔吐した。
全てを捨てるかのごとく号泣した。
今までの自分と離別する感覚に咆哮をあげた。
それが俺、刻渡凱の時空迷宮での初陣だった。
ありがとうございました。