子息の本気(2)
ランダーン公爵家の夜会にマーシャルの友人として出席するのに、今回はパートナーを連れていくことになっている。
夜会自体に出席するのも久々だが、同伴者がいるのは本当にいつ以来であったか。
ちなみにフローラとの婚約後は一度も同伴したことはない。
馬車が止まり、到着を知らせる。
何度も足を運んだ、馴染みある屋敷の前だ。
らしくもなく、少し緊張しているらしい自分を落ち着けるように息を吐いてから馬車の扉を開く。
すでに従者が屋敷へと到着を知らせ、屋敷の玄関扉は開かれていた。
何度も通った扉を抜け、玄関ホールで待機していた彼らにまずは頭を下げた。
「この度はレオンハット家の我が儘に振り回す形となり、誠に申し訳ありませんでした」
「うん。ジリル君の本意ではない事は聞き及んでいたからね。こうやって迎えに来てくれたことに礼を言う」
顔を上げれば、穏やかに微笑むフェリアの父の姿があった。
相変わらず穏やかな気性の彼だが、相当振り回し心労をかけただろうことは理解している。それでも尚、こうやって出迎えてくれたことに何とも言えない安堵がこみ上げた。
「ジリル君とこに比べればウチは凡庸だし、娘も特筆するところのない平凡な子だ。それでも私は、娘が可愛い。親ばかだと言われようが、ね」
世間から見て、確かにフェリアは特筆するべきところのない平凡な娘になるのだろう。
自分が美しい容貌なのは分かっている。
そして、それに比べフェリアが悪くもないが美しいというほどでもないということも。
家格で考えても、同じ伯爵位でもうちとは天と地ほどの差があるということも。
だが、それが何だというのか。
彼にとってそうであるように、俺にとってもフェリアはただ可愛くて美しい人だ。特別なものなど何一ついらない。フェリアでさえいてくれればそれでいい。
「あの子を頼むよ。父親としてはちょっと複雑だけれど、あの子は君と一緒の時が一番幸せそうだ」
「それが本当なら嬉しいことですね。俺の一番幸せな時も、フェリアと一緒の時ですからね……どうか、お任せを」
もう一度頭を下げる。
文句も言いたいこともすべて飲み込み、フェリアを任せてくれる彼にただ感謝する。
「待った甲斐があったようだね……顔を上げなさい。あの子が来たようだよ」
ふっと顔を上げると、階段から女性がゆっくりと降りてくるのが見える。
柔らかなクリーム色のドレスにはちみつ色のリボンとレース。それはどちらかといえば地味な色合いで彼女らしいといえば彼女らしいドレスだ。
ただ、その首元と両耳に揺れる宝石の蒼が華やかさを演出している。
「フェリア…………」
階段を降り、おずおずとこちらに近づいてくるフェリアに嬉しさが湧き上がり、つい待ちきれずにこちらから歩み寄ってしまった。
どこかオドオドとしたような態度に苦笑が漏れる。
まぁ、そんな風なフェリアも可愛いと思うあたり相当舞い上がっているのかもしれない。
「あ、の……こ、この度は」
「フェリア、待たせてすまない。やっと会えて嬉しい」
素直に言うと、目を丸くさせてフェリアがパチパチと目を瞬かせる。
次いで、じんわりと目を潤ませて、だが涙は零さずに「私もです」と小さく笑った。
そっと頬に手を触れると、その目が嬉しそうに細まる。
そうだ、この顔とこの目だ。俺だけが何よりも、どんなものよりも美しいと思う素直なフェリア。
「改めて言おう。フェリア、どうか今夜はこの手を取ってもらえないか?」
手を差し出せば、その手に迷いなく手を乗せてくれる。
嬉しくて、そっとその手の甲にキスを落とした。
ピクリと一瞬手がはねたものの抵抗はなく、ちらりと表情を伺えば顔を真っ赤にしてどこか明後日の方向を向いていた。わかりやすいその動きに、自然と口角が上がる。
自分で浮かれているなと呆れながらも、言葉を重ねた。
「今日のフェリアは一段と可愛いな。惚れ直した」
「……っ……っ……!?」
結構な勢いで視線はこちらへ戻ったが、声の出し方を忘れたかのように絶句するフェリア。
先程よりももっと耳の先から首元まで赤く染め、泣きそうな表情になっている。あぁ、可愛い。もう腕の中に閉じ込めてやりたい。
けれどそんなことが出来るはずもなく。
一度だけ、髪型が崩れないように軽く頭を撫でると彼女の父親に向かう。
「では、お嬢様をお借り致します」
「あ、あぁ。よろしく頼むよ。フェリア、その、まぁ……行ってきなさい」
「う、うん。あ、いいいって、まいります」
「うん。しっかりね」
コクコクと頷く彼女を促して何とか歩かせ、馬車までエスコートする。
ぎこちなく歩くのは久々だから緊張しているのもあるだろう。勿論、俺が原因の部分があることは自覚している。
馬車の中に座らせると、その隣に腰掛けた。繋いだ手はそのまま。
本来は対面で座るが、フェリアとこうして近くにいられるのは久々なのだ。
困惑した彼女をそのままに馬車を出させ、ひとつため息をついた。それは、安堵のため息。
「あ、あの……ジリル、様。手……」
もじもじと居心地が悪そうに繋いだ手を動かすフェリアだが、その意図をわかっているけれど気づかないふりをしてそのままにする。
困りきって眉尻を下げたあとは、フェリアも大人しくなった。諦めたのだろう。しばらく馬車の走る音だけが車内に落ちる。
ユラユラ揺れる蒼い耳飾りと胸元に輝く蒼いネックレス。
俺の贈った、アクセサリだ。
「フェリア」
「は、はい!」
「抱きしめても、いい?」
「…………えぇっ!? や、その、それは……ひぅっ!?」
問いかけておきながら、返事を聞かぬままフェリアの腰を抱き寄せる。
隣に腰掛けた状態ではこれぐらいが精一杯だろうか。微動だにしない彼女の顔を覗き込めば淑女とは言えないぽかんとした顔だ。そう言えば子供の頃はよくこんな感じの間抜けな表情をしていたな、と懐かしく思う。固まったフェリアをあやすように額に、こめかみに、頬に口づけを落とす。その頃になればまた顔を赤くさせて落ち着かない様子で目をキョロキョロとさせていた。
そんなに動揺している割には一向に俺の手を払いのけようとしないあたり、わかりやすい。
「今日は俺の側にいて。ずっと」
「ジリル、様?」
眉尻を下げて見上げてくるフェリアの瞳は不安に揺れていた。
ダンバールとの話がなくなり、俺たちが再び婚約したことは身内と友人以外は知らない。
俺とフェリアが寄り添って会場に入れば好奇の視線にさらされるだろう。婚約破棄後、様々なことを言われたであろうフェリアが不安にならないはずがない。それでも今日、あえて二人で行くのは堂々と婚約していることを明かすためだ。
ダンバールとワーゼナットの婚約を知らせると同時に、俺たちも既に婚約しているということを知らしめるためだ。
フェリアを傷つけた有象無象は許しがたいが、そもそもの原因は自分にある。
だからといって退く気はさらさらないがな。
出来るだけフェリアが傷つかないように配慮するのがせいぜいだろう。
「やっと会えたんだから、ね?」
請うてみると、フェリアの不安に揺れていた瞳がふっと優しく細められた。
それは先程までの子供時代を彷彿とさせるものではなく、どきりとするほど大人びた表情だ。
「はい。今日はずっと一緒にいます」
はにかんだ表情を隠すように俯き、少しだけ彼女の方から甘えるように体を寄せてくる。
思わぬところで自制心を発揮させることになった。幸いと言えるかどうか、ランダーン公爵家には間もなく着くことになったので暴走は免れる。どうやらフェリアとの婚約破棄と会えないことは自分で思っていた以上に打撃があったらしい。箍が外れかけて冷静さが戻った。
ここで失敗してフェリアに怖がられたり嫌われたりしては元も子もない。
馬車からのエスコートを紳士を装い務めることにした。