子息の本気(1)
手元に届いた書状に、思わずくつりと笑ってしまう。
さすがマーシャルにグルト。首尾よくやってくれたことに心底感謝する。
さぁ、幕引きまであと僅かだ。
ワーゼナットの喪が明けるのは十日後。
その数日後にはワーゼナット侯爵とフローラ・ダンバールとの婚約を発表できるよう調整する。根回しはすでにほぼ終了しており、ようやく息をつけた。
「ジリル様、旦那様が執務室に来るようにとのことです」
自室で寛いでいたところを古くから我が家に仕えている老執事がやってくる。
表情を読ませないこの老執事と表情があまり動かない自分は若い使用人からは敬遠されがちだ。別にどうでもいいが。
「すぐに行こう」
先触れを出すために老執事は俺の言葉に頷くなりさっさと行ってしまった。俺も部屋の外へと出るが、老執事はいい歳だったと思うが素早い動きで走っているわけでもないのにもう随分遠くを歩いていた。
少しゆっくり目に歩き、呼び出しの心当たりを考える。
当然、婚約解消のことだろう。
今回のダンバールとの婚約はもともとが父がまとめてきたものだ。勝手に破棄するわけにはいかず、ワーゼナットとダンバールとのことも説明してある程度の納得はしてもらっている。
ここまで来れば反対もないだろう。
執務室の前には既に老執事が扉を開けた状態で待機していた。
中に入れば父は既に応接室側のソファへと腰掛け、その隣には珍しく母の姿がある。
「座りなさい」
「では。母上はいつこちらへ?」
腰掛けながら尋ねれば「つい先ほどよ」とそっけない返事。
いつもは領地の屋敷にいる母がこちらの王都の屋敷に来るのは社交シーズン以外では何年ぶりのことだったか。
「ダンバールとの婚約解消は問題なく出来そうか?」
世間話などもなくいきなり本題へと入るのは父の悪い癖だろう。
今さらこのメンツで世間話もなにもないといえばそうだろうけれど、そのへんは貴族らしくないと言われる所以だ。
「恙無く」
「ならば結構」
父は頷くが、母はきっとこちらを睨めつける。
「何か?」
「何か、ではありません。旦那様がまとめた婚約をこのような形で破棄をするなど何を考えているのですか」
「フローラ・ダンバールと婚姻を結ぶよりもワーゼナットへ嫁がせるほうがいいと思ったまでですが。父にもご納得いただけています」
「それは結果論です。ダンバール侯爵家は今、産業発展が著しく婚姻を結ぶのに適した家ではありませんか。折角の良い話でしたのに、こんな形で破棄でもすれば碌でもない家からの縁談ばかりを申し出られる羽目になるとは思わないのですか? こんな良いお話はもうきませんよ?」
話の邪魔にならぬよう、静かに置かれた茶に手を伸ばしてそれを一口飲む。
その態度も気に食わなかったのか、母は大きな声で俺の名前を呼んだ。
ゆっくり息を吐き出し、眦を吊り上げる母を見やる。
レオンハット伯爵家の一人娘として育った彼女の背負ってきた婚姻のプレッシャーは余程のものだったのかもしれないと今では思う。
きっと家のために結婚することが当たり前で、それ以外は考えられなかったのだろうとも。
だからといって俺がフェリアを諦めるはずもないけれど。
「ご安心ください、母上。縁談に頭を悩ませる必要はありませんよ」
「それはどういうことです?」
「これまで通りですよ、俺の婚約者はフェリアに戻るだけです」
「なっ……!?」
ぎょっとした顔をして、俺、父、俺と視線をさまよわせる。
父には既に告げていたので今更驚きも何もなかった。
「何を言っているのです、今更婚約がダメになったからと元に戻そうとするなんて……それがどれほど先方の失礼に当たるか考えていないのですか!?」
「ご心配召されずとも、考えていますよ。あなたよりは」
ぐっと手を握りこんでこちらを睨み据える母親に、父はため息を一つこぼして「落ち着け」といなす。
父に噛み付くようなことは言わないが、それでもその目は鋭く父を睨んでいた。
「ダンバールの娘とワーゼナットを繋げばこちらにも利益が落ちてくるのだ、そう怒ることでもあるまい。ダンバールの娘には良くない話も聞く。爆弾を抱えずに済んだのだ、ジリルの英断とすれば良い。私の判断が間違っていたのだ」
大人しく自身の非を認める発言に、こちらが目を丸くする。
それは母も同じで、奇しくも親子で同じような表情を父に向けることとなった。
父は苦笑し、執務机まで行くと紙を一束持って戻ってくる。
それを机の上に広げた。
目でそれらを追うと、どうやらダンバール家の調査書のようなものだった。
「これは…………」
母がその内の一枚を手に取り、その目を忙しなく左右に動かす。
「フローラ・ダンバール嬢の実態を調査したものだ。それと、ダンバール家全体のものとある。悪いというほどではないが、うちとは相性が悪そうだ」
領地を抱える貴族というものは大小あれど、そのほとんどに裏の顔というものがある。
レオンハット家は基本は正攻法を好むが、仮にも数百年は爵位を受け統治してきた土地がある。必要であれば非情にもなるし、汚い手だって使う。
よほど悪質でなければ目を瞑るものだ。
だから母が驚いているのはそんな情報ではない。
単純な、わかりやすく言うのならば性格の不一致というものの決定打だ。
派手好きで傲慢、調べれば彼女の母親もそうであるらしい。
産業発展による収益が増えておりながらダンバール家の財産は増えていはいないし領地の税も変わっていない。変わったのは親子の持ち物と娯楽にばらまかれた金の量くらいだ。
それも市場に金を回すと思えば悪いというほどではないが、うちならば他のことに使うだろう。
こんな女を娘に欲しいかと聞かれれば否と答えが出る。
「フェリアは俺の婚約者として、未来のレオンハット伯爵夫人として落第点を取ったことはないはず。この際なのではっきり申し上げておきますが、例え今回以上のいい話があったとして、彼女以外を妻とする気はありません。我が儘を言っているつもりはありませんよ、別に教養も常識もない人を妻にすると言っているわけじゃないのだから。そもそもこの話も結果、勇み足も良いところであったわけです。下手に高望みをするべきではありませんよ」
ぐっと口を閉ざし、母は反論を控えた。
父も別に高望みをしたというほどのことでもないのだろう。今現在、爵位も立場も上のダンバール家に是非ともと娘を差し出されては無下にはできない。その上、おそらくこちらへの好条件を言い渡されてもいたのだろう。それが貴族という社会の常識でもある。
「ジリル、お前の言葉は最もだ。だが、本当にこれでいいのか?」
「今更何を?」
父は、小さくため息をついて机の上に広げた資料をひとまとめにした。
母も怪訝そうに眉をしかめて父を見上げる。
「確かにうちとは合わないだろうし、婚約破棄は正しいのだと思う。だが、確かにフローラ嬢は、お前を好いてこのような強引な手段に出たということはわかっているんだろうな?」
「はっ……何を言い出すかと思えば、父上らしくもないことを」
「…………私だからこそ、だ」
苦笑をこぼして、ちらりと母を見てからこちらへと視線をよこす。
何を思っての言葉かは理解していたわけではないが、俺の言葉は変わらない。
「俺は、フローラ嬢が嫌いですよ」
直接的な言葉に片眉を上げ、父は「そうか」とだけ言って頷く。
母は珍しく俯いており、表情までは窺い知れない。
子供らしく母の後を追いかけていたのははるか記憶にないくらいに遠い昔。今はもう、その表情を知ろうとは思わない。
「俺が好きなのは昔からフェリアだけです。フェリア以外の愛など一欠片も求めてはいませんよ」
言えば、その瞬間。
初めて見たかもしれないほど、ぽかんとした表情の両親がいた。
そのいかにも意外そうな表情は少しだけ友人に似ており、なんとなく腹が立った。
結局しばらくはぼんやりとしたままの両親だったので埒もないと退室し、最後の詰めに入る。
ダンバールにはもうしばらく発展してもらわねば困る。ワーゼナットの個人的な噂は婚姻が正式に成立するまで耳に入らないようにし、例えフローラ嬢が男児を設けたとしても後を継げないよう手を打っておかねばマルセルに危害が及んでは事だ。
あと、少し。
もうすぐ会える、フェリアに。