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美しきものとは  作者: 唯愛
本編
7/17

令嬢の困惑



 父に呼ばれ、書斎に来たのはついこの前のことだ。

 同じようにして呼ばれたどり着いたその先の父の様子は、やはり頭を抱えていた。


「お父様?」


 入室してしばらく、無言の父にもしやお気づきではないのかともう一度声をかける。

 するとゆっくりと顔を上げて私の姿を認め、近くに来るようにと言葉をいただいた。


 そうして私が近づくと、父が机の上に広げていた手紙の差出人を私に見せた。


 その家名は、かつての婚約者から聞いたことのあるものでもあり、この国の貴族ならば知らないものはいないほどしれた名前。



 ランダーンとデラトルン


 その二通の手紙に記された名は、この国の公爵家の名だ。


「どちらの公爵家からも同様の内容の手紙が来た。お前に関することだ」


「っ!?」


 公爵家のようなところから私のようなものに一体何だというのか。

 何の心当たりもなく、いや、ひとつだけあるとするならばかつての婚約者様絡みだけだ。


「お前の婚約のことだがな。一年は誰とも婚約をするなということだ。はっきりとは書いていないが、強引に話を進めようとするものがあったりすれば公爵家の名前を出して阻止するようにともな」


「何故……」


「…………もう一つ、私宛に手紙が届いている。ジリル・レオンハットからだ」


 それは、かつての婚約者だ。

 私ではなく父に当てられた手紙は、この婚約破棄に当たっての経緯か謝罪かでも書かれているのだろうか。私には一言もなく。

 しかし、私の予想を裏切って父は続けた。


「一年間は誰とも婚姻の話はさせないで欲しいというものだったよ。こちらもはっきりとは書いていなかったがな、一年以内に終わらせてお前を迎えに来るから信じて欲しい、というようなことも書いてあった。お前は、どう思う?」


 それは…………それは、本当だろうか。

 ジリル様がわざわざ手紙でそう送ってきたのなら…………私は、信じてしまう。

 それがたとえ愚かだと笑われたとしても、ジリル様は無意味なことを嫌う人だからこそ手紙を送ってきたということに希望を持ってしまう。


「私…………は、ジリル様をお慕い、してます。お父様がお許しくださるなら私は待ちたいです」


 愛されているなどと自惚れることはできない。

 ただ、こんな一方的な終わらせ方などをする人ではないと、そう思いたい。そこには何かしらの理由があってのことで、今はその理由を語ることができないからこそ遠まわしに私ではなく父に手紙が送られているのだと。


「そう、か」


 ふぅーっと長く息を吐き出し、父は再び片手で頭を抱えた。

 そして小さな声で言う。


「どちらにしろ、我が家に選択肢はない。公爵家とレオンハット家の両方からこの手紙を受け取ったならば言う通りにせねばなるまいよ」


 振り回されてばかりで私以上に憔悴している父。

 それはそうだろう、私は社交界に出ることもなく家に引きこもっていられるけれど父はそうもいかない。

 母だって口さがないことを言われることもあるだろう。私には何一つ言いはしないけれど。





 会いたい。

 声を聞きたい、あの瞳を見つめたい。


 ジリル様、あの恋に落ちた瞬間から婚約者でなくなった今も、ただ私はあなたに恋をし続ける。


 待てと願ってくださるのならば何時までだって待てる。

 けれど、今回の婚約は私の時とは違う。簡単にどうにかなるようなものでもない。

 それにジリル様のような美しい人の隣にあるのは、やはり私のような人間ではなく件の令嬢のように美しい方であることがふさわしいのだろうと思う。


 ズキリと心が悲鳴を上げる。

 分かっているのにいつまでも理解しない気持ちに、私は苦い思いをする。

 それを忘れるようにして頭を振り、今日はお菓子でもつくろうと頭を切り替える。無意識にジリル様の好む味付けになっているのはいつだって後から気づくのだけれど。




 けれど、後日に私を訪ねていらっしゃったデラトルンの若君、グルト様が侍従のジラート様は悪魔の囁きのような言葉を置いていった。


「とにかくしばらくの間、一年間はジリル様を待っていて欲しいのです」


 ジリル様のご友人のジラート様はとても生真面目な方と伺ったことがある。

 今、目の前で話をしていてもきっとその言葉に嘘はないのだろうと思わせていただける真摯さがあった。けれど、今の私にどれほどの言葉を紡げるというのだろう。

 すでに正式に婚約を破棄された状態の、なんの権限もない私に。


「私が口を出すことではありませんので、お約束は出来かねます」


 勝手な事を言うわけにはいかない。

 私一人の問題ではなく、家の問題になる可能性もあるのならば余計に。


 されど、彼は内密の話ですが、という前置きをして。

 

「一年間はどのような求婚もお受けしないと、フェリア嬢の父君にはご了承頂いております。それでもジリル様を信じて待つことは出来ませんか?」


 父から手紙を受け取ったことは聞いたし、それに従わざるを得ないということも聞いた。

 けれど、そのような返事をしていたのは初耳である。


 そうしてあの日、私が父に聞かれて返した言葉は。

 待ちたい、と。

 その気持ちを汲んで返事をしてくださっていたのかもしれない。


「ジリル様がそれを望んでいらっしゃるのならば何時までもお待ちするつもりですし、待つ必要がないというのならば私はその通りにいたします」

 

 そう言うので精一杯だった。

 それが本心だった。いや、違う。待つ必要がなくとも、私は待ちたいと願うのだろう。それが本音だ。

 でもジリル様に疎まれるのも嫌われるのも怖いから、必要がないというのなら彼の望む通りにしようと思うだけのこと。


「ジリル様は必ずあなたをお迎えにいらっしゃいますよ」


 はっきりと迷いもない力強い言葉に、知らず心がほぐれる。

 その言葉が真になればどれほど嬉しいだろうか。

 どこかで諦めながらも、期待してしまう自分に呆れてしまう。






 わざわざ何度も私のもとに足を運び、ジリル様を信じて待つようにと告げていかれるジラート様が、この日はジリル様からの手紙を預かったと封を私に差し出した。

 部屋に控えていた侍女が素早くペーパーナイフを持ってきてくれる。


 そっと丁寧に封を開け、逸る心臓を宥めすかしながら手紙を広げる。


 読むのが怖いような嬉しいような、複雑な思いで文字を追う。

 懐かしいジリル様の筆跡に、それだけで嬉しく思ってしまうなんて。


 はっきりと言えばとても素っ気ないと言える手紙だった。

 枚数も多いとは言い難い。


 それでも確かにジリル様の筆跡で、ジリル様から私への手紙だった。


 最初は突然のことに戸惑ったであろうことに関する気遣いと謝罪。それから、件の令嬢とは結婚する気はないということ。

 そして、私と結婚するつもりでいるということ。


 そのことに驚きと同時に困惑があった。


 ジリル様なら、件の令嬢以外であっても私より遥かに良い条件の女性と添うことができるはずなのに、という思いが。

 それは幼い頃からの婚約者としての情けなのか、責任だと思っているのか。

 そう思いながらも、どんな理由であれそばにいられるならば、妻になれるならば何だって良いとさえ思う自身の愚かさにどんな顔をしていいのかわからない。


 静かに正面で私が手紙を読むのを待っていたジラート様が、読み終わって困惑する私に何を思ったのか。

 小さく微笑んで、穏やかにおっしゃった。


「このような身ではありますが、それでもジリル様の友人の一人としてお言葉を申し上げさせていただけるならばひとつ。ジリル様はあなた様を溺愛されていらっしゃる、というのが我々友人の共通認識ですよ。どうか、フェリア様。素直にジリル様を信じていただけませんか。このような事を言うのは卑怯かもしれませんが、フェリア様もジリル様を愛していらっしゃるのではありませんか? それはレオンハット家の息子であったからではなく、ジリル様であるからなのだと思っていますがいかがです?」


「それは……」


 図星の言葉にかぁっと頬に熱が上がる。

 穏やかな表情がなんとも居心地が悪い。確かに私はとても分かりやすいかもしれませんけれども。


「こんなことを勝手に言うのは反則かもしれませんが、ジリル様もフェリア様を愛していらっしゃいますよ。それはフェリア様が伯爵令嬢だからとかではなく。ちゃんとジリル様の心を見ることのできるフェリア様を、愛していらっしゃいます」


 それはまるで、毒のような甘い言葉だ。

 じわじわと私の心を侵す甘い甘い毒。


 眉尻を下げて力なく首を横に振る。

 でも抗うことなんてできない、ずっとずっと夢に見てきた幻のようなその言葉に。


「ジリル様がお迎えにいらっしゃった時には、ちゃんと問い詰めてみたほうがいいですよ。私のことを愛していますか、と。きっと普段は無表情なくせに、ジリル様は笑って愛していると答えると思いますよ」


 そんなことがあるはずもない。

 大切にはしてくれていたけれど、私たちはずっと家が決めただけの婚約者で。


 あぁ。

 けれど、答えを聞くことが怖くて聞いたことはなかった。言ったこともなかった。


 ジリル様、ジリル様。

 愛しています、とても、誰よりも、ずっとずっと昔から、愛して愛しておかしくなりそうなほどに。

 あなたはどうですか?

 少しでも、私を愛してくれていますか?


 言いたくて聞きたくて、怖くて恐ろしくて言葉にならなくて耳を塞ぎたくて。




 いつからこんなに臆病になったのだろう。

 昔は言えていたではないか。

 ふと、昔に言った言葉を思い出す。なんの話をしていたのだったか、それは忘れたけれど。

 私は少しだけ照れるだけで、素直に言葉をこぼしてはいなかったか。


「フェリアはジリルさまのこと大好きだもん」


 言えば、ジリル様も目を細めて言葉を返してはくれなかっただろうか。


「俺も、フェリアのことは好きだよ」


 と。抱きついた私を、優しく抱きしめ返してくれはしなかっただろうか。

 あの日々は嘘ではなく、取り戻せる可能性がまだあるというのだろうか。


 カサリと手紙が手の中で主張する。


 ジリル様、お待ち申し上げていると返事を書いても許されますか?



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