侍従の傍観
ちょっと閑話っぽくなった。
ジリル・レオンハットという男は、ただ美しいだけの男ではない。
士官学校時代の成績は常に上位に位置し、ただそこに居るだけで周囲を圧倒してしまうような、そんな冷ややかさのある男だった。
そう、思っていた。
幼馴染であり、主でもある東のデラトルン公爵家が次男のグルト様と、同じ公爵家出身ということもあってか仲の良いマーシャル様。
そのマーシャル様と、彼、ジリル・レオンハットがいつの間にか仲良くなっていた。
ジリル様は身分や立場をきちんと把握した上でマーシャル様やグルト様を呼び捨てにし、同格の友人として接していらっしゃった。反対に、男爵家子息でグルト様の侍従である私にも同じように接してくださった変わり者だ。
私は立場上、彼らに敬称を付け侍従として雑用などの一切を請け負うこともあったが、確かに彼らとは友人という枠が一番しっくりくる。
話をするようになった当初は、噂通りの無表情に恐ろしさなども感じたことがあったような気がするが、今となってはその表面上の無表情と内面の感情豊かな様に何の冗談かと笑い飛ばしたい気分にしかならない。
それでもやはり、彼は無駄口を叩くタイプではないので付き合いの浅い人たちでは見抜けないことは仕方のないことだと思った。
マーシャル様は公爵家嫡子というご身分でありながら口が悪く、素行もそれなりに悪い。
どこで覚えてきたのかと頭を抱えたくなることも数しれない。
その影響を受けたのかどうか、案外とジリル様も口が悪い。四人で集まっている時だけなら何の問題もないが、夜会で誰が聞いているかもわからない場所で突然ぽつりと毒を吐かれたら真剣に困るからやめていただきたい。切実に。
そのジリル様だが、幼い頃からの婚約者がいるという。
無表情でその婚約者の愛を語る様は一体何のお笑いネタなのかと。
いや、人は見た目によらぬものだとつくづく勉強させてもらいました。
美しい男だけあって、彼はまぁ、社交界で遠巻きにモテる。
遠巻きにというのがポイントだ。
美しい絵画や彫刻を眺めるような心境なのだろう、生身の人間としては実を言えばあまり声をかけられていない。
公爵家嫡子という立場と話しかけやすさという点で令嬢を始め多くの人に囲まれるのはどうしてもマーシャル様だ。グルト様も非常にモテる方ではあるが、それは今はあまり関係ない。
ただ、そんな中で一人。
フローラ・ダンベール侯爵令嬢がジリル様に好意を寄せだした。
いや、あれは好意という優しい感情ではないか。
普段であれば一蹴するのだが、相手が悪かった。現時点でダンベール侯爵を敵にするのは良くない。
ジリル様は上手く躱していたが、とうとう、向こうは強行策に出てきた。
ダンベール侯爵を使ってジリル様の父親と話をつけたんだ。
一般的な貴族の婚姻というものは家同士の繋がり、利益、そういった政治的なものが含まれる。
だから、多少思うものがあったとしても悪手という程のことではない。
レオンハット家としては、婚約者令嬢の伯爵家よりもダンベール侯爵家と繋がりが出来たほうがいいのだから。
だからこれは、相手が悪かった。
そう言わざるを得ないだろう。
ジリル様は婚約者にベタ惚れで、彼女のためになら何だってするんじゃないかっていうくらいだ。
貴族としてはその考えは危ういけれど、友人としては理解出来るもの。
勝手に婚約を破棄され、新たにダンベール侯爵令嬢と婚約させられた時には彼女を殺すのではないかとすら心配したくらいだったのだが。
ちゃんと冷静でいてくれて良かった。
彼がまずしたことは、この婚約騒動に決着をつける前に彼女を横から誰かに攫われないようにすることだった。
すぐに彼女の両親に手紙を出し、フェリア嬢を一年間誰とも婚約させないように頼んだ。これはただ少し待って欲しいなどと曖昧な約束は出来ないと判断してのことだろう。一年以内にはカタをつけるという意思表示でもある。ちなみに、同じような手紙をとグルト様マシャール様も家名を表に出して書いて送っていた。これは断れない様な格上の家からの申し込みも断れるようにするためのものでもある。ちなみにこの一連のことはグルト様、マシャール様ご両家の当主を説得済であり、万が一の場合には実家の権力を使う許可までとっている。
凡庸な伯爵である彼女の父親はきっと胃を痛めていることだろう。ご心痛察してありあまる。
実に人使いの荒い友人だが、次に私を使った。こんな時くらいには私も役に立つつもりであるが容赦がない。いや、不満があるわけではないのだが。
婚約破棄したばかりで世間の目もあるし、ジリル様の家が何かしら見張っているかもしれない。だから私がジリル様の代わりにフェリア嬢を訪ね、ジリル様を信じて欲しいと頼み込んだ。そりゃもう、必死だ。ここで話すら聞かずに追い返されでもしたらジリル様に殺されるかもしれない。息の根までは止めないだろうと信じてはいるけど、半殺しは確定だ。
こんな騒動で半殺しなぞ御免被りたい。
フェリア嬢はジリル様に比べると、何というか、本当に普通の方だ。
ジリル様までいくと超越していて比べるのもおかしな話だが、何故これほどの執心をと首を傾げてしまうほど普通のご令嬢だった。
今回の婚約破棄には憔悴していらっしゃったが、気丈に微笑まれ普段通りにお過ごしになっているようだ。
話は聞いていただけたし、とにかくしばらくの間、一年間はジリル様を待っていて欲しいとお願い申し上げると困ったように笑われた。そして、言うのだ。
「私が口を出すことではありませんので、お約束は出来かねます」
まるで、泣いているような微笑みで。
膝の上に置かれていた手はドレスを握り締めて、小さく震えていらっしゃった。
内密の話ですが、という前置きをして。
一年間はどのような求婚もお受けしないと、フェリア嬢の父君にはご了承頂いていることを話した。
驚いていらっしゃったけれど、きゅっと下唇を噛んで俯き、そして。
「ジリル様がそれを望んでいらっしゃるのならば何時までもお待ちするつもりですし、待つ必要がないというのならば私はその通りにいたします」
か細い声だった。
この方は、ジリル様をちゃんと愛していらっしゃるのだと、きっとそうなのだろうと思う。
そうであってほしいという願望ではないと思いたかった。
それだけに、切なかった。
「ジリル様は必ずあなたをお迎えにいらっしゃいますよ」
出来るだけ力強く言ったけれどどこまで伝わっただろうか。
彼女の様子をジリル様に伝えると、ぐっと眉間に皺が寄ったが特に何を言うわけでもなかった。
ただ冷静に、今後もしばらく力を貸して欲しいと零した。
基本的に私はグルト様の侍従であり、ジリル様の侍従ではない。
そう頻繁に彼の用事で動くこともない。ただ、時折ジリル様からの手紙をフェリア嬢へ直接手渡すという役目を承った。そして、フェリア嬢からの返事をジリル様へと受け渡す。
…………フェリア嬢からの返事を読んだ瞬間に立ち会った時は、何事かと。
いや、うん。
普段、無表情の美人の笑顔って反則ですよ。
思わず頬を染めましたよ、心拍数上昇しましたよ。以後、返事を目の前で読むのは控えていただいている。あれは良くない。
それにしても、近頃グルト様とマーシャル様が何やら本格的に動いているようだ。
詳しい内容までは分からないまでも、なにやら西の侯爵家と男爵家に頻繁に使いを送っていらっしゃる。
マーシャル様の「ジリルさん、マジ鬼畜」という言葉には何だか知りたいような知りたくないようなものがある。
グルト様がなにもおっしゃらないのならば、私はこのまま何も知るつもりはありません。
最近は私がジリル様の手紙を持っていくと、フェリア嬢がとても嬉しそうに出迎えてくださいます。
婚約破棄をされた令嬢ということで社交界ではいろいろ辛いお立場であるようだが、なかなかにお強い方です。今日は手作りのクッキーを用意してくださいました。
もちろん、私にではなくジリル様にです。
あ、おこぼれはいただきましたが。
是非、この方には幸せになっていただきたいですね。
出来ることならば、ジリル様の隣で。
次回も友人視点でお届けします。