白薔薇姫の誤算
フローラ嬢。
悪女って難しい。
私が美しいのは当たり前。
子供の頃から美に関して母は煩く、私も美しいものは好きだったからそれに従った。
父は美しい母を愛し、美しい娘を愛した。
美を継続させるためには金を惜しむことはない人だった。
丁寧に櫛を通された髪は輝き、とびきりの美容液と入念なマッサージを続けた肌は滑らかで。
元々が美しかった私は更に美しく、それを飾るドレスも宝石も当然美しいものにこだわった。
賛美は日常、私が微笑めば傅く男は山ほどいて、何もしなくても愛を囁かれるのが当たり前だった。
欲しいと思ったものはいつだって手に入った。
だから、当然彼も簡単に手に入ると思ったのに。
「何で……何でなのよ……」
今日の社交界でも私は多くの人に囲まれ賞賛された。
誰もが私と話をしたい、ダンスを踊りたいと近づいてきた。
それなのに。
私の美しさに唯一並べるのではないかと思うジリル・レオンハットは私に近づいては来ない。
内気な性格か、身分を気にしているのかと思ってこっちからわざわざ話しかけたって表情すら動かさずに一言二言話せばすぐにどこかへ行く。
今日はダンスを踊ってあげてもいいとまで言ったのに、それでも誘いに乗ってこなかった。
マシャール・ランダーンは公爵家嫡子。
爵位も高いし悪くはないけれど、美しさと気品を見ればジリル・レオンハットの方がどうしても見栄えする。
それでも向こうから誘ってくるなら、まぁ、ちょっとくらいなら付き合ってあげてもいいかと思っていたけれど、ジリル・レオンハットに近づいたらこの男が邪魔をしに来る。どうせ来るなら別の時に来ればいいのに。それともジリル・レオンハットばかりに声をかけるのが気に食わないのかしら?
彼ももしかしたらランダーン家を敵に回すのを恐れて私を避けているのかしら?
でも、レオンハット伯爵家の当主はレッドムス公爵家の次男だからそれほど恐る必要もないと思うけれど。
父に言って家の方から手を回そうかしら。
そうすれば遠慮することもなくなるわけだしね。
ふふ、あのジリル・レオンハットの美しさは本当素敵。人形のような整った美しさはどんな宝石よりも綺麗。
私の隣に並べはきっと誰もが羨むでしょうね。私にこそ相応しいわ。
「ねぇ。お父様、お願いがありますの。聞いてくださる?」
「どうした、フローラ。なんでも言ってごらん?」
「うん。あのね、お父様? 私、欲しいモノがあるの」
私に手に入れられないものなんてない。
あんな特筆するべきものがない伯爵家のなんの取り柄もない平凡な小娘に、あの美しい人形は勿体無い。
きっと彼だってあんな小娘より私と一緒の方が何倍もいいはずよ。
私と彼が夜会の真ん中で踊って見せれば、誰だって感嘆のため息を漏らすに決まってる。
父にジリルが欲しいとねだってすぐに、彼は私の婚約者になった。
ふふ、こんなものよね。だいたいあんな田舎の小娘風情が婚約者だなんて間違いだったのよ。
私の婚約には沢山の人が驚いたわ。
男の人の何人かはあまりの衝撃に泣いて、ちょっと鬱陶しいくらいだったけれど。
でも、私くらい美しい人ならジリルほどの人じゃないとだめって納得している人も多かった。そうよね、やはり分かる人は分かっているのよ。
今日は婚約が成立して、初めてジリルが訪ねてくる。
さぁ、どんなドレスを着ようかしら。ジリルの瞳の色に合わせて薄いブルーのドレスで清楚で可愛らしい感じでありながら大人っぽさも混じったあのドレスなんてどうかしら?
ならネックレスも落ち着いた物のほうがいいかしらね?
それともアクセントとしてルビーなんかにしてみようかしら?
私を見て彼もきっと見惚れるわ。
でも、私を散々焦らしたのだもの、簡単に許したりしないのだから。
何をねだろうかしらね。
「お美しいですわ、お嬢様」
「当然よ」
侍女たちがいつものように感嘆の吐息を漏らす。
この子達も醜いわけではないけれど、私みたいな本物の美人には到底かなわないで可哀想な子たち。
「ねぇ、今日のお茶はディラル産のハーブティーがいいわ」
「畏まりました」
やっと来た。
時間に遅れてはいないけれど、ぴったり時間通りなのが腹立たしい。もっと早めに着くべきではないの?
姿を見せた私をちらりと一瞥しただけで父の方へと向き直ってしまう。
今までの態度を反省して宝石のひとつでも贈ってくれれば許してやろうかと思っていたのに、決めたわ。そんな簡単に許してやるものですか。
私に膝をつき私の愛を請えばいいんだわ。
ふん。
「…………」
ちょっと。
今の私が不機嫌だってわからないわけ?
何で謝らないのよ。なんで声をかけないわけ?
「…………っわたくし、気分が優れませんので下がらせていただくわっ!!」
「それはいけませんね、では私も長居してはご迷惑でしょう。お大事に」
「な……ちょっ……!?」
優雅に一礼して、さっさと踵を返して出ていく。
なんで、普通、ここは謝るところでしょう。私に縋るところでしょう。なのに、帰るなんて……
許せない。いくら当主が公爵家のものだからって、伯爵でうちよりも各下のくせに。
お父様に言いつけて困らせてやる。
そうしたら次はきっと…………
信じられない。
婚約したのに私を夜会にもエスコートしないし、全然訪ねても来ない。
定型句の手紙だけ寄越すだけ。その内容も代わり映えしない最低限のものだ。
私を一度だって褒めない。おかしい、こんなはずじゃない。夜会では相変わらず私に群がる男どもだっているのに嫉妬すらない。
いつだって無表情。
その瞳には何も映らない。本当の人形みたいに。
私の方から訪ねていっても、会ってはくれる。
けど、本当に会うだけだ。相変わらず私を褒めることも見つめることもしない。愛の言葉だってこぼれない。
体を触れさせればその澄ました顔も崩れるかと思ったけれど、まるで誇りでも付いたかのように払われる。この、私が。
「いい加減にして。私の何が不満だというの?」
「何のことでしょう?」
「何って……それが婚約者に対する態度だとでも言うの? 贈り物もない、賛辞もおくらない、夜会にも連れて行かないし愛の言葉を吐くこともしないで!! 私は白薔薇姫よ? この国で最も美しくて貴族の憧れなのよ!? その私にその態度は何だというの!?」
「最初から政略を前面に押し出した婚約を求めたのはあなたの方でしょう? 何の不都合があるのです? 最低限の交流は保っているつもりですが?」
心底不思議そうな声が落ちる。
「必要なのはレオンハット家とダンバール家の繋がり。当然、絶対に婚約者を同伴しなければならない夜会ならご一緒しますよ。贈り物に関しては、貴女はすでに一級品の物をお持ちですから私からの安物など不要でしょう。私以外の者からも沢山頂いているようですしね。賛辞については申し訳ありません。あなたを美しいとも思わないので、何を賞賛すればよいかわかりませんのでご理解下さい。あぁ、あとは愛の言葉でしたか。それは他の方に頂いてください。私からは一生与えられそうもありません。政略なのですから、珍しい話でもないと思いますよ。うちの両親にも愛などというものは微塵もありませんしね」
「…………な……」
「最初からそんなことは理解していたのではないのですか?」
つまらなさそうに言って、手元の本に視線を戻す。
最初に最低限の挨拶だけをして、私といるのに堂々と本を読み、話を振ることもこちらを見ることもしない。
私が求めたものはこんなんじゃない。
「綺麗な人形は、となりに並べば見栄えはするかもしれませんが。あなたを愛することも美しいと思うこともありませんよ。それともあなたは、自分ならば人形にですら愛されると自身を買いかぶられていらっしゃいましたか?」
綺麗な、人形。
欲しいと思った。傅かれて、愛を囁かれる様はきっと何人も憧れ羨むだろうと思った。
でも、実際はただただ綺麗なだけの空っぽの存在。
パタン
本を閉じる音がした。視線を上げれば、彼が冷めた目のままこちらを見ていた。
「ご安心ください。近く、この婚約はご破談となります」
「はだん……?」
「あなたのお父上ならきっとご承知いただきますよ。そろそろ風が冷たくなってきました。風邪をひかぬうちにどうぞお帰りください」
私が席を立つのは待つくせに、手を貸すことはしようともしない。
いっそ私のことなど待つこともせずに退出すれば無礼者だと父に告げ口も出来ようものを。
丁寧に送り出されたとも追い出されたとも言える。
悔しくて屈辱的で、憎らしい。
お綺麗な顔をしただけの人形の分際で私を見下したつもりなのか。
父の逆鱗に触れて、周りから孤立すればいい。不幸になって困って泣いて許しを請いにくればいい。