侯爵当主の苦悩
ほとんどいらない幕間みたいな回。ごめんなさい。
ただの綺麗なだけの男と侮った、というのが真実だ。
大方の処理が既に終わり、もうどうすることも出来ないしするつもりもない。娘は可愛いし、その我が儘には答えてやりたかったが致し方あるまい。
執務室で一人、ワインに口をつける。
様々な書類が置かれている机の上。
そこから一枚、取り出す。妻と娘の今月の散財の明細を記したものだ。相変わらず加減を知らぬ金額となっている。
そうさせたのは自分なのだろう。それを見ても少し注意する程度でキツく叱るわけでもなく、離縁するわけでもないのは単純に妻と娘が可愛いからだ。くっと自らの愚かさに笑いが漏れる。
妻は、いわゆる世間で言うところの悪妻なのだろう。
それでも自分にとっては愛しい妻であり、その願いは聞いてあげたかった。
綺麗なドレスが欲しい、宝石が欲しい、もっと可愛い屋敷が欲しい。美しくなるためにならどんな高価なものでも手に入れたい。
その願いを叶えるために必死に働き、事業を成功させた。
ふっとため息をつく。
願えばほとんどのものを手に出来る生き方をしてきたし、そんな風にして過ごす母親を見てきたフローラ。
そのフローラが惚れ込んだのがジリル・レオンハットだった。
美しく成長したフローラでさえ、もしかしたら見劣りするのではないかというほど美しい男だった。
手に入れたいと願うから、惜しいが格下である伯爵家に産業の一部を売り渡すことにしたし、持参金も奮発した。
だが、そのジリル・レオンハットからワーゼナット侯爵との縁談を勧められたときは何事かと困惑した。
最初はふざけているのかと突っぱねた。
悪い話ではないと事業家としては思っていたが、父親としては頷くことなど到底できるはずもない提案だった。
しかし、ジリル・レオンハットを望んだはずの娘が、日が経つごとに不機嫌になっていくことには気づかないはずもない。
彼は仕事の話と他の人間の縁談話以外で私に接触することもなかったし、娘に会いに来ることもなかった。パーティーなどの出席も一度もしない。
ある日レオンハット家に押しかけた娘が、帰ってくるなりひどく憤り私に彼を困らせてくれと泣きついた。何かひどい仕打ちでも受けたのかと話を聞き、彼が娘には全くの無関心でいることを気づかされた。
それは、なんとなく気づいていることだった。
だからこそ、彼の持ってきた縁談の話にぐらついていたのだ。
娘に恥をかかせたことを後悔させさせてやろうという目論見もあった。
だからこそ内密に話を進めることを了承したのだ。
だが、あっという間に私が口を挟む暇もなく話が進み、気づけばレオンハットとの正式な婚約解消の書類にサインをすることになっていた。
目の前にはランダーン公爵とその嫡子であるマーシャルと次期デラトルン公爵とされるヒャルト。
ジリルがマーシャルとヒャルトの弟であるグルトとは友人であることは知っていたが、こんなことに加担させるほど親しいとは思わなかった。しかも、ランダーン公爵まで巻き込んで。
この三人の前で逆らえるはずもなく、書類にサインをする。
もとよりジリルとは婚約を解消させてワーゼナットと、と思っていたが、それはきちんとフローラに説明するつもりだった。
まだ説明もしていない状態で書類が先に整ってしまったのは誤算と言えるだろう。
マーシャルがぽつりとフローラもそのほうが幸せだろうと零した。
どことなく感じてはいたが、私もそう思う。
ジリルと結婚したとして、フローラは幸せになれないのではないかと。
最後にランダーン公爵は夜会の招待状を置いていった。
よろしければ、ワーゼナット候にフローラ嬢をエスコートさせてご来場下さい、と言葉を残して。
ワーゼナットの喪はあと数日もすれば明ける。
今回のことをどう、フローラに説明しようか。
妻には何と言えばいいのか。
じくりと痛む胃に気づかぬふりをしてワインを煽った。
それでも奥さんも娘も可愛いと思っちゃう憎めない人。。。