サエキさんのこと
サエキさんについて憶えていることはあまり多くはないのだけれど、高校へ通っていたときに半年の間だけ家庭教師をしてもらっていた。当時は都内の某女子大に通う文学部の学生だったと本人の口から聞かされたような記憶がある。特別成績が良いわけでも悪いわけでもない自分が、進学受験という時期もないのにどういった理由で家庭教師を得ようとしたのかは判然としない。おそらく両親から勧められるがままに唯々諾々と従っていたのだろう。当時の私は反抗期などという反骨精神とは無縁の学生だった。
いわゆる家庭教師といえば極端にいって二つのタイプがあり、大手会社がその道の指導者を雇い各家庭に派遣されるパターンと、知人レベルで個人契約する場合である。サエキさんの場合は明らかに後者であった。それについては明確な根拠というものはないのだけれど、その場その場の会話から滲み出てくる情報や雰囲気で何となく察することができたのだ。
目的や意図が不明な状況であっても、ごく平均的な高校生が習得しなければならない内容というはテキストを覗けば一目瞭然なわけで、ごく一般的な女子学生であるところのサエキさんがごく一般的な家庭教師をやるにいたっては特別障害はなかったと推測される。毎週水曜だか木曜だかの夜になると我が家へ来ては2時間程度勉強をする。よくいうところの家庭教師というものがどういったベースで学習を進めていくのは私は一切知らないのだが、サエキさんの場合は私が学校で書き取ったノートを見て理解度をはかっていきながら、主にその週の復習をしていくという流れだった。教科が決まっていたというわけではなく、ノートの具合によって数学だったり古典だったりと変動したものだ。一度、授業中に書いた少し卑猥な落書きが見つかったことがあり、気まずそうな眼で睨まれたことがあった。
そのときのサエキさんの教え方が上手かったなどと言うつもりはない。実際、私の学校での成績は、急上昇することもなく相も変わらず平均を保っていた。彼女が当時大学で専攻していたという日本史でさえも同様だった。サエキさんの"家庭教師"は目上の先生から物を教わるというよりは、どちらかというと同級生と机を囲んで一緒に勉強している感じに近かった。会話という会話もそんなに多くなかったのだけれど、その時間だけはお互いに同じ問題に向き合い、思考を共有し、なにかしらの一体感のようなものがあったのだ。
サエキさんについては断片的な形ならば、いくつか思い出すことができる。両親が早くに離婚して母親に育てられたこと。ピアノを弾くのがが好きで音大に進みたかったが、挫折をしたこと。高校からの親友に彼氏ができてあまり会わなくなったこと。自動車の免許を採りに教習所に通っていたが、実習のときに教官から色目を使われて困っていたこと……。
どうしてサエキさんのことを思い出したのかというと、実家の部屋の掃除をした際に、その当時のノートや教科書などがひょっこり出てきたからだ。見つけたのは私ではなく、今年四歳になる息子だった。
現在、実家の一軒家は母ひとりで住んでおり、一人で住むには広いため一部を減築することになった。特に父の部屋は、骨董趣味が高じて様々な焼き物や日本画などで溢れかえっているため、母一人ではどうにも手がつかないようなのだ。私は仕事の長期休暇を取り、妻と子どもを連れて実家を訪れ減築する部屋や物置の整理をしていたのだった。私が父の部屋の整理をしていると、郊外の一軒家の広さに感動した息子が家中を駆け回り、古い物を詰めていた収納箱を蹴倒してしまったのだ。
ノートや教科書類と一緒に目を惹いたのは、学生証のコピーだった。
朝永裕理という名の女子学生の学生証で、朝永という名字に見覚えはなかったが、そこに載っていた人物は間違いなくサエキさんだった。よくよく見てみれば、その写真の中の服装は私がよく知ってるサエキさんのものではないか。発行年月日はまさに彼女が私の家庭教師をしていた頃を示していた。
どういうことなのか混乱したが、落ち着いて考えてみると簡単なことだった。
結婚をして姓が変わったのだ。
サエキさん(あえてそう呼ぼう)は当時大学生だったから、二十歳前後。学生結婚というのは珍しいかもしれないが、法的にいけないことではない。ただ、法に則しているからといってそれが世間で受け入れられるかどうかはまた話が別だ。
しかし、どうして私の前で旧姓(だと思われる)を名乗っていたのだろうか……。
そう疑問に思った瞬間、まるで呼び水のようにいろんな事柄が記憶の奥底から浮き上がり、それぞれが結びついていく。
どうして私がサエキさんの名字を漢字で『佐伯』と思い出せないのか。
当時、私はおそらく気づいていたのだ。父が彼女を呼ぶときの、どこかぎこちない響きに。彼女が初めて自己紹介したときの不自然な空気に。普通車免許を採ってもそれをいっさい見せてくれなかったことの違和感に……。
サエキさんが家庭教師にこの家にきたのは、火曜日と木曜日だったこと。その日は母が紡績工場のパートに勤めていて必ずといって良いほど在宅していなかった。
初めにサエキさんを連れてきたのが父だったこと。毎回父がサエキさんを最寄りの駅まで送り迎えに行っていたこと。サエキさんは日本史を専攻していて、地域の古い歴史遺跡なんかに興味を持っていた。骨董趣味の父とは知識という面で意気投合したのかもしれない。
まず間違いなく、サエキさんは父の不倫相手だったのだろう。どういう経緯なのかは知る由もないが、彼女は自分の結婚に満足していなくて、そんなときに父と出会った。教習所に通っていたというのだから、お金に困っていたというわけではないだろう。単純に、父に会いに来ていたのだ。
サエキさんの家庭教師は半年ほど続いたが、その後はどうなったのか。
父は数年前に認知症を患い、今は養護施設に入っている。当時のことを尋ねてもおそらく何も聞き出せないだろう。
憶えているとしてもなにも話すまい。
庭で妻と遊んでいる子どものはしゃぎ声が聞こえる。少し離れた軒先で母が幸せそうに微笑んでいた。
私は……、時間にすればほんの数分間だと思われるが、とても長い間そのノートの中の記述や文字を眺めていた。
そして私は、廃棄と書かれた段ボールの中へ無造作に放り込んだ。