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義務感

 ワタクシめの為すべき仕事はというのは、モウ何年も揺るぎないものであります。

 ハイハイ、そうです……ワタクシめは……四十年以上この屋敷で働かせてもらっております。まだワタクシめの鼻っ柱が青かった頃にですね、すでに亡くなられたダンナ様に拾ってもらったのでありますよ。

 コンナ無能の愚人に目をかけていただいて……えェ、そりゃあモウ素晴らしい御方でしたよ。かれこれ七十年の間、こうして生き恥を晒してきましたが、アレ以上の方に出逢ったコトはありません。ダンナ様がお亡くなりになった今、このオイボレの身も残りわずか。できるだけの御恩にお報いするのがワタクシめの所存であります。

 ハァ、仕事のコトでありますか……?

 そうですねェ……お嬢様のご準備が整うまで、マダ幾分かお時間が余っておられるコトでしょう。ここはどうです。ワタクシめの取るに足らない話でも聞いてくれますか。

 ハイ……どうもありがとう御座います。

 お客様は、この広いお屋敷の中に何枚の鏡があるか御存知でしょうか。ここへ来るまでにもたくさん目にされたコトでしょう。貴方様のご明察の通り、この広間もそうですが、この屋敷内には大小様々な鏡がところどころに掛けられております。その数ナント六十七枚もあるのですよ。えェ、数に間違いはありません。それもそのハズ、その六十七枚の鏡を毎日欠かさず磨いているのは、何を隠そうワタクシめなのですから。

 イヤイヤ、驚くほどのコトでもありませんや。ワタクシめはこの仕事を来る日も来る日もこなしてきました。そのセイか今では、鏡を磨かないでいないときの方が、ドコか物足りないというか……あァ、おわかりになるでしょうか、落ち着かずに手持ち無沙汰な感傷に浸ってしまうのです。イヤァ、人間とはマコトにおかしな生きものですよ。

 そもそも、これら鏡はどれもみな、奥様のお飾りになったモノなんですよ。奥様は三年前に……えェ、そうです……。貴方様も既に御承知でしたか。

 その奥様というのが、世にも御自身の容姿をお気になされた方でしてねェ……。絶えず己の姿を目に止めておかないと気が済まないという性分でした。屋敷内を見て回れるとおわかりになると思うのですが、この鏡の配置法というのが実に見事でして……例えどの場所に立とうトモ、いずれかの鏡にお姿が映るようになっているので御座います。……というのもですね、最初の頃はソンナにあったワケじゃあなかった。奥様は、御自分の部屋の中に閉じこもり、嫁入り道具で持ってこられた大きな三面鏡をそれはモウ毎日欠かさずに眺められておられたのですね。それを見かねたダンナ様がある日、大きな鏡を御購入なさってこられたのです。

 ヘヘ……ここで少し面白いお話があるんですよ、お客様。そのダンナ様がお買いになった鏡のコトなんですが、これが普通の鏡とは多少ばかり異なったところがあってですね……、おワカリになりますか? ワタクシめもいくつかの鏡を磨いているウチに、ふしょうながらソウいった違和感に突き当たりましてね、思わず口元を緩めてしまいますァ。

 つまり、コイツにはちょっとした細工がしてあって、鏡の表面がわずかながらでありますが奥の方へ沈んでいるのですよ。同じ鏡を何枚も連ねていきますと、ちょうど大きな筒状のカタチが出来上がりますな。何故そんな細工が施されているか……ワタクシめとは頭のデキが違うお客様にとっちゃ何でもないコトで御座いましょうが、要はこうするコトで、鏡には縦長になった姿が映る仕組みなんですわね。御自分の体型を大いに気に病んでおられた奥様に対する、ダンナ様の粋な計らいというワケです。

 それだけじゃあないんですよ、お客様。ワタクシめが毎日、汗水流して磨き上げている、このさも当然のように思われる雑務の中にも、ダンナ様の何気ない気配りが隠されていたので御座います。

 どういう意図かと申しますと、このワタクシめが鏡を磨く際にはですね、特殊なワックスを使用します。このワックスを使って鏡を磨くと、表面がホンのわずかですが曇ってしまうのですね。これを遠くか見渡せば、どんなにキレイなモノもそうじゃないモノも曖昧になっちまうんですわ。ちょうど、ピントの合わない写真みたいに、全体をボカしちゃうわけですよ。オマケに奥様は目の方があまり良くない方でしたからな、ダンナ様としては好都合だったワケです。

 皮肉な言い方になっちゃいますが、もしダンナ様がこういった茶目っ気を出さなかったら、こんなにも多くになるまで鏡は増えなかったとワタクシめは思うのです。

 おっと、今のは口にしなかったコトにしてください。仕事に不満を持っているように思われますからな、ハハハ……。


 ――アッ! ようやくお嬢様のご準備が済んだようですぞ。

 いやァ、お客様。こんなオイボレの暇話にお付き合いいただき、どうもありがとう御座いました。ワタクシめはまだ仕事が残っている故、この辺で失礼させていただきます。

 どうぞ、ごゆっくり……。


 ※


 たいへん長らくお待たせしました。

 私ときたら、準備にイロイロ迷ってしまって、いつもお客様を待たせしてしまうのです。本当に申し訳ございませんでした。

 ……アラ、どうなさいました?

 そんなキツネにつままれたようなお顔をなさって……。

 あァ……、ひょっとすると、私どもの執事がまた珍妙な話をなさいましたね?

 ヤッパリ。あれほど控えるように言いつけておいたのに……。

 まったく、しょうのない御方。

 ……えェ、わかっております。鏡のお話でしょう? 屋敷中にかかっている鏡を彼が管理している、という可笑しな自慢話でしょう? 彼はたまにお客様がお見えになると、決まって同じ話をなさるの。アノ人の中ではチョットした習慣になっているのかもしれませんわね。

 さぞかし驚かれたコトでしょう。

 鏡なんてどこにもないのに、さも目の前にあるようにお話になるんですものね。

 この度の失礼は、私の方から謝らせていただきます。


 ――エッ? 本当のところ、ですか?

 えェ……確かに鏡はありましたわ。お父様がお母様のためにわざわざお集めになったのです。しかし数年前にお母様が亡くなってからは、鏡はすべてはずしてしまいました。だって、どこもかしこも鏡だらけナンテ気味が悪いでしょう? 絶えず向こう側から見つめられているみたいで、どうにも落ち着きませんわ。だからはずしてしまったのです。

 しかし不思議なコトに、あの執事の目には、いまだ鏡があるように映っているらしいのです。そして亡くなったお父様に言いつけられた通り、毎日鏡を磨いているの。同じ場所に同じ枚数、かける時間まで正確に、その仕事をこなすのですよ。私どもの方から見れば、タダのパントマイムにしか思えませんが、ともすれば本当に鏡があるように見えてきますのよ。

 鏡がないコトを伝えても、一切信じませんの。お父様との御約束ですから、と半ばに意地になって言い張るのですよ。一度そう言いだしたら、もうテコでも動きませんわ。そもそも、小娘の私に彼を止める権限などナイに等しいでしょう? フフフ……。

 でも、私はときどき思いますの。実際のところアノ方は、鏡がなくなった事実に思い至っているのではないかと。

 あの人はもう高齢です。そして、この屋敷のお仕事というのはどれも老体には過酷ですわ。私どもの家系では代々、そうした高齢に達した使用人には、ほとんど仕事を与えずに、労働のささやかな返済として、余生を自由に充足させるようにさせてきました。私もその方針に異論はありません。

 ダカラ結局のところ、あの方は仕事を失うコトに怯えているのかもしれませんわね。あるハズのない鏡を磨き続けるコトで、変わらないお父様への忠誠心や、屋敷の者や私への貢献心を必死で証明していようとしているのではないでしょうか。

 そう思うと、ムリに止めようとするのも気が引けてしまいますわ。

 だから私は、彼の義務に関しては口を挟まないコトにしているのです。


 あァ、ごめんなさい。

 フフフ……私ってば、ツマラナイお話をしてしまいましたわね。

 今言ったことはぜんぶ忘れてくださいナ。

 では、ご案内しましょうか。

 今回、貴方様に買っていただくのは、他でもない、私の両親が残した大量のミラーコレクションです。

 何枚くらいあるのかしら?

 ……エッ? 六十七枚?

 アラ、よく御存知ですのね。

 まるで見て来たようにおっしゃるモノですから、ビックリしましたわ。


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