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砂賀家

作者: 尚文産商堂

砂賀一族というのは、手野家の宗家にあたる。

岡山から姫路かけて勢力の地盤をもった一族だ。


元々は、どうやら近隣の砂浜に根城を持つ水軍だったらしい。

いつしか陸に上がり、そして川砂から金を取るという事業をはじめた。

手野鉄道が最初に岡山近辺で旅客鉄道を敷いたのは、その砂金のための人を運ぶためという意味が強い。

この砂金を元手に、江戸時代である寛政10年、すあんわち1798年、砂賀繊維を創業することになる。

この砂賀繊維こそ、現在の手野繊維である。


繊維業を行いつつ、当時の砂金部門の長であったのが、手野家だ。

この手野一族は、砂賀家の分家筋に当たる。

筆頭分家と言えばいいだろうか、そのような家柄だ。

この当時の手野家当主が、さらなる発展を目指し、近隣の鉱山の採掘を開始。

これが手野鉱山である。

命名された手野鉱山は2つあり、こちらは石炭、金が取れる、岡山手野鉱山と呼ばれることになる。

一方、新たに店を出した大坂の近隣にある山と野原を借り上げ、そこの山の発掘を開始。

こちらが大坂手野鉱山と呼ばれることになる、石炭の鉱山である。

現在、手野鉱山公園として稼働しているのは、主に大坂手野鉱山である。


そして、文政3年、1820年に至り、いよいよ江戸へと足を延ばすことになった。

この時、手野家へと繊維業を引き渡すことを砂賀家は行っている。

どうしてこのように家督を譲ったのかは、今を持って謎に包まれている。

一方で、これを機に砂賀繊維という店名を、手野繊維へと改名。

現在でも、手野繊維の黄金株1株を砂賀家が持っているのは、これが理由である。

以来、砂賀家は主に繊維業の頭領という地位を維持し、現代へと至っている。


なお、砂賀家のさらなる分家筋は、手野家の傘下に入り、現在の手野産業株式会社を筆頭とする手野グループの取締役や役員に就いている人が多い。

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