レキと想い
「…――――優しくなりたい。そう思った。」
「…へ?」
あまりにも突拍子な提案に、シンラは目を点にした。
「(働く…ここで?)―――――俺があっ!?」
高波のように押し寄せる驚きに思わず大声を出す。そんなシンラにオウカはにっこりと微笑み、レキは小さく溜め息を吐く。
「い、やいやいやいやいやいやいや!?だって俺、人の心読めないっすよ!?」
「そうですね。存じ上げています。」
「だだだ…だったら(俺が働く理由が無いんじゃ…)。」
「いいえ、それは違うのです。」
「…違う?」
きょとんとした表情でシンラはオウカを見た。すると彼は少し斜めに身体を動かし、襖の向こうに呼び掛ける。
「キヲ、入ってください。」
三人が座る部屋に繋がる襖の一つがするりと開くと、そこに小さな影がある。ぺこりと頭を下げたそれは、レキと変わらないくらいの小さな少女だった。
「…女の子?」
「失礼致します。」
小さな透き通る声で言うと、彼女はオウカの横にちょこんと正座する。
肩より上で切られた後ろ髪に、前髪は上げて額を出しているので顔がはっきり見える。丸く大きな瞳に小さな鼻と口で可愛らしい。そして淡い黄色が混ざった白の着物を着て、まるで人形のように凛とした姿勢で座っている。が、見れば見るほど普通の少女だ。
「彼女はキヲ。私のな師をしてくれています。」
「゛な師゛…?」
聞いたことのない単語にシンラは首を傾げる。レキも気になるようで、オウカを挟んで向こうにいるキヲのことをじっと見ていた。
「はい…ことだま師は心が強くないといけません。しかし、心の安定を保つことは思うよりなかなか難しいものです。他人の心を受け入れようとするなら尚の事。そのため、ことだま師にはな師という相方がいます。例えば古くからの友人であったり、憧れを抱いている人だったりと理由は其々ですが、一緒に居て落ち着ける、安らげる…そうした気持ちになれる方にお願いしているのです。心の安定剤のようなものでしょうか…。」
「(安定剤…。)ええと、じゃあオウカさんにとってはこの子が…?」
オウカは頷いて優しい眼差しをキヲに向けた。
「そうです…私にとってこの子といることはとても安らげるのです。不思議なことに、キヲには私の力は効かないんですよ。」
「!効かない…んですか!?」
シンラもレキも目を丸くして驚く。先程オウカの力を体験した二人にとって、あの力が効かないという事実は信じがたかった。するりするりと水のように流れてくるような心を読まれる感覚を思い出しながら、目の前に座る少女を注視する。
「私が言うのも可笑しいかもしれませんが、本当に稀なことで驚きました。―――…しかし、それだけに彼女の存在は私にとってとても大きく、安らげるのです。」
「…心を読めないのに?」
シンラの質問にオウカは目を閉じながら答える。
「だからこそなのです。私にとって…心を読むことは、日常であり、変えられない事実であり…忌むべき力なのです。」
「――――!?忌むべき…って…。」
オウカは微笑む。その微笑みは安らかであり、しかし悲しみを滲ませたような切ないと感じるものだった。
「私も昔はこの力に絶望したことがありました。若かった…というよりも、まだ力をうまく使えなかった、の方が正しいですね。今では力を抑える方法を見つけたので、それほど苦ではありませんが…前はいつでも他人の心が自分の中に流れて、止められなかったのです。…読みたい訳ではないのに、様々な感情が流れ込む…一つ一つ消化するには複雑過ぎて、そうですね…解りやすく言えば、毎日悪夢を見ているようでした。」
悪夢。
自分の気持ちだけでも気持ち悪く感じることがあるのに、他人の、それも複数を取り込んでしまう状況なんてシンラには想像するしか出来ない。しかし、明らかに地獄のように苦しいものだろうとは思う。
理解なんて出来るわけがないが、自分がそんな力を手に入れてしまったとしたら…。
(――――…俺は平常心なんて保てる自信がない…。そんなの、絶対…。そうか、そう考えると誰だって望むわけがない力なんだ…。でも、この人は…。)
「…生まれつき私の力は強かった。ですが、ことだま師という人々と出会い、様々な感情を見てきて、少しずつですが…私はこの力を誇らしいと思えるようになりました。ですから、シンラさん。そんな顔をしないでください。大丈夫ですよ。」
オウカに言われて自分が酷い顔をしていることに気づく。口先を尖らせ、眉間に力を入れてしわを寄せていた。
「っ…あ、はは…すんません。俺なんかがこんな顔する立場じゃないのに…。」
情けない。俺はこんなに優しい人を恨もうとしていたのか。シンラは口に出さなかったが、オウカに対して申し訳無い気持ちで一杯だった。
さっきまでは何も知らなかった、でも知ってしまったら…なんて自分は浅はかで愚かなんだろう、と。
「…ふふふ。」
オウカが小さく笑う。シンラは自分が馬鹿過ぎて笑われていると思い、下を向いて顔を隠した。
(だ――――っ!!まじすんません!!もし過去に行けるとしたら、あん時の俺ぶん殴りてええ!!)
「んなこと出来るわけないだろ。馬鹿か。」
今まで黙っていたレキが呟く。さらにどうしようもない自分を思い知らされ、シンラはレキを睨んだ。
「おっ…まえなあ…!!」
するとオウカは微笑みながらシンラに柔らかな眼差しを向けた。
「ふふっ。すみません、シンラさん。馬鹿にしているわけではないのです。ただ…貴方があまりにも心が美しいので。」
「―――…へ?(心?美、しい…ええ?)」
オウカの言葉に驚いて耳を疑った。彼は何を言っているのか。どこをどう思えば心が美しいということになるのか、シンラ自身にはさっぱり分からない。
表情がさっきよりも歪んだ彼に、オウカは静かに呼吸をするように言葉を紡ぐ。
「人は言葉で何を言おうと、心の底にある気持ちと違うものを言ってしまうことが殆どです。子供の頃はとても素直で思ったことを口にすることが出来たのに、大人になるにつれてそれに羞恥心を感じるようになる。無知は恥、嘘は方便…必ずしも本音を言って上手くいくわけではないのなら、より自分にとって良い展開になると思われる言葉を選ぶようになるのです。」
「そ、そんなの…俺だって…。」
「ええ、そうですね。ですが…実は、人は心の中でも自分を取り繕うことがあるんですよ。こういう理由で、こんな状況だから、仕方無いのだと。自分で自分を慰め、言い訳を作るのです。自分は悪くないのだと。…それは本能に近いものだと私は思います。自分という存在の安定を保つ、それはこの世で生きるために人が見つけた道の一つだと。」
自分という存在の安定を保つ…何となくでしか意味が理解できないが、つまり自分自身に嘘をつくことがあって、それは人間にとって日常的なものである。ということだろうか?
「よって、それを心から恥ずかしいと思える貴方はとても素直で、綺麗な心の持ち主だと私は思うのです。…ことだま師を、心を読める者の話を信じ、受け入れている。これもやろうとしても、なかなか出来ることではないんですよ?」
柔らかな微笑み、優しく流れる言葉。オウカの話を聞いていると、言葉が直接心に響いているように感じる。
心を読まれる…確かにいい気持ちがするというわけではない。しかし、読んだ人がこんなにもいい人だと知って、嫌な気持ちはそんなにしない。
俺のこの気持ちが普通じゃないのかどうかは置いとくとして、そう思ったことに偽りはない。
「だからこそ…貴方にレキさんのな師を御願いしたいのです。彼のことを親身に考え、思いやってくださる。そして裏表なく、お互いに言いたいことを言い合える…心を信じ許せるシンラさんが傍に居てくださるなら、私も安心出来る。勝手なことは重々承知ですが、どうか…。」
オウカはそう言いながら両手を畳につけて頭を下げようとした。
「―――――わー!!分かりました分かりました!!(だからこれ以上頭下げんのやめてくださいって!!)」
シンラはそう言ってそれを阻止した。オウカは静かに顔を上げてシンラと視線を重ねる。シンラは口を閉じて唇を内側で咬んだあと、一つだけ息を吐く。
「…正直、ことだま師自体まだよく分かってないし、な師なんて仕事もさっぱりで、俺なんかに務まるかどうかは分かんないっす。けど…俺にとってはとても有り難い話です。…――――その前に一言だけ。」
シンラはオウカの横に座るレキを見る。彼も真っ直ぐシンラの瞳を見つめた。
「…軽く聞いた感じ、これからお前と行動することになる。俺は全然構わない。でも、お前自身はどうだ?俺がな師で…いいのか?」
昨日、本当に出会って僅かな間の関係。これが巡り合わせと言って良いものかは分からないが、ここが自分たちの一つの分岐点であることは明白だった。
だからこそ、後悔のないよう…レキ本人の肯定の言葉が欲しかった。それが確かな絆になる気がしたから。
「…。」
心の読めないシンラにはレキの考えていることを知ることは出来ない。でも、正面で向き合った彼の瞳には…迷いはないように思えた。
「――――よろしく頼む。」
それで十分だ。
シンラは再びオウカに向き直り、改めて頭を下げた。
「私、シンラは…な師の件、慎んでお受けいたします。どうぞよろしくお願い致します。」
するとレキも体の向きを変えてオウカに頭を下げる。言葉こそないが、気持ちは十二分に伝わっていた。
二人を交互に見つめたあと、オウカは優しく微笑み頷く。
「喜んで歓迎致します。お二人とも、今後ともよろしくお願い致します。」
その様子に、無言で見守っていたキヲもまた小さな笑みを浮かべていた。
カコンッと鳴り響く鹿威し、小鳥のさえずり、心地好い風が緑の葉を揺らす音。そのすべてが、まるで二人の決意を祝うように、静かに、優しく彼らを包み込む。
空は透き通るほどの青さで、見上げただけで心が落ち着く。
シンラとレキは一度寝ていた部屋に戻るように言われ、キヲに呼ばれたソウキチが二人を連れて部屋を出た。
ふと、レキは振り返り…じっとある場所を見つめた。キヲが入ってきた襖、そしてオウカに視線を移し、小さく一礼する。
シンラに催促され、オウカたちと語った部屋をあとにした。
足音が聞こえなくなるまで、オウカとキヲは彼らの出ていった襖の先を見ていた。
すると、レキが見つめていた襖が開く。
「…結局、受け入れることにしたんですね?」
「彼…レキは私たちの存在に気づいていました。力は申し分無いかと。」
そこから現れたのは一組の男女だった。
女は後ろで髪を丸く一つにまとめていて、片目に丸いレンズを着けている。歳は四十前半で、怒っているような困っているような、どちらともとれる表情をしていた。
「…オウカさんが決められたのなら私は文句などありません。ありませんが…どうも彼らの口の聞き方には些か注意するべきかと。はっきり言いますが、あれでは反感を買うのは目に見えています。」
「ふふ…ツキカさんは手厳しいですね。」
やんわりとしたオウカの反応にツキカは溜め息を漏らす。今度は横にいた男が口を挟んだ。
「確かに今のままではことだま師として客をとることは出来ないでしょう。しかし…私は彼らに惹かれるものを感じました。言葉使いはここで学べば問題はないと考えます。彼らがどう成長するか、はたまた時間だけを無駄にし諦めるか…見守ってみるのもいいのでは?」
二十代前半の男は無表情から小さく笑みを溢した。長く伸びた前髪を両脇と真ん中に分けてあり、その間から少しつり上がった目が見える。
「ツワブキさん、貴方まで…。キヲ、貴女はどう思う?」
話を振られてキヲは黙ったまま考える。そしてゆっくり口を開いた。
「私は…あの方たちがことだま師になることは、意味のあることになるかと。…ただの感ですみません。」
キヲの答えに大人たちは驚いたように目を丸くした。謝る彼女の頭をツキカがそっと撫でる。
「キヲの感は当たることが多いし、意見を求めただけなのだから謝る必要はないわ。…はあ、仕方ありませんね。分かりました、もう何も言いません。」
ツキカが渋々折れて話がまとまった。オウカはにっこりと微笑んで、透き通る声で言葉を紡ぐ。
「では、特級二人と中級一人の意見の一致により、レキ、シンラ両名を我らことだま師の仲間として受け入れる。ということで宜しいですね? 」
ツキカ、ツワブキが頷きオウカは柔らかく微笑む。
こうして正式にレキとシンラはことだま師とな師になるため、この屋敷で生活することが決定した。
オウカたちのやりとりは露知らず、部屋に戻ったレキ、シンラはソウキチと話をしていた。
「いやあ…昨日あんなにお世話になったのにまさかここで働くことになるとは思ってもみなかったっす。えーと…改めましてシンラです。不束者ですが、よろしくお願いします。」
「ははは。はい、ソウキチです。此方こそよろしくお願い致します。シンラさんたちのような優しい人たちと一緒に仕事出来るのはとてもうれしく思いますよ。」
「いやー、そんなことないっす!へへ、でもソウキチさんみたいな人と知り合えて良かったです。右も左も分かんないんで…な師とか何をするもんなのかとかさっぱりで。」
「そうですねえ…まあ相方の機嫌を害わないことが一番です。彼らことだま師はとても繊細ですから。」
え?とシンラは思わず声を上げた。
「も、もしかして…ソウキチさんも誰かのな師なんですか!?」
「はい、私の相方は幼馴染みでして…前は彼女がな師だったのですが、色々あってことだま師になることになったんです。」
「(彼女、ということは女のことだま師か…。)へー、心を読める人がな師になる場合もあるんですね?」
「ええ。…そういえば、あの方々もそうだったはずですよ。」
「え?」
誰のことか聞こうとしたとき、部屋の襖がスパーンッと開かれた。座っていた三人は思わず視線をそちらに向けて、何事かと目を大きく見開いている。
「おー疲れ様でーす!聞きましたよー!シンラさんたちここで働くことになったんですか!?」
笑顔で現れたのはリンだった。にこーっとした表情で部屋の中を見て、リンの顔はまた変化した。
「あれ!?ソウキチさん!?あわわ…お、お恥ずかしいところを。」
(俺たちには恥ずかしくないのかい?)
なんてシンラやレキが白い目を向けると、リンは何事もなかったかのように知らん振りして顔を背けた。
「り、リンさーん?」
すると、リンの後ろ、恐らく少し距離があるところから声が聞こえた。
「あ、やば!タチバナさーん、こっちです、こっち!!」
廊下から手を振って合図するリン。とたとたと音を立てながらタチバナがやって来て、そっと開いた襖から部屋を覗いた。
「ど、どうも。」
シンラがぺこっと頭を下げるとタチバナは微笑んで会釈した。
「どうしたんですか?お二人とも。」
シンラたちが知りたい疑問をソウキチが切り出した。
「あ、そうそう♪お二人がことだま師の仲間になったって聞いたんで、私とタチバナさんは昨日会ってたので先に軽く挨拶しとこうかなーって思って。」
「り、リンさん…。(そんなに俺たちが仲間になったことが嬉し――――。)」
「あと御祝いついでにパーっとしたいなって♪」
(そっちが本音か…!!)
シンラはがっくり肩を落とす。
「ははは、なるほど。貴女らしいですね。」
ソウキチが言うとリンはてへっと舌を出して笑った。するとタチバナは部屋に入って正座する。真っ直ぐレキとシンラに眼差しを送ると、手をついて再び頭を下げた。
「私もさっきリンさんから聞いたのですが…レキさん、シンラさん。どうぞこれからよろしくお願い致します。初めは分からないこともあるでしょう、何か困ったことがありましたら何でも言って下さいね。」
タチバナのその姿勢にシンラ、そしてレキも背を伸ばして頭を下げる。見守っていたソウキチもそうしたことで慌ててリンも座って同じようにした。
皆で顔を上げると、なんとなく可笑しくて笑いが生まれる。声を出して笑うシンラとは対照的に、レキは相変わらず無表情だったが、昨日よりもその表情は柔らかいように思えた。
それからリンとタチバナは一度仕事場に戻り、ソウキチも昼飯を一緒に食べたあと少し席を外す。なんでもシンラたちには違う部屋が用意されるようで、その準備のためだ。シンラも手伝うと申し出たが、やんわりと断られてしまった。
そしてレキと二人っきり、部屋に残された。
オウカと話をして、レキがことだま師になると決まるまで少ししか時間が経っていない。だが二人にはとても長く、意味のあるものだった。
それ故に二人っきりというのはなんだか久し振りに感じる。
「なあんか…今日も色々あったなあ…。」
口を開いたのはシンラだ。ごろんと畳の上に身体を放り投げるように寝転んで、大きく背伸びをする。
その様子をレキは正座しながら横目で見ていた。シンラはぼーっと天井を見上げる。
「…正直、まだ嘘みたいだ。こんなところで働くことになるなんて、な。」
「…でも、俺の気持ちに嘘はない。」
ずっと黙っていたレキがようやく口を開くと、シンラは笑って言った。
「分かってるよ!ただ、お前もう少し愛想良くなれよな。直ぐにとは言わねえけど、せめてここにいる人たちとは仲良くなれよ。これから色んな人間に会わなきゃいけないんだからな…ことだま師ってそういうもんだろ?お前がそれを望んでんなら、尚更な。」
「…――――ん。」
自信のないような頼りない返事に、シンラは苦笑いするしかない。
レキの過去を見てしまった今、知ってしまったからだ。彼が人間に対して恐怖や憎しみを抱いても仕方がない人生を歩んできたことを。しかしことだま師は他人を相手に商売をするようなので、避けて通ることは出来ない。
―――自分で決意したのなら尚の事。
(本当は怖かったら辞めてもいいんだぞ?まだ何もしちゃいないんだからな?)
そう心で呟くと、レキはキッと鋭い眼差しを向けてきた。
「俺は…――――辞めない!」
半分ムキになる様子を見て、シンラは上半身を起こしてレキの頭をわしゃわしゃと撫でる。レキはよく分からないと言うような顔をして眉間にしわを寄せた。
「決意は固いんだな…いいさ、お前の道だ。胸張っていいんだよ。」
そう言われてレキは目を丸くした。そんなこと、初めて言われた…そんなことを思ったかのように。
シンラの手を振り払おうと上げた右手を下に下げ、レキは何かを考える。
「どうした?」
シンラの呼び掛けに、ゆっくり視線を上げていく。レキの瞳は澄んだ色をしてシンラを映している。レキの頭から手を退けて、シンラは彼の方に身体を真っ直ぐ向けた。
「…ことだま師には、なりたい。だけど…その為に何をしたらいいかは、正直分からない。」
「…うん。」
お互い見つめ合いながら、シンラはレキの話を受け止めるように聞く。
「他の人間と喋るのも…本当はそんなに好きじゃない、苦手だし、俺が喋っても…。」
「レキ…。」
「ことだま師になるためなら必要だってことも…ここの人間…さっきの連中も、あの人も…俺を受け入れてくれたのも分かってる、分かってるんだ…。」
話す間、レキは膝の上で拳を固く握っている。頭では理解していても、すぐにはいそうですかなんて切り換えられる訳はない。戦っているんだ、すでに、自分自身と…。
「(お前…は)どうしてそこまで?」
レキは、一度瞼を閉じた。そしてゆっくり目を開ける。
「…あの人が俺の心を読んで、泣いてくれたとき…俺が泣いた訳じゃないのに―――胸の中がすーっとしたんだ。ずっと押し込めて固めて苦しかった塊が、水みたいに溶けて流れて行ったみたいに。そしてそれを感じて、あの人は笑ったんだ。優しい…温かい笑顔で、泣きながら。」
「――――…救われたんだな。お前の気持ちを、あの人は解放してくれたんだ。」
レキはこくんと頷く。
「嬉しい…なんて久し振りに感じた。忘れてたんだ、こんな感じだったんだって思い出せた…。すごいって、本気で思った。こんなことが出来る人間がいるんだって。俺と同じ、心が読める人間が―――心が読めるなんて、悪いことなんだって…ずっと思ってたから。」
(悪いこと…。)
その言葉にシンラは顔をしかめる。
「でも、そうじゃないってあの人が教えてくれた。自分も辛いのに…一緒に泣いてくれた…こんな人間がいるんだ!って…嬉しいと思う自分がいるって…気付かせてくれたんだ。」
「…そうか。」
オウカの姿を思い浮かべ、彼が微笑むのを想像した。
(俺も思ったよ…あんなに優しい、切ない笑顔が出来る人がいるんだって…。)
シンラの心を読んだレキが、ふと僅かに笑みを溢す。初めて見たその表情に、思わずシンラは目を見開いた。
「だから―――思ったんだ。こんな風に、他人を思える人間になるにはどうしたらなれるのかって。どうしたら他人の心を溶かせるほど、優しくなれるのかって…。知りたい、この人の側で…その答えを知りたい。本気で思った。」
「…知ってどうするんだ?」
シンラの問いに、レキは下を向いて目を瞑る。
「…どうしたいんだろうな…自分でもそこまでは分からない。ただ…ほんの少しでもいい。他人を避けるんじゃなくて…――――優しくなりたい。そう思った。」
優しくなりたい。
これが、レキの願い。
ことだま師を目指す…大事な理由。
その言葉はシンラの胸の奥深くに染み込んでいく。
「…お前は、いいやつだな。」
シンラは言った。今までレキに見せた中で、その笑顔は一番優しいものだった。
彼の笑顔に、レキはきょとんとしている。どうやらまだ感情に疎いところがあるようで、シンラの言葉の理由がよく分からなかったのだった。
(…その辺りはまだ子供だな。)
これから学んでいけばいい。辛いこと、苦しいことがあったとしても…それが幸せと優しさに気付かせてくれるのだ。まだまだ子供のレキには時間がある。体も気持ちも発展途上だ。
見ていてやろうじゃないか。
シンラはこの時改めて、な師としての自分の役割を確信したのだった。