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ことだまし  作者: 青の鯨
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レキと願い




「こんな気持ち初めてなんだ…。」








「…いくらなんでも蹴り起こすことないだろ?」



朝、先に起きたレキは一向に起きる気配のないシンラを起こそうと身体を揺すった。しかし、それでも鼾をかく彼に足蹴を食らわせたのだった。


「起きないお前が悪い。」


しれっとした態度でレキが言うと、シンラは表情を歪ませ文句をたらたら言いながら箪笥に向かう。中をあさり、取り出した着物をレキに手渡した。


「俺はいいけどお前はまだここの着物借りとけ。泥とかついた服着て会うのも失礼だろ…あとでお前のは俺が洗濯しといてやるから。ん。」


そう言ってレキの胸に着物を押し付けて自分も着替えをし始めた。


「…そういうもんか。」


レキは受け取った着物を見ながら呟くと、反論することなく言われたとおりに着替えをする。素直な反応に少しだけ驚くものの、さっきまで怒っていた気持ちはどこかにいってしまったように口元を綻ばせた。


(こう素直だとかわいいもんなんだけどな。)


「うるさい、余計なお世話だ。」


思ったことを読まれてレキにつっこまれる。


「んな!?読むなよ、朝から!」


シンラはまたぷんすか怒りながら布団を畳もうと手を伸ばした、そのとき襖の向こうから声が聞こえてきた。


「おはようございます、御二人とも起床されていますか?」


「あ、はい!起きてます!」


シンラの返事を聞いて声の主は襖を開く。開いた先に居たのは膝をついて微笑むソウキチの姿だった。背が高いだけに膝をついた状態でも十分大きく感じる。


「失礼します。昨日はよく眠れましたか?」


「そりゃもう…こんな立派な布団に寝させてもらったんでぐっすりっすよ。ありがとうございました。」


「そうですか、それは良かった。では布団を片付けさせてもらいますね。」


そう言ってソウキチが立ち上がる。やはり立つとでかい、シンラは心の中で思った。


「て、手伝います!」


手際のよいソウキチに手伝いは必要なかったが、それでもシンラは何かしないと気が済まなかった。自ら進んでソウキチが畳んだ布団を押入れにしまう。レキはその様子を横で見ていた。


「ありがとうございます。助かりました。」


「す、すんません。やらせちゃうのもなんか気が引けちゃって…慣れてないんですよね。はは、田舎者なもんで。」


「いえいえ、そんなことは。やはり優しいのですね、シンラさんは。」


ソウキチに褒められ、シンラは嬉し恥ずかしそうに顔がにやけてしまった。そんな中でレキが言った。


「…あの人は?」


「あの人?…ああ。オウカさんのことですか?ふふ、大丈夫、朝食が済んでから案内しますよ。」

ソウキチが答えるとレキはこっくりと頷いた。この二人が並ぶとその身長の差が更に際立つな、とシンラは見比べながら考える。


「では、また来ます。」


ソウキチが再び襖の向こうへ行ってしまうと、シンラは布団の無くなった畳の上に腰を下ろす。


「はあー…いい人だな、ソウキチさん。あの人は…ことだま師じゃないよな?」


「違う。そんな感じはしなかった。」


「へー、分かるもんなのか?…そういやケンさんのときはあれか?心の中で会話してたわけだ?」


この屋敷に来たときレキとケンは喋ってはいなかったのにまるで会話して行動していたようだった。あれは心の中が読める者同士ならではだろう。


レキは返事をしなかったが、否定はしなかったのでそういうことなのだろうとシンラは肯定の意味で受け止めた。


「…さっきの人がことだま師だったなら、お前、失礼だったぞ。でかいでかいって思いすぎ。」


「!んな!?――――ぅおお…そうか、俺そんなだったのか…。(あんなに背ぇ高い人なかなかいないからついつい…、うん、気を付けるわ。)」


自分の心を読まれているというのに、シンラはレキを怒る訳でも貶す訳でもなく、ただただ自分の思ったことを反省する。そんなシンラにレキは呟いた。


「…お前、本当にわかんねえ奴だな。」


「は?何か言ったか?」


「…別に。」



そのとき襖の向こうからまた声が聞こえてきた。ソウキチとタチバナが朝食を運んできたのだ。匂いを嗅いで二人の腹の虫が急かすように鳴き始める。


出ていくソウキチたちに礼を言ったあと、シンラたちは有り難く空きっ腹に味噌汁を流し込む。白米に鮭の塩焼き、白菜の漬物、すべてを平らげて二人は幸せの余韻に浸った。




「では、行きましょうか。」


食器を片付けたあと、ソウキチが戻ってきて二人をオウカの元に案内してくれた。昨日と同じ道を進み、彼のいる部屋の前までやって来ると、ソウキチが中に声をかける。


「オウカさん、レキさんとシンラさんをお連れしました。」


すると中からあの安心する声でどうぞという言葉が聞こえてくる。失礼致しますと言いながらソウキチは障子を開いた。レキとシンラは少し緊張した面持ちで再びオウカと対面する。


「わざわざ御越しいただき申し訳ありません。シンラさん、レキさん、屋敷で不自由は御座いませんでしたでしょうか?」


柔らかな微笑みを浮かべるオウカに、会うまで色々悩んだり考えたりした不安が自然と溶けていく。不思議と落ち着いていく心に驚きつつ、シンラは口を開いた。


「あ…はい。皆さんにとてもよくしてもらったんで。料理も旨いし、風呂や布団も綺麗だし気持ちよくて、えと…ありがとうございました。御世話になりました。 」


手をついて頭を下げるシンラ。レキも軽く頭を下げた。


「それは何よりでした。どうぞ頭を上げてください。」


照れながら頭を上げて笑うシンラに対し、レキは顔をオウカに向けたまま、じっと彼と視線を交わした。


「?(あ、そうか…会話してんのか。心の中で。)」


二人が無言で見つめあうのを、シンラは横で静かに見守った。何を話しているのか、レキが何を話したかったのかは知らないが、二人の会話を邪魔してはいけないような気がして、一段落つくまで黙っていることにした。


(…何も知らない人間にしたら、確かに奇妙に見えるんだろうなあ…。)


この状況を他人事のようにシンラはぼうっと考える。広い部屋に歳の離れた男三人が無言で向かい合っているのだ。それはとても異様で可笑しな光景に見えるだろうと、心の中でくすりと笑う。


「…ふふふ。シンラさんの思う通り、とても不思議に見えるでしょうね。」


レキとの会話が終わったのか、はたまた可笑しなことを考え過ぎてつっこまれたのか。唐突にオウカが自分に向けて話しかけてきたので、シンラは慌てて弁解する。


「あわわわっ!?いや、そのっ!?すすすすんません!!ちょっと思ってみただけっす!!」


「ああ、驚かすつもりはなかったのですが。すみません、貴方にはどうにも分かってもらえるだろうと、すぐ口に出てしまいますね。」


「は、はあ…?」


何を言っているのかは分からないが、取り敢えず頷いてみる。オウカはふふっと笑みを溢して再び口を開いた。


「さて、シンラさんはこのあとどうなされるおつもりなのでしょう?」


「え、と…俺は前にいた町が結構遠くて、ここに来るために仕事も辞めて来たんで…まあ、あの人にも会えなかったし。城下町なら色々仕事もあると思うんで、どっかに家を借りて当分は町で暮らそうかと…。」


「なるほど、では取り急ぎ何か大切な後用事もない…ということでよろしいでしょうか?」


「へ?あ、はあ…まあ。」


笑顔のまま喋るオウカの話の内容に、シンラは首を傾げた。


(なんで俺は今後を聞かれてるんだ?)


目をぱちくりさせながらシンラが疑問を抱いていると、横で座っているレキがじっと自分を見つめていることに気付く。


「?な、んだよ?」


「…。」


レキは一度口を開きかけたが、思い直したように閉じてもごもご動かしている。言いたいことがあるのか、考えがまとまっていないのか。妙な行動にシンラはさらに表情を歪める。


「…レキさん。言葉にしないと、伝わりませんよ?」


オウカが優しい声で諭すように言うと、レキはんんっと咳払いして改めてシンラを見た。



「…お前は言ったな…俺に、これからどうするんだって。分かっているだろうが、俺に…帰る家は、ない。」


本人の口から放たれた真実。そうではないかとずっと思っていたものの、本人から言葉にして言われるとずっと重たい。帰る家はない、こんな子供が、痩せ細った体で…。


自分が悲しむ要素なんて何処にもない。だって昨日会ったばかりの赤の他人だから。そのはずなのに、息をすることすら苦しく感じる、この気持ちは何なのだろう?心の奥で重石のようにのし掛かる、この気持ちは…?


「…そう…か。」


やっと出てきた言葉はそんなもので、笑い飛ばすことも、同情して泣くことも出来ない。もやもやしたものがシンラの胸の中で渦巻いている。何となく自分が不甲斐ないように思えて仕方がなかった。


そんなシンラを見て、レキは小さく息を吐いた。気のせいだろうか?その表情は穏やかで、今まで見た中で一番子供らしい顔に見えた。


「…。やっぱりお前は、変わった奴だ。」


「…そうなのか?」


きっとこのもやもやはレキにも伝わっているのだろう。しかしレキはそれに対して何かを言う訳でもなく、ただじっとシンラの胸の辺りを見つめている。


変わった奴だと言われても良い気はしないが、自分でもよく分からないこの感情を持て余している今、別に否定する理由もない。レキが何故こんな表情を見せるのかも疑問だが、このあと何を話せばいいのか話題が全然浮かんでこなかった。


結局シンラもレキもぽつりと呟くだけで、黙ってしまった。


しんと広い部屋が静寂に包まれる。





「…ことだま師とは。」


静かな沈黙を破ったのはオウカだった。穏やかな声で無言で向かい合っている二人に語りかける。レキとシンラは視線をオウカに移した。


「言葉を使って他人の心を伝え、他人の絆を繋ぐことを生業としています。」


「絆を、繋ぐ――――…?」


言葉を繰り返して口を挟むシンラに、オウカはゆっくり頷く。


「ことだま師は私たちのように人の心を読むことができる者のことを言います。…人には、様々な感情があり、それは常に一定ではありません。時には笑い、時には怒り、時には泣く。それは誰しもあるものであり、そこには各々理由が存在します。ですが、それをいざ伝えようとしても上手く伝わらないことがよくある。何故だと思いますか?」


シンラはうーんと唸り、自分の考えを述べてみる。


「…ええと、色々あると思いますけど、気持ちが高ぶってる時ってちゃんと言葉に出来ない時はあります。俺の場合、相手もおんなじ気持ちだろうとか、分かってくれるだろうとか思うと説明省く時があって…そんときはよくてもあとで違うって言われると伝わってなかったんだなって気付きますね。」


「そうですね、そういう時もあるでしょう。それ以外にも自分なりに理由を考えて思い込んでしまう時もあるでしょうし、生活習慣や環境の違いによってもどこで笑うか、怒るかなどは変わってくるでしょう。」


(なるほど…。)


オウカの話を聞きながら自分にも思い当たる節があると、シンラは心の中で頷く。


「普通に暮らす上で、人は他人との交流に言葉を使います。勿論、行動や仕草でも表せますが、多くは会話によりお互いを深く知ろうとします。…しかし、言葉だけでは伝わらない気持ちもあることは事実。今のシンラさんのように、自分でも分からない感情を言葉で伝えようとしても、どう話せばいいのか戸惑うこともあるでしょう。」


「…そうですね。」


オウカに自分の気持ちを読まれていることよりも、このもやもやした気持ちがあることの方が何となく恥ずかしく感じる。


レキのことに口を出せる立場ではないし、レキを養えるくらいの金も持ち合わせていない。しかしだからと言って、このまま何もせず別れてしまったとして、平然と無かったことに出来るかと言ったらそうではない。


(こいつをここに連れてきたのは俺だ…それはここならこいつを分かってくれる人間がいる可能性があったからだ。…町の奴らみたいに、見てみぬ振りをすることは俺には出来なかった。だけどそのあとこの人たちを頼った俺は?結局何も出来ない俺は…あいつらと同じ、冷めた人間なのかもしれない。)


シンラの心はぐるぐると嫌な渦がとぐろを巻くように奥に奥に流れていく。


(…こいつに何かしたいと思った自分は…ただの偽善者だ。)


喉の奥が痛いくらい渇く。シンラは唾さえでない喉で、空気をごくんと飲み込んだ。


「…それでも…、俺は役に立つことなんて無いかもしれない、けど…。」


シンラはオウカに向かって深々と頭を下げる。


「俺に出来ることがあったら何でもします!!お願いします、こいつを…レキを、暫くここに居させてやってくれませんか!?金が要るんなら稼ぎます!!食いもんだって俺が食わせます!!ただ寝る場所さえもらえたら十分なんで…お願いします!!」


部屋に響いたシンラの声は静寂に飲み込まれていく。喋り終わった後も、シンラは頭を下げたまま額を畳に押し付けている。


(―――…言っちまった…!だが…後悔はしていないぞ。このままはい、サヨナラなんて消える方がよっぽど格好わりい!…例え駄目だったとしても、何とかなるさ、今までだって何とかなったんだ。一人養うくらい、どうってことないね!!)



『今は良いでしょうけど、後から後悔したって遅いんですから!!』


不意に昨日リンに言われた言葉が頭を過る。


(…リンさん…あんたが言った通り、今ちょっと金のこと考えときゃよかったって思ってます。)




「…ふふ。」


シンラが頭を擦り付けて反省していると、オウカが笑い声を洩らした。


「―――お、俺は…真剣ですよ!?」


顔を真っ赤にしながらシンラはがばっと頭を上げた。ついつい考え事をしていると、それが相手に読まれていることを忘れてしまう。シンラは自分の愚かさに穴があったら入りたい、が、何とかここはぐっと抑える。


「すみません…ふふふ。―――…どうやら私は貴方を見くびっていたようだ。」


「…へぇ?」


思ってもみなかった言葉にシンラは気の抜けた声を出す。オウカは優しい微笑みを向けて、そっと手を伸ばした。


「大丈夫ですよ…レキさんにはこの屋敷に住んでいただこうと思っています。勿論、お金など要りません。安心してください。」


「ほっ、本当ですか!?」


一瞬金は要らないという言葉に反応した自分の卑しさに憎たらしさを覚えたものの、レキの生活にいい兆しが見えたことを素直に喜ぶシンラ。そして差し出されたオウカの手を取った…その時だ。




『お前なんて生まれて来なければ!!』


『いらない、厄介者なんだよ。』


『汚ならしい、近付かないでおくれよ。』




ぶわわわっと頭の中に様々な言葉や感情が溢れだしてくる。まるで世に言う走馬灯のように駆け足で記憶が巡り流れていく。―――しかし、そのどれもがシンラの見たことのない情景ばかりだ。知らない人間が自分を罵倒する光景ばかりで、時々男に叩かれ、投げ飛ばされ…いつもならその一言一言に怒りを感じ、相手をぶん殴ってやりたい衝動に駆られるはずだが、不思議と何も感じない。否、感じないように抑えているような…そして。



『あんたなんていらない!!もうあんたなんて見たくない、私の前から消えなさいよ!!』



三十代くらいの女の口からその言葉が聞こえた瞬間、突如として溜まったものが溢れだす。胸の奥から深い悲しみが怒濤のように押し寄せる。熱い涙がぼろぼろ流れるのを止められない。俺は思い付くありったけの暴言を吐いて、そこを飛び出した。走るだけ走った…。



涙が出ていくのに、心の中は空っぽになるような虚無感が支配していく…。





これは…俺のことじゃない…。


それなら…。





シンラは意識が朦朧とする中で目の前にいるオウカを見た。彼は悲しみを堪えるように表情を歪めて目を閉じていたが、ゆっくりと瞼を開いてシンラを見て、小さく頷く。


そして我を取り戻したように、シンラはオウカから視線を移し、横で座るレキを見つめる。



「…レキ…お前の(記憶)、なのか?」


オウカの手を離し、流れる涙を拭うことも忘れて、シンラは小さな少年を見つめる。


レキは黙ったまま、下を向いている。しかし正座した足の上の拳は固く握られ、唇を噛み締めるようにしてそこにいる彼の姿で確信に変わる。


「――――…なんだよ、それ…なんで言って…(くれるわけ…ないよな。こんな、記憶…言えないよな…言えたとしたって、どう言ったら…。分かって…やれなかったな。)」


それは恐らくレキの記憶、レキが実際見てきた、感じてきたこと。その断片で、全てではないだろう。しかしそれはあまりにも悲しく、辛い。こんな細く小さな身体で、一体どれだけの感情を圧し殺してきたのだろう…。


あの生気の無かった瞳の理由は、こういうことだったのか。心配だからと託つけて、何度も執拗に迫った自分の行動に嫌気が差す。


「…―――っ悪い…俺、知らなかったとはいえ…お前の気持ちを、考えて無かった…!」


ぎゅっと目を瞑ってシンラはレキに頭を下げた。これで許されるなんて思っちゃいない、でも、これしか出来ない…。


レキは視線を上げてシンラを見る。


何を言われても受け止める。シンラにはその覚悟があった。



「…何が覚悟だ。馬鹿じゃねえの?」


「…は?」



今までの暗い表情はではなく、レキは呆れたように溜め息をついて呟いた。シンラは意外な反応に挙動不審のようにレキとオウカを交互に見た。オウカは再び柔らかい笑みを見せている。


「な?え?」


「…別に嘘じゃねえよ…。それは確かに俺のだ。だからって…誰かに分かってもらおうとか、同情されたいなんて思わない。」


「…。」


「人間なんて、所詮自分のことばっかで一杯なんだ。自分が幸せならそれでいい、そんなのばっかりだ。他人にどうこうされようと、俺の事なんて誰も気にしないし、する奴なんて…いない筈なんだよ…。」


憎たらしい態度が徐々に弱くなる。


「…レキ?」


「――…なんでお前は、名前を呼ぶんだ…。なんで…我が事のように、そんな気持ちになれんだよ…見せるなよ、俺が…ずっと…感じないようにしてたものを―――――。」


肩が、震えた。レキの目頭から、滴がこぼれる。それはずっと抑えていた感情を溶かしたように、ぽつぽつと流れ、力を失ったかのようにレキは身体を前に倒した。



「…うあ…あ…あ、ああああーっ!!」



頭をシンラの膝に押し付け、レキは大声を上げて、泣いた。今まで泣けなかった分を出し切るように、駄々をこねる子供のように、泣いて、泣いて。


最初は戸惑ったが、シンラは初めてレキが普通の子供になれたような気がして…小さく微笑んだ。


「…なんだよお前、泣けんじゃん…。」




どれくらい泣いただろうか。泣き声は次第に小さくなり、またむすっとした表情のレキに戻ってしまった。着物の裾でぐしぐしと涙と鼻水を拭うと、その場所が真っ赤に染まった。


「ぶはっ!!ひっでえ顔だな。」


思わず笑うシンラに、レキは眉間にしわを寄せて反論する。


「…お前もいつまで鼻水流してるつもりだよ。大人のくせに。」


はっとしてシンラは自分も涙を流していたことを思い出した。側ではオウカがずっと見ていたのに、これはなんとも情けない失態だ。


「うううううるせえよ!!違う、これは汗だ!!暑かったんだ!!」


その場しのぎだとしてもこれまた恥ずかしい言い訳に、言った本人が一番衝撃を受けていた。


(しょうもな――――!!)


心の中で一人問答しているシンラに、レキはふんっと鼻を鳴らす。その口元は少しだけ上がっているように見えたのは気のせいだろうか?



「ふふふ、本当に変わった御方だ。シンラさんは。」


「んな!?」


オウカにまで変わっていると言われて、シンラの顔色は赤から青に染まっていく。


「はは、良い意味で。ですよ。貴方は本当に優しい人です。貴方なら、私も安心出来ます。」


貶されているわけではないと分かりほっとするのも束の間、オウカの言葉が引っ掛かった。


「安心…て?」


するとオウカはレキに目配せした。レキも黙って、ゆっくり頷く。どうやらシンラだけおいてけぼりのようだ。


「…あの、なんなんすか?」


遂にシンラが尋ねると、オウカは優しい顔から真剣な表情になった。それに気付いてシンラは合わせて姿勢を正してオウカと向き合う。そしてオウカは静かに口を開いた。


「…シンラさん、レキさんはこの屋敷で暮らしていただきます。それはお話しましたね。―――…レキさんには、ことだま師になっていただきます。」


「…え?」


ことだま師になる?


オウカの言葉にシンラは目を点にしている。構わずオウカは続けた。


「言いましたね、ことだま師とは私たちのように他人の心が読める者のことだと。レキさんにはその素質があります。まだことだま師とはどんなものなのかは分からないと思いますが、これから少しずつ学んでいっていただき、一人前のことだま師になっていただきたいのです。」


「――ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!それって…レキに働けって言ってるんですか!?」


「そうですね、そうとっていただいて結構です。」


悪びれもなく淡々と話すオウカに、シンラは心から落胆してしまった。


先程レキの記憶をシンラに見せたのは恐らくオウカだ。何をしたのは知らないが、オウカはシンラにレキの過去を見せただけではなく、彼自身も見たはずだ。あんなに悲しそうに表情を歪めていたのに、そんな彼がレキに働けと言っている?


こんなに辛い過去を背負った、痩せ細った少年に稼げと?


「――――っ冗談でしょう!?こいつは…十分苦しんできたのに、それなのにまだ苦しめって言うんですか!?」


「苦しむ…そういうときもあるかもしれませんね。」


「なんっ…―――――!!」


シンラはいきなり立ち上がった、かと思うと隣に座っているレキの腕を掴んでオウカを睨んだ。


「やっぱり無かったことにしてください!!こんな子供を働かせるなんて…あんたを信じた俺が馬鹿だった!!こいつは俺が連れて行きます!!」


シンラの心は沸々とオウカへの怒りで溢れてくる。


(何が心が読めるだ!!読めたって気持ちを無視すんならその辺の奴らと一緒じゃねえか!!誰がそんな奴らに任せられっかよ!!畜生…やっぱりことだま師なんて――――!!)


裏切られた、もう誰も信じない。そんな気持ちがシンラを飲み込んでいく。レキを掴む手にも力が入る。と。


「うるせえよ、一人で熱くなるな馬鹿。」


腕を掴まれたままレキは立ち上がり、じろっとシンラを睨んで一蹴した。膝裏を蹴られてシンラはがくんと膝をついてしまう。


「んなあっ!?」


シンラの手を振りほどき、レキはオウカの近くに座り直す。


「…俺は、ここにいる。」


「レキ!?」


まさかのレキの行動に、シンラは面を食らう。しかし、ふるふると首を振って言い聞かせるように強く言った。


「何を言われたかは知らねえけど、ここにいたらお前は扱き使われるかもしれねえんだぞ!?そんな身体で無理したら、今度こそぶっ倒れちまう!!そんなの駄目だ!!」


必死に訴えるが、レキの瞳は揺らがない。真っ直ぐにシンラを見据えて、一呼吸を置いて言葉を紡ぐ。


「お前には…俺の記憶を見せてもいいと思った。だから、この人に頼んだんだ。」


「…え…。」


「頭冷やせよ。お前は俺の何だ?親か?違うだろ…?」


「そ、れは…(そうだけど)。」


シンラから覇気が抜けていく。握り締めた拳はゆっくりほどけ、間も無く下に下ろされる。


「…シンラ。」


レキの口から初めて放たれた自分の名前に、シンラは目を丸くして驚いた。そして二人の視線がしっかりと重なりあう。


レキの瞳は、シンラの心を見透かすようで、しかし強い想いを込めたものだった。


それを見てシンラはようやく自分が熱くなり過ぎていたことに気が付き、無言でその場に座った。落ち着いて話を聞く体勢になったことを確認し、レキは話を続ける。


「…俺は、俺の人生に諦めていた。」


(…んな、悲しいこと言うなよ。)


「お前に会うまで。」


「…俺?」


何故、俺が出てくるのか。レキにしてあげられた事なんて何も思い付かない。シンラは不思議そうに眉をひそめる。


「お前は言ったな…助けることを当たり前だと。でも、それは当たり前じゃない。他人を助けることは、当たり前みたいに出来ることじゃない。誰だって出来ることじゃないんだ…。だけどお前は俺を助けた。自分の利益にもならないのに、俺に飯を奢って、看病して…ここに連れてきた。」


(…でもそれは結局…。)


「間違いじゃない。」


「―――…へ?」


レキはシンラに真っ直ぐ強い視線を送る。しっかりした言葉は広い部屋に響いた。


「俺が…頼んだんだ。俺を、ことだま師にして欲しいって!俺は、ことだま師になるんだ!」


そう話すレキの目には今まで無かった希望の光が見えた。子供が夢を語るように、きらきらした眼差し。シンラは目を大きく見開いて驚愕している。


「お前…が?――――でも、分かってるのか?ことだま師がどういうものなのか、どういう仕事なのか?いくら心が読めるからって、子供のお前ならいくらだって選択肢があるんだ!!無理に働かなくても…。」


「違う。無理なんてしていない。それに…俺みたいなやつ、必要なんてされない…気味悪がるだけだ。今までも、これからも。」


ずきんとシンラの心が痛む。自分が必要とされていない、それが当たり前だというような言い方をしているのは、小さなただの子供だ。こんな少年に、周りの奴らは一体どれだけの傷を負わせてきたのだろうか。


「…だから、お前がそんな気持ちになるなっての。放っておけばいいことなのに…馬鹿なやつ。」


レキの瞳は一瞬曇りを見せたが、また光を宿す。


「ことだま師がどんな仕事をするのかは、今の俺にはさっぱり分からない。けど、知ってしまった。俺みたいに他人の心を読める人間がいる。そんな人間がどうやって、何を思って生きているのか…知りたいんだ。こんな気持ち初めてなんだ…。」


小さな拳は固く握られ、決意の固さを物語っている。レキに会ってから、こんなにもはっきりとした口調で己が意見を主張することは初めてで…シンラはもう何も言えなくなってしまった。


「…辛いこともがあるとしても、だな?」


「辛いなんて、思わなければいい。今までのように流せばいいだけだ。それに、生きてるなら辛いことがあるのは…当たり前だろ?」


「…。(そう言われたら、終わりだな。)――――分かったよ。もう何も言わない。」


頭を掻きながらシンラは溜め息混じりに呟く。レキはこくんと頷き、二人の話に決着がつく。




「…では、レキさんがことだま師になることに、シンラさんの了解を得た。ということでよろしいでしょうか?」


頃合いを見計らい、オウカは静かに尋ねると、シンラはむすっとした表情で彼を見た。


「…レキが決めたことに俺が口出しなんて出来ないっすから。でも、あんたのことはまだ許せない。レキになんかあったら…。」


「うるさい、黙れ馬鹿シンラ。」


「…はあ!?」


オウカへの怒りを顕にするシンラに、レキは鋭い眼差しと共に暴言を投げつける。先程との変わりようにシンラは思わず奇声を発した。


「んななっ、お前馬鹿はないだろ馬鹿は!?だってこの人は確かに言ったんだぞ!?お前に働けって…苦しめって!」


「だから、働くのは俺の意志だし、ことだま師になるなら必然だろ!?それに苦しめなんてこの人は言ってない!!それは…今のお前みたいなことになるから…分かってないのはお前なんだよ!!」


がんっと頭をトンカチで殴られた気分がした。


(分かってないだって!?何だよそれ、俺が何だって…そりゃあことだま師のことなんてわかんねえよ、どんな仕事かも、何をしてんのかなんて想像つかねえし。だって聞いたことも無いんだからな。心を読める人間ってこと以外―――――?)


シンラの中で何かが引っ掛かった。


心を読めるということは、今、自分が思ってることが全て相手に筒抜けであることと変わりない。なら、オウカは自分の怒りを分かっているはず。どれだけ怒り、どれだけレキを心配しているかを。


だが目の前のオウカは何も言ってこない。反論することも、取り繕うことも、何も言わない。


やろうと思えば、さっきのようにシンラの過去を覗いて弱味に漬け込むなど、他愛のないことのはずでは…?



「…お前が、馬鹿みたいに俺の人生を心配してることぐらい分かってる。どれだけ心の中で怒りを持ってるかなんて…。お前は分かるか?相手の怒りを身体全体で浴びるような感覚を――――全身に無数の針が刺さって、動けなくて、でも何も言えない…そんな苦しさを。」


(…苦しさ?)


シンラは呆然と口を開けたまま黙った。


レキはこう言っているのだろうか?オウカが、今、自分の怒りで苦しんでいるのだと…?



「…言葉は。」


オウカはゆっくりと、あの柔らかな声で語る。


「人の全てを語りません。全てを言葉だけに乗せることは、出来ないのです。よって話す相手の解釈によっては、善とも悪とも、真とも偽とも受け取れる、極めて曖昧なものになってしまう。しかし…人間は他に有効な手立てがありません。心を読める以外に、全てを知ることは出来ないのです。」


優しいが、どこか悲しみを込めたその声に、シンラは黙ったまま耳を傾ける。


「…では、心が読めたなら…それは本当に素晴らしい、ことなのでしょうか?」


(…?)


「全てを知ることは出来るでしょう。何に怒り、何を悲しみ、何で心を揺さぶるか…まるで自分が理解されたような気持ちになる、そして理解されたいという欲求は誰にでもある。だから必要とされることがあることは事実。」


(…確かに、自分のことを分かってくれる相手がいるっていうのは…心強いな。)


「しかし――――その逆もあることも、また事実。」


「―――!?」


オウカの声の悲しみが一層増す。シンラはその変わりように言葉を飲み込んだ。


「…人間は、理解されたいと思う反面、理解されたくないという逆の表情を持っています。そしてそれは時に恐怖となり、怒りとなり、悲しみとなる。」


「…。(理解されたくない…?)」


「そうです…もし全てを見透かされているとしたら、全て相手に伝わっているのだとしたら…自分の悪いと思える気持ち、例えば猜疑心、羞恥心、罪悪、誹謗、妬み、恨み。他人に知られたくない疚しき感情が読まれているならば…、醜い自分の姿を知られているとしたならば…。貴方は、どう思いますか?」


オウカの悲しみのこもった強い眼差しに、シンラは目を反らすことが出来ない。


自分の見せたくない、知られたくない気持ち。それは勿論シンラの中にも存在する。


今まで生きてきた中で、相手に貶され喧嘩を売られ、迷うことなくそれを買い、殴りあった日々。馬鹿なことをして、忘れ去りたい過去や感情。それらも全て見透かされてしまったなら、ましてや自分は相手の全てを知ることは出来ないのなら…。


自分の身体なのに、全てを握られる。感情も思い出も、隠したいものも全て…。それはまるで自分という人形が相手の手の内にあるような感覚に近いだろうか。


他人の手のひらの上で踊らされる滑稽な自分を想像し、シンラはぶるっと小さく体を震わせて小さく呟く。


「―――――…!(そ…れは…。)…嫌だ。」


シンラは険しい表情で言った。



「…貴方は素直な方だ。だからこそレキさんの力や過去を知っても、まるで自分のことのように感じることが出来る。…貴方の怒りは真っ直ぐで、慣れている私でも少々鋭すぎました。」


「…あ。」


シンラはそこでようやく気が付く。オウカが何故レキがことだま師になると辛い時もあると言ったのか。何故自分の怒りに対してあえて何も言わなかったのか。


「…。試してたんすか…俺を。」


レキがことだま師になることにシンラがどういう反応をするのか。シンラにとってオウカたちことだま師がどういう人間なのか分からないように、オウカにとってもシンラが信用出来る人間か分からない。しかし心の中を読めるなら、レキが不利な状況になったときにどう思うかを知ることが出来る。


本当にレキを心配しているのか、それとも見せかけの優しさなのか。オウカはそれを見極めたかったのだ。


それはオウカもレキのことを本当にどうにかしてやりたいと思っているからこそ。


「…すみません…睨んだりして。」


そうとも知らずについかっとなってしまった自分の単純さに、シンラは顔を伏せて謝罪した。


(―――…そうか…ことだま師が辛いっていうのは、相手に拒絶されたり畏怖されたりしたとき、全部わかっちまうからなのか…。取り繕って顔で笑っていても、心の中では恐れられ、憎まれているなんつうことすら、見えちまうってことなんだな。嘘を…つかせることが出来ない、いや、嘘という言葉すらことだま師には意味のないものなのか…。)


例えレキを心配しての怒りでも、流れに任せて詳しい理由も聞かずに腹を立てた自分を恥じた。オウカはそんな自分を受け止め、何も言わずに見守ってくれたというのに…。


「…ことだま師は心を読める者のことではありますが、心の強い者でなければなりません。感情的に責められても、それを感じ取って受け入れられる精神力がなければ…傷付いた心が病み、生きていることが辛くなってしまう。人との関わりを避け、日陰で一生を過ごすことにもなりかねない。…自分の意志を持たなければ務まらない、危うい仕事です。」


「――――それでも…俺はなりたい。ことだま師がどういうことかを知りたい。そう…思ったんだ!」


少し悲しみの色を見せるオウカの言葉をよく理解した上で望んだ自分の道。


己自身にも言い聞かせるように、レキはシンラの瞳を見据えて言った。


「…本気、なんだな。」



これはもう折れるしかない、シンラはレキの瞳の中にある熱いものに負けた。恐らくオウカもこの熱意を受け入れるのは悩んだんだろうな、と今なら思う。


心を読めないシンラには想像でしかないが、ことだま師を説明するオウカの表情はどこか悲しみの色が見えた。こんな子供に辛いことをさせたいとは本当は思っていないだろう。


だがこの先、シンラやオウカが何を言おうと…レキの人生はレキしか決められない。


ならば、本人が本気なことをさせてあげたいと思うことは、間違いなどではないはずだ。


シンラは遂にレキの願いを受け入れた。



「…オウカさん、レキのこと、よろしくお願いします。」



深々と御辞儀をするシンラに、オウカは優しい笑みで頷く。レキは口をきゅっとつぐみ、まるで感情を面に出さないよう堪えているような顔をした。




「――――…へへ、やっぱり改めて考えると変なもんだな。俺たち、昨日今日会ったばかりなのに…でも、最初に見たときよりお前、生きてるって目してる。それは素直に嬉しいぜ。」


シンラは笑みを浮かべてレキに言った。当の本人はふいっと視線を逸らしたが、照れてるんだと勝手に思っておこう。


「…人の出逢いとは不思議な縁で繋がれているものです。レキさんと出逢ったのが貴方のような方で私も嬉しいです。」


オウカがゆっくり頭を下げたので、シンラは両手を前に出してぶんぶん振った。


「そそ、そんなっ!やめてくださいよ!!俺が悪かったっすから!!」


これ以上オウカに何かしようものならなんて俺はなんて酷い男なんだと自分が恥ずかしくなる。顔から火を噴きそうだ。


「―――ははは。そんなに自分を責めなくても…。ありがとう。貴方で良かった、本当にそう思います。…さて、次の話に移りましょうか。」


オウカの優しい声と言葉に、シンラは照れる。が、次の話とは一体…?


「シンラさん、貴方はこれから町で仕事を探すと仰いましたね?そこで提案なのですが、ここで働きませんか?」




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