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ことだまし  作者: 青の鯨
3/5

レキとことだま師




「…なれると思うか?俺が…。」







「そう言えば、まだお名前を聞いていませんでしたね?」


長い長い廊下をゆっくり歩きながら、ケンは首を回して後ろを見る。シンラは思い出したように少年に視線を向けた。出会ってから一刻あたり、お互い名前を聞いていない。シンラの場合はケンたちが言ってしまったからすでに分かっているのだが、少年のことはまだ何一つ知らなかった。…心が読めるという以外。


少年はむっとした表情のまま、少し顔をうつ向けて、はあとため息混じりにぼそりと答える。


「…レキ。」


まるで吐き捨てるように呟かれた名前に、ケンは少し間をあけて頷いた。


「…成る程、成る程。レキ君、ですね。」


シンラも何か言おうかとも思ったが、名前に何かケチをつける訳でもなく、いじりたい訳でもないため、ただ「ふーん。」と聞き流す程度に止めた。


長い廊下を右へ左へと進む三人。シンラもレキも屋敷の広さに改めて溜め息が出る。ケンに案内されなければ迷っている、と自信を持って言える。


しばらく歩くもののどこも戸が閉まっていたので誰ともすれ違ったりはしなかった。しかし、しんと静かなお屋敷には不思議な空気が流れているような気がする。そんな中をケンの後を追って歩くこと数分、二人はお屋敷の離に案内された。


「さて、着きました。ここですよー。ちょっと話を通してきますのでしばらくここにいてもらえますか?」


二人が頷くのを確認してから、ケンは襖を開けて中に消えていった。残されたレキたちは、緊張を少し緩めて溜め息を漏らす。離の周りは門の近く同様、綺麗に手入れが施されている庭になっていて、小さな溜め池に鹿威しがあり、ちょろちょろと流れる水音が心地好い。


(…随分と立派なところに来ちまったな…。)


こういった格の違う場所に慣れていないシンラは、そわそわと落ち着かない様子だ。逆にレキは、そんなシンラを見て冷静になる。自分より年下のレキの落ち着きように、シンラはごほんっと咳払いをして誤魔化す。呆れた目をシンラに向けたあと、レキは襖に視線を移した。


ケンの入っていった先に、何かが待っている。一体何があるかは分からないが、レキは自分にとってとても重要であることだという予感だけしていた。ただしそれが良い方向へいくのか、はたまた悪い方向へいくのか、期待と不安で先程中身をすべて出した胃がきりきりと痛み出す。


「ん?…大丈夫か?また青くなる前に、具合悪かったら言えよ?」


苦悶の表情を浮かべるレキに気づき、シンラが顔を覗き込もうとするが、レキはふいっとそっぽを向く。


「おまっ…。ま、いいけどよ。無理だけはすんなよ、こんな場所で吐けるとこ探す方が大変そうだからな。」


ははっと冗談を交ぜながらシンラは大きく背伸びをした。その呑気な様子に、レキは知らず知らず気持ちが解けていく。と。


「さーあ、お待たせいたしました。どうぞ、お二方中にお入りください。」


襖をすっと開けてそこからひょっこりとケンが顔を出した。ずっとにこにこした笑顔をしているが、シンラには逆に何を考えているのかさっぱり分からない。なんて思っていることも、彼には筒抜けなのだろう。いっそう満面な笑みをシンラに向けて、ケンは面白がっている。


「…は、入っていいんすよね?」


からかわれている、そう感じるものの強く言えず、シンラは眉をひそめながらケンに視線を送る。


「ええ、どうぞどうぞ。大歓迎ですよお?」


そう言いつつケンは動かずそこに突っ立ったままだ。ケンが退かない以上、部屋の中に勝手に入ってもいいのか微妙なところのため、シンラもレキも動けずに固まっている。変な空気の中しばらく睨み合いが続くかと思われた、その時だ。


「――――…ケンミチ、早く入ってもらいたいのだが?」


ふと、ケンがいる部屋の奥から声が聞こえてきた。大人の男の声だと思われるが、低くて柔らかな心地よい声だ。


「はいはい、今入ってもらいますよ。」


そう言うと、ケンは仕方ないというような表情をして、襖を大きく開けて手招きする。ようやく少し暗い中に、レキとシンラはごくりと唾を飲んで足を踏み入れる。


明るみから入った二人の目は、部屋の中の暗さに慣れるまで少し目を細めた。十二畳ほどの部屋、そこには誰も居らず、庭から採ってきたと思われる花が部屋の隅に飾られていた。


よく見ると四枚の内、二枚が開かれている襖があり、その奥に同じような部屋がもう一つあるようだった。シンラたちは奥の部屋に入って座るよう言われ、空いた襖から恐る恐る覗くように歩を進める。


「…初めまして。シンラさん、レキさん。」


あの心地よい声が奥から聞こえてきて、二人は顔を上げる。


そこに居たのは五十代くらいの男だった。白い髪を背中まで長く伸ばし、薄い黄土色の着物を着て正座している。シワのある柔らかな印象を受ける目に、シンラたちは心を奪われるかのような気分になった。まるで全てを見透かされているような、でもそれが嫌ではない、不思議な感覚。


「さあさあ、何を突っ立っているんです?座ってください、ほらほら。」


後ろからケンが話しかけてきて我に返る。背中を押され、二人は男の前に正座して座った。


障子から外の光りが柔らかな明かりとなって部屋を照らしている。ざざあっと風が木の葉を揺らす音が聞こえてきて、しんとした部屋に優しく響いていた。


「よくいらっしゃいました、私はことだま師のオウカという者です。」


白髪の男は深々と頭を下げ、二人に挨拶をする。その行為にシンラも慌てて頭を下げる。


「い、いえっ。とんでもないっす、こちらこそ突然訪ねたりしてす、すんません…!」


と、隣にいるレキが頭を下げていないことに気づき、シンラは無理矢理レキの頭を掴んで下に押す。嫌々そうに、仕方なくレキも浅くお辞儀した。


「ああ、いいんですよ。畏まらないで…。」


柔らかい口調でオウカが言うと、シンラはレキから手を離して小さく頭を下げた。横からレキが睨んでいたが、顔を背けて知らんぷりすると、後ろでケンがくすくす笑う声が聞こえた。


「ケンミチから少し話を聞きました。シンラさん…あなたはミズキの紹介でここに来られたのですね?」


「あ、はい…。まあ、四年も前のことなんすけど…。」


シンラはぽりぽり頭を掻きながら恥ずかしそうに話す。


「いやはや、四年越しの再会が出来なくて残念ですねぇー。せっかく四年も前の出逢いを頼って来ていただいたのに、いやあ、本当に。」


後ろで一人喋っているケンに、シンラは多少悪意を感じた。四年という言葉を強調して、からかっているとしか思えない。恐らくシンラがそう感じたこともケンにはお見通しなのだろうが、そこまで楽しんでいるのなら本当にたちが悪い。


「ケンミチ…少しだけ口を閉じていてくれないか?話を進めたい。」


オウカがやんわりと注意すると、ケンははいはい、と大人しくすることにしたらしい。少しつまらなそうに口を尖らせたが、にこにこ顔に戻って話を聞く態勢になった。


(お、大人気ない人だな…。)


ケンの態度にシンラがふと思うと、オウカが頷いて小さく笑う。


「確かに、いつもこの調子なんです。こういう人だと思って流してください。」


オウカにまで気持ちを読まれていることに改めて気づき、シンラは若干恥ずかしいような居たたまれないような気分になる。


「あ、はは…すんません。」


「いえ、こちらこそ…。職業柄人様の心を覗いてしまう癖がついてしまいまして、不快にさせてしまったのなら申し訳ありません。」


なんでもお見通しのオウカだが、その真摯な対応にシンラは素直に感動した。


「いえっ、俺も分かってて来てるんで…それに、そんくらいなんでもないっす!…です。」


最後に丁寧な言葉にしようとして失敗し、いらぬ恥をかいてシンラは笑って誤魔化す。オウカは静かに笑みを浮かべ、軽いお辞儀をした。


「ありがとうございます。…なるほど、あの方が気に入るわけですね。とても澄んだ心をお持ちなのですね。…大抵はこの力を良く思わない方が多いのですが、そうですか…ふふふ。」


「?は、はあ…。はは。」


誉められているのだろうが何がいいのかよく分からないシンラは、取り敢えず一緒になって笑ってみることにした。


「…ミズキさんは年に一度帰ってくるか来ないかなんですよ。ふらっと現れるので私達にもいつ帰るのか分からないのです。昨年は確か年の始めに一週間いたかいないかでしたね。」


「そ、そうなん、ですか…。」


少し肩を落とすシンラに、オウカは優しく微笑む。


「それでもあなたのように遥々訪ねて来てくれる人がいるなんて、とても嬉しいことです。あの方に代わってお礼を言わせてください。ありがとうございます。」


「いや、俺も何も報せないで勝手に来たんで!はは…四年も前のこと覚えてるとも思って無かったし、会えたらいいってくらいだったんで…。でも来て良かったっす。あの人も相変わらずみたいだし!急な訪問なのにご親切にありがとうございました!!」


畳に額がつくくらいに頭を下げて、シンラは感謝の意を表した。頭を上げた顔は、どこかすっきりとしたように清々しい笑顔だった。


レキは黙って様子を見ているだけだったが、シンラが何かを吹っ切れたことはよく分かった。ちらりとオウカに視線を向けると、それに気づいてオウカは微笑んだ。



「君も…見えるのですか?心が…。」


優しくオウカは問いかける、が、レキはむすっとした表情のまま下を向いてしまった。失礼だとシンラが横で小突くも、何の反応もない。


「いえ、良いのですよ。…君は、君と同じように心を読める人間に会うのは初めてなのですか?」


オウカの質問にレキはちらりと視線を向けたが、また畳の上に戻してこっくりと頷いた。


「…そうですか。」


オウカがそう言ったあと、しんと誰も喋らなくなり、シンラはその意味が分からず少し戸惑った。すぐ横に座るレキを見るが、顔を伏せたままのため何を考えているのか分からない。目の前のオウカも、少し悲しそうな目をしてレキを見つめているだけで、話をすることはなかった。ただ分かったのは、後ろにいるケンがくすくすと笑っていることだけだった。もちろん、戸惑うシンラの気持ちを面白がって。


「…ケンミチ。」


ふうと溜め息まじりにオウカが釘をさし、ようやくケンは笑うのを止めた。


「シンラさん、すみませんね。彼はこんな態度でよく誤解をされますが、根っからからかっている訳ではないことを、私に免じてご了承ください。」


頭を下げようとしたオウカに、慌ててシンラは両手を突きだすようにしてそれを阻止した。


「うわあ!?や、止めてください!!分かったっすから!!」


その様子に後ろから「ぶふっ。」と吹き出した声が聞こえたが、敢えてシンラは聞かなかったことにした。



「…なんで…。」


と、重い口を開いたのはレキだった。切れ気味の目をゆっくりとオウカに向けて、じっと視線を送る。


「…なんで、あんたはそんなに…関係無いだろ!?」


次第に力が入る口調に、シンラは驚いて口を挟む。


「おい、お前っ…失礼だって。」


「構いません。」


オウカが静かにシンラを止めたため、シンラは仕方なく姿勢を戻して正座した。が、改めてレキを見ると、少し息を荒らげているように見え、ぎょっとする。


「俺は…!俺は別に悲しくない!!分かってたんだ、最初から…俺は、俺は――――!!


見たことのないレキの荒々しい表情と声に驚き、隣にいるシンラは目を大きく開けて彼を見ていた。オウカは目を閉じ、ゆっくりと瞼を開けて優しい目でレキに視線を向けた。そして、ゆっくりと左手を伸ばし、レキの頭にそっと触れる。


「―――――…辛かったね。」


何故だろう、あの優しく暖かい声が、すっとレキの心に沁みていく。そして、オウカから声と同じく温かい体温が、触れられたところから徐々に伝わってくる。


ふと、レキは自分の頬に何かが伝う感触に気付く。そう、彼は目から温かい滴を流していたのだった…。



レキの涙に気付いたシンラは驚き目を見開いた。


「なんっ…!?お前、どうした?また気持ち悪いのか?」


あわあわとレキを心配そうに見つめるシンラに、オウカはふっと優しく微笑み言った。


「大丈夫…少し疲れただけなんですよね?そう、疲れていたんですよ…。貴方はよく頑張りました。」


オウカはレキの頭から手を離し、身体をシンラに向けて、提案する。


「シンラさん、今日はレキさんと共にここに泊まっていくといい。二人とも長旅で疲れたでしょう?部屋を用意しますから、ゆっくりしていってください。」


柔らかく微笑むオウカの言葉に、シンラはぎょっとしてぶんぶんと首を振る。


「ととととと、とんでもないっ!か、帰りますよ!!そんな御世話になんてなれないっすから!!」


「良いじゃないですかー。泊まってきなさいな、減るもんじゃないんですから。」


後ろから面白そうにケンが言うのを聞いて、シンラは眉間にしわを寄せて睨む。


(よ、余計なこと言わないでくださいよ…!!)


心を読むまでもなく、シンラの表情からはそんな言葉がひしひしと伝わってくる。ケンはにやにやしながら笑っているので、シンラは若干怒りを覚えた。


「まあまあ…宿は決まっていないのでしょう?お代など取りませんので、安心してください。…レキさんも、まだ体調が良い訳ではないようですし、彼の傍で見ていてほしいのです。ご迷惑でなければなのですが。」


「いやっ…迷惑だなんて。…そりゃ、まだ宿は決めてないっすけど…でも。」


「はい、決まりです。それでは私は食事の用意を増やすように言っておきますので、オウカさん、あとはお願いしますね。」


シンラが反論を言う前に、ケンはそそくさと立ち上がり部屋から出ていってしまった。あまりの早さにシンラは何も言えず、ケンが出ていった襖に向かって伸ばした手が悲しくも行き場を失った。


「――――――ちょ…ええー…!?」


困惑するシンラ。と、何かに着物の裾を引かれ、シンラはふと振り返った。すると、下を向いていたレキが軽く裾を引っ張りながらじっとシンラの顔を見つめている。つり目の瞳の中には、迷いや不安は消えてしまったように、先程よりも確かに澄んでいた。


「…俺は…ここにいる。…駄目か?」


今までずっとむっすりとした表情で、誰かに頼ったりしなかったレキが初めてシンラに同意を求めてきた。そのことにシンラは目を真ん丸にさせて驚き、唖然とした表情で一瞬動きが止まってしまう。しかし、真っ直ぐ見つめてくるレキの視線にどうやら観念したらしい。シンラは力が抜けたように宙に浮いていた手をだらんと下に下ろし、大きな溜め息を一つだけ吐き出した。


「はあー…。分かったよ…、オウカさん、一晩ご厄介になります。よろしくお願いします。」


頭を下げたシンラに、オウカは優しく頷いた。こうしてシンラとレキは、その晩、この広い屋敷に泊まることとなったのだった。



そのあと何気ない会話をしていると、障子の向こうに人影が現れて部屋の中に話し掛けてきた。


「オウカさん、入ってもよろしいでしょうか?」


どうやら女性のようだ。オウカの許可を得て、すーっと障子が開かれていくと、一人の女が廊下に膝をついて頭を軽く下げて挨拶した。


「御話し中に失礼します。お二人のお部屋の準備が出来ましたので、お知らせに…。」


顔を上げた女を見て、シンラは目をぱちくりさせていた。女物の着物を着ているが、その女は髪が短く切られていて、顔立ちもすっと鼻の通っている。声で女だと分かるが、一目見ただけでは男とも言えなくもなかった。


「?どうかしましたか?」


じっと顔を見られていることに気付き、女はシンラに問いかける。はっとしたシンラは慌てて謝った。


「すっ、すんません!!失礼なこと考えて…!」


何が失礼なことか分からない女は、きょとんとした表情でオウカに視線を向けると、オウカはふふっと笑って説明した。


「シンラさん、彼女はことだま師ではありません。タチバナさんと言って、私たちの炊事や洗濯などの面倒をみていただいています。とても料理がお上手なんですよ。タチバナさん、この方がシンラさん、そしてレキさんです。女性の短い髪がどうやら珍しかったようです。」


オウカに紹介され、シンラは少し申し訳なさそうにへこっと頭を下げた。タチバナはそんなシンラを見て、にっこりと笑顔を返す。


「ああ、なるほど。確かに外には私くらい短い髪の女性はなかなかいませんよね。それに髪を除いても、昔からよく男性に間違われることが多いので気にしていませんよ。」


柔らかい雰囲気を持ったタチバナの笑顔は女の表情そのもので、シンラはほっとすると同時に、やはり悪かったなと自分を恥じた。と、そのときタチバナの後ろからまた人影が現れて、膝をついているタチバナの上からひょっこり顔を出した。


「でもまあタチバナさんはその辺の輩よりよっぽどお強いですけどね。まったく一つを除けば完璧なんですけどねぇ?」


声でケンだと分かったシンラは聞こえた瞬間に顔を歪めた。ケンはにこにこしながら面白そうに笑顔を見せる。


「ケン。」


オウカに釘をさされてケンは口を尖らせて知らんぷりをした。オウカはふうと溜め息をついてシンラとレキに向き直る。


「ではお二人とも、どうぞ今夜はゆっくりとお休みください。」


「あ、はい…じゃあ御世話になります。ありがとうございました。」


オウカに挨拶をして二人は立ち上がり、ケンたちのいる方へ歩きだした。レキはちらりとオウカに視線を向けたが、オウカは笑みを浮かべながら小さく頷く。恐らく二人の中では会話が成立しているのだろう。心を読む力のないシンラは、その様子を横目で見ながら改めて不思議な感覚がした。


(心が読めるって喋んなくていいんだもんな…便利っちゃ、便利だけど…言いたくないこととかも分かっちまうもんなのかね?…ほんと、すげえとこ来ちまったな。)


そんなことを思いながら、シンラはケンやタチバナの後ろを歩いていた。横を歩くレキを見ると、顔色は大分良くなり、真っ直ぐ前を向いて足取りもしっかりしている。それを見て、シンラは余計なことを考えるのをやめた。


(…ま、いいか。)



ケンたちについていき、オウカのいる離から長い廊下を三つほど歩いた。屋敷の中は幾つ部屋があるのだろうかとシンラはその大きさに圧巻されてずっと口を開けている。こんなところに何人住んでいるんだろうか、そしてこんなにも立派な屋敷に住むことだま師とは一体どんな仕事なんだろうかと考えようとするものの、うまく頭が働かない。


「広いですよね、このお屋敷。」


口を開いたのはタチバナだった。少し振り向いて、彼女はあははと軽く笑みを見せている。心の読めないタチバナにも、シンラの考えていることは伝わったらしい。シンラは恥ずかしそうに頬を掻きながら苦笑いした。


「いやあ、ほんとに…俺、田舎者なんでこんなとこ入るなんてなんか恐れ多いっつーか、緊張しちゃって。」


「そんなにお堅いところじゃないですから大丈夫ですよ。私なんてまだ慣れなくてよく迷いますし。」


シンラと同じくらい背の高いタチバナはて照れながら笑みを溢した。


「え?ああ、タチバナさんって最近ここに来た人なんすか?」


「え!?あ、はは…。」


シンラが何気無く言うと、タチバナは少し固まって、小さく笑って誤魔化した。するとケンはシンラとレキの方にくるっと振り向いて、にんまりと意地悪そうに微笑んだ。


「いえいえ、タチバナさんが来たのはもう三年ほど前ですよー?」


「え!?」


驚いたシンラはつい変な声を出してしまった。


「け、ケンさん!…あ、あはは。お恥ずかしながら…。」


どうやら本当のことのようで、タチバナは顔を赤らめて苦笑いした。見た目は何でも出来そうなしっかりした男っぽい女だが、一つだけ欠点があった。


「…方向音痴なんすね。かなりの。」


「だから私がこうして一緒に来たんですよ。いやはや、難儀ですよねえ?」


確かに先程からケンが一番前を歩いていた。シンラたちを案内するとともに、タチバナの付き添いも兼ねていたらしい。これ以上からかわれるのを恐れたのか、タチバナは先頭に立って廊下の突き当たりで指を指した。


「つ、次は右ですよね!?」


「いえいえ左に曲がって一番目の部屋ですよー?」


(…相当な音痴だな。)


口には出さなかったが、シンラは心の中で納得した。くすくすと笑うケンに、タチバナは何も言えず、耳まで赤くなっている。


「ケンさん…私で遊ばないでください。」


どうにもケンは人をからかうことが趣味らしい。タチバナの少し疲れた様子にシンラは同情した。


「あ、ここです、ここです。さあお二人とも、中に入ってください。」


襖を開けてタチバナは気を切り換えてにっこり笑顔をシンラたちに向けた。十畳ほどの広さの部屋に案内され、シンラもレキもちょっと落ち着かない。


「ほ、本当にここ、使わせてもらっていいんすか?」


「はい、どうぞご自由にお使いください。着替えの着物なども箪笥に仕舞ってありますので、寝るときに使っていただいて構いません。もう少ししたら夕食を運んで来ますので、そのときお茶も持ってきますね。あとは…えーと、厠は確か…。」


「廊下を出て右に行った突き当たりにありますよー。」


ケンに苦笑いで視線を送りながらタチバナはこほんと咳払いした。


「そうだ、先にお風呂に入ってきたら良いですよ。この時間なら多分誰も入っていないと思います。ね、ケンさん?」


「そうですねえ。良いですよ、私が案内しますので。ほらほら、そうと決まれば行きますよー。着替えを用意して待っててください、ちょっとタチバナさんを台所に送ってからまた来ますので。」


「ケンさん…はあ、よろしくお願いします。ではお二人とも、またあとで。失礼します。」


そう言うと、ケンに背中を押されてタチバナは部屋をあとにする。残されたレキとシンラは、ぽかんとした顔で二人を見送り、閉められた障子をしばらく眺めていた。



「…とりあえず、箪笥の中で着れそうなものでも探すか。」


シンラは障子から視線を離し、部屋の隅にある箪笥に向かって歩く。五段の立派な箪笥を上から順番に開けていくと、男物の着物や足袋、褌まで何でも揃えられていた。レキにも使えそうな少し丈の短いものもあり、至れり尽くせりだ。


「すげえな…なんか高そうなもんもあるけど…いや、どれも高そうだな。本当に使っていいんだよな?おい、お前も見てみろよ。ちゃんと子供用の丈のもんもある…?どうした?」


シンラが振り返ると、レキはじっと障子を見たまま動こうとしない。また具合が悪くなったのかと心配し、シンラは回り込んでレキの顔色を伺った。


だがレキは、苦しそうな表情でも、怒った表情でもなく、真っ直ぐな瞳で遠くを見ている、そんな顔をしていた。会ったときとは全く違う、しっかりと意思をもった眼差しで一体何を見ているのだろうか?シンラにはレキが何を見ているのかは分からなかったが、誰がそうさせたのかは分かっていた。


「…なんか、すごい人だったな、あの人…オウカさんだったな?」


シンラの呟きに、レキは小さく頷く。少しの沈黙のあと、レキはゆっくり口を開いた。


「…俺、あんなに他人のことで悲しむ人間…初めてだ。自分の心を見られたのも…あんな感じなんだな…他人に覗かれる気分って。最初はすげえムカついた…見んじゃねえって散々言ってんのに、それでもするっと入ってきて…でも、あの人…俺以上に泣いてやがんの。大人のくせに…心の中で…痛いくらい、泣いてた…。」


実際シンラはオウカが泣いてたところなど見ていない。しかし、表情、特に眉間にしわができるくらい、苦しそうな瞬間が何度かあったことには気づいていた。恐らく、そのときレキとオウカにしか分からない会話がされていて、オウカはレキのことを親身になって心配し、悲しみ、それがレキにも伝わったのだろう。


「あんな…偉そうな人がやってることだま師って、どんなものなんだろうな…。」


ただ心が読める、それだけではないだろうが…レキもシンラもことだま師という職業やその人たちに少しずつ惹かれていた。未知なる世界、二人は真っ直ぐ前を向いて暫く黙ったまま外の風の音を聴いていた。


「と、まずは風呂だ風呂!!ほら、お前の着物どれがいいか俺じゃわかんねえんだから、こっちきて選べよ!!」


そう言って思い出したようにシンラはレキを箪笥まで引っ張っていき、箪笥から色々取り出してはレキに合うか比べてみる。レキ本人はどうも着るものに横着、というより興味がないらしく、あーだこーだ言っているシンラを横目に欠伸をする始末だった。


数分後、ケンミチがやって来て二人は浴場に案内された。暗くなる前の夕刻、広い風呂にはまだ誰も居らず、貸切状態で二人はゆっくりお湯に浸かった。泥と埃だらけだったレキの身体をシンラは半ば無理矢理洗い、ようやくすっきりとしたはずのレキは不機嫌そうだ。新しい着物に、若干抵抗を持ちつつも、有り難く使わせてもらい、二人は先に案内された部屋に戻って行った。


その後、タチバナともう一人の女が夕食を運んで来てくれた。白米に煮しめ、山菜の天ぷらと豪華な食事に、二人は遠慮なく貪るように口に頬張る。食べ終わる頃、タチバナたちはお茶を置いて皿を片付けて行った。



「っふうー…!食った食った、旨かったあ。なあ?」


畳にごろんと横になって、シンラは満足そうに腹を擦りながらレキを見る。


「…あんなの、初めて食った…。」


唇を尖らせながらむすっとしているがどことなく嬉しそうだ。この一日で、少しだけレキの感情が分かるようになってきたシンラだった。


「全く、もう少し美味そうな顔して食えよなー。あ、それと吐くなよ?」


昼間に蕎麦を食べたあと吐いたことを思い出し、からかうようにシンラに言う。それはどうやら不快に感じたらしく、レキはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。そんな子供らしい反応に、思わずぷっと笑ってしまう。


(あーらら、やっぱりガキだな。心が読めるったって、こいつはまだ…。)


ふと風呂場で見たレキの身体に痣があったのを思い出す。青くなった痣は、レキの背中や腕に数ヶ所あった。それを追及するのは、レキが嫌がって教えないだろうと思い、その時は何も言わなかったが…。


埃だらけだった姿に、細すぎる身体に痛々しい痣。家に帰ろうとしないどころか、自分のことを全く語ろうとしない、この少年に一体何があったとのか。


(別に…言わなくてもいいけどよ、気になるのは勝手だろ?)


そっぽを向いたままのレキの背中を見たあと、視線を天井に移してシンラは軽く目を閉じた。



「シンラさん、レキさん。失礼してよろしいでしょうか?」


シンラがうとうととし始めたとき、廊下から誰かが声を掛けてきた。慌ててシンラは身体を起こして戸を開けた。


「はっ、はい!!どうぞどうぞ…?」


開いた先に居たのは、身長が大きい男だった。その大きさに思わずシンラは膝をついたままの状態で見上げ、ぽかんと口を開けている。


「夜分恐れ入ります。布団を敷かせていただいてもよろしいですか?」


四十くらいのその男はシワのある目尻を下げながらにっこりと笑って言った。


「え、えと…いえいえっ、自分で敷けますから!そこまでしていただかなくてもっ。」


両手をぶんぶん振りながら、シンラは丁重に断ろうとした。しかし男は気にしていないようで、やんわりした笑顔のままシンラを見つめている。


「大事な御客様ですから、お気に為さらずゆっくりしていてください。そうだ、風呂の湯加減は大丈夫でしたか?」


「へ!?風呂!?や、もうちょうどいい温度で気持ち良かったですよ…って、あの、もしかしてお湯を焚いてくれたのは…?」


「はい、私です。良かった、そう言っていただけて。では、失礼しますね。」


そう言うと大男は部屋に入り押入れから布団を取り出し始めた。慌ててシンラが手伝おうとするが、男は笑っててきぱきと敷いていくので、結局何も出来ずに終わった。


「ふふ、御気遣いありがとうございます。シンラさんは優しいのですね。」


布団を敷き終え、男は二人の飲み終えた湯飲みを片付ける。


「いっ!?いや、別に俺は…っていうかここの人の方が親切過ぎて…えと、あなたは?」


「ああ、失礼致しました。私の名前はソウキチと申します。主にここの風呂の湯番をしている、ただの男ですよ。さあ、寝床の準備は出来ました。どうぞ、今日はお疲れでしょう?ゆっくり御休みください。」


ソウキチは大きな体で立ち上がり、湯飲みをお盆に乗せたまま襖に向かう。


「あ、ありがとうございました!」


「いえいえ。あ、そうだ。肝心なことを言い忘れていました。明日、もう一度オウカさんが御二人に会いたいそうです。何かお話があるそうで…。」


「オウカさんが?」


「はい。それと朝食はこちらに運んで来ますので、その前にまた布団を片付けに伺いますね。それでは、お休みなさい。」


ソウキチは静かに襖を閉めて出ていった。きちんと敷かれた布団を見ながら、シンラとレキは暫し沈黙する。


「…あの人が…。」


ぼそりと呟くレキの表情は何かを考えているようだ。シンラはしわのない布団に体をごろんと乗せて天井を見上げる。


「…というか、今日は成り行きで御世話になっちまったけど…明日からどうすっかな。」


なんやかんやで流されるまま屋敷に泊まることにはなったが、明日にはここを発たなくてはいけない。だが、シンラには気がかりなことがあった。レキのことだ。


「…お前は、どうする?行くとこあんのか?」


寝転がったままごろんとレキの方に身体を向けた。レキは胡座をかいて座ったまま、じっと畳を見つめている。


「俺は別に行くとこはねえけど、とりあえず近いところで仕事探して家を借りる予定だ。前いたところはちょっと遠いからな…見送りまでしてもらったし、今さら帰ったって恥ずかしいだけだ。」


自分のことを淡々と話すが、レキの反応は未だない。


「だけどお前は…。(帰る家があるか…なんて失礼だとは思うが、それでももし行くとこが無いんだったら…)どうするつもりなんだ?」


言いたくないことは敢えて口に出さなかったが、心を読めるレキにとっては意味の無いことで、逆に変に気を使っていると思われたかもしれない。だが、こんな幼い子供に不躾に聞くのも、シンラには抵抗があった。


レキの反応は…。


「別に…どうも思わない。関係無いお前が悩むことでもないだろ…やっぱりお前、変な奴だ。」


ぼそっと呟くようにレキは目線を下にしたまま口を開いた。そして、ゆっくりとシンラに視線を移す。


「俺は…明日、考える。あの人が何を言いたいのかは分からない…けど、もう少し…話がしたい。話して、みたいんだ。」


シンラとレキは互いに瞳を見つめあった。もう昼間のような陰を落とした色をしていない。生きた目をしているレキに、シンラはこれ以上追求するのを諦めた。


「…分かった、今日はもう何も聞かねえよ。とにかく明日、オウカさんとこ行って話を聞いてみてからだ。―――よし、そうと決まれば寝るぞ!!灯り消すからお前も布団入れよ!!」


「…。うるせえよ。」


いきなり大声を上げたシンラにレキは眉間にシワを寄せた。慣れてしまったその表情に、シンラは笑ってレキが布団に入るのを待ち、部屋を照らしていた蝋燭の炎を吹き消した。



振り返るとこの一日は長いような気がしたが、過ぎてみればあっという間だった。男と少年、二人は偶然出会い、そして今寝床を共にしている。不思議なことに、一緒にいることになんら違和感がない。まるで昔からの知り合い、そんな感じだ。二十近く歳も離れている相手に、というところがまた不思議だ。


この先どうするか、それはオウカの話を聞いてからしか始まらない。


シンラは布団に戻って大きな欠伸をすると、おやすみと一言言って横になる。おやすみ、なんて何年ぶりに言っただろう。シンラは一人で軽く笑ったあと、瞼を閉じて眠りについた。




静かな屋敷の中、レキは隣で寝ている男の背中を見る。襖の隙間から漏れる月明かりのみの薄暗い部屋で、男の寝息だけが聞こえてくる。


自分より一回りも二回りも大きいこの大人は、今まで会ったことのない人間だった。他の人間なんて、自分のことが一番で、汚ならしい人間を見ても知らなかったことにしたり、罵倒したり、大抵は嫌な顔をして通り過ぎて終わりだ。関わろうなんて奴はいなかった。それなのに。


『当たり前のことだろうが!』


こいつは助けるのは当たり前だと言う。それが普通なのだと。


分かっていないのはお前の方だ。お前の方が世間的じゃない。


それなのに…。


「…お前は、何だ?」


レキはぽつりと呟く。その時だ。


「んごっ!んでいね…んだよ…。たあく…。」


いきなり寝言を喋り出すシンラ。レキはびくっとして驚くものの、寝息を立てるのを確認して溜め息をつく。


「…わかんねえ奴…。」


気持ち良さそうに寝息を立てるシンラの背中から視線を離し、天井に移す。こんな立派な布団と部屋で寝られるなんて思ってもみなかった。ここ二、三日はその辺で土の上に横たわっていたため、綺麗な布の感覚がくすぐったい。


死んだらそれでいいと思っていた。それまでの人生で、自分という存在は意味の無いことで、何の価値も無かったのだと…そう思うことにしていた、はずだった。


何故だろう、今日の朝まで、こいつに会うまで、そう思っていたはずなのに…今は…。


レキは目を閉じた。この気持ちが何なのか、今だけのものなのか分からない。だから、明日を待つことにした。


心の中で泣いていた、あの人にもう一度会って話したい。今分かる自分の気持ちはそれだけだ。何を話すかはよく考えていない。それでも、何かが変わるきっかけになる、根拠のない確信がレキにはあった。


そう、すべてはオウカに会ってからだ…。


うっすらと目を開けて、瞳だけをシンラに向ける。ぐーすかと寝ている男に、レキは聞こえないくらい小さな声で言った。



「…ありがとう。」



そしてまた目を閉じて、今度こそ眠りについた。暖かい布団が容易く心地よい眠りに誘う。疲れきった身体は羽根が生えたように軽く感じた。


その寝顔は…とても安らかだった。



夜は二人の眠りをそっと見守り、月は笑みを浮かべるように優しい光で照らしている。風は穏やかに木の葉を揺らし、池の蛙は子守唄を歌う。



ことだま師の屋敷での夜はこうして過ぎていった。








そして、朝がやってる。



二人のこれからが決まることになる、運命の日が、朝日と共に…。







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