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ことだまし  作者: 青の鯨
2/5

レキとシンラ





「…なんだ?コトダマシって?」




「…やっぱりお前、才能あるわ。」









季節は春、四月下旬に入った頃。桜の花びらはヒラヒラと舞い、すでに緑が色濃くなりつつある。よく晴れた空の下、城下町は賑わいをみせていた。


町から少し外れた砂利道を一人、男がとぼとぼと歩いていた。近くにある赤く塗られた橋を渡りきり、竹林を抜けてきた男の背は丸くなっており、気分が暗い様子が窺える。


男は一つため息を吐いて自分の来た道を振り返った。誰かがいるわけでもないのに、その視線は何かを探すように左右に振られ、そしてまた前を向く。


「いるわけない…か。」


ぼそりと呟くと、男はまた歩みを進めた。



二十分ほど歩くと、茶屋などの店が点々とある通りに入った。さらに進むと町人が自分の商品を売りさばこうと声を張り上げ、活気に溢れている場所にたどり着く。


「…そろそろ腹ごしらえでもするか。」


鳴り始めた腹の虫を抑えながら、男はいい店はないかとキョロキョロ辺りを見回した。すると…。


「んなっ…子供…!?」


店と民家が建ち並ぶ中、一つの民家の横で倒れている一人の子供がいた。


「――――…行き倒れ、か?」


少し離れた場所からよく見ると、それは十歳くらいの少年だった。赤みを帯びた茶色いボサボサの髪を一つに束ね、着ている着物もボロボロで、身体中土まみれな少年は、横になったまま動こうとせず、ジッと黙ったままだった。微かに上下する肩で、生きていることはわかる。


(…誰も…見てみぬふりかよ…。)


人通りは多く、陰になっているとはいえ気づいている人もいるだろう。しかし誰も少年に手を差し伸べることも、声をかけることもせず、何も気付かなかったかのように素通りしていく。


(―――…これだから都の連中は!)


男は通り過ぎていく町人に憤りを感じながら、少年の元へずんずんと歩を進める。近づくにつれて少年の顔がはっきり見え、目を閉じて眠るように横になっていることがわかった。


近づくにつれて男は少し悩んだ。


(…と、どうすっかな…。起こしたとして、こいつの親でも探すか?というかなんでこんなところでボロボロになって寝てんだろうな?…家出か?つーか――――…細すぎねえか?)


少年の手足は普通の子供よりもずっと細く、頬も少しこけている。病気なのか、それとも…。


(…とりあえず飯でも食わせてやるか。これも何かの縁だ。)


男は意を決して少年の前にしゃがみこみ、肩を軽く叩いた。


「おい?おい、大丈夫か?」


身体を揺すられ、少年は静かに目を開ける。深く澄んだ茶色い瞳を男に向け、ジッと動かず横になっている。


「…えーと、立てるか?何やってんだ、こんなとこで?」


動かない少年をどう飯に誘おうか、掛ける言葉を考えながら話しかけていると、少年の小さな口がゆっくり開き始めた。


「ん?なんだ?」


少年の言葉を聞き取ろうと男が耳を傾けた、そのときだ。


「――…連れていくなら早く連れてけよ。」


唸るように発された少年の言葉に、男は目を点にして驚く。


「…は!?」


すると少年はゆっくり起き上がり、睨むように男を見上げた。


「…連れてってくれんだろ?死にそうなんだよ、早く飯食わせろ…。」


「!――――…お前(なんで俺が飯食わせようと思ってるって思ったんだ)…!?」


まだ何も飯に関して口にしていないのに、少年は確信を得ているように真っ直ぐ男を見つめている。細い身体を少しふらふらさせながらも、その眼差しは強いものに感じた。


「…どうでもいいだろ…奢る気がないならとっとと失せろ。…くそ…。」


そう言って少年はまた地面に倒れ込み、目を閉じた。どうやら本当に体力が限界に近いらしい。動かなくなる少年に、男は戸惑いながらも連れていく決心をした。


「わかったわかった!だから立てよ!ったくふらふらでそんな口叩くなっての…。」







ずるずるずるるるるるっ。


「――――…。」



男が少年を少し支える形で入ったのは、近くにあった蕎麦屋だった。店の一番奥の席に座り、掛け蕎麦を二つ頼んだのだが、ふらふらだった少年はどんどん食べるペースを上げてあっという間に一杯を平らげてしまった。


ぐりゅるるるる…。腹の虫と怒るような眼差しで、少年は男に訴える。男は苦笑いしながら、やれやれともう一杯追加した。


ずるるっ、と勢いよく少年の中に吸い込まれていく蕎麦を見ながら、男はどんぶりに箸を置いて呆気にとられている。呼吸できているのだろうかというほどの速さで、少年は二杯目も完食した。


「――――ぷはっ。…。」


まだ物欲しそうにどんぶりを見つめているので、男は仕方無く握り飯も頼むことにした。ホカホカてかてか輝く握り飯を鷲掴みして、少年は一気に口に放り込む。


(…どんだけ腹空かせてたんだ?こいつ…見た目も土まみれだし、家出でもしたか?だけどそれにしては…。)


そんなことを考えていると、握り飯を頬張るのを止めて、少年はジッと男を睨み付けた。


「…な、なんだよ。別に睨まれるようなことしてないだろ?(というかこいつよく食うな、遠慮とかないのかよ。)」


すると少年は残りの米粒をぱくりと食べきり、近くに置いてあったお茶をズズズッと音を立てて飲み干した。


「…俺から頼んだ覚えはないね。お前が勝手に奢ったんだろ、大人げない文句言うな。」


「―――――んなぁ!?」


まさかの返答に男はふつふつと怒りが込み上げたが、その後それは呆れに変わった。


(なんつう物言いだよ!?親の顔が見てみたいって…何ガキ相手に熱くなってんだ俺…。―――――――…ん?)


そしてしばらく考えた後、ふと気づく。


「…俺、別に文句を口に出しちゃいないよな?」


「…。」


少年は黙ったままそっぽを向いた。男は目をぱちくりさせながら、頭の中でこう思った。


(…まだ腹減ってんならもう一杯なんか頼んでいいぞ?)


少年はバッと顔を上げて男を見る。その口元は少しヨダレが垂れていた。


「蕎麦、揚げ乗ったやつ!」


少年は男の了承を求めることもなく、店の親父に向かって注文をした。


「てめっ、揚げとか付けんなよ。奢られる身で――――…。(と、いうかやっぱりお前…。)」


蕎麦を待っている少年はピクッと反応して男の方を見た。つり上がった目のあまり愛嬌がいいとは言えない少年の瞳は、どこか強がっているようにも見えるが、何かを恐れているようにも思える。男は確信を持ったように心の中で言った。


(お前…心が読めるんだな?)


「…。」



「ほいよ、きつね蕎麦お待ち!」


無言で神妙な表情をした二人の前に、熱々の蕎麦が置かれ、少年はヌッと手を伸ばして自分の近くに引き寄せた。しかし今度はすぐに食べようとはせず、男の目を睨むように見ている。


「…いいよ、とりあえず食べろ。伸びるぞ?」


男の言葉をきっかけに、少年はまた夢中で蕎麦をすすり始める。男はその様子を見ながら、ぬるくなり始めたお茶を少しずつ飲んだ。


(…こいつ…素質があるのかもな。―――――"ことだま師"の。)


「―――…なんだ?コトダマシって?」


八割ほどの蕎麦を平らげた手を止めて、少年は男を睨むように見つめる。隠したりする素振りもなく、少年は男の心を読んで知ったらしい、口から発していない言葉の意味を訊ねてきた。


「…やっぱりお前、才能あるわ。」


男は眉間にシワを寄せて苦笑いした。その様子をジッと見たあと、少年は意味の追及よりも、まずは目の前の蕎麦を飲み干すことに専念することにした。



掛け蕎麦二杯、握り飯二つ、そしてお揚げの入った蕎麦がもう一杯。重ねられたどんぶりを眺めて、男はあんぐりと口を開けている。


(…おいおい…。本当によく食ったな…まさかここまでとは。)


自分の財布の中身を思い出しながら、男がうーんと唸っていると、少年はようやく腹がいっぱいになって少年は満足したらしく、腹を叩きながらゲップをした。


「ぅげっぷ。」


「おっさん臭いな…。」


男は思わず呟いた。


「…で、コトダマシってなんだ?俺が何なんだよ?」


空になった器を横に避けながら、少年は男に疑問をぶつける。


「あ?あー…んー?なんだ、なんて言えばいいんだろうな…。俺もあんまり詳しくはないし…。」


ぶつぶつ独り言のように呟く男に、少年は眉間にシワを寄せながら痛い視線を送る。


「おい、そう睨むなっつーの!ったく…。っていうか俺も聞きたいんだけど―――――お前、なんであんなとこで倒れてた?」


男が喋り終わる前に、少年はするりと椅子から降りて店を出ようとしたので、慌てた男は少年の腕を掴んだ。


「待てって!おんまえ、奢ってやったんだから俺の質問にも答えろよ!?ってかさ…。(行くとこ、あるのか?)」


「…。」


少年は黙ったまま男の手を振りほどき、すたすたと店を出ていった。


「っ待てっつーの!親父さん、勘定ここ置いとくぜ!?」


男は財布からお金を取り出し、どんぶりの横にジャラッと置いて少年を追った。


店から出てキョロキョロと辺りを見回すと、少年は右手の方向の少し先を歩いていた。さすがに腹がいっぱいになったとしても、先ほどまで力尽き倒れてたいた身体はふらふらと覚束ない足取りだった。姿をとらえると男は急いで後を追い、一分もしないうちに少年に追い付く。


「待てってば!!おい、どこ行くんだよ!?」


少年の前に回り込み、男は両手を広げて少年の行く先を塞いだ。


「…退けよ。確かに奢られた身だが、それはあんたの勝手だろ。お礼が聞きたいのか?ありがとうございました、これでいいだろ…。」


少年は男の目を見ずに、素っ気なく答える。


「違う!わかってんだろ、俺が何を考えてんのか!!お礼とか聞きたいんじゃない、お前がこれからどこにどうやって行くつもりかっていうのを聞きたいんだよ!!」


男は息を荒々しくしながら少年に向かって強く言った。どうやら頭に血が昇りはじめているようだ。大人の男が少年を脅すように見える光景に、通りすがりの人々は立ち止まったり、ひそひそと陰口を言っている。


「っせー!!見せもんじゃねえぞ!!」


男は集まりだした人々を睨み回す。すると人々はさらにどよどよと不満を口にし始めた。


「チッ、こういうことには反応しやがって!だから嫌なんだよ、こういう場所の人間は…。」


そう言って再び少年に視線を戻すと、男は驚き目を見開いた。


少年の顔はみるみるうちに青ざめていき、両手で頭を抱えて苦悶の表情を浮かべていた。


「――――おい?どうした?」


男は怒りを忘れ、少年の前で膝をついた。


「食い過ぎか?一気に食ったからな…。」


「…ちが…はあ…はあっ。」


少年の息はだんだん荒くなり、ふらふらと立っているのもやっとだ。しかし、少年は何かに寄り掛かることも、男に助けを乞うこともせず、ずっと地面を睨んでいる。顔や首からは冷や汗がボタボタと流れ、少年の見ている地面を濡らした。


「っ…見ちゃいらんねえよ!」


男は呟いたあと、少年を自分の肩に背負った。


「――――っが…。」


突然の男の行動に少年は驚くが、具合の悪さの方が大きく、両手を頭から口に移した。


「っと、吐くなよ!?もうちょいだけ我慢しろ!!」


男は急いで町中を駆けた。あまり動かしたくはないが、あの状況では少年が休む場所がないと思い、男はもときた道を戻り町の外れまでやって来た。そして道の脇に小さな川を見つけると、少年の身体をゆっくり下ろす。


「―――――ぅげえっ―――…っげ…がはっ…。」


川に顔を向けて四つん這いになり、少年は我慢していた分勢いよく口から吐き出す。男は傍にしゃがんで少年の背中を擦り続けた。



「…はっ…は、あ…。」


どのくらい吐き出しただろうか。ようやく少年の吐き気は治まってきたらしい。男は少年の身体を横にさせ、自分の荷物から布を取り出し川の水で濡らした。それを絞って少年の額に乗せる。


「…大丈夫か?」


男は少年の横に座り、彼の顔色を窺う。青々していた顔は次第に赤みを取り戻し、呼吸も大分落ち着いたようだった。


「ふう…驚かせんなよ。」


男は腕を伸ばして背伸びをした。


「………―――――なんで…。」


「は?」


少年が喋り始めたので、男は耳を傾ける。


「…なんで…こんなことするんだ?」


ずっと吐いていたせいだろう。少し震える声で弱々しく少年は言葉を絞り出すように発する。男はきょとんとした表情をしたあと、一つ大きなため息をついた。


「はあー…。なんだよ、またお節介だっていいたいのか?かわいくねえな。」


ムスッとした顔で少年をみると、濡れた布の下から少年の瞳が男を見つめているのに気がつく。馬鹿にしているわけでも恐れているわけでもなく、その目はただ真っ直ぐに男の瞳を見ていた。


「――――…な、んだよ?」


その真っ直ぐさに驚きを感じて、男はつい言葉がつまる。


「…奢ってもらったが、俺からは何も出ないし、何もしない。なんで…こんなことして何になるんだ?」


「―――――…はあ?」


少年は淡々と喋るが、その内容に男は呆れてため息をつく。


「(なんでそんなこと聞くんだよ?)目の前で青ざめた奴がいたら心配するだろ?損得なんて知らねーし、当たり前のことだろうが!」


「………当たり…前?」


少年の目は少し驚いたように見開き、何となく力が抜けたように瞼を半分閉じる。


「何だよ…。まだ何かあるのか?」


男は少年を見下ろしてムッとした表情をしていたが、少年はゆっくり目を閉じて何も言わずに静かに呼吸をする。その様子に男は少年が疲れているのだろうと考え、追及はせず、そのまま後ろに倒れて寝転んだ。


「っはあーあ…。俺も疲れた…。」



ザアアッと風が二人の間を吹き抜ける。吸い込まれそうな青空に、男はついついため息をついた。


「……―――なあ…?起きてるか?」


男は空を見上げながら少年の反応を待つ、が、うんともすんとも言わないので、勝手に喋ることにする。


「…お前さ、もしかして行く宛てがないんじゃないか?身なりもそうだけど…お前、ちゃんと飯食えてるのか?」


「…。」


やはり少年の反応はない。しかし起きていたとしても簡単に返事はしてくれないだろう。男は独り言のように話を続けた。


「まあ、俺が口挟める立場とかでもないし。話したくないことは誰だってあるからな。…ただ、俺としてはお前みたいなガキ一人を、ましてやそんなやつれてふらふらなやつをよ…見てみぬフリをするっつーのも出来ねえんだよな。俺の性格ってか性分っていうか…?」


男は上半身を起こして、横にいる少年に視線を向ける。


「…会ってみないか?ことだま師に。(お前と同じ――――人の心が読める人たちに。)」


男の心を読んだ瞬間、少年の目はバチッと開き、驚愕した色を隠せないでいた。


「(いるんだよ、お前のように何も言わなくても他人の考えてることがわかっちまう人間がな。しかも何人も。お前みたいな力を持ってる人間は、お前は――――。)一人じゃないんだ。」



しんと静まる二人の間をふわりと風が通りすぎ、小川のせせらぎがさらさらと聞こえる。動かない少年の表情を男はジッと見ていた。少年はずっと目を見開いたまま、ただ呼吸して動くだけだ。いや、少しだけ瞳が左右に震えているようにも見える。


「―――――…いるのか…?本当に…か?」


ようやく口を開いた少年は、空を見ていた視線を男に移して言った。動じていないように見えて、声の奥は若干揺れている。


「いるよ。俺は今日、会ってきたんだ。それに俺はお前が心を読むって見抜いたんだぜ?そんで堂々とこうして会話してる。な?それだけでもちょっとは信じてみる気にならないか?」


あまり説得力はないが、男が少年の力を見抜いたことや、知っても尚少年に対し普通に接していることを考えると、少しは納得できる。


少年はむくりと重そうに身体を起こし、男の瞳をジッと静かに見つめた。


「…。」


「口でも言うが、嘘じゃねえからな。」


真っ直ぐ少年を見ている男の瞳に、揺らぎは見られない。少年はゆっくり瞼を閉じ、間を置いたあと、ようやく口を開く。



「……――――会って…みたい。…会わせてくれ。」


開かれた少年の瞳はとても澄んでいた。男はにかっと笑顔を見せて、少年の頭に手を置いてぐりぐりと撫でる。


「よっしゃ、そうこなくちゃな!」


撫でられた少年は不本意だったらしく、むすっと嫌そうな顔をした。


「はははっ!んな顔すんなよ。…と、立てそうか?」


少年の身体を支え、ゆっくりと立たせる。先ほど持ち上げた時も感じたが、まるで木葉のような軽さに何度も驚いてしまう。


(まったく…どんな生活をしたらここまでなんだよ…。)


少年の細い腕は今にも折れそうに思える。男が眉間にシワを寄せていると、少年がそれを上回るシワの深い表情で見つめているのに気がつく。男は軽くため息のように息を吐き出し、少年から手を離した。


「へいへい、もう詮索しませんよ。」



相変わらずふらふらした足取りをしているが、男の後ろを歩く少年の目には力があるように見える。川縁から離れ、少しずつ町から遠ざかっていくと、人通りもまばらになり、次第にすれ違う人もいなくなった。



少年は男の後ろ姿だけ見てついてきたが、男はたまに振り返って少年がいるかを確認するのみで、あとはひたすら人気の無さそうな道をずんずんと進んで行く。竹林を通りすぎ赤く小さな橋を渡る。渡った先には細い小道が曲がりくねって続いており、周りはまた竹林に覆われ、まるでここだけ違う世界に繋がっているような不思議な感覚になる。


少年は男をじっと見つめて歩く。黒より少し薄い色の男の髪は、長すぎず短すぎずと半端な長さで真っ直ぐさらさらしている。薄水色の服に、下は黄土色の踝丈の二股の着物で、草履を履いて前を進む男。身長は少年よりずっと高く、見た目の年齢は二十代後半あたりだろうか。


別にその辺にいる普通の男たちと何ら変わりはないが、少年と同じように他人の心が読める人物と会わせてくれるという。少年が今まで自分の力をはっきり口にしたことは一度として無かったが、たった一度、それも数時間前に偶然知り合った男は、少年の力を確信を持って的中させた。しかも心を読まれるとわかっているはずなのに、気味悪がる訳でもなく、距離を置く訳でもなく、普通の子供たちと同じように接している。


一体この男は何者なのか。少年の中にはこう思う気持ちも少なからずあった。しかし、まだ会ったことのない自分と同じ力を持つ人間、しかも複数いることを知り、なおかつ会うことができるこの機会を逃すようなことが少年にはできなかった。


そして男についていくことを決めた理由がもう一つある。人の良さそうな男だが、少年は完璧に信用したわけでは無かった。しかしこの男だったら、もし嘘だったとしても自分が危ない目にあうことあまりないと確信を持って言える。何故ならば…。


(…良く考えずに会わせてやるって言ったけど、これで良かったんだろうか?つーかまた訪ねて行って変なやつだと思われっかな…いやいや俺のことはどうでもいいとして、問題はこいつだ…。俺もことだま師ったって二人しか会ったことのないし、あの人は今いねえし、さっき会った人は…何考えてんのかよくわかんねえし。…ことだま師ってやっぱりよくわかんねえ。そんなやつらに会わせて何がしたいんだ俺は?でもこいつ興味持ったみたいだしなあ…ここまで来て会わせない訳にもいかないっつーか、ったく何であの人居ないんだよ、あの変わり者!あー…どうすっかな…。)


男の心の中は少年以上にぐちゃぐちゃとこんがらがり、様々な思考が渦を巻いていた。


普通、人間は自分を優先して物事を考える。しかしこの男は先ほどから少年とことだま師を会わせていいものかどうかと、他人のことを優先的に考えていた。これが意図的なもので、心の中を読める少年を警戒してのものだったのなら相当な詐欺師の素質があるだろう。だが、男にそんなことができるようには到底思えず、余裕がないほど悩んでいた。



真っ直ぐ、他人のことに悩めるこの男は一体何者なのか。少年は男に対して、少しだけ興味を持ち始めていた。





「…着いたぞ。ここだ。」


そう言って男は立ち止まった。少年は男の陰から前を覗くように横に身体をずらす。すると、そこに広がっていたのは大きな門、そして奥には立派お屋敷の姿だった。黒い瓦屋根が長く続く広いお屋敷。門との間には庭もあり、椿や桜など様々な植物が植えられ綺麗に手入れされていた。


初めて見るような豪華さに少年は思わず顔をひきつらせた。まさかこんなところに自分と同じような力を持つ人間が居るのだろうかと疑問を感じて、男の顔を見る。と、何故なのだろう。男も少年と同じように口元をひくつかせ、困ったような表情をしているのだ。


(――――…来ちまった…。また、ここに…つーか何でこんな立派なお屋敷に住んでんだよ、見た目から入り辛いだろ!?いやいや、んなこと思ってちゃ負けだ!!負ける…何にだ?ああもう、なんなんだよわけわからん!!)


どうやらかなり緊張しているらしい。心の中は更にぐちゃぐちゃに荒れていた。だがそれは逆に少年を冷静にさせ、男が騙そうとしているわけではないと思うことができた。


「あんた…嘘、つけないだろ…。」


突然の少年の言葉に、焦っていた男はびくっと身体を震わせた。そして恥ずかしいのか顔を赤くさせ、ばつが悪そうにしかめっ面で少年を見る。


「…うるせーな。っ行くぞ!」


男はふいっと前を向き、門をくぐって玄関まで向かう。これまた大きな格子戸に、二人は圧倒されていた。が、ついに男が深呼吸した後、扉に手を掛けてゆっくりと横に滑らせた。


中もものすごく広く、扉から入って一畳ほどの空間の先に、黒い小さな机と箪笥、その横には長い廊下がずっと奥へと続いている。


「いらっしゃいませー…って、あれ?」


扉の開く音を聞きつけ、元気な声と伴に廊下からぱたぱたと急ぎ足で歩いて来たのは、二十歳位の若い女だった。肩までの髪の先がぴょんと跳ねた彼女は、きょとんとした顔で男を見ている。


「ええとー、確か…シンラさん、でしたっけ?どうなさいました?忘れものですか?」


「いや、その、そういうんじゃないんですけど…。」


男は口をもごもごとさせて言葉を濁らせていると、女は付け足してこう言った。


「あ、あの人はまだ帰って来てませんよ?そりゃあいつ帰って来るかはわからないですけど、おんなじ日に何度も来ても変わりませんよー?」


明るい笑顔で女がけたけた笑うと、予想通りの反応に男は苦笑いするしかなかった。


「そ、そうっすよね…。はは。」


「そうですよー。…あれ?そちらのお子さんは?」


男の後ろで立っている少年に気づいて、女は男に尋ねた。


「もしかして息子…とかじゃないですよね?」


女の言葉を真に受けて、男はおもいっきり首を左右に振って否定した。


「違います、違いますよ!!俺まだ三十っすよ!?侍でもないのに、んな早く結婚とかしないですって!!」


その必死な表情に、女は思わずぶふっと吹き出して笑いを堪えられなかった。


「あっはっはっは!!じょ、冗談ですって!!ふふ、わかりますよー、そのくらい。っていうかシンラさんもう三十路なんですか?へー、意外。」


どっちの意味で、と聞き返したかったが、恥ずかしくなった男は顔を赤くして黙りこんだ。わかりやすい反応に、女はまだ笑っている。


「ふふっ、で?一体どんなご用でしょうか?一日のうちに二回も訪ねて来るなんて、何か思い出したことでも?それとも、ご依頼でしょうか?」


女は二人の前にある机に置いてあった台帳を取り上げ、ぱらぱらとめくってみせた。ぎっしりと書かれたそれは、人の名前らしき文字がずらっと並んでいる。


「そうですねえー、何人かは明日あたり空いていますけど。下級の者で良ければですが?」


女がにっこりとした笑顔を作って男に微笑むと、男はひくっと口元を歪ませて苦笑いした。


「リンさん…俺にそんな金が払えると思ってんすか?」


男がそう言うと、女は残念そうに台帳を閉じた。


「えー?上級を薦めてる訳じゃないんですから頑張りましょうよ、シンラさん!それに、お節介かもしれませんが三十路だったらもう少しお金のこととか心配した方が良いですよ!?今は良いでしょうけど、後から後悔したって遅いんですから!!」


もっともな正論を言われて、男はたじたじだった。少年は呆れた表情を向けてくるので、更に居たたまれない。女はふうと一息ついて今度は少年に視線を向けた。


「それで、本当のご用件は何なんでしょうか?この子、シンラさんのご親戚とか?」


すっかり女の雰囲気にのまれてしまったが、男はやっと本題に入れると思い少しほっとした。


「と、実はまた来た理由はこいつのことなんすけど…あの、さっきの人ってまだいますか?」


きょろきょろと廊下の奥を見ながら男が尋ねる。


「え?ああ、ケンさんですか?またふらふらとどっか行っちゃいましたけど…なんだ、やっぱりご依頼だったんですか?」


んふふと笑顔を見せる女に、男は慌てて否定の言葉を言う。


「いやいや、まじで金は無いんですって!…あの、金は払えないんですが、ちょっと聞いてもらいたいことがあって…。」


「え!?払えないのに相談に乗るなんてサービスはうちではしてませんよ!?そういうことならお通し出来ません!!すみませんがお帰りくださいませ!!」


話を最後まで聞かずに怒りだした女は、両手を突き出して二人をもと来た道に戻すような素振りをした。急な反応に男は困った顔を見せて抗議する。


「いや、あのっ!?ちょっと話するだけでいいんで!!」


「何を言ってるんですか!?うちはそういう商売なんですよ!?いくらあの人の推薦状があってもそれはそれ、これはこれです!!お引き取りください!!」


男の言葉を聞こうともせず、女はぷんすかと頬を膨らませてぐいぐいと男の背中を押す。そんな様子をじっと見ているだけだった少年は、ふと小さな声で呟いた。


「…コトダマシって…商売だったのか…。変わり者の集まり…?」


はたっと女は動きを止めて少年をじっと見た。目付きの悪い少年の瞳は、深い茶色で、真っ直ぐ女の目を見ている。


「―――――…あなた…?」


「おやおやおや?」


女が何か少年に言おうとしたときだった。女の後ろの廊下の奥から、妙に明るい男の声が聞こえて来たのだ。


「おやー?これはこれは先ほどいらっしゃったシンラさんではありませんかー?どうなさいました?」


ひょっこりと姿を現した声の主は、真っ直ぐさらさらした短めの髪に、丸い縁の眼鏡を掛けた四十代半ばの男で、にっこりと気分の良さそうな笑顔を向けている。


「ケンさん!何処に行ってたんですか!?また勝手にいなくなって、迷惑です!!」


びしっと怒りを露にする女を宥める、よりもからかうかのように、ケンと呼ばれた男はにっこにっこ笑顔を見せる。


「いやですねえー、リンさん。そんなに怒ったら可愛いお顔が台無しですよ?そういう時には笑って笑って♪」


「誰のせいで怒ってると思っているんですか!?」


「おやおやー?こちらの可愛らしい少年はどちら様ですか?」


明らかに話を反らしたケンに、リンはキイィと眉と目を吊り上げ怒っているが、当の本人は気にすることもなく少年に笑顔を向けた。


「あ、俺が連れてきたんす。さっき偶然知り合ったというか、なんというか…。」


男が説明をする間に、ケンはしゃがんで少年の顔をじっと覗いた。少年とは少し距離があったが、ばちっと目が合う。すると、少年の表情が見る間に驚き動揺しているように見えて、男がそれに気づき不思議そうな顔をした。


「?なんだ?どうした…?」


「ふふふ…成る程成る程ー。」


ケンはしゃがんでいた体をよっこらせと立ち上がらせ、着物の裾をひらりとさせながら奥の廊下へ歩き出す。


「へ!?あの、ちょっと!?」


なんの話もせずに立ち去ろうとするケンを引き留めようと、男は無意識に手を前に出した。すると、その手の横をするりと少年が通り過ぎる。


「な!?」


「ちょっと君!?」


男とリンは少年の行動に驚き、リンはあわてて少年を止めようと、少年の前に滑り込むように立ち塞がった。


「駄目よ、いくらあなたが子供だからといって勝手に…。」


「いいんですよ、リンさん。私が許可したんですから。」


そう言ってケンは後ろからリンの肩をぽんと叩いた。


「許可した!?許可したっていつ――――…あー、はいはい。やっぱりそうなんですね、この子。へぇー…。」


怒っていたリンは何か納得したように、ふうと一息ついて少年に向き合うようにしゃがみ、じーっと少年の顔を見た。


「…金持ちの子供じゃなくて悪かったな…。」


リンの前で初めてしゃべった少年の言葉は、まるで会話したあとに喋る台詞だった。しかしリンが少年に何かを喋ってはいない。その反応に、リン本人は動揺することもなく、そして怒る訳でもなく、おもむろに少年の頭をぽんぽんと触れた。きょとんとしている少年に、小さく笑みを向けて、リンは少年の前から避けて机の前に座る。


「はい、どーぞ。お通りください。ついでなんでシンラさんもどーぞー。」


先程まで怒っていたリンの態度があっさりと変わったので、その違いにシンラと呼ばれている男は何がなんだかわからないといった顔をしている。


「へ!?い、いいんですか!?…つか、ついでって…。」


何となく馬鹿にされているような気分になりながらも、仕方なくシンラは草履を脱いで屋敷に上がった。少年はちらりと視線を向けたが、すぐにケンの方に振り返る。どうやら気になって仕方がないようだ。ケンを、というよりも少年の目はじっと長く続く廊下の先を見つめている。


「ではでは、私の後についてきてくださいね?」


そう言ってケンは二人の前をゆっくり歩き出す。リンにぺこりとお辞儀して、シンラは少年の背中を軽く押した。一瞬躊躇った表情を見せたが、すぐにむっと顔をしかめて少年はその一歩を踏み出したのだった。





終…第二話に続く



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