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第6話:帰宅

 洋服屋の店長さんに拉致され、スタッフルームに呼び出された俺たちは、従姉妹の翔子が極端に男勝りな性格で、何とか女らしくさせるため、下着を買わせようとトレーニングをしていたという話をでっち上げ、ひたすらに謝り通した。まあ嘘ではない。


 不幸中の幸いで洋服に破損が無かったのと、ぐずぐずと泣きながら謝る翔子を見て、おっさんの店長も強く責められなかったのか、何とか厳重注意で済んだ。やっぱ美少女って得だよな。


 洋服店(ダンジョン)で俺は肉体的に、翔子は精神的に多大なダメージを受け、ほうほうの体で脱出した頃には、空は紫色に染まり、もう間もなく夜と呼べる時間になっていた。等間隔で設置された商店街の街灯が路地を照らし、帰宅途中のサラリーマンや学生が、いそいそと足を運んでいる。


「なあ翔子、いい加減に機嫌直せよ」

「ふんっ!」


 店を出てからという物、翔子はずっと不機嫌だ。さっきまで俺の腕にぶら下がるように密着して歩いていたのに、今は俺の前を1人でずんずん歩いていく。相変わらず危なっかしい足運びなので、すぐ後ろでフォローできるように、俺は翔子に付き従う。


 そういえば下着の件なんだが、結局買いそびれた。さすがにあの状態で買い物をする度胸が無かったのと、よくよく考えたら、翔子のスリーサイズが分からなかったからだ。

 

 いや、大したこと無いという事は分かるのだが、「大したこと無いサイズ下さい」なんて頼むわけにいかんし。


 店員さんに測って貰う方法も考えたが、今日の出来事は、翔子に相当なトラウマを与えてしまったらしく、女性下着コーナーに近づくと、いやいやと首を振り、震えて拒絶反応を示すようになってしまったので、今回は戦術的撤退をせざるを得なかった。


 覚えておけ洋服店、今日はこのくらいで勘弁しておいてやるぜ。


 結局、洋服店のすぐ近くのコンビニで、大きめの絆創膏を買い、トイレでバンブラ――絆創膏ブラジャーを装着させた。いつまで続くか分からないが、他の方法が思いつくまで、当面はこれで凌ぐしかなさそうだ。


「「あー……やっと家に着いたよ……」」


 商店街の雑踏を抜け、住宅街を通り、見慣れた一軒家が視界に入ると、俺達は思わず安堵の呟きを漏らす。中田、と書かれた珍しくも無い表札を見て、これほど心安らいだのは初めてだ。


 普通に学校に行って、いつものコースで帰ってきただけなのに、何だか10倍くらい苦労した気がする。


「さて、ナカタ君。君に言っておく事がある」

「何だよ?」

「今回の件で、私の男としてのプライドはズタボロに傷つけられた。よって、君には謝罪と賠償を要求するっ!」

「いやだから、さっきの件で悪乗りしすぎたのは謝ってるじゃん。これ以上何を望む?」

「プレステ4」

「ふっかけ過ぎだろ!」

「いいじゃん、どうせナカタ君も欲しがってたし」

「俺の財布の状況は、お前が一番把握してるだろ」

「お、おう……」


 玄関まで到着して大分気が安らいだのか、不機嫌ながらも、翔子は軽口を叩ける程度には回復したようだ。とりあえずお互いの靴とサンダルを脱いで家に上がり、俺はそのままリビングにある冷蔵庫に足を向ける。確か冷蔵庫の中に……お、あったあった。


「ほれ、翔子」

「……何これ?」


 俺は探し当てたブツを、翔子の目の前にちらつかせる。


「見りゃ分かるだろ。ア・イ・ス。俺の好きな練乳アイスバー」

「そりゃ分かるけど、何でそれを私に?」

「俺が食おうと思ってたけど、これを食う権利をお前にやろう。謝罪はしたから賠償の代わりな」

「しみったれてるなぁ……それっぱっかしでご機嫌取りするなんて、女の子にモテないぞ?」


 とか言いつつ、翔子は俺の手からひったくるように練乳アイスを奪うと、凄い勢いで食い始めた。こりこりと大きめのアイスに齧り付く姿は、何だか小動物っぽくて微笑ましい。


 リビングにある大きめのソファに並んで座り、翔子がアイスを舐めたり齧ったりするのを、俺は横目でじっと見る。普段の俺なら二本はぺろっと食べてしまえるのだが、翔子は小さな口で必死になり、格闘するように口に押し込んでいる。


「半分食ってやろうか?」

「やだ」


 翔子は頑として譲らない。さっきのポテトと比べ、食いつきっぷりが明らかに違う。どうも女の子が甘いものに弱いというのは本当らしい。とはいえ、翔子の胃に入っていく量と、溶けていく速度が釣り合わず、棒の下の方から、溶けたアイスがポタポタと翔子の小さな指に垂れていく。


「しょうがないな、ナカタ君に少し分けてあげる。ナカタ君、目を閉じて」

「目? なんでそんなことしなきゃならねぇんだよ」

「いいからいいから、はい、あーん♪」

「お、おい……!」


 翔子は、ほんのちょっと残った食べかけのアイスを俺の目の前にちらつかせ、甘い声で俺を(いざな)う。なんかちょっと興奮するシチュエーションだな。まあ相手は俺なんだが。俺は少し照れながら、言われるがままに目を閉じ、口を開く。


「くらえっ! 必殺地獄突き!」

「うおえぇっ!?」


 口の奥から変な悲鳴が出た。翔子の奴、アイスの残りを口に入れてくれると思いきや、あろうことか、もう片方の手の指を突っ込むというフェイントをかましてきやがった。畜生、何てアマだ。


「し、翔子、てめえ……!」

「へへ、いい気味だ。ちゃーんと分けてあげたし文句無いだろ?」


 そう、翔子の突っ込んだ指には、先ほど垂れたアイスの汁が微妙に付いていた。喉に指を突っ込まれて吐きそうになったが、同時にほんのりと甘く、ぷりぷりした翔子の指の感覚が思い出されて、俺は無言で翔子を睨み返す程度しか出来なかった。


 翔子は不意打ち成功に気分を良くしたらしく、桜色の舌をちろっと出し、そのままアイスを舐めていた。


 結構な量を溶かしながらも、結局自分一人の胃にアイスを収めた翔子の表情は、さっきと比べて随分険が取れていた。何だかんだ言いつつ、アイス1個で機嫌直ってるじゃねえか。我ながら単純な奴だ。


「俺は自分の部屋に戻るけど、翔子はどうする?」

「戻る。ていうか、私の部屋でもあるし」


 翔子は返事をすると、指に付いた白い液体を、ピンク色の舌でぺろりと掬い取った。何となく扇情的に見える姿から目を逸らし、2階にある自室に向かうため、俺は翔子を連れてリビングを出る。


「(ん……?)」


 階段に数段足をかけた所で、後ろから引っ張られるような感触を得る。振り返ると、俺の腰元からはみ出たシャツを、翔子がきゅっと掴んでいた。俺の視線に気付いた翔子は、慌てて目を逸らす。はて?


 俺は考えを巡らせる。もし俺が翔子の立場だったら……あ、そうか。さっき喧嘩したり、アイスの件で不意打ちをしたから、俺が怒っている可能性があると考えているのだろう。


 慣れない体で階段を1人で登るのは怖いけど、面と向かってしがみ付かせて欲しいとは言い出しにくい。多分これで合ってる筈だ。


「……何笑ってんの?」

「別に」


 俺は苦笑しつつ、階段を一段一段ゆるりと登る。一段登るたび、翔子の服を握る力が少し強くなるのを感じる。そんな翔子が何だか微笑ましく感じられて、さっきまでのイライラは、もうどうでも良くなっていた。やっぱり俺も翔子と同じで、単純なんだろう。




   ◆ ◇ ◆




「はぁー、やーっと懐かしの自室に帰ってこれたねえ」


 翔子は安堵のため息を付きながら、心底ほっとしたように、にぱっと笑う。反面、俺はドアを開けた瞬間、何とも言えない不思議な感触に眉を潜める。


「何だろ、なんかおかしく無いか?」

「何が? 別に何の代わりも無い私の部屋じゃん」


 翔子の言うとおりだ。漫画が多数を占める、碌に整頓されてない本棚、小学校から使っている、食玩のシールがべたべた貼ってあるぼろっちい机、開きっぱなしのノートパソコン、無骨な黒のパイプベッドの上には、朝のまま布団がぐちゃぐちゃになっている。うん、間違いない、いつも通りの汚い俺の部屋だ。俺の部屋なんだけど……


「パソコン使う時に座高合わなかったから、椅子の高さは変えたよ?」

「いや、そうじゃなくて、何か変じゃねえ?」

「そうかな?」


 翔子は別に違和感を感じていないようだ。でも、なーんか変なんだよな。何が違うって訳じゃないんだけど。まあいい、深く考えるより、今はさっさと休憩したい。すかすかの鞄を適当にぶん投げて、俺はベッドの上に身を投げ出す。はぁ、落ち着く。


「あ、こら! ずるいぞナカタ君! 私も疲れてるのに!」

「俺のベッドだ、俺がどうしようと俺の勝手だ」

「私のベッドでもあるんだぞ! レディーファーストっ! レディーファーストっ!」

「知るか。今の時代はジェンダーフリーだ」

「ううー! いいからどけー!」


 翔子が横からぐいぐい押してくる。踏ん張る必要が無いほど軽い押し方だが、仕方ない、ここは譲歩してやろう。しぶしぶ俺は身を起こし、机の椅子のほうに座りなおすと、翔子は実に嬉しそうに、ベッドにダイビングした。


「わーい!」


 ぼふんと音を立てて、翔子の小さな体がベッドに飲まれる。俺だって寝転がりたいのだが、体力的な面を強調されると、やっぱり華奢な女の子に譲らざるを得ない。ところが、ものの数秒もせず、翔子は渋面を作りながらベッドから身を起こす。


「男臭い……」


 翔子はそう呟くと、顔をしかめながらベッドから身を下ろす。男臭いって、そりゃ男が住んでるんだから当たり前だろうに――あ、待てよ? 翔子の台詞を聞いて、俺はさっきから感じていた、奇妙な感覚の正体に思い当たった。


「なあ翔子、ネットでの調べ物は、俺の部屋でやってたのか?」

「そうだよ。自分の部屋なんだから当たり前でしょ」

「部屋はずっと閉め切って?」

「うん」


 ああ、やっぱりだ。俺がこの部屋に入った瞬間に変だと思ったもの、それは『香り』だ。意識を集中させて鼻を動かすと、いちごミルクを物凄く薄めたような、ほんのりと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「翔子、お前、母さんの香水とか使った?」

「そんな訳ないだろ」


 当たり前だけど、翔子が女物の香水なんか使うわけが無い。そうか、これが翔子の香りか。素材は同じな筈なのに、やはり男と女では根本的な作りが違うという事を、俺は改めて不思議に思った。


「ナカタ君。下にお客さん用の布団あったよね? 悪いんだけど、あれ持ってきてくれない? どっちにしろ布団はもう一つ必要だし」

「んなもん後でいいだろ、お前がそのベッド使っても構わないし」

「その……汗臭いっていうか、油っぽいっていうか。なんか、やだ」

「言うまでも無いが、俺はちゃんと毎日風呂に入ってるし、服も洗濯してるぞ?」

「そうなんだけど、とにかく嫌なの! 私が布団かついで階段登ると転げ落ちそうだし。ね、頼むよ」

「仕方ねぇなぁ……」


 俺はしぶしぶ階下に降り、客用の布団を引っ張り出して自室に敷いた。ベッドと布団で殆ど足の踏み場が無くなってしまったが、翔子は満足そうに、ごろんと布団の上に転がる。何かさっきから翔子のわがままに振り回されっぱなしだ。ジェンダーフリーとか絶対嘘だろ。


「ありがとっナカタ君! はー、まさか自分の臭いが嫌になるなんて思わなかったなぁ……」


 翔子は布団の上で頬杖を付きながら、困ったように俺に微笑む。俺もベッドの上に転がりながら、同じように苦笑を返す。中身は同じ人間なのに、性別が違うとこうも違うものなのか。


「少し休憩したら、ご飯食べに行かないとね」

「お前な、さっきから俺ばっかり割食ってるんだから、飯ぐらい作ったらどうだ?」

「ほほう、私の料理の腕を知ってる君が、好き好んで手料理を食べたいのか。チャレンジャーだねえ」

「……外食にするか」

「うん、素直でよろしい」


 翔子はうつぶせになり、足をぱたぱたさせて楽しそうに言う。文句の一つも返したいところだが、子猫のようにくりくりとした瞳で覗き込まれると、何も言えなくなってしまう。ああ、やっぱ女のほうが得だよな。神よ、何故俺の方を女にしなかったのかと呪いつつ、俺たちはしばしの間、体を休ませることにした。

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