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第5話:女子高生(まじゅう)こわい

 翔子と腕を組む組まないのやりとりをしている間に、既に大分陽は傾いていて、穏やかな西日が翔子のつやつやした頬を真っ赤に照らす。


 春とはいえまだまだ肌寒いこの季節、日差しが弱まればそれなりに冷え込んでくるのだが、俺に密着する翔子の体温のお陰かそれは感じない。ほんのりと温かく、汗ばまない程度の絶妙な按配(あんばい)だった。


 学校から俺の家までは、普段なら歩いて1時間も掛からない距離だが、翔子の歩幅に合わせているため、いつもより進みがずっと遅い。特別急いでいる訳じゃないが、完全に日が暮れるまでには何とか辿り着きたい。


「ちょ、ちょっとナカタ君! ストップストップ!」


 大分歩きやすいようだし、もう少しペースを上げてもいいかなと思った矢先、翔子が慌てて俺を制止する。


「何だよ? 早いところ家に帰ったほうがいいだろ?」

「ちょっと……ひりひりする」


 そういって翔子は俺の腕から手を離し、ジャージのズボンを捲る。真っ白で、鳥の足みたいに細いふくらはぎが剥き出しになるが、そこから少し上の方を見てみると、翔子の右膝の部分が少し擦り剥けていた。多分、さっき転んだ時に出来た傷だろう。


「痛いんならもっと早く言えよ。遠慮してたのか?」

「うーん、そういう訳じゃないんだけど、安心したらちょっと気が緩んだみたい」


 そう言って翔子は苦笑する。幸い、ジャージのお陰でそれほど大きな傷にはなっていないが、無視できる程でもない。ただ間の悪い事に、今俺たちが居る場所は、学校近くの商店街と、俺の家の近くの商店街の中間地点。俺と小林が普段使っている、最短コースで帰宅できる市街地だ。つまり、薬局とか休憩できる場所が全然無い地域なのだ。さて、どうしたものか。


「歩けないほど痛いか?」

「そこまでじゃないけど……お、そうだ!」


 翔子が何か考えついたと思ったら、あろうことか唐突に上着のジッパーを開き、黒シャツを下からぺろんと捲り上げた。おへその部分が丸見えになっているが、翔子は構わずにシャツの下から腕を突っ込む。


「何考えてんだ! いきなりストリップやる馬鹿がどこにいる!」

「何考えてんだはこっちの台詞だって! このエロ妄想男子め! 黙って見てろ!」  


 幸い閑静な住宅街だったので、周りに人が殆ど居なかったのが救いだ。一応、念のため翔子を路肩に押し寄せて、他人を見られないよう俺の体で覆い隠す。


 翔子は何やら自分の服の下でもぞもぞ手を動かしていたが、何かの感触を得たらしい。どことなく嬉しそうな表情を見せる。


「じゃじゃーん! こんなこともあろうかと、絆創膏を貼って置いたのさ!」

「嘘付け!」

「へへ、ばれたか」


 翔子が悪戯っぽく笑う。こいつが服の下から取り出したもの。それはでっかい絆創膏だった。乳首を隠すために使っていたあれだ。翔子はご満悦な表情で胸から剥がした絆創膏を、ぺたりと膝へと貼り直す。


「うん、これでばっちり! 我ながら機転が利くと思わない?」

「……まあいいけどさ。とにかく、問題無いんだったらさっさと帰ろうぜ」


 翔子は特に何も言わず、再び俺の腕にしがみつく。下手に突っ込むのも野暮かと思い、俺は再び歩き出したが、ここでちょっとした違和感に気が付いた。


「翔子……その、何だ、ええと……」

「ああ、ちゃーんとナカタ君の腕に、生の感触が伝わる方を外したよ。サービスだよサービス」

「あのなぁ……」


 翔子は俺の腕に先端が当たるように、わざとぐいぐいと押し付ける。性能的には残念な部類ではあるが、さすがにゼロ距離攻撃なら、ふにふにとした柔らかさが実感できる程度の破壊力はある。


「いいなぁ、ナカタ君は押し付けられる感触が得られる側で。私は自分に付いたから、そういうのいまいち分かんないんだよねぇ」

「お前な、さっき調子乗って悪かったとか言ってたくせに、また悪ふざけしてんじゃねーか……」

「悪ふざけじゃないよ。お礼だよお礼、おっぱい押し付けられて悪い気はしないだろ? ほれほれー」


 余計楽しそうに、冗談めかした口調で翔子が俺を見上げてくるので、俺は無視を決め込んだ。翔子も一通り満足したのか、無言でてくてくと歩き出す。この時、俺は西日が俺の頬を赤く染めてくれた事に、ほんの少しだけ感謝していた。



◆ ◇ ◆



「ちょっと……ひりひりする」


 10分ほど歩いていると、また翔子が俺にストップをかけてきた。


「何だ? また膝が痛いのか? 左側か?」

「膝は大丈夫なんだけど、その、何と言うか……」


 翔子は先ほどと違い、言いづらそうにもじもじとしている。もうすぐ地元の商店街に着くし、そこを抜ければ俺の家まですぐなのだ。何とか我慢して欲しい。


「家までもうちょっとだから我慢してくれよ……」

「うう……確かにそうなんだけどさ、でも経験したことの無い痛みと言うか……」

「それじゃ分からん。はっきり言えよ。何なんだよ?」

「その……先っちょが……」

「先っちょ……? どこの?」

「だからっ!! おっぱいの先っちょが痛いの! 服と擦れてひりひりするの!」


 吹っ切れたように翔子が大声で叫ぶ。周りを歩いていた人たちが俺たちに視線を向けてきたので、俺と翔子はそそくさと道端に寄る。


「ば、馬鹿! そう言うことをでかい声で言うんじゃねえ!」

「ご、ごめん……」


 翔子は少ししょげたように俯く。


「多分、さっき絆創膏を胸から外しちゃったからだと思う……」

「ついでに俺にぐりぐり押し付けてたしな」

「ナカタ君のせいだぞ!」

「何でだよ!?」


 翔子の理不尽な責任転嫁を受けつつ、俺はどうしたものかと考える。先っぽが痛いって何だ? そんな事、男の俺は経験したこと無いので分からない。膝の擦り傷くらいは想像できるが、翔子の様子を見ると、割と本気で痛がっているようだ。


「しょうがねぇな……翔子、もうちょっとだけ我慢出来るか?」

「え、う、うん。どこ行くの?」


 俺は翔子になるべく負担を掛けないよう、さらにペースを落としてゆっくりと歩く。翔子もちまちまとした歩みで、黙って俺に付き従う。


 俺の頭に浮かんだ所、あまり近づきたくない場所なのだが、四の五の言ってはいられない。これも自分のためだと思い、俺は頭の上に疑問符を浮かべている翔子を気遣いながら、ある場所へと向かった。


 俺が翔子を連れてやってきた場所は、まあ、何てことは無い洋服の量販店だ。若者向けの安い洋服が沢山置いてあるので、俺もたまに寄ったりする。当然、翔子もこの店のレイアウトについては熟知しているが、今日向かう場所は、今までの人生で経験した事の無い未踏破領域だ。緊張に胸が高鳴る。


「さて翔子よ。ここまで来れば大体分かると思うが」

「お、おう……」


 翔子が息を呑むのを感じる。俺は緊張する翔子の肩に両手を置いて、真っ直ぐに瞳を見つめ返す。


「緊急クエストだ。ここでお前に合う下着を買うぞ」

「だと思ったよ! やだよ! 女物の下着を買って着るなんて! 私の知ってるナカタ君は女装癖は無いだろ!?」

「俺だって余計な出費も嵩むし嫌だっつーの! でもいつ元に戻るか分かんないし、いつまでもバンブラって訳にいかないだろ!」

「……ばんぶらって何さ?」

「絆創膏ブラジャー、略してバンブラだ」


 俺が今考えた。


「そういうわけだから、翔子、お前ちょっと行って、適当な奴見繕って来い。あ、なるべく安い奴な」

「えっ!? ナカタ君ついて来てくれないの!?」

「男の俺が、女性下着売り場に攻め込むのはキツいだろ……」


 女性向け下着コーナーには、まだ歳若いお姉さま、翔子と同じか、少し上の年代の女の子、他には制服姿の女子学生が数人で来ている。間違っても俺が行って入れる領域では無い。


 中身が同じの翔子も当然嫌がるが、俺は構わず翔子の背中をぐいぐい押して、下着コーナーへと押しやる。


「ひどいぞナカタ君! 私が女性の下着売り場なんかに放り込まれたら、どんな気持ちになるかわかるだろ!?」

「ああ、良く分かる。実に良く分かる。けどな、そのままだと痛い思いをするのはお前なんだぞ? 今は片っぽだけど、今度は両方になるかもな」

「うっ……」


 そこまで言うと翔子は押し黙る。しばらく目線を泳がせていた翔子だったが、ついに観念したらしい。がっくりと肩を下ろしながら、ふらふらした足取りで下着売り場へと足を向けた。


 ――翔子が数歩進んで振り向く。


「な、なあナカタ君、ブラジャーの色はピンク? それとも水色がいいかな?」

「俺の好きな色はお前が良く知ってるだろ」

「う、うん……」


 ――翔子がさらに数歩進んで、また振り向いた。


「じゃ、じゃあさ、無地と縞々の奴、どっちがいい?」

「時間稼いで無いで早く行け」

「うう……恨むぞナカタ君」


 完全に追い詰められた翔子は、疲れ切った様子で女性下着コーナーへと分け入っていく。ふふふ、計画通り。俺は内心でほくそ笑む。


 実は、翔子のためでもあるが、これはちょっとした意趣返しだ。同じ自分なのに、今朝から女と言う強力な武器を持った翔子に攻められっぱなしで、学校も俺が行くことになったし、俺の財布から金を出した。


 翔子だって俺なんだから、多少は俺の苦労を肩代わりさせても問題ないだろう。咄嗟に思いついたが、我ながら妙案だ。さて、遠巻きに翔子の慌てふためく様子を見るか。


 おっかなびっくりといった感じで、翔子は背中を丸めながら、なるべく目立たないように行動しようとしている。傍から見てると余計に挙動不審に見えるのだが、そこは仕方ない。


 そのくせ上半身がふらふらとしていて非常に危なっかしくて、何となくペンギンを思わせる不恰好な歩き方だ。バランスが取りづらいというのは本当みたいだな。


 翔子はまるで熱した鍋に触れるみたいに、恐る恐る下着に手を伸ばす。


「こっちのほうが可愛いんじゃない?」

「そうかなー?」

「ひいっ!?」


 翔子が下着に触れる直前に、近くに居た女子高生の二人組みが近づく。別に悪い事をしている訳じゃないはずだが、翔子は肉食獣に見つかった子羊みたいにびくりと震え、慌てて反対側のコーナーへと身を隠す。事情を知らない女子高生二人が、何事かと顔を合わせる。


「お客様。どういった物をお探しでしょう?」

「ひいいいっ!?」


 別のコーナーに移り、よれよれのジャージ姿で、周囲に怯えながら下着を物色する、挙動不審の少女――翔子を見かねたのか、はたまた不審者扱いしたのか分からないが、若い女性店員が声を掛ける。反対側に回って安心しきっていた翔子にとっては、完全に不意打ちを喰らった形になる。


 翔子は口をぱくぱくさせ、滑稽なくらい驚いて――ああ、何かいたたまれなくなってきたな……あ、あいつこっちに来やがった!


「うわああああん! もうやだああぁぁあ!!」

「お、おい! 落ち着け翔子!」


 感情メーターが吹っ切れたのか、なりふり構わず翔子は俺の居る方向に猛ダッシュしてくる。いかん! 完全にオーバーヒートしてしまったようだ。少し考えてみれば、翔子も俺も、やっと二匹のスライム(弱め)を制したばかりなのだ。


 そんな新米冒険者が、女子高生(まじゅう)跋扈(ばっこ)する高レベルダンジョンに一人で放り込まれたらどうなるか。言うまでも無い、即死だ。倍返しどころか百倍返しくらいになってしまった事に、今更ながら後悔した。


「って、悠長に考えてる場合じゃねえよ!」


 ただでさえ女の体に慣れていない翔子が、ろくに前も見ないで突っ走ってくるものだから、案の定体勢を崩した。受け止めようと、俺も猛然と前へと飛び出す――それが良くなかった。


「がはぁあっっ……!?」


 俺の体に凄まじい衝撃が走り、肺から空気を搾り出すような悲鳴が出た。視界が明滅し、世界がひっくり返る。俺は碌に抵抗も出来ないで、何が何だか分からないまま、翔子に下敷きにされる形で床に叩きつけられた。


 倒れてから分かったが、体勢を崩した翔子の頭突きが、運悪く俺の鳩尾(みぞおち)にクリーンヒットしたらしい。羞恥で暴走し、怒りと悲しみに満ち満ちた、軽いながらも全体重を乗せた翔子のロケット頭突き。


 さらに翔子を受け止めるために前に駆け出していたので、クロスカウンターを喰らった形になる。様々な要素が掛け算となった、まさに渾身の一撃。これを狙ってパンチで出せたなら、翔子は世界を獲れるだろう。


「お、お客様! 大丈夫ですか!?」


 近くに居た女性店員らしき人が、俺たちに駆け寄ってくる。周りに居た他の客も、何事かと思い、ざわざわと集まり始める。くらくらする頭を何とか起こすと、俺の腹のあたりに顔を埋めながら、ひっくひっくとしゃくりあげる翔子の顔が見えた。


「わあああん! 女子高生(まじゅう)怖いよおぉぉ!」


 翔子を押しのけたいのだが、ボディに強烈な一撃を貰った俺は、満足に体を動かすことが出来ない。多分、潰れたカエルみたいにみっともない体勢になっているだろう。


 さらに悪い事に、倒れた時に巻き込んだ洋服棚がぐちゃぐちゃに散乱して、何だか凄まじいことになっている。


「任務……失……敗……」


 本格的に泣き出した翔子を腹に乗せたまま、俺は吐き出すようにそんな台詞を呟いた。こうして俺と翔子の馬鹿みたいな緊急クエストは見事失敗し、二人仲良く顔を引きつらせた店長さんに拉致される羽目になった。

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