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第3話:間違い探し

「やぁ、待ってたよナカタ君!」


 サイズの合わないダブダブのジャージを着た、小柄なショートカットの女の子――もう1人の俺である翔子は、俺と小林の元に近寄ると、にこにこと実に愛想の良い笑顔を振りまいた。隣に居る小林の顔は、驚きを通り越して無表情になっていたが、多分俺も同じ表情になっているだろう。


「な、中田……お前、この子の知り合いなのか?」

「知り合いっつーか……えーと……」


 小林は酸欠状態の金魚みたいに口をパクパクさせながら俺に問う。何と答えていいものだろう。つーか、それ以前に何故翔子がここにいるんだ。女の体になったから学校を休んだはずなのに。


「春川翔子です! お友達の小林さんですね? はじめまして!」


 何がはじめましてだ。翔子は俺なんだから、こいつの事なんて何年も前から知ってるだろう。そんな俺の困惑などまるで無視し、翔子は小林に対し、文字通り、春のように軽やかな挨拶をする。


 ちなみに翔子が名乗った苗字は母さんの旧姓だが、同級生の母親の旧姓という、どうでもいい情報を小林が知るはずも無く、中身が俺だとは露とも思わない哀れな小林は、油の切れたオンボロの機械みたいに、ぎくしゃくと無言で頷いた。


 気が付けば、俺たちから少し距離を置き、取り巻くような形で結構な数の男子学生が集まっていた。中には俺と同じクラスの連中もちらほら見かける。下校時間に校門前でこんなことをしていれば嫌でも目立つ。立場が違えば俺だって足を止めて見ただろう。


 俺は翔子の腕を引っ張って、耳元に囁きかける。もちろん小林と他の学生に話が聞こえないよう、数メートル距離を取ってからだ。


「翔子! お前何しに来たんだよ!?」

「まぁまぁ、落ち着きたまえナカタ君。怒る前に私の苦労を労ったらどうだ? 服も靴もサイズ全然合わないし、仕方ないから中学のジャージを無理矢理着てきたけど、それでも余りまくって大変なんだよ?」


 狼狽する俺とは反対に、けらけらと楽しそうに翔子は笑う。女子の体格の細かい事は俺も分からないが、それでも翔子はかなり小柄なほうだと思う。


 顔も童顔なので、下手をすると小学生に間違われそうだ。男物のジャージは俺の中学時代の物なのに、翔子には全然サイズが合わないし、履いているのはフリーサイズのサンダルだ。


 俺がまじまじと見ていると、翔子はおもむろにジャージの上着に手を伸ばし、ジッパーに手を掛けた。ジジジ、と言う音と共に、上着の前部分が(あらわ)になると、ジャージの下は、俺が普段着ている黒地の半袖シャツを着込んでいた。


 シミ一つ無い白い肌と黒いシャツが絶妙なコントラストを作る。やはりサイズは全然合わず、鎖骨の下のゆるやかな隆起の部分が、かなりの割合であけっぴろげになっている。


 ふと後ろの方を振り向くと、小林と、何人かの男共が、遠目から亀のように首を伸ばしてこちらを覗こうと空しい努力している姿が見えた。


「さあナカタ君に問題だ。今の私にあるはずなのに、無い物を当ててみたまえ!」


 翔子は芝居掛かった口調で、いきなり禅問答みたいな事を言い出した。何だよあるのに無いものって。いきなりそんな事を言われても困るだろうが。


 俺が男だった頃は、こんな奇怪な行動には走らない、ごく普通の善良な一般市民だったはずなのに、いきなり女になんかなったせいで、やはり思考回路までおかしくなったのだろうか……等と考えていた時、不覚にも、俺はこいつの問いの答えに気付いてしまった。


「あ、あれ!? な、無い! 無いぞ!? あるべきものが無い!?」


 思わず口に出して叫んでしまうと、翔子はそこに気付くとはさすが俺だとでも言うように、口元を満足げに歪ませた。女の体を持つ翔子に本来無くてはならない物、とてもとても重大な『あれ』が、黒いシャツには存在しなかった。


 別にフォローする必要は無いと思うが、翔子の名誉のために付け加えておくと、女の子の柔らかな2つの霊峰は、一応シャツの下からその存在を控えめに主張している。だがしかし――しかし!


「先っぽが無い!? 一体どうして!? ば……馬鹿な!? あ、ありえないっ……!?」


 そう、2つのお山にセットで付いてくる筈の先端部、プリンで言えばカラメルシロップの部分であり、富士山で言えば雪を被った部分が無いのだ!


 下着を着けずにこんな薄地の男物シャツなど着れば、当然先端が浮かび出てくる筈。なのに、なだらかな丘陵地帯の頂点はゆるやかなカーブを描くのみで、その存在を完全に隠している。


 年頃の女の子が大事な部分を隠しもせず、羞恥心も無くだらしない格好で出歩くというのは、例え神が認めても俺が認めないという信条の元で、俺はこの過酷な娑婆(しゃば)世界を日々生き抜いている。


 俺の分身であるこいつも同じ信条を持っているわけで、何らかの方法で蕾の先端をガードしている事は間違いない。だが一体どうやって?


 俺は一人っ子だから姉妹の下着を借りるなんて事は出来ないし、翔子が俺であるのであれば、1人でランジェリーショップに駆け込むなどと言う度胸は無い筈……無い筈だと願いたい。となると、そこから導き出される答えは……


 俺の頭の中に、恐るべき光景が思い浮かんだ。それは最悪の想像だ。口に出すのもおぞましき妄想ではあったが、それでも問いたださない訳にはいかない。俺は地獄の門のように重苦しくなった自分の唇をゆっくりと開き、搾り出すように言葉を紡ぐ。


「お前まさか……お、お、お母さんの下着を着けて学校に来たのか……?」

「そんな恥ずかしいことするか馬鹿っ!!」


 健全な男子高校生が、実の母親の下着を着て外出する。そんな神をも恐れぬ変態行為を俺の同一存在――翔子がしたのかと思ったが、どうやらそれは無いようで、超えてはいけないラインを守った俺はほっと胸を撫で下ろした。だとしたら一体どうやって先端部分を……?


「私ともあろうものが想像も出来ないのか。全くしょうがないな。正解は……!」


 翔子は悪戯が成功した子供みたいな顔で、俺の首にぶら下がるようにヘッドロックを掛けてきた。同時に、もう片方の手で、ガバガバだった黒シャツの襟首に人差し指を引っ掛けると、遠慮なく前に引っ張った。


 ヘッドロックで密着した状態でそんな事をされてしまえば、周りの連中にはギリギリ見えないが、俺の位置からは胸元が丸見えになる。周りの男子学生から「おおおっ!?」と悲鳴に似た声が上がる。


「……何だよこれ?」

「名案だろう?」


 染み一つ無い真っ白な鎖骨を滑り降り、まろやかな丘陵を作っているその膨らみ。富士山のように気高く巨大ではないが、家族みんなでうららかな日差しの中を、ハイキングをするにはぴったりといった感じの、ゆるやかな2つの山の先端には、膝に貼るようなでっかい絆創膏が貼られていた。


「どうだナカタ君。いいものが見られただろう?」

「……………………」


 翔子はヘッドロックを解除すると、ふふんと得意げに鼻をならし、再びジャージのジッパーを上げた。そりゃ見ず知らずの普通の女の子のなら、この世界に生まれてきた喜びをかみ締めたかもしれないし、頭のろくに働いていない今朝みたいな状態だったなら、あるいは本能に身を任せたかもしれない。


 でも冷静に考えればこいつは俺なのだ。そう考えると何とも複雑な心境になる。ただ、そこにあるとつい見てしまうのは、男の性であり、仕方の無いことなのだ。みんなも分かるだろ? 誰だよみんなって。


 で、結局こいつは何しに来たんだろう? こんなことは別に家でも出来るし、そもそもやる意味が分からない。問いただそうとすると、翔子は不意に周囲をきょろきょろとし出す。


 こいつの奇妙な言動で周囲の存在をすっかり忘れていたが、微妙に前かがみで固まっている小林を筆頭に、さっきよりも大量のギャラリーに取り囲まれていた。


 基本的にうちくらいのレベルの男子高校生なんて暇人が大多数だし、そんな連中が、可愛い女の子が校門前でちょっとエッチな行為に励んでいるなんて情報を仕入れたら、まるで地面に落ちた飴に群がるアリみたいに、どこからか大量に集まって来てしまうのだ。


「よし、こんなもんかな? さあ一緒に帰ろうナカタ君!」

「お、おい!?」


 翔子は何かを納得したように強く頷くと、一緒に帰ろう、の部分を強調し、俺の手を強引に取って歩き出した。こいつは本当に何がしたいんだ?


「中田! お、お前一体何を!? ち、畜生! 一体何がどうなってんだ!」


 小林がようやく我に返ったらしく、翔子に手を引かれるままになっていた俺に声を投げ掛ける。その声は、何となく捨てられた野良犬の遠吠えを思わせる響きだった。


「わ、悪いな小林。そんな訳で、俺、今日は用事があって……細かいことは後で説明するから」

「細かいことって何だ! 用事って何だよ! おい、待てよ中田! 頼む! 待ってくれ!」


 もう本当にどんな顔をしていいか分からなかったので、俺は曖昧に笑って小林と、小林と同じ表情で突っ立っている連中に手を振った。翔子は振り返らず、何故か上機嫌でどんどん道を進んでいくが、俺は何度も小林の方を振り返る。


 その間、小林も他の学生たちも微動だにせず、その様は、まるで不法投棄されたマネキンの処分場のようだった。


 帰り道を曲がる際、小林の口元が動くのが見えた。この距離では何を言っているのか聞き取れる訳が無いが、あいつが何を言っているのかははっきりと理解できた。何故なら、小林と俺の立場が逆転したら、きっとこういうだろうと予想できたから。


「裏切り者」


――と。


※娑婆世界=煩悩(ぼんのう)や苦しみに満ちた現実世界

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