【番外編】妖怪メイドモドキ
「翔子、もういいか?」
「いいよー。さあ、どっからでも掛かってきたまえ」
今日は休日で、両親も用事で出かけて夜まで帰ってこない。
それを前もって知っていた俺は、当然の如く昨晩は夜遅くまで起きて、昼まで惰眠をむさぼろうと思っていた。
しかし、朝っぱらからいきなり翔子が俺の部屋に殴りこんで来やがって、見せたいものがあると言われ強引に部屋から追い出された。
そんな訳で今、俺は自分の部屋から自分によって締め出され、ドアの前で突っ立っていた。
何だかよく分からんが準備が出来たようなので、そのままドアノブを捻る。
ドアを抜けた先には、メイドさんが立っていた。
いや、メイドさんじゃなくてメイド服に身を包んだ翔子なんだけど。
こいつが何故そんな格好をしているのかまるで理解できない。
「お前、何やってんだ?」
「見てわかんない? メイドさんだよ! どんな願いでも一つだけ叶える事は出来ないが、可能な限りご奉仕してあげよう!」
「いや、メイドなのは見れば分かるが、そんな衣装どこから持ってきた」
「ジンがくれたトランクに入ってた」
ああ、あの翔子が誘拐犯に連れ去られた格好で詰め込まれてたあのトランクか。
必要なものが入っていると言っていたような気がするが、何で下着が入ってなくてメイド服が入ってんだ。用意するものがおかしいだろ。
うちの台所に包丁は無いけど、日本刀ならあるみたいな状況だぞ。
「まあジンの非常識な行為は放っておくとして、だから何でメイドさんの格好してんだ」
「そりゃ、ナカタ君にお詫びのご奉仕をするためさ」
「お詫び? ご奉仕?」
「ほら、前の喫茶店の件でナカタ君にちょっと迷惑かけちゃったから、お詫びに今日はご奉仕でもしようかと思って」
あー、あの思い出すのも忌々しい事件か。
別に翔子に落ち度は無いと思うのだが、確かに財布的にも精神的にも痛かったのは事実だ。
「まあ、気持ちは分かった。だがな、根本的なことを聞いていいか?」
「うん?」
「お前、メイド服なんか着て恥ずかしくないのか? 女装みたいなもんだろ」
「そりゃちょっとは恥ずかしいけどさ、今日はお父さんとお母さん――じゃなかった、叔父さんと叔母さんも居ないし、この格好で外に出るわけじゃないしね」
意外とまんざらでもないようで、翔子は得意げにくるりと一回転する。
新品の黒のロングスカートがベースになっていて、その上の純白のエプロンが眩しい、見た目だけなら愛くるしい古風なメイドさんだ。
ご丁寧に頭についてるフリフリのカチューシャみたいな奴まで被り、しかも足は白黒の縞々ニーソックスを履いていた。
さすが翔子、俺の好みをよく理解している。
中身が俺だという事と、メイドのくせに家事全般が全く出来ないという致命的な欠点があるが。
「いやー良かったねぇナカタ君。今の時代に中学生メイドに奉仕されるなんて、一部の特権階級しかいないよ? 風俗まがいのメイドもどきならうじゃうじゃいるけどねっ」
「お前だってもどきだろうが。この妖怪メイドモドキめ!」
「細かいことはいいじゃん。折角可愛いメイドさんが一日言う事聞いてくれるんだから、流れには乗っておきなって」
翔子はけらけら笑いながら、俺の机の椅子を勝手に引き出し、足を組んで座る。
態度の悪いメイドだ。
「つってもなあ、お前。掃除洗濯料理、何も出来ないだろ。お前が料理できるなら、朝飯でも作ってもらうんだけど」
「ふっふっふ、甘いなナカタ君。パンナコッタより甘い!」
何故か翔子は不敵な笑みを浮かべ、メイド服の胸元のボタンを外して、おもむろに手を突っ込んだ。
そして懐からビニールに包まれた謎の物体を取り出し、俺に突きつける。
「……何だこれは?」
「朝ごはんです。クリームパンとも言います」
「そうじゃなくて、何で胸元からクリームパンが出る」
「懐に入れて暖めておきました!」
「お前は戦国時代の猿か!」
思わず翔子の頭にチョップを叩きこむ。
手加減したはずだが、翔子は大げさに頭をさする。
「何すんの! メイドさんの残り香をつけてサービスしておいたのに!」
「俺は変態か!」
とは言え、恐らく他に碌な食い物も無いはずなので、仕方なく微妙に生ぬるくて平べったいクリームパンを奪い取る。
梱包された袋から、ほんのりと薄めたいちごミルクみたいな香りが漂う。
「…………」
「今、ちょっと嬉しいかもとか思ったでしょ?」
「お、思ってねーよ!」
「いや、絶対思ってたね。私がナカタ君ならちょっと嬉しいし」
くそ、不覚にもちょっと嬉しいとか思っちゃったじゃねーか。
パン自体は微妙な感じになっているが、翔子はいい香りがするので、その、なんだ、色々妄想を掻き立てられる部分もあるにはあるのだ。
そんな下らないやり取りをしていると、ピンポーンと間抜けなインターホンの音が響いた。
「ナカタ君、お客さん来たよ。早く出て」
「何で俺が行かなきゃならんのだ。お前が出ろよ」
「ぇえ~、私、メイドの格好してるんだよ? 人前に出るのなんてヤだよ」
「いいからさっさと行け! 少しはメイドらしいことをしろ」
「ちぇっ、欲情した変質者に襲われたら助けてよ?」
「そんなもんエロ漫画か小説にしか存在しねぇよ」
どうせ何かのセールスか宅配便か何かだろ。
悪態を吐きながらも、翔子はしぶしぶ階段を下りて玄関へ向かっていった。
「ふぉぉぉおおおおおおおおおおおおぉぉぉおお!!」
「ぃきゃあああああぁぁあああぁああ!!」
「な、何だっ!?」
玄関の方から発情した猿の雄たけびみたいな奇声と、耳をつんざく翔子の悲鳴が響く。
まさか本当に変質者が!?
「くそっ、馬鹿なっ! 待ってろ翔子!」
俺はドアをぶち破り、転がり落ちるように階段を駆け下りる。
「ナカタ君、助けてぇー!」
「しょ、翔子さん! しょ、し、しょ、翔子さんっ!!」
その変質者は異常なまでに興奮し、翔子を壁に押し付けていた。
短く刈り上げた短髪に中肉中背な体格、駅前の人ごみとかに手を突っ込めば、幾らでもつかみ取りできそうな、まさにミスターモブ男とも言うべき外見で――。
「って小林じゃねえか!」
俺は駆け下りた勢いを殺さないまま、小林の横っ腹に蹴りを入れる。
「ぐはあっ!?」
目の前の翔子に夢中だった小林は、もろに直撃を受けて玄関のドアに叩きつけられた。解放された翔子が、半泣きで俺に飛びついてくる。
「うええん! ナカタくぅん! この変態怖いよぉー!」
「よしよし、変質者は俺が退治してやったからな」
「ま、待て……俺は変質者ではない……ただ、ちょっと正気を失って翔子さんの魅力にあてられていただけだ」
「そういうのを変質者って言うんだぞ」
俺の蹴りの威力が弱まっているのか、それともアドレナリンが出まくっているのか、腹を押さえながらも小林は立ち上がった。変態は、何故か口元には笑みを浮かべていた。
「へへ、すまねぇな中田。翔子さんがあまりにも可憐だったもんで、俺としたことが理性のタガが外れちまったらしい。だが、今の一撃で逆に冷静になれたのさ。俺は正気に戻った」
「変態行為をした癖に格好つけるな」
「ナカタ君、こいつどうしようか?」
「今日粗大ゴミの日だったな、ちょっと捨ててくるか」
「ま、待て! 俺は翔子さんに会いに来るついでにお前の家に遊びに来ただけの、善良な男子高校生だぞ!」
「善良な男子高校生は、女子中学生をいきなり押し倒さん」
「すいません翔子さん。次回からは気をつけますんで」
小林の野郎、俺の的確なツッコミを敢えて聞かなかったことにしやがった。
俺はのんびりとした休日を過ごしたいのに、ここ最近、狂人みたいな奴ばかり見せ付けられている。
金ぐらい貰わないとやってられんぞ。
……ん? 金?
その時、俺の脳裏にふと妙案が浮かんだ。
「小林、ちょっと待ってろ」
「やだよ。折角遊びに来たんだし、さっさと家に入れてくれよ」
俺は肘で翔子を小突く。
「小林君、ちょっと待ってて」
「はい」
翔子が俺と同じ台詞を言うと、小林は玄関で正座待機を始めた。
お前は主人以外の命令は聞かない犬か。
多少釈然としないが、とりあえず小林を玄関に縫いとめておいて、翔子を連れて居間へと引っ込む。
「翔子、いいアイディアがあるんだが一口乗らないか?」
「何さ?」
「分かりやすく言おう。お前、小林から金を巻き上げろ」
「ちょっと何言ってるか分からないんだけど」
そりゃそうだ。いきなりこんな事言い出されても意味不明だろう。
というわけで、今回の作戦を翔子に説明する。
「俺達は今、財政難に陥ってるわけだが、そこに小林が都合よく現れてくれた訳だ。このチャンスを逃す手は無い」
「いや、だから意味分かんないってば」
「小林は見ての通りお前に惚れてる。だから小林をメロメロに誘惑して金をふんだくるんだよ」
「友達を騙して金を巻き上げるって、人間のクズのする事だと思わない?」
ごもっとも。
だが俺は翔子の両手に手を置いて、諭すように語り掛ける。
「なあ翔子。野口英世や樋口一葉と小林、どっちが価値がある?」
「そりゃ当然、野口や樋口だけどさ。でもなあ……それじゃ私がクソビッチみたいじゃん」
「そう、そこが重要だ」
「えっ?」
そう、これは単に俺達の財布を潤すだけではなく、深い深い意味がある。
金が欲しいだけとか、休日が潰された腹いせとかでは断じてないのだ。
「あまり認めたくないが、俺達の運命のキーパーソンとして小林が組み込まれている訳だろ? で、お前は何とかして小林との縁を切らなきゃならない。ここまではいいな?」
「うん」
「お前が金に汚いクソビッチだと思われれば、小林の百年の恋も冷めるわけだ。さらに俺達は金が手に入る。どうだこのコンボ、完璧だろ?」
「な、なるほど! つまり金と絶縁のシナジー効果が狙えるわけか! 策士だねナカタ君! お主も悪よのう」
「ふっ、まあな」
俺達は互いに邪悪な笑みを浮かべあう。
咄嗟に思いついたが、なかなかの作戦ではないか。
俺はそのまま翔子に説明を続け、翔子も理解の色を示したようだ。
「出来れば諭吉を召喚したいが、しょせん小林程度のコストでは賄いきれないだろう。まあいい、行けっ! 翔子っ! 小林を墓場に送り、野口英世――できれば最上級モンスターの樋口一葉を召喚するのだっ!」
「ういっす!」
翔子は俺に向かって軍隊風の敬礼をして踵を返す。
俺はというと、翔子に説明した作戦を実行するため、居間にあるパソコンを起動する。
それほど時間も経たず起動したパソコンのデスクトップから、さらに音声チャットを起動し、そのままディスプレイの電源だけ落とす。
この状態で別の部屋のパソコンでチャットにログインすれば、小林に気付かれずに居間の会話を拾う事ができるというわけだ。
「よし、これで第一段階終了」
俺はすぐに居間のドアに向かい、こっそりと外の様子を伺う。
俺の指示通り、翔子は玄関で小林と他愛も無い会話をして気を引いている。
奴の世界には翔子しか写っていないようで、その隙にそっと二階の階段を登る。
そのまま自室のパソコンを起動。
こちらで先ほどの音声チャットにログインする。
準備が整った事を知らせるため、自分の携帯から翔子にワンコールを掛ける。
「トラップ設置完了。後は獲物が罠に掛かるのを待つのみ」
俺は自分の口の中だけでそう呟く。
音声チャットがオンになっているので、こちらから大きな物音は立てられない。
汎用人型決戦兵器に指示を出す指令のように、机の前で両肘を付き、翔子の行動を待つ。
暫くすると、パソコンから翔子と小林の声が聞こえてきた。
「あれ? 中田はどこ行ったんすか?」
「ナカタ君、飲み物が無いから裏口から買いに行ったみたいだよ」
よし、問題なく音声は拾えているな。
後は翔子が首尾よく小林を丸め込んでくれるのを待つだけだ。
ただ、方法は翔子任せなのでかなり不安だが。
当たり前だが俺はハニートラップなんぞを仕掛けた経験は無く、当然翔子も無い。
「そ、それじゃ、今は一つ屋根の下に二人っきりってことですか!?」
「う、うん、ま、まあ……」
距離が離れているにも関わらず、小林の声が上ずっているのが分かる。
小林は翔子相手だと人間の理性を宇宙の彼方に投げ捨てるので、いつケダモノの本性をむき出しにするか分からない。
そのための音声チャットだ。
俺が現場に居たらさすがに小林も警戒するだろうし、かといって完全に翔子任せにしてしまうと、翔子の貞操が危ない。
いざとなった時に飛び出せる伏兵として、こうして俺が自室で待機しているわけだ。
「ねえ、小林君?」
「は、はい! 何でしょう!?」
さて、ここからは翔子のお手並み拝見といくか。
果たして翔子の奴、一体どんな甘い罠で小林を篭絡するつもりなのか。
「お金ちょうだい?」
「直球かよ!」
俺は机に顔面を打ち付けそうになりながら、思わず叫んでしまった。
「あれ? 今なんか中田の声しませんでした?」
「き、キノセイだよ?」
危ねえ危ねえ。
翔子があまりにもアホすぎて、思わずディスプレイにツッコミを入れてしまった。
にしても翔子よ、もうちょっとマシな方法あるだろ!
これじゃどんな馬鹿でも断るだろ……。
「分かりました!」
しかし小林、意外にもこれを了承。いいのかよ!
「え、い、いいの?」
「いいっす! その代わり条件があります!」
「条件?」
「その、翔子さんが……い、今履いてるニーソックス、も、貰っても良いですか?」
おい、なんか小林の奴、とんでもない事言い出したぞ。
翔子の顔が引きつっているのがよく分かる。
なぜなら俺もドン引きしていたからだ。
「え、ええと、その、それはちょっと」
「じゃあ、せめてその綺麗な足で踏んで欲しいっす! さあ、俺は逃げも隠れもしません! どうぞ思いっきり踏んでやってください!」
「うえぇん、ナカタ君、助けてよぉ……」
「そこまでだ! 変質者!」
「な、中田っ!? 貴様一体どこから……ぐわぁっ!?」
電光石火の勢いで居間に駆けつけた俺は、部屋の真ん中で大の字に寝そべっていた小林の鳩尾を思いっきり踏みつける。
「どうだ、踏んでやったぞ。ありがたく思え」
「お前じゃない……俺は、ただ、翔子さんに……ぐふっ」
小林は辞世の句を言いかけ、悶絶しながら気絶した。
まあ翔子の中身は俺なんだし願いは叶えたぞ。
こいつも本望だろう。
「やっぱり悪い事すると、見たくない物を見させられるんだね」
「ああ、そうだな」
俺達は友人の知りたくも無い異常性癖を知ってしまい、何とも言えない微妙な空気の中で立ちすくんでいたが、不意に翔子が小林に近づき始める。
「何をするつもりだ?」
「なんか、このままじゃあんまりにも救いが無いから」
そう言って、翔子は恐る恐る、縞々のニーソックスで小林の顔をそっと踏みつけた。小林は死に掛けたセミみたいにぴくぴくしながらひっくり返っていたが、翔子の足が触れた瞬間、白目を剥いたまま笑みを浮かべた。
翔子は腐ったゴキブリの死体でも踏んだように、青ざめた表情で俺に飛びつく。
「ひぃっ!? 気持ち悪っ!」
「気持ち悪いなあ」
その後、幸せそうに気絶している小林を二人で抱えつつ、ベランダに転がした。
放っておけばそのうち目を覚ますだろうし、覚まさなくてもまあいいやという気持ちになっていた。
小林を放り出した後、家の全ての戸締りをチェックし、念のためドアのチェーンロックも硬く、硬く掛けた。
「これは封印したほうがいいね」
「ああ、そうだな」
そう言って、翔子はメイド服とニーソックスを脱ぎ、着替え始めた。
確かにニーソックスとメイド服と言う物は素晴らしく、男にとって神聖に見える一種の法衣である。
だが、その神聖さ故に、神に近づきたい、真理を得たいという欲望も燃えてしまう。
その結果、小林のように欲望の業火に焼かれ、破滅していくのだ。
人間と言う物は業の深い生き物だなあ。
そんなどうでもいい事を考えている間に、大切な休日の時間は無駄に過ぎていくのだった。




